素直になれないヴァイオの方のヴァイ墓(進捗)微睡に沈んでいた意識がふいに浮かび上がり、重たい瞼をゆっくりと開く。ゆるりと頭を持ち上げればぐらりと体ごと揺らぐような感覚に思わず眩暈を覚えた。危うく倒れ込みそうになるところをなんとか堪えていると、ふいに視界へ何かが映り込んだ気がして思わずそちらを見やる。
両の目に映ったのは、白い髪と白い肌、そしてそれと同じ色の睫毛に縁取られた赤い瞳でこちらを見つめる愛しい人。まるで水の中を揺蕩うような感覚の中、薄い唇で自分の名を紡ぐその人物へと手を伸ばし、両肩を抱いて引き寄せる。
──君が好きだ。愛おしいのだ。
──アンドルー。
思慕を抱くその人の名を呼び、腕の中へと閉じ込めるように抱きしめた。
すると何故だろうか、まるで水底へと沈むように視界が暗転し始める。そうして暗くなる視界の中、胸に抱いた彼の人へと口付けようとしたその時。
急にどこかへと落ちるような感覚の後、頭部への強い衝撃と共に今度こそ意識が急浮上する。
突然の事にアントニオが長い髪の下の真っ暗な目を見開くと、目の前に見えるのは見慣れた自室の天井。
「……………夢か……」
どうやらベッドで寝ていたところを頭から落ちたらしい事にようやく思い至った彼は、呆然としながらぽつりと呟いた。
未だ酒の残る感覚にぐわんぐわんと揺れそうになる頭を押さえながら、忌々しげに舌打ちをして身体を起こす。昨日は荘園主が主催した季節ごとのパーティーだったのだが、酒好きのアントニオはこれ幸いとばかりにワインを開けては見事酒に呑まれてしまったようである。改めて部屋の中を見渡すと、ソファの背には放られたままの上着、床には左右それぞれが明後日の方へと投げ捨てられた靴。下を見れば、ベッドの脇にワインの空き瓶が転がっている。その様は紛うことなき呑んだくれの部屋だ。
「……………」
ハァ、と溜息をついては渋々足元に転がる瓶を持ち上げる。あのまま夢の世界で微睡んでいたかった。目が覚めてしまった後は一転して最悪の気分だ。
ズキズキと痛む頭に再び舌打ちをしながらアントニオは緩慢な動作で散らかった部屋を片付け始めた。空き瓶から微かに漂うアルコールの残り香に、名残惜しい気持ちが湧き起こる。
あのまま彼に口付けて──そして、彼も同じようにキスを返してくれたのなら。
今はもう朧気な夢の記憶を手繰り寄せては忘れぬようにと瞼の裏に焼き付ける。
悪魔に身を売り異形となったアントニオは、この荘園に於いて屠るべき獲物である筈の人物──アンドルー・クレスという男に、柄にもなく恋をしているのであった。
*
アントニオという男は、謂わゆる恵まれた側の人間であった。
身体こそ決して強くはなかったものの、裕福な家庭に生まれ育ち、音楽の才に恵まれ、好きな事は酒を飲み豪遊する事と言えるだけの環境に身を置いていた。そしてそんな生活を送れるだけの身の上であれば、当然女にも苦労した事はなかった。
なんとなく人肌恋しい日があれば、酒の席でグラスを片手に手近な女性へと視線を送る。すると相手は顔を赤らめ楚々とした仕草ながらも満更でもない様子でアントニオの隣へと近寄ってくるのだ。或いは逆に女性の方からアントニオに秋波が送られてくることもあり、それゆえアントニオは生前から一夜限りの火遊びなど慣れたものである筈だった。
しかし、そんな色恋のやり取りなど慣れきっていた──そう思っていた筈のアントニオは今現在、苦悩に頭を抱える日々を余儀なくされている。原因は勿論、彼の想い人であるアンドルーだ。
アルビノ故の白髪、抜けるような白い肌、血の色が透けた赤い瞳。まるで神の遣いを思わせるようなその外見を初めて見て、アントニオは一瞬で彼に心を奪われた。
