残花を手に 3「っ、俺、責任、取るから。絶対、助ける、から」
目覚めて直ぐに見知らぬ男にそう縋られて、困らないヤツは居ない、と思う。多分。
気付けば知らない場所で寝ていて、自分の名前というものすら思い出せない異常性には早くに気付いていた。
なにも思い出せない。なにも分からない。
それでもそれが普通ではないことくらいは。
勿論彼のことも分からないので、どうすればいいのかただただ困惑して。でも、何故かどうにか宥めてあげたくて。
「あ、ツバっさん起きたんだ!気分はどう……って、スグリ?どうしたの?」
酷く狼狽して俺に抱き付く彼へと呼び掛けるそれに、ハッと現実に戻ってきた。
「スグ?なにがあったの?」
「スグリ。カキツバタが困っている。離れた方が」
彼が俺にひっついた頃に入室していた、少年と女性二人。その三人はなにやら自分達を知っているようで、どうにか言葉を選んで尋ねた。
「アンタら、コイツの知り合いか?なんか急に叫んだりしてさ………」
「え?」
「は?」
「よく分かんないんだけど、落ち着かせてやってくれないか。俺じゃどうしてやればいいのか」
「『俺』?は、ツバっさん、なにを」
どうやら益々混乱を招いてしまったらしい。俺にくっつく男と似た黒髪の女性と、変わった髪型に眼鏡を掛けた生真面目そうな女性が目を見開いた。
そのまま黙ってしまうので、困って少年の方へ視線を向ける。何処かの制服らしき格好で童顔のその子は、一番最初に冷静になって『スグリ』と呼ばれていた男を引き剥がした。
「ツバっさん」
「……ん?それもしかして俺のこと?」
「そうです。……質問しますが、僕の名前は分かりますか?」
「え?あ、ごめん、まさか会ったことあるのか……?」
「分からないんですね?」
「う、うん………」
「じゃあ、この中の全員は?誰か一人でもいいです。名前を思い出せますか?」
「…………む、むり……知らない。分からない」
「貴方の名前は?」
「そ、ソイツが、『カキツバタ』って」
「……………………ここが何処かは?リーグ部って知ってますか?」
「……知らない。なにそれ?」
眼鏡の女性が絶句して、少年は悲痛な面持ちで頷く。
次には黒髪の女が震えながら掴みかかってきた。
「ゼイユ!!」
「アンタ、正気!?また変な冗談じゃないでしょうね!?ふざけてるなら、」
「え、???ご、ごめんなさい………??」
驚いて咄嗟に謝れば、なにかに気付いたように勢いが無くなる。
どうやら自分の顔を凝視されているらしい。あれ、なんか変なモンでも付いてるのかな?
「アンタ、なに、その目……カラコン、じゃない、わよね」
「え?目?」
目の色がおかしい、と言いたいのだろうか。
直ぐに鏡を渡されるも、しかし自分の顔もよく憶えていなかったので、映る青い目の何処がどう妙なのかピンと来なかった。全員が一層険しい顔になる。
「……俺、先生とアカマツ達、呼んでくる……」
「ネリネも共に行きましょう」
スグリと『ネリネ』という名らしい二人がフラフラと出て行った。
俺は、せんせい、あかまつ、と小さく繰り返して首を捻る。
「……本当に、なにも憶えてないの?アカマツも分からない?」
酷く震えた声で、確か『ゼイユ』と呼ばれていた黒髪に問われた。なんだか胸が痛くて答えられず、俯いてしまう。
すると、若そうどころか幼く見えるのに落ち着き払っていた少年が俺の手を取った。
「大丈夫。自分を責めないでいいんです。分からないなら、仕方ないよ」
「…………………………」
「あ、初めましてなら自己紹介が必要ですよね。僕の名前はハルトです。貴方とは友達。倒れたって聞いて、心配で来たんです」
