氷獄の外へと 5「…………カキツバタくん?」
ボクが抱き締めている間に限界が来てしまったらしい。大切な人はすうすう寝息を立てていて、ボクは安堵と心配から息を吐く。
「よしよし……いっぱい好きなだけ休んでね」
そっと頭を撫でてからベッドに横にしてあげようとして、僅かに抵抗を感じた。
首を捻りながら見ると……服の裾をキュッとつままれている。
「あー…………」
振り解くのは簡単なのに、どうしよう。放して欲しくない。
愛しさが溢れて爆発しそうで顔を覆った。ドーブルとチルットは『早く寝かせてやれよ』と言わんばかりのジト目だ。トレーナーは一応ボクなのに、すっかりカキツバタくんに情が移ってるらしい。
「分かってるよ。……ちょっとごめんね、カキツバタくん」
ボクは名残惜しさを覚えながら優しく手を外した。それから改めて横たえると、チルット達はすかさず彼に擦り寄りモフモフとした羽毛で顔を包む。
この人は本当にポケモン達に好かれる。ポケモンの研究者を志す身としてはちょっと妬けてしまった。
「そういうところも好きなんだけどね」
少しずつ血色の良くなった彼の顔にそっと手を伸ばして、頬を撫でた。
きっと前から満足に食事も摂れていなかったのだろう。痩けてしまって骨張っていた。
「……可哀想に」
何処からどう見ても健康とは程遠い姿の彼を、ずっとずっと心配していた。でも、臆病で強くもないボクはただ眺めてばかりで。
きっと誰かが、誰かが主人公のように救ってくれるのではないか、いや救ってあげて欲しいと祈って祈ってなにもしなかった。
その結果、この人の心は崩壊寸前まで追い詰められて、この通り眠る以外のことをマトモに出来なくなってしまった。
……だからこれはボクなりの償いだ。ずっと他力本願でなにもしなかった愚かなボクの贖罪。
手は出さない。出す資格はボクには無いから。なによりもうこの人に傷付いて欲しくないから。
…………あの暴君を倒せずとも、あの世界を救えずとも。もうなんでもよかった。誰も幸せを感じない、誰も楽しくないあんな学園には興味も無い。
だからこうして、この人を攫った。そしてこの檻の中で、ボク自身を犠牲にしてでも守り続けるんだ。
「んー、でもどうしたら元気にしてあげれるかな……ご飯もあんまり食べれないみたいだし……本当にいっぱい寝れば治るのかなあ……?」
カキツバタくんの前では弱気な姿をあまり晒さないよう気を付けていた。でもやっぱりなんだかんだ不安な気持ちもあって。
……まあ、この人って他人の機微に敏感だからバレバレかもだけど……
「退屈させない為に色々用意したんだけどね。本とかラジオとかゲームとか……でもまだ使えそうにないっぽいし。どうしようエアームド」
エアームド、ドーブル、チルット。カキツバタくんの手持ちにまで尋ねてしまうが、彼らにも分かる筈が無くて。
皆しょんぼりと俯いてしまった。
ボクはもう一度愛しい人に視線を向け、撫ぜる。髪を梳くと綺麗な白髪が滑った。
「ん…………」
「!」
暫く静かに、無心で触れていたら小さく呻かれたので、慌てて手を放す。
思わず両手を上げてしまったが、彼は起きたわけではなかったようでコロンと寝返りを打ち眠り続けた。
「……そうだ、皆もお風呂入らないかな?ポケモンウォッシュ用の部屋があるんだ」
そこでカキツバタくんのポケモン達にそう提案する。そろそろこの子達も身体を洗いたいかもしれない、と。
彼ら彼女らは顔を見合わせて、しかし考え込んでしまった。きっとご主人が心配なんだな。
「カキツバタくんが心配なのは分かるよ。でもキミ達が好きなように出来なかったらきっと気にしちゃうだろうし……見てあげたいなら三匹ずつ洗って交代で見守るとか、方法は色々あるんじゃないかな」
「……………………」
「それにボクはこれでもポケモン研究者のタマゴなので!結構上手な自信もあるよ!」
なんて言い募ったが、この子達は気高いドラゴンポケモン。ボクみたいなよく知らない他人にウォッシュされるなんて嫌かもしれない。
しかし、今のカキツバタくんにとっては重労働と言える。彼にはとてもこの子達をお風呂に入れるなんて出来ない。ならば消去法でボクがやるしか無いだろう。
「特にキングドラはそろそろ水が恋しいと思うし……その……、……やっぱり、イヤ、かな」
ともあれ無理強いはしたくない。カキツバタくんだけでなく、この子達にも優しくしてあげたいんだ。
きっと彼らも、『弱い』という暴言に少なからず傷付いただろうから……それでもボロボロなマスターに寄り添って救おうとする健気な子達なのだから。ボクに出来ることならなんでもしなくては。
申し訳なくなりながら皆の姿を見据え続けていれば、やがて彼らは頷いた。
「!! 本当にいいの!?ありがとう!」
こんなにも早く触れる許可が下りるなんてと嬉しくなってはしゃげば、『なんでお前がお礼を言うんだ?』みたいな顔をされる。
ボクは気恥ずかしくなりながら笑った。
「じゃあ行こうか。えーっと、ポケモンウォッシュ用のシャンプーとかは」
カキツバタくんは持って来てたっけ?と荷物の方へ向かえば、調べるまでもなくジュカインが取り出してくれた。賢いなあ。
受け取ると、さっきボクが出した案を採用したらしく先ずキングドラとジュカインとカイリューが前に出た。後の三匹はチルットと共にカキツバタくんを見守る。
「よしっ!皆、触って欲しくない場所とかがあったら遠慮しないでね!」
それからボク達は移動して、屋敷にあったポケモン用のお風呂場にてウォッシュを始めて。
ボクは経験の無さの割に中々の高評価を頂き、スッキリした皆と一緒にご機嫌になったのだった。