人並外れた白さで神聖ささえ感じさせる風貌。そんな彼を悪魔に身を売り渡した自分が手中にするとなれば、なんと数奇な事か。これは間違いなく運命だ、とアントニオは酒に酔う度他のハンターを捕まえてそう熱弁するのだが、道化師ジョーカー曰く『要は一目惚れってことだろうが』との事である。事実、間違いではない。
「おや、アントニオ殿」
館の通路をふらふらと覚束ぬ足取りで歩くアントニオに呼びかけてきたのは、同じハンターである謝必安心だ。
彼は今日も相方である黒い傘を片手に携えながら、にこりと微笑を浮かべて会釈をした。
「おはようございます。いい朝…とはいかないようですね」
「ああ…。寝覚めは最悪だ。何故人の身を捨ててまでも二日酔いに悩まされねばならぬのか……」
眉根を寄せながら頭を押さえるアントニオに、謝必案は「昨晩は大分飲んでいたようですからね」と苦笑を返す。
「最初にワインを開けた後、ポーカーをしに席を移ってからはバルク殿と共にウィスキーをひと瓶。ペルシー殿がバルク殿を連れて行ってからもあなたはバーメイドのいる酒場に行って飲み続けていましたが、どこまで覚えてます?」
「……3回負けたところまでだな」
「そうですか。……いえ、覚えていないのならその方がいいのかもしれませんが…」
思わずといった様子でそう小さくこぼす謝必安に、アントニオは怪訝そうに片眉を釣り上げた。一体彼は何を言い淀んでいるのだろうか?
「ああ、いえ。お気になさらずともそんな大した事ではありませんので。さあ、我々も食堂に行きましょう」
アントニオが尋ね返そうとする前に、謝必安はそそくさと歩いて行ってしまう。その足取りは普段よりも心持ち早く、アントニオが口を開こうとするより先にその後ろ姿はあっという間に遠ざかってしまった。そんな彼の背を唖然として見つめるものの、しかしいつまでもそこに突っ立っているわけにはいかない。聞き返す筈だった言葉を飲み込んで、アントニオも後を追うように食堂への道を再びふらふらと歩き始める。
既に人間ではないハンターは別に食事を摂らずとも問題はないが、しかし長年の染み付いた習慣だったり、はたまた敢えて娯楽の一環としてだったりと様々な理由で大抵のハンターは人間の頃と同じように食事を摂りたがる。食堂ホールはそんな彼らの集いの場でもあり、それは勿論アントニオも例に漏れずだ。ホールに到着すると、室内では既に何人かのハンター達が集まっていた。その談笑の声をBGMにアントニオがホールへと足を踏み入れると、奇妙なことにそれまで上がっていた話し声がふいにピタリと止む。
1秒後には何もなかったかのように再び話し声が上がるものの、視線だけで周りを窺えば、皆アントニオの方に意識を向けているのが嫌でも分かった。
「……何かね?」
低い声で一言、アントニオが尋ねる。
すると、常と変わりないフリをしていたハンター達の声は一斉に静まり返り、室内には新たに沈黙が訪れた。
先程の謝必安といい、今ここに集っているハンター達の様子といい、今日は妙に他の者達の態度が引っかかる。昨日のパーティーでの一件が原因であることは明らかだが、自分が一体何をしたというのか。
「いや。昨日は随分と飲んでいたようだからな。調子はどうかと思ってな…」
水の入ったグラスを片手にルキノがそう答えるが、アントニオは苛立ったように組んだ腕を指先でトントンとを叩く。
「既に謝必安から同じ事を聞かれた。それについては多少記憶が飛んでいる程度で、大したことはない。貴君らが気になっているのは別の事だろう?酒に酔った事で、貴君らから不躾に眺め回される程の失態を我は犯していたか?」