「『ハルト』……ともだち……」
やはり記憶に無い。申し訳なさが募った。
ハルトは順に、スグリ、ゼイユ、ネリネのことも紹介して、それから『アカマツ』という人と初めて聞く『タロ』という人の存在も教えてくれた。あとは『ブルーベリー学園』『リーグ部』という場所のことも。
でも、聞いても聞いても釈然としない。引っ掛かることさえ無かった。俺はリーグ部のチャンピオンで部長らしいけど、まるで関係無い世界の話のようで違和感すら覚えられなくて。
それがどうにも、嫌で苦しくて自己嫌悪が湧き。
誰とも目を合わせられず、横たわったまま遠くを見ていれば、今度はハルトに抱き締められた。
「大丈夫」
「……………………」
なにが?とは訊けなかった。
代わりに別の疑問を躊躇いながら口にする。
「なあ。俺に、なにがあったんだ……?なんでこんな」
「…………僕達にも分かりません。でも、貴方はあの時、最善の行動を取り続けていた。貴方はなにも悪くないことは確かです」
悪くない。俺はなにも悪くない。
腑に落ちなかった。なにかやらかして、そのしっぺ返しな気がしたんだけど。
まあ、どうせなんにも憶えてねえし、とりあえず今はそれで納得しておくことを決めた。
間も無くスグリとネリネに連れられ、大人や恐らくアカマツとタロであろう少年少女がやって来た。
困惑と絶望を滲ませた表情をしていた彼らにもまた、名前だとかなにがあったかとか、色々尋ねられるが。
俺はどの質問にもロクに答えられず、最後にはなにも言えなくなってしまった。
「余りにも欠落した部分が多過ぎる。申し上げにくいですが、記憶の混濁というより逆行性健忘……記憶喪失かもしれませんね。ただ頭を打ったわけでもありませんし……事件のショックか、もしくは例のポケモンの技が原因でしょうか」
「事件……ぽけもん……」
『ポケモン』という存在のことだけは辛うじて憶えていたけれど。ホント、なにがあったんだろう。
先生とやらすら困ったように眉を下げていた。そこへスグリが自身の意見を口にする。
「俺はあのポケモンっこの仕業だと思う。倒れる前のカキツバタ、頭抱えて凄い苦しそうにしてたから……」
「あたしも現場は見てないけど同意するわ。凄く大変な目に遭ったのは聞いたけど、でも聞く限りじゃ精神的にダメージを受けるようなことは無かったんでしょう?」
「そもそもツバっさんてそんなヤワじゃないしね」
続けてゼイユ、ハルトも肯き、全員が『あのポケモン』とやらに原因があると宣った。
俺全然ついて行けてないんだが。質問されてばっかでなんも説明受けてないんだが。彼らも詳しく知らないポケモンの仕業である、ってことなのかな?
「スグリくんは『テラパゴスに似たポケモンだ』と感じたんですよね?」
「ハルト!テラパゴス出してみてよ!先輩もなんか思い出すかも!」
「分かった、けど。大丈夫かな?」
てらぱごす?と首を捻っていれば、ハルトが懐から紫色のボールを取り出した。
なんとなくそれの正体は知っていた。どんなポケモンでも確実に捕まえてしまうモンスターボール、マスターボールだ。
「ツバっさん、もし体調悪くなったりしたら直ぐに言ってね?」
「? おお」
彼は一度手の中でマスターボールを跳ねさせてから、突き出して呼んだ。
「テラパゴス!」
すると、結晶体を背負う小さなポケモンが飛び出た。
「テラ!」
ベッドの上に乗るソイツは一つ鳴き、俺の顔を覗き込む。座っていた俺もまた見つめ返した。
途端、頭に鈍い痛みが走って一瞬で景色が入れ替わった。
「え、」
誰も居ない。なにも無い。霧に覆われた水辺に立っていた。
え?立ってる?なんで?俺ベッドで座ってたよな?
なにが起きた?
