迷子に楔を打つか否か「ドバイに行くぞ、イオリ!」
突然部屋に入ってきたかと思えば、セイバーが大きな声でそう告げてきた。
閉鎖的環境故に季節感に乏しいカルデアではあるがイベント事には敏感だ。季節は夏、海と太陽が私達を呼んでいる、バカンスに行くなら今しかない。
今回はなんと特別にドバイに行って観光ができるらしい。未来へのレイシフトという滅多にない機会を逃す由がないと目をキラキラと輝かせながら話してくる楽しそうなセイバーを見ながら、伊織も釣られたように朗らかな笑みを浮かべる。
「そうか、気を付けて行ってくるんだぞ」
「き・み・も・行・く・ん・だっ」
一人で行っても楽しくないと強く主張するセイバーに袖を引っ張られ、半強制的に外に連れ出された伊織は一緒にドバイに遊びに行く事になった。
まず訪れたのは無限に食べ物があるようにも見える大きなビュッフェだった。
此処でなら一日中過ごせそうだと頬を満杯に膨らませながらセイバーは幸せそうに食事を続けている。どれも美味しいのか、高揚した様子でもぐもぐと大口で食べる勢いは止まらない。
(本当に、良い顔だな)
気持ちがいい食べっぷりをみせるセイバーの姿を眺めながら、もっと食べろと食べている合間に分け与えられた異国の食材を伊織も食べ進めた。
伊織は生前からあまり食に関心がなく、量を食べる方ではない。そもそもサーヴァントは食事を必要としない。けれど、セイバーと共に居るようになってからは食事に直面する頻度はとても増えた。
大盛りをぺろりと平らげる様を隣で見ているだけで腹がくちくなりそうになるが、セイバーがそれを許さない。いらないと断っても勝手に皿に乗せてくるので仕方なしだ。
断る暇もなく問答無用で料理が増えていくが、無理難題な量を押し付けられたりはしない。
セイバー如く、伊織の好みと食べられる量を把握しているらしい。自分自身でも曖昧なそれを何故知っているのか尋ねてみても、はぐらかされるだけでまともな返事が返ってきた試しはない。
気にならないかと云われれば嘘になる。だとしても今は観光に来ているのだから、わざわざ口を挟んで機嫌を損ねる必要はないだろう。
「うまいな! イオリ」
「……そうだな」
セイバーからのお裾分けを軽く摘みながら、時折馴染みのあるお茶を啜る。無限に食べ続けるセイバーの姿を見つめながら、此処にはまだまだ知らない様々な文化があるのだなと感心した。
そうしている内に日が暮れて夜になり、気が済むまで食べれて満足そうなセイバーを連れてホテルで休んでから翌日に向かったのはドバイモールだった。
一日では回り切れない程に膨大な種類の店舗が並んでいる巨大な複合施設はその広さに入口で立ち尽くしてしまった程だ。
「……セイバー、あまり走り回るな」
この言の葉を云うのは何度目になるだろうか。
施設を目にして立ち止まってしまった伊織とは正反対にセイバーはこれは凄いな! と感嘆の声を上げると風のように走り出した。かと思えば、急に立ち止まってふむふむと感心するように眺め、すぐ別のものに興味を引かれてまた韋駄天の如く走り出す。後ろから追い掛ける伊織からすれば溜まったものではない。
文句の一つでも云わなければ気が済まないと漸く追いついたセイバーに声を掛けると、伊織を見たセイバーは何故か不機嫌そうに頬を膨らませた。
「こら、駄目だぞイオリ。勝手に離れては迷子になってしまう」
「……それは此方の台詞だ」
思わず溜息が出てしまうのは許してほしい。
セイバーがもう少し大人しければこんな苦労はしなくて済む。とはいえ静止の言の葉を聞くとはとても思えない、考えるだけ無駄だ。どこを見ても目新しいものばかり、夢中にならない者の方が珍しいだろう。セイバーは体力の続く限り、モール巡りをやめない筈だ。
そもそも伊織はセイバーに付き合っているだけの同行者だ。伊織自身に特に目的がない以上、セイバーの好きにやらせてやるのが良いだろう。
マスターも好きにして構わないと皆に伝えていた。ならばその主命に従うのもサーヴァントの務め。たまにはこうやって羽根を伸ばすのも悪くない。
「むむむ、うーーん?」
両手で足りない数の店を巡っていたセイバーだったが、珍しく長時間頭を傾げていた。悩ましいそうな態度を横で見守っているとふいにセイバーが此方を向いた。
「イオリはどれが良いと思う?」
今いる場所は革製品を扱う雑貨店で鞄、財布、装飾品などが並んでいる。その中でセイバーが手にしていたのはペット用の首輪だった。
「犬なら飼わないぞ」
「ち、違う!」
見て周った店舗の中には愛玩動物、ペットを取り扱っている店もあった。セイバーは動物が好きでカルデアでも他のサーヴァントが連れている動物を撫でている姿を時折見掛ける。なので店で見ている内に欲しくなったのだろう。そう予想して断りを入れるが、セイバーは頑として頭を縦に振らない。
「猫も駄目だ」