二日酔いによる頭痛も相俟って不機嫌さを隠しもしないままアントニオがそう言えば、先程返答を返したルキノをはじめハンター達は皆困ったような様子で顔を見合わせた。笑い者にされているわけではなさそうだが、仔細を話してくれそうな様子でもない。
なんとも言えない空気になりかけた、その時。
「あっ!アントニオさんだ!おはよう!」
場違いに響く元気な子供の声。
思わず振り返ったアントニオの足元に立っていたのは、"泣き虫"ことロビーだった。
「ああ…。ロビーか」
「うん。ねえ、アントニオさん。昨日頭ぶつけたとこ、もう大丈夫なの?」
「頭?」
そう聞き返していると、ロビーの声に驚いていたハンター達の様子が俄かに変わる。ある者は目を見開き、ある者は思わず口元に手をやり、ある者はおろおろと視線を彷徨わせ。三者三様に見られるその反応はどれもが「これはまずい」と言わんばかりのものだ。そんな彼らの態度を見たアントニオは、続けてロビーに「どういう事だ?」と尋ねた。
「あれ、覚えてないの?アントニオさんてば、昨日墓守のお兄ちゃんのこと怒らせちゃったんだよ」
誰かが待て、と静止の言葉を叫んでいた気がする。
だがそれよりも先に告げられたロビーの言葉は、もう動いていない筈のアントニオの心臓を握り潰すには充分すぎた。
「それで墓守のお兄ちゃんがアントニオさんのこと突き飛ばしたの。で、アントニオさんてば後ろのイスに頭ぶつけてそのまま気絶しちゃったんだよ。だからアントニオさんのことは、ボンボンがお部屋に運んでくれたんだ」
あどけない声で語られるその言葉に今までアントニオを苛んでいた二日酔いは一気に吹き飛んでしまった。頭から冷水を浴びせられたかの如く、すぅっと体が冷えていく。
「ボンボン…。それは事実か」
扉の側に控えていたボンボンは唐突に名前を呼ばれ、応えるようにピー、と短く電子音を上げた。
「昨晩ノ、アンドルー・クレストノ会話ログヲ確認。時刻22:38、接触場所:デミ・バーボンノ酒場。アンドルー・クレス接近後、アントニオカラアンドルー・クレスヘ接触及ビ発話アリ。3秒後、アンドルー・クレスノ体温上昇ヲ確認。直後、両手デアントニオヲ突キ飛バシ、パーティーホールカラ逃走。以後消息不明。自室ニ戻ッタト予想」
「私は彼に何と言った!?」
「当該ログノ記録時、当事者2名トノ距離7mオーバー。ノイズ有リ不明瞭。確認出来ズ」
ピポポポポ…と再び電子音を上げながらボンボンが答えた。その無慈悲な機会音を聞きながらアントニオはがっくりと項垂れる。成程これは、謝必安をはじめハンター達がアントニオを腫れ物扱いしていた理由がよくわかった。
「まあ、その、なんだ。そう落ち込むなよ」
窺うようにそう声を掛けたのはベインだ。
図らずもアントニオの近くにいた彼は、目の前で膝を折り意気消沈している仲間を無視出来なかったのだろう。だがしかし、ショックの渦中にいるアントニオにベインの気まずい心中を推し量る余裕などある筈もなく、「これが落ち込まずにいられるか!」と常にない調子で声を荒げた。
「我々の仲がどんなものか、貴君も分かっているだろう!?」
「それは……」
悲痛な声音で告げられ、ベインも返す言葉を失う。
それもそうだろう。
アントニオはアンドルーへ想いを寄せているにも関わらず、彼らの仲は最悪なのだから。
*
彼らの最初の出会いはゲーム内での事である。
ロケットチェアに捕らえられた仲間を助けに来たアンドルーを見て、アントニオの胸に走った衝撃。直感的にそうと感じられた運命的な出会い──というのはあくまでもアントニオの論だが、とにかくその邂逅を経て、2人は互いの存在を認識する事となった。
捕まったサバイバーが助け出された後、大抵のハンターは同じ獲物に狙いを定めて再び追いかける。しかしながら当然と言って然るべきだろうか、その時のアントニオは興味関心の赴くままにアンドルーの後を追った。
