漂流譚 3交換留学生にしてチャンピオンだったハルトがブルーベリー学園を去り、少し経ったある日。
「ふわあ……おはよー……」
「おはようスグリ!」
「おはようございます、スグリくん!」
進級試験が無事に終わり、学園全員の進級と卒業が決まって、またなんてことない平和な一日が始まったと俺は暢気にリーグ部へ顔を出した。
色々、本当に色々あったけど、ハルトや皆のお陰で幸せな日常が帰ってきた。この部屋を訪れる度に思い出していた罪悪感は最早薄れ、皆とも普通に笑い合えるようになった。
俺は本当に恵まれてる幸せ者だ。甘えだと何処か自虐的な自分が言うけれど、その甘えを皆は受け入れてくれた。だったらもう迷うことは無くて。
「スグリくん、ちょっとバトルのことで相談があるんだけど……」
「勿論いいべ!なんでも訊いて!」
俺は俺を認めて頼りにしてくれる皆に応え続けようと、心からの笑顔を浮かべた。
きっとこんな幸福な日々が続くのだろう。ずっとずっと、卒業するまで。
一時は退学も考えたけど、もうそんな後ろ向きな自分は居ない。皆で卒業して、それからその後もずっと一緒に……!
この時は一切疑うこと無く信じていた。このまま当たり前に卒業して、皆大人になってそれぞれの未来へ進むのだと。
しかし、この直後にその希望は呆気無く砕かれることになる。
「おはよー皆ー!」
「おはようアカマツ」
「アカマツくんおはよー」
俺の少し後に、四天王の一人アカマツがバタバタ慌ただしく現れた。
アカマツが元気なのはいつも通り、なんだけど。なんだかやたら焦った様子に首を捻った。
同時に彼も「あれ?」と不思議そうにする。
「なあスグリ、カキツバタ先輩知らない?」
「え?カキツバタ?いや、知らねえけど……なんかあった?」
「実は昨日先輩からバトルのDVD借りてさ、観終わったら返すつもりだったのに寝落ちちゃって!だからさっき部屋に行ってみてドア叩いたんだけど返事無かったから、どっか出掛けてるのかなーって……」
「んー……でも、多分部室にはまだ来てねえと思うよ」
カキツバタを探してると言うアカマツに対して、俺は「どうせ寝てんじゃない?」と苦笑いした。
でも、と彼は難しい顔をする。
「結構デカい声で呼んだんだけどなあ。まあ先輩だから起きないこともあるかあ」
「電話とかメッセージは?」
「ダメだった。返事も折り返しも無いよ」
「じゃあやっぱ寝てんだろ。俺も一緒に行ってやっから、叩き起こそう。今日もリーグ部の仕事さあるし、どっち道そろそろ起きてもらわねっと困る」
「うーーん……うん!そうだね!じゃあ早速行こう!」
アイツも人に物借りるばかりじゃなくて貸すこともあるんだな、と妙に感心しながら、クラスメイトであり友人であるアカマツと共にあの部屋へと向かった。
校舎内だから当たり前だけど、特にトラブルも無く到着して。俺は直ぐにドアを叩いた。
「せんぱーい!!カキツバタ先輩ー!!おはよー!!何度もごめんね!!DVD返しに来たんだけどー!!」
「カキツバタ!!今日は四天王の会議さあんだろ!!お前チャンピオン代理でもあんだから、そろそろ起きろ!!」
アカマツは大声でありながら優しく呼び掛ける。俺は容赦無く起きろ仕事しろと促した。
……ただ、幾ら叫んでも扉を殴るようにノックしても、返事どころか物音さえしない。
「はぁーっ……寝坊助もここまで来ると見事なもんだべ」
「せんぱーい?もしかして具合悪かったりするー?……先輩、大丈夫ー?」
傍らの純粋な男は段々心配になってきたみたいだが。
俺はその手には乗ってたまるかと再び手を構えた。
途端、内側から鍵の開く音が。
「あっ、先輩起きた!?」
「なんだよ、起きれんならもっと早く、」
しかし、現れたのはあの白髪でもなく人間ですらなかった。
そう、カキツバタのポケモン。そのうちの二匹、ジュカインとオノノクスだった。
「おはようジュカイン、オノノクス」
「カキツバタ先輩にこれ返しに来たんだ。ついでに起こそうと思ってたんだけど……」
DVDだけなら彼らに渡せるけど。
そう突き出すも、なんだかポケモン達は様子がおかしかった。
人間の目から見ても顔色が悪くて、それだけでなく何故か震えていたのだ。
「…………あの、先輩は?平気?なんかあった?」
「本当に体調悪かったりするの?」
……二匹はなにも応えず、届け物も受け取らず踵を返す。
俺達は顔を見合わせて追い掛けた。勝手に入っていいものか一瞬躊躇ったけど、もし倒れてたりしたら大変だ。
「お、お邪魔しまーす」
なんだかんだ初めてカキツバタの自室へ足を踏み入れた。
静かだ。俺達の呼吸の音や足音ばかりで、人の気配を感じられず。でもポケモンが居て鍵が閉まってたならカキツバタもここに居る筈で。
言いようの無い胸騒ぎに服を握り締めながら、奥を覗き込んだ。
ベッドの近くでカイリューが呆然と佇んでいる。
なにをしてるのか分からなかった。だって、彼女が見つめるシーツの上には、人も服もなにも無かったのだから。
「は…………?」
「えっ……」
なにも無い?誰も居ない?