「違うと云っているだろうが! これは、イオリにだ!」
「俺は動物を飼う気はない」
「むー! だから、きみに付けるモノだ!」
「……俺に?」
正直、セイバーが何を云っているのか解らなかった。
理解しようと頭を働かせているとセイバーは手に持っていた青色の首輪を少し持ち上げて、伊織の首に合わせるようにすると静かに見つめてきた。
「……きみは目を離すとすぐ何処かに行ってしまうからな。こうして繋いでしまえば悩む必要もなくなる」
どこか寂しげに呟くセイバーの姿に伊織は咄嗟に返す言の葉が思いつかなかった。
「問題は色だな。ふむ、きみの瞳の色も良いが、私のだと解りやすくするには橙の方が」
「待て待て落ち着けセイバー、まさか本当に買うつもりか?」
真剣に思い悩むセイバーを見ているとだんだんと頭が痛くなってきた。真意は解らなくてもこの状況がおかしいのは火を見るよりも明らかだ。新手の冗句なら冗句だと早く云って欲しい。
「なんだ不満か? なら私が付けてもいいぞ。なにせ私はきみのサーヴァントだからな!」
形がある縛りも悪くない、きみが良いならそれでもいいぞと満更でもない様子でセイバーは両手を腰に当てると胸を張る。
主とサーヴァント、それは以前の話で今は違う。今はお互いに主を同じくするサーヴァントだろうと訂正するべきなのだろう。しかし、今までの疲れからか口に出す気力が沸かなかった。
(セイバーが何かおかしな言の葉を言っているのは一旦置いておこう。首輪か……成る程、紐を付ければ迷子防止に使えるか)
セイバーに好きにさせているとはいえ、あちらこちらと振り回されて困っていたところだ。何処かに行きたいと思っても物理的な制限をかければ、そうもいかなくなる。
これにどれだけの強度があるか解らないが魔術で補強すればその限りではない。案外、悪くないかもしれない。
ものは試しにと棚にあった橙色の首輪を手に取ると、首元近くまで持ち上げ、当てながらセイバーを見てみる。一瞬、上目遣いで此方に甘えてくる犬耳つきセイバーが見えた気がした。
「っ、店を出るぞセイバー!」
本能が警告を継げた瞬間、即座にセイバーの手を取ると急いでその場を離れる。店から離れると思わず頭を抱えたくなった。
なんだ今の幻は。今日は朝から歩き詰めだったせいで頭がおかしくなっていたようだ。いつもと違い、冷静さを失っていた。これは良くない。さっきの出来事は疾く忘れてしまいたい。
「イオリ?」
「ああ、すまないっ」
己の事で精一杯で側にいるセイバーを無視してしまっていた。直ぐ様謝罪するとセイバーはいや問題ないと応えながら、どこか歯切れの悪い態度を見せた。その態度に違和感を覚える。
よくよく観察するとどこか落ち着かない様子のセイバーの視線はちらちらと何度か下に向けられていた。
「どうした? 嫌なら離すぞ」
「と、とんでもない」
手を握られたのが不満だったのかと思えば、ぶんぶんと千切れそうな勢いで頭を振って否定する。
「……ふむ、ふむふむ」
「セイバー?」
「これも悪くない。悪くはないが」
繋いだ手をつぶさに観察しながらどこか物足りないと云いたげに呟く。少し考える仕草をすると、手を胸の辺りまで持ち上げた。そこで一旦繋いでいた手を解くと、指と指が互いの間を通るように握り直す。そうしてからまた物珍しいものを見るように左右から眺め、ぎゅっと確かめるように握り締めるとセイバー強く頷いた。
「うむ、此方の方が密着してより良いな!」
「そうか? あまり変わったようには見えないが」
「……いいや。此方の方が私達らしい」
まるで掛け替えの無いもののように繋がれている手にセイバーの視線が注がれている。
セイバーが何故そのような反応を見せるのか伊織は解らなかった。ただ手を繋いでいるだけだ、セイバーからすれば動きづらくて面倒なだけではないだろうか。そう疑問に思っても、理屈はよく解らないがセイバーが嬉しそうだからいいかと伊織は敢えて口を閉ざした。
「そうだイオリ、私以外とはこうしては駄目だからな」
「ああ、解った」
セイバーからの問いかけに素直に頷く。
セイバーと違って他のサーヴァントは迷子にはならない。なったとしても自力でどうにかするだろう。伊織が目を掛ける必要はない。こうやって誰かと手を繋いで歩く機会など訪れないだろう。
「“約束”だぞ、決して破ってはいけないからな?」
他愛もない口調で放たれた言の葉にぞくりと背筋に冷たいものが走る。
何故だろう。大した話ではないのに何かを見逃してしまったような心持ちになった。安易に人が神と契りを交わすべきではない。それはそうだ、解っている。けれど既に人ならざる身ではどうなのだろうか。
「では散策の続きだ。行くぞイオリ!」
言の葉の真意を確かめる前にそう笑顔で宣言したセイバーが走り出す。手を繋いでいる伊織もそれに倣い、広すぎて果てが見えないモールを駆け出した。