一度捕らえたサバイバーそっちのけでアンドルーを執拗に追いかけはじめたアントニオに他のサバイバー達は揃って首を傾げたが、しかしゲームに於いてその行動はセオリー通りではないだけで、とやかく言われる事ではない。そうして誰も待ったをかける者がいないま始まったチェイスは、それはもう熾烈なものだった。
初めて顔を合わせたばかりで互いの能力も知らない彼らは相手の出方を窺い、睨み合い、走り回り。絶え間なく響く魔の音、至る所に出来た地中を掘り進んだ跡。板という板は全て倒され、そのうちのいくつかは真っ二つに破り砕かれ、やがて暗号機が全て解読される頃になってようやくアントニオはアンドルーを捕らえることに成功した。
そうしてやっと彼をチェアに縛り付け、その姿をしげしげと眺めた末に放った一言。
「細いな…」
まるで折れてしまいそうだ。
そんな藪から棒な言葉に、アンドルーも「は…?」という声を漏らすのは無理からぬことだったろう。
「君は…成人こそしているが随分と華奢なようだ。その体躯で我が眼前に立とうとは、随分と果敢なのだな」
もしも自分が彼を抱きしめれば、花を手折るように折ってしまうのではないだろうか。そんな下心ゆえの取るに足らない想像。それは悪意も何もない率直な感想で、他意などなかった。
けれど言葉は一方通行ではない。発した者の意図の通りに相手が受け取ってくれるとは限らないのだ。
アントニオのその言葉は、自分を馬鹿にされたと思ったアンドルーを怒らせるには充分だった。
「ど、どうせ僕は貧弱な身体だよ!このクソ野郎!」
1台、2台と立て続けに解読を終えていく他のサバイバーには目もくれず、自分ばかりを執拗に狙ってくる目の前のハンターに流石のアンドルーもいい加減辟易していたのだ。そこに突然そんな一言を告げられては、彼が憤慨するのも仕方のないことであった。
「僕ばっかりしつこく追いかけ回しやがって…、どうせすぐ捕まえられるとでも思ってたんだろ!畜生…!」
チェアに縛られ恐怖に苛まれながらも睨み付けてくるアンドルーに、アントニオが失敗したと気が付いてももう後の祭りだ。
残るサバイバー達の脱出と共にもくもくと煙を上げ始めたロケットチェアは、アントニオに弁明の余地を与える間もなく回転を始める。程なくしてアンドルーを乗せたロケットチェアは空へと飛び上がり、アントニオの後悔に遠ざかる悲鳴を添える形となってその日のゲームは終了した。
それから先、関係の悪化はあっという間だった。
元々卑屈な性格のアンドルーは──これについては当時のアントニオが知る由もなく、完全に不可抗力であったのだが──ゲーム中に言われた言葉を完全に嫌味と捉え、すっかり悪印象が刷り込まれてしまった。
勿論、アントニオも最初のうちは誤解を解こうという努力をしたのだ。しかしファーストコンタクトによって根付いたイメージというのはなかなか払拭出来ないもので、アントニオがどう声を掛けようとアンドルーの態度は常に怯えと敵意を含んでいた。他人を信用する事に対し極度に臆病なアンドルーは、アントニオの謝罪を初めから嘘だと決め付けて受け入れようとしなかったのだ。或いは辛抱強く説得すればアンドルーも謝罪の意思を受け取ったかもしれないが、そもそもアントニオ自身が生前からご機嫌伺いをされる側の人間だったせいで、その努力も長くは続かなかった。
そうして反発的な態度で接してくるアンドルーに対し碌にコミュニケーションが取れるわけもなく、けれども大人しく引き下がるわけにもいかず。結局業を煮やしたアントニオの方が開き直ってアンドルーに接するようになったのだ。
好きの反対は無関心と、一体誰が言ったものか。
