「数年後も同じラブコールを聴かせて」 熱帯夜だった。クーラーの効いた部屋で一汗かいた後、俺は体温の上がった身体を冷ましながらただ天井を見ていた。
「腹減ったな」
ぼそりとチルが呟いた。返事をするように俺の腹が鳴る。ぶはっと吹き出したチルは、暗闇でもわかる柔らかな眼差しで問いかけた。
「ファミレスでも行くか」
午前三時、サンダルを引っ掛けて大通りに出た。歩道に人はおらず、まるで街自体が寝静まってしまったみたいだ。
手探りでチルの手を握ると、いつもは嫌がる彼が仕方ないなというように隣で息を吐いた。
「暑っいな」
絡めた指先は解かれなかった。
無言でゆっくりと歩いて十数分、暗闇に看板が煌々と光っているのが見えた。
「お疲れさん」
ブォンと顔面に強風を当てられる。風の出どころは、チルが首から下げた携帯ファンだった。
「わ!」
驚いた俺の何が面白かったのか、チルは子供のように声を上げて笑った。それがあまりにも屈託の無いものだったからつられて俺も笑ってしまった。彼が子供なんかじゃないということは、小一時間前に嫌というほど思い知っているのに。
思い扉を押すと、耳馴染みのある音楽と共に店員さんがやってきた。冷えた空気が熱った身体を包み込む。
「二名様でよろしいでしょうか?」
不思議そうな視線が俺たちの間を彷徨う。俺たちを兄弟か親子とでも思ったのだろうか。確かに真夜中に子供連れは珍しいのかもしれなかった。
「ああ、二名で」
いつもなら不機嫌になるはずの恋人は愛想良くそう返すと、案内された席へ向かう。明るい店内で繋がれたままの手。どうやらチルは今、かなり機嫌が良いようだ。酒も飲んでいないのに。
メニューを広げ、隅から隅まで眺めたチルはパタンとそれを閉じる。あっという間のことだった。
「もう決まったのか?」
「ん」
薄い喉がこくりと上下する。小さな口に勢い良く飲み込まれていくコップの中身。
「そんな目で見てくんな」
にやりと笑う彼にそう言われるのと、自分の喉が鳴る音に気づいたのは同時だった。含みのある言葉がさっきまでの部屋の湿度を思い出させて、メニューに視線を落とす。ベルを押し、店員さんが魔法のように注文した料理の名前を唱える。ピザにパスタにドリアとビールとドリンクバーを一つずつ。料理が来るまでの間手持ち無沙汰になった俺は、とりあえずドリンクカウンターへ向かおうと立ち上がった。すると向かい側から足元を軽く蹴られる。
「ビールが来るまでには帰ってこいよ」
視線を下ろすと、じっと俺を見つめる丸い瞳とかち合う。
「うん? それは難しいかもしれないなあ」
こういう所のドリンクは提供が速いだろう? そう口にしたら「そうじゃねぇよ」と不満そうに呟かれた。自分のビールが来ていないから機嫌が悪くなったのだろうか。
氷を二、三個グラスに入れてボタンを押す。はじめの一杯はコーラにした。テーブルを見ると、すでにビールを三分の一ほど飲んだチルが、ひらひらと手を振っていた。
「お、早かったな」
片手でピザをつまみながら、彼は俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。どうやら機嫌は直ったらしい。撫でられるままにしていると、ピザを一欠片差し出される。咄嗟に口を開けられないでいると、柔らかい声で名前を呼ばれた。
「ライオス。ほら、あーん」
どろりと甘い響きがして、目眩がした。普段の彼はこういうことを絶対にしない人だったはずだった。人目があるとか、揶揄われたくないだとか。そもそも人前で手を握ることさえも嫌がっていたはずなのに。
「チルチャック?」
疑問を掲げながら口を開くと薄いピザ生地が口内を占領して、俺は咀嚼するしかなくなってしまう。早くも酔っ払っているのだろうか。念のため辺りを見回すと深夜で人手も少ないのか、客どころかアルバイトの店員さんでさえもフロアには見当たらなかった。
「なんだか、二人っきりみたいだ」
舌に良く馴染んだトマトソースを飲み込んで、コーラを煽る。向かい側のチルは「今更かよ」と目を細めて笑った。数年前に流行った名前の思い出せない歌が店内に流れていた。様々なスパイスや食材が混ざった香りが鼻腔をくすぐる。
「ライオス」
また蕩けそうに優しい声でチルが俺の名前を呼んだ。店内の冷房は寒いほど効いているのに、どうにも頬が熱くて仕方なかった。まるでさっきまでの二人がいた時間の続きのようだった。視線を逸らせて、再び合わせた俺を見て満足そうにチルは笑った。まるで愛を囁くような目をして。
視線に耐えかねて、ぐるぐると皿の中のパスタを混ぜる。それからパスタをフォークに一口巻きつけると、くつくつと声を上げる愛しい恋人に差し出した。今日も夜が回っている。