ワケが分からないまま真っ白な世界を見渡して、自分以外の生き物を探す。
「だ、誰かー?誰か居ないのかー?」
一歩踏み出すも、なんだか進んでいる気がしなかった。
テラパゴスと目が合った瞬間にこうなった。『テラパゴスに似たポケモン』とやらといい、なにかしら強い縁を感じるが。
自分の身になにが起きてるのか。ずっと意味不明で、流石に段々心細くなる。
「誰か、」
なけなしの勇気を振り絞って、歩き出してみた。
「止まれ少年。キミはまだ戻れる」
「!!」
すると、背後から凛とした声に呼び止められる。
よかった、ちゃんと人が、と振り向いて驚愕した。
俺に声を掛けたと思われる白衣を纏った女性は……とても生者とは捉えられない顔色をして、それだけでなく血塗れだったのだ。
「え、え…………」
見知らぬ人物の惨憺たる姿に、つい怯んで後退る。ここが現実か幻覚かも定かじゃないが、明らかに異質で怖くて。
『マスター。私だけのマスター』
しかも、その傍らにはテラパゴスと似た気配の巨大なポケモンが絡んでいた。
「戻りたまえ、少年。そちらに行ってはいけない」
「えっ、なん、その」
「キミの欠けた記憶はそこには無いよ。あるのはただの虚無だけだ」
赤く染まった彼女もまた、俺と似た青い目をしていた。
『マスター。おいで、マスター』
「少年。聞いてはいけない。キミはここで壊れるべきではないんだ」
『マスター。マスター』
「どうにも随分執着されてしまったようだが、術はまだある。"私と違って"キミはまだ生きているのだから」
『ますたぁ、ますたー』
「大丈夫。ハルトと居れば、キミは必ず」
視界が歪む。耳鳴りがする。
最後の言葉は聞き取れないまま意識は不明瞭になっていって。
そして、
「カキツバタっ!!!!」
「っ!!」
気付いたら、元の場所に戻っていた。
「カキツバタ!!カキツバタ、大丈夫!?」
「ツバっさん!!!」
「え、あ、んん……?すぐり?」
意識を引き摺り出されて真っ先に見えたのは、琥珀の目と黒い髪だった。
思い切り俺を揺さぶっていたらしい彼は、また泣き出しそうな顔をして抱きついてくる。
「よ、よかった、急に動かなくなったから……ビックリしたな、ごめんな」
「大丈夫ですかツバっさん!」
……テラパゴスはもう戻っていた。ついでに俺も俺で一体なにを見たのかもコロッと忘れてしまった。ただなにかがあったような。
訊かれる前にそのことを伝えると、ハルトと先生が顔を見合わせる。
「やっぱり、テラパゴスと関係があると見て間違いないですかね」
「ええ……よくよく見比べれば、彼の瞳とテラパゴス……何処か纏う色が似ていました」
「ゼロの秘宝の可能性は計り知れません。ただテラパゴスとカキツバタを共に居させるのは恐らく得策ではないとネリネは進言します」
結局は俺も皆も理解が及ばなかったが。
「とにかく、あのポケモンを探そう。見つけ出して、倒したら、もしかすると」
スグリの言葉に「虐めるみたいで気は進まないけど」と渋りつつ全員が賛同した。
「カキツバタ。今貴方のご家族がこちらに向かっているそうです。もう直ぐ到着なさると思うので、それまでゆっくり休んで、」
「あっ!ていうかご飯!先輩お腹空いてない?まだ顔色悪いし、なんか食べた方がいいよ!タロ先輩とスグリも!」
「あー、忘れてたべ」
かぞく、と復唱しかけたところ、アカマツが突然『ご飯を食べよう』と心配そうに押してくる。彼なりに気を配ってくれたのか、それとも本当にふと思い出しただけなのか。
とはいえ空腹を感じ始めたので、俺達は一先ず少し遅い朝食を摂ることにしたのだった。