このまま接点を無くし、数多くいるハンターの1人として十把一絡げに扱われるよりもいっそ因縁の相手としての立場に立った方が余程ましである──というのが、アントニオが最終的に出した結論だった。
その結果、顔を合わせれば皮肉を言って揶揄うアントニオとそれに怒るアンドルーという図は荘園に住まう者達の間ですっかり定着してしまったのである。
思慕を寄せているにも関わらず対立を選ぶという矛盾した思い。一見歪に思われたその関係は、しかし存外アントニオにとっては悪くないものだった。
怯えて逃げられるよりもわざと怒らせて文句を言われる方が言葉の応酬も増える。むしろちょっかいをかければ食ってかかってくるその姿はまるでキャンキャンと吠える仔犬のようで、いじらしい姿がたまらなく愛おしくなってしまうのだ。
「で、昨晩もそんな調子でヤツの地雷を踏み抜いちまったと」
呆れ顔で言うジョーカーへ、アントニオは首肯に代わり大きな溜息で応えた。
先日もアンドルーを挑発するアントニオの姿を目撃した美智子から、「好きな子に構ってほしいんは分かるけど、あんまり意地悪したらあかんよ」と苦言を呈されたばかりだったのに、まさかこんな事態を引き起こす事になるなどとはゆめゆめ思ってもみなかった。
項垂れる彼の周りの空気は重く澱み、まるで通夜のようだ。
「なんて言ったか覚えてないのか?」
「ジョーカー。自分で部屋に帰ることも出来なかった彼にそれを訊くのは酷じゃないかい?」
顎に手をやりながら尋ねたジョーカーに、肩を竦めながらジョゼフが告げる。
そんなやり取りを前に、アントニオはダン!とテーブルを拳で叩きながら「なんたる事か…!」と声を荒げた。
「よもやこんな事になろうとは…。我にあるまじき失態だ……」
「ポーカーに負けて身ぐるみ引っぺがされてたのは失態じゃないのかよ」
「そんなものは些細な事だ。生前から慣れている」
「それもどうかと思うぞ」
「ヴィオレッタ嬢の布コレクションに加えられる前に君の上着を回収したボンボンには礼を言っておくべきだろうね」
歯噛みするアントニオに溜息混じりで言う2人。
この分だとアンドルーを怒らせてしまったという一言が何なのかは分かりそうもない。
「まぁとにかく、分からない事は仕方ないさ。それにばかり向き合っていても解決の糸口は掴めなさそうだし、これからどうするかを考えた方がいいんじゃないかな?」
手遊びに写真をパラパラと遊ばせながらジョゼフが言えば、ジョーカーも「そうだな」と頷いてみせる。
「アイツと元の関係に戻りたいんなら、手っ取り早く謝っちまえばいいだろうが。このままここでうだうだしてても進展なんぞないだろ」
「ム……」
最もなジョーカーの言葉にアントニオも眉を顰めながら唸る。結局のところ、今の状況を打破するためにはアントニオの方から詫びを入れる他ない。
「別にまだるっこしい事をする必要なんてないさ。悪かったって一言言えば済むんだから」
そこまで言ったところでジョゼフが「そうだ」と何か思いついたように指を鳴らした。
「君、今夜の協力狩りに出たらいいじゃないか。サバイバーは8人も参加するのだし、もしその面子に墓守の彼が入っていたのならその場で事を済ませられるだろう?ジョーカーも一緒についていけば心強いだろうしね」
「おい、俺の参加をお前が勝手に決めるな」
ジョーカーの抗議などどこ吹く風といった様子でジョゼフは頷いている。
確かに、普段アンドルーと犬猿の仲であるアントニオが1人でサバイバーの館に足を運び、彼の部屋を訪ねるというのは些かハードルが高い。それに比べればゲームで顔を合わせるというのは流れとしても自然であるし、心情的にも余程やりやすい。ジョゼフの言う通り8人というサバイバーの参加人数を鑑みれば、会える可能性はそう低くない筈だ。
