残花を手に 4アカマツは俺とタロ先輩にサンドウィッチを渡して、カキツバタには「まだ重たい物は辛いかもしれないから」と柔らかい野菜の入ったスープを出した。ねーちゃん達もそれぞれ購買や荷物から自分達の朝食を用意して、慌てて来てくれた先生も一旦戻り、ご飯を食べ始める。
「どう先輩?美味しい?」
「ん……なんかピリッとするけど、食べやすいし美味いよ」
「よかった!でも無理して食べなくていいからね!お腹いっぱいになったらハルトのコライドンにでもあげちゃっていいよ!」
「こらいどん?」
「ウチの子を残飯処理係みたいに言わないで?いや食べるだろうけど」
「アギャス!」
「ああもう呼んじゃうから。ツバっさん残すか分からないし一先ず僕のサンドウィッチをお食べ」
飛び出たコライドンは嬉々としてサンドウィッチに齧り付く。それを皮切りにハルトのポケモンが次々飛び出すので元チャンピオンは「ああ〜〜」と諦め混じりの悲鳴を上げた。
「ハルトのポケモン見て思い出したけど」
「えっ助けてくれないの!?僕潰されそうなんですけど!?」
「カキツバタの手持ちは?見たところここには居ないようね」
「ネリネも気になります」
「ああ……彼とスグリくんの手持ちも例の謎のポケモンの技を受けたとみられるので、一度先生達に預けたんです」
「皆元気みてえだから心配は要らねえけど……」
「…………先輩がこうなってるの、説明しなきゃと思うと弱火になるよね……」
「まあまあツバっさんの手持ちだし怒ったりはしないと思うよおおあああああ死ぬ死ぬ皆落ち着いて」
主人が記憶喪失に陥るなんて確実にげきりんだろうから正直怯えていたが、ハルトが言うなら騒ぎにはなっても攻撃されたりはしないか。
俺達はホッとしながらとりあえずもみくちゃにされていたハルトを引っ張り出した。彼はポケモンに好かれる天賦の才を持つが、どうにも仲間に強く出れない為よくこうなるのだ。時には叱るのも大事なんだけど、と呆れつつもう慣れた。
「……俺の手持ちってどんなヤツらなんだ?」
「あーしまったこっちもこっちでそこからか」
「……ごめん」
「あ、謝らなくていいですよ!仕方ないことですから!」
飛んだ質問につい遠い目になってしまう。どうにもカキツバタは自身のポケモンの記憶すらも無いらしいのだ。
分かっていたが重症だ、なんて頭痛を覚えるも、これ以上不安がらせるのも本意でないので素直に教える。
「カイリューとフライゴン、オノノクス、ジュカイン、キングドラ、大将にブリジュラスだべ」
「えーっと、姿も見た方が分かりやすいですよね。私のスマホにカキツバタのバトルの動画があるので……はい!この子達です!」
なんで動画持ってるんだ、と言いたげな顔をアカマツがしていたけれどスルー。二人は長い間張り合っていたライバルなんだしと俺達は納得して、カキツバタに見せた。
「コイツらが俺の手持ち…………」
「思い出せそうですか?」
「…………あんまり。なんとなく、懐かしい気はするけど……」
技によって何度も光る画面をジッと見つめるその目には、元々のバトル好きの面影も無い。
ポケモン勝負を心から楽しむ性質も、知らない人間への警戒心も、なにもかも落っことしてしまったチャンピオンはスマホを返しながら何度目か謝ってきた。
「なんか、ホントごめんな」
「だからいいってば。いちいち謝んな」
「あ、よく見たらスープ空っぽ!全部飲めたんだ!よかった!」
「片付けを手伝いましょう」
「ありがとネリネ先輩!」
あからさまに落ち込みまくってるカキツバタを気遣ってか、アカマツが無理矢理話を打ち切って食器を回収した。
俺らもさっさと食事を終え、手を拭いたりゴミの処理をしたりする。
「カキツバタ!!!」
「うわぁっ!?」「わぎゃ!?」
そのタイミングで、低い大声と共にかなり堅いの良い男性が現れた。
「あ、シャガさん!」
白い髪に白い髭を蓄えた、元のカキツバタと同じ目の色をしたお爺さん。シャガというらしい彼は俺達には目もくれずカキツバタへ駆け寄った。
「カキツバタ!よかった、目が覚めたのか……!」
「……?えと、」