なんでだ?カキツバタは?カキツバタは何処に居るんだ?
俺達、まだ寝てるモンだと思って来てて。実際ここは施錠されてて、アイツの手持ちも全員ここに居て。
なのに、部屋の主が、トレーナー本人が、何処にも見当たらない
「…………っ!!」
理解が及ばず俺まで立ち尽くしていたけれど、間も無くハッとした。
「カキツバタ!?カキツバタ、何処だべ!?隠れてんなら出て来い!!!」
「で、電話……!先輩何処に、」
俺は急いでクローゼットや洗面所、シャワールーム、トイレまで探すも、当たり前のように探し人は見つからず。
「カキツバタっ!!!」
遠くから着信音が聞こえた。多分アカマツがカキツバタのスマホロトムに電話を掛けた、のだろうが。
「す、スグリ!!ダメだ、先輩スマホ置いてってる!!」
「くそッ!!」
アイツはポケモンどころか端末まで残して消えたらしい。でも一体どうやって!?
探せる所は全部探し終わった後、物の少ない勉強机を見遣る。
机上に財布がポツンと載っていた。
「お、おかしいよ、なあ、おかしいよなスグリ?先輩、ポケモンも、スマホも、荷物も、なんにも、」
「……テラリウムドームで、散歩してるだけかも。落ち着こうアカマツ」
「でも!!」
分かってる、有り得ないって。あのバトル馬鹿で、のらりくらりしてて、でも仲間を大切にしていてドームがそれなりに危険だと理解してるアイツが、皆を置いて出掛けてるわけがないって。分かってた。
でもそれ以外考えられないじゃないか。そうでなきゃ、どうやって何処に姿を眩ませるって?
「一応皆にも連絡!俺、先生達に監視カメラの確認お願いする!」
「わ、分かった……!!頼んだスグリ!!」
どうあれあんなちゃらんぽらんでも異常だった。進級も決まったのに、進もうと頑張ってたのに、そんなアイツがどうして今更自ら消えると。
なに一つとして解らず、とにかく俺達はすっかり元の用事を忘れカキツバタ捜索へ身を乗り出した。
もし普通にフラッと帰って来たら殴ってやればいいだけだから。
大事になるとか騒ぎとか、気にしてる場合じゃない!
警鐘に従い、部屋を飛び出した。
職員室にて「カキツバタくんのことだからドームで散歩でもしてるんじゃない?」と楽観視する先生に苦戦していたら、話を聞いたらしい俺のねーちゃんが後から来てなんとか監視カメラの確認をお願い出来た。
先生同様半信半疑ながらあちこち探してくれてる皆と通話を繋ぎ、警備員さんと共にチェックをする。
そこで益々異様なことが起きてると知ってしまった。
「カキツバタくんは……昨夜の消灯前には自室へ戻っていて。えーっと、早送りしますね」
「…………!?なにこれ、どういうこと……?」
昨日確かに帰った筈のカキツバタは、そのまま出て来る姿が映っていなかった。
そう、俺とアカマツが訪問するまで、一度だって外出していなかったんだ。
『そ、それどういうことですか!?』
「おかしい!!俺、確かに隠れられそうなとこ全部探した!!でも何処にも居なかったべ!!」
「なのに部屋から出てないって、意味分かんないんですけど!?」
『もしやポケモンの"テレポート"では?ドーム内で扱えるポケモンは限られていますが、巻き込まれてしまったのかも』
先生達もマズいことが起きてそうという予感を覚えたらしい。
真っ青になり、続けてテラリウムドームや学園周辺の映像もチェックする。
それでも、最新の設備であるブルーベリー学園のシステムを以てしても、カキツバタらしき影は発見されなった。
「海は!?海の中!!もしかしたらテレポートで……!!」
「か、海中にもそれらしき反応は…………」
冷や汗で顔と背中が湿っていく。心臓の音が煩い。
『じゃあ、カキツバタ先輩、何処に居るの……?』
イッシュ本土の実家?いや無理だ。カメラに映らないよう外出してたとしても、ポケモンの力も無く飛行機やタクシーにも乗らずに本土へ行くのは不可能だ。
じゃあやっぱりテラリウムドーム?……それも有り得ない。野生のポケモンを管理しているテラリウムドームには、詳しい生体反応を検知するシステムがある。なのに引っ掛からないなら、あそこも違う。
なら何処?何処に居んだ?校舎内?本当は部屋とか?誰かの力を借りたとか?誰に?なんで?どうやって?