ジョーカーだって口では文句を垂れているものの、なんだかんだ言って付き合ってくれるであろう事はアントニオにもなんとなく分かった。そう考えれば、彼の提案はなかなかに悪くない。
「…分かった。ならば貴君の案に乗るとしよう」
「ったく、仕方ねえな…。まあ、もしコイツの言う通り墓守のやつがメンバーに入ってたら、人払いくらいはしてやるよ」
「私は協力狩りには行けないからね。うまくいくよう健闘を祈ってるよ」
そう言ってジョゼフは踵を返すと再び指先で写真を弄びながら去っていく。
協力狩りの参加を決めたジョーカーとアントニオもそれぞれの得物の手入れをしようと自室に歩き始めたが、ふいに立ち止まったアントニオはおもむろにジョーカーの方を振り返り、一言。
「彼に惚れたりしたら許さんぞ」
「しねえよ。早く部屋に帰れ」
かくして、アントニオとアンドルーの仲直り──そもそも仲良くもないのだがとにかく仲直りである──を目論む計画は始まったのである。
*
さて、時は進んで夜。
当初の計画の通りジョーカーとアントニオが協力狩りの待機室の椅子に座っていると、果たしてジョゼフの言った通り、アンドルーはホールの扉を開けてやって来た。
「来た……」
「よし、これで条件はクリアだな。あとはお前がアイツに会って謝ってくるだけだ。出来るだけ2人きりにしてやるから、さっさと詫び入れて戻ってこいよ」
「重々承知だ。…しかし本当に2人きりにするなよ。姿は見せずに我の近くにいろ」
「いまいち決まんねえなあ!いい加減腹括れよ!」
真剣な眼差しで子供のような返答を返してくるアントニオにジョーカーが呆れながら発破をかける。
口調こそいつも通り尊大ではあるが、内心はかなり緊張しているようだ。
「そろそろ準備が整う頃だ。いいか、まず墓守の居所を探せ。そんで、顔合わせたとしてもくれぐれも余計な事は言うなよ」
「分かっている」
まるで保護者のように釘を刺すジョーカー。
そうこうしているうちに、段々と視界が暗転し始める。遠くで聞こえるガラスの割れたような音と共に全身が浮遊感に包まれて、程なく戻ってきた視界には、薄らと灯りの灯る商店街──永眠町の景色が映っていた。
通常の協力狩りとは違い、今日は8人いるサバイバーの中、たった1人を見つけなければならない。淡い灯りの中をゆらゆらと歩きながら、アントニオはアンドルーを探してフィールド内を歩く。商店街の門から川沿いに、墓場を通り家々の立ち並ぶ町中へ。そうしてあちこちを練り歩いても全く見つからない探し人の姿を思い浮かべて途方に暮れていると、ふいに懐の通信機に通知が入った。
『人数が多い!救援を求める!』
レーダーの方向は、フィールドの外れ。離れにある二階建ての家屋の方向だ。
それまで中央部にいたアントニオが急いで駆けつけると、建物の下に設置されているロケットチェアに1人のサバイバーが拘束されている。
薄暗がりの中でも目に付く白金の頭髪と、細い体を包む黒いインバネスコート。今更間違えようもない、アントニオがゲームの開始からずっと探していたアンドルーの姿がそこにあった。
近くには探鉱者やオフェンスといったサバイバー達が彼を救出せんとジョーカーの周りを囲んでおり、成程あの無線はアンドルーを捕らえた事に加えて文字通り救援を求めての連絡だったようだ。
ならばとアントニオは弦を振るい、魔音による無窮動を繰り出してそれらの邪魔者を遠去ける。それによってダメージを負ったサバイバー達もこれでは分が悪いと悟ったのだろう、一度撤退すべきと判断したのかそのまま遠くへと逃げていく。やがて耳鳴りが消え他のサバイバーの気配もなくなり、ようやくアントニオはアンドルーとまともに顔を合わせた。
「──