「意識不明だと聞いた時は肝が冷えた。……しかし、その目はどうした?例のポケモンによるものか?痛まないのか?体調は?」
「シャガさん、落ち着いて!」
矢継ぎ早に問い掛ける彼を、顔見知りらしいタロ先輩が引き剥がして。
「皆さん、紹介します。彼はイッシュ地方ソウリュウシティジムリーダーのシャガさん。カキツバタの祖父です」
そう示して俺達に紹介した。急に現れて何事かと思ったが、カキツバタの身内だと聞いて腑に落ちる。
「へー、この人が噂の。あんまりツバっさんと似てないね」
「初めまして!オレ、アカマツです!」
「スグリだべ。一応カキツバタ……先輩、の後輩」
「これは失礼。初めまして、シャガという。きみ達はカキツバタの学友かい?」
「まあ大体そんなところね。ゼイユよ。あたしとこっちの……ネリネはもう卒業してるし、ハルトは他校の生徒だけど」
名乗ってなんとなく関係性を伝えれば、シャガさんは何処か安堵した様子になる。まああのちゃらんぽらんだし三留とかしてたし、色々心配してたんだろう。……ならなんでこんな緊急事態になるまでまるで来なかったのか、よく分かんねっけど。不器用な人なのかもしれない。
「ん?」
ふと服を摘まれた気がして振り向いたら、カキツバタに裾を握られていた。
ていうかなんか震えてる。え、震えてる?カキツバタが?もしかして怯えてるのかな?
……そういえば、目覚めた直後も俺に対してちょっとビビってた。流石に図体のデカい見知らぬ男に詰め寄られるのは怖いのか。
「カキツバタ、大丈夫。この人お前のじーちゃんだから」
「……じいちゃん?いや、似てねえよ………」
「それはそうだけど。ほら、髪の色とか一緒だし」
なんとか宥めようにも、シャガさんは俺よりずっと筋骨隆々で強面だ。覗き込まれていよいよ小さく悲鳴を上げてしまった。
「カキツバタ?私が分からないのか?」
「…………………………」
「えと、シャガさん、一旦離れて欲しいかな……」
「説明するんで。怖がらせないで」
俺とハルトと二人で遠ざけたら、シャガさんはめちゃくちゃショックを受けた様子になる。ごめんなさい、でも離れてください。お孫さんのメンタルの為に。
それから今のカキツバタの状態を簡潔に説明した。
「記憶喪失だと……!?では本当に私のことも分からないのか」
「そうなります」
「すみません、発覚したのもついさっきだったので報告が追い付かず……ポケモンの存在だとかモンスターボールのことだとか、そういう常識的な点は言われれば理解出来るみたいなんですけど」
「手持ちやあたし達のことも学園のことも憶えてないらしいの。失礼しちゃうわよね」
「原因は今のところ不明ですが、話した通りポケモンの技によるものと思われます」
「とりあえず飯も食い終わったし、この後直ぐにそのポケモンを探すつもりで……」
「俺達で歯が立つかは自信無えけど、こうなった以上放置も出来ねえから」
「成る程、粗方事情は把握した」
大人である彼は混乱しながらも受け入れられたようで、俺のことも責めずに頷いた。
それから、俺にしがみついてジッと藍色の目で見つめてきている自身の孫に近寄り。恐怖を与えないようにか膝を折って下から見上げた。
「きみにとっては初めましてだろうか。私はシャガという。きみの実の祖父だ。よろしく頼むよ」
「…………仲、良かったの」
「正直に言うと、きみは私のことを煙たがっていたよ。だから……今更どう扱われようと私は気にしない。きみの好きなように振る舞ってくれ」
「……………………」
「出来れば仲良くしてくれると嬉しいが。どうだろうか」
カキツバタは俺やハルト達、お祖父さんを順に見て。
やはり以前のような強い警戒心は失っているようで、手に力を込めながら呟いた。
「なんて、呼べば、いい、ですか」
「近頃は『ジジイ』と呼ばれていたが。自由に呼んでくれ」
「…………じじい?」
首を傾げる彼の頭を、大きな手が撫でる。
シャガさんは穏やかに、しかし悲しそうに微笑んでいた。
「さて。きみ達はこの子の記憶を奪った犯人がポケモンであるかもしれないと言ったが」
カキツバタが少し落ち着いたところで、この場に居る唯一の大人は深刻そうにする。