考えれば考えるほど混乱する。まさかカキツバタ、とっくに、死んでたり…………
『タロ先輩、そっちどう……?』
『カキツバタのご家族に連絡したのですが……帰って来たりはしてないと。スマホロトムを置いている以上、彼らにも連絡手段は無いって……』
「ネリネは?」
『ハルトとコンタクトを取れました。しかし彼やパルデアの方々も行方を知らないとのこと。現在こちらに向かっているとも仰っていました』
ハルト、そうだ、ハルト!助けてハルト!ハルトならきっとなにが起きてるか分かるよな!?カキツバタを見つけられるよな!?だってハルトは、ハルトは特別で、いつだって全部……!!
「スグ」
震えながら項垂れると、ねーちゃんが肩を揺すってきた。
「ハルトを出迎えに行くわよ。……大丈夫だから、ね?」
「…………うん」
さっきまでの当たり前の日常は、とうに消えていた。
そんなこと受け入れ難くて、俺はとにかく必死に動いた。
「スグリ!!ゼイユ!!」
エントランスに出たら間も無くハルトが現れる。どうやら一足早く、単独でカイリューに乗って来たらしい。流石の行動力というか。
「来てくれてありがとうハルト……」
「話は聞いた!!ツバっさんが行方不明って!!僕に出来ることある!?」
心が強くいつも冷静な主人公は、今ばかりは血相を変えていて。俺達は「一緒にテラリウムドームを探してくれ」とお願いした。
彼は力強く頷き、走ってドームへと向かう。
俺達は駆け回った。訳も分からぬまま、突然崩れ始めたいつも通りを取り戻そうとした。また下らない趣味の悪い冗談なのだと思いたくて、呼び続けた。
「カキツバター!!」
「ツバっさん、何処ですか!?居るなら返事して!!」
「カキツバタ先輩っ!!ねえ、何処行っちゃったの!?」
「カキツバターっ!!!」
隅々まで行った。段々と人が増えた。騒動は大きくなっていった。
それでもカキツバタは見つからなかった。
何処にも、居なかったんだ。
「っ、はっぁ、………ゔっ……!」
スタミナが切れて咳き込みながら、ポーラエリアの雪景色に視線を向ける。
気付けば夜になっていた。そのまま日付を超えても発見には至らず。
(何処、行っちまったんだよ、バカ野郎!!バカ、バカ、バカキツバタ!!!バカ!!!なんでなんで!!!)
こんな、なんの前触れも無く。どうして?なんでだよ?
状況から考えて、『カキツバタが自分から失踪したのではないんじゃ』とは薄々察してた。だけど他に誰へこの気持ちを向け、ぶつければいいのか分からない。
あんなにも時間を掛けて心を擦り減らして、頑張って頑張って取り戻した幸福は、あっという間に崩れ去る。
「っ、あ、あぁ、ぁああぁああ…………!!何処、何処なの先輩、僕はっ、なんでまた……!!」
あのハルトが絶望して泣く姿に、どんどん実感ばかりが追いついてくる。
嫌だ、飲み込みたくない。俺まだ謝れてないのに、まだ感謝も伝えられてないのに、沢山勝負しようって思ってたのに、ちゃんと、卒業を、見送ろうって、
「スグリ」
「……………………」
目の前にあのふざけたニヤケ顔がある。必死になってた所為で痛んでいた脚が静かだった。きっとこれは夢なのだろう。
「じゃあな。まあ葬式くらいには出てくれや!」
「いっ……いやだ!!待てよ、カキツバタ!!!」
ごめんなさい!!うざいとか言ってごめん!!酷いこと沢山してごめん!!なあ、謝るから、償うから!!行くなよ!!
おれには、皆には、ハルトにはまだお前が……!!!!
伸ばした手は空を切った。
結局カキツバタをこの手で見つけることは、叶わなかったのだった。