「そうなると安易に本土へ連れ帰るわけにもいかないな」
「え?なんでですか?」
「例のポケモンとこの子の記憶が関係しているならば、下手に大きく引き離すとなにが起こるか分からない。ポケモンは無限の可能性を秘めるが、全能とも違う。現実的に考えてなにかしら制限はあるだろう」
「確かに……まだ分からないことだらけですし、物理的に離してしまってはカキツバタも危ないかもしれませんね。最悪、記憶が戻らなくなるかも」
「じゃあ先輩、学園に居るってこと?」
「少なくとも安全が確認されるまではそうでしょうね」
「あのポケモンっこがまだテラリウムドームに居るかも分かんねえけど……憶測ばっか並べても動けねえか」
「ではネリネも暫く学園に滞在しましょう。協力を申し出ます」
ネリネ先輩を最初に、続けてねーちゃんとシャガさんも「可能な限り学園に居る」と申し出た。三人共多忙な身なのでずっとは無理だろうけど、それでも心強い。俺達は感謝した。
「とはいえ、このまま医務室で過ごし続けてもらうのも無理がありますし、私達も常に傍には居られません。例のポケモンも探さないとですし……」
「じゃあやっぱ他の生徒にも説明しなきゃな。当然リーグ部にも。どうせそのうちバレるだろうから、いいべな?カキツバタ」
「……まあ、いい、けど。迷惑じゃねえかな」
「迷惑とか気にしない!ツバっさんは自分の心配だけしてください!」
あの謎のポケモンを探すに当たって、先ず他の生徒にもある程度説明する方針で固まって。
テラリウムドームに入る許可も必要だろうとのことで、先生達の説得をタロ先輩と保護者としてシャガさんの二人に任せた。
「私としては、本来ならばきみ達を巻き込むのも気が進まないのだが……」
「でもシャガさん一人で捜索は無茶でしょう。そもそもテラリウムドームの構造もよく知らないんですから。先生達だって、知識はありますけどシアノ校長以外はとても強いとは言い難いですし」
「むう…………」
「それに本土やパルデアからの救援を待っている時間も惜しいじゃないですか。少なくとも纏まった援軍が来るまで私達は退きませんからね」
シャガさんはタロ先輩に睨まれながら頭を抱え、彼女と出て行った。……先輩、強えな……
「んだば、俺達はリーグ部に……」
「待ちなさい。その前にアンタとカキツバタのポケモンでしょう」
「あーーー」
「じゃあ僕が回収しに行くよ!皆よくバトルしてたし、もし暴れても僕なら対処出来るだろうし」
「ネリネも共に。ハルトの『対処』の仕方には少々不安があります」
「えっ、あ、はい……」
「珍しい組み合わせだけど、任せたわ」
「先生達に言えば案内してくれる筈だべ」
「頑張ってね!二人のポケモン前より強くなってるから気を付けて!」
「はーい!」「了解」
続けて俺達の手持ちを返してもらおうとハルトとネリネ先輩が去り、その場には俺とアカマツとねーちゃん、そしてカキツバタだけが残った。
「さて!今度こそ行くべ。カキツバタ、立てる?」
「うん……」
「相変わらずヒョロヒョロねえ。疲れたら言いなさいよ。多分あたしでも担げるから」
「なんかヤダ……」
「はあ!?どういう意味!?手ぇ出るよ!!」
「!?」
「ゼイユ先輩、多分ただのプライドの問題」
「今いつものカキツバタじゃねえから叩かないで」
立ち上がったカキツバタはねーちゃんの剣幕にプルプル震えて俺の背に隠れる。背が伸びててよかった。
それにしてもこんなにビクビクするなんて、いつものカキツバタからは想像つかなかった。元来の性格……というより、記憶の無い不安と全員知らない人間だという恐怖が強いのだろう。こんな状況、どんな人間だろうと怖くて当たり前だ。
慣れて仲良くなるのが先か、記憶が戻るのが先かは分からないが。責任は全部俺にある。こんな張り合いが無いカキツバタは調子が狂う、早く助けてやらないと。
「行こう。また知らねえ人沢山だと思うから、無理はすんなよ」
俺は「なにがあっても絶対守るから」と伝え、養護教諭にもメッセージで一言伝えてOKを貰ってから、仲間と一緒にリーグ部部室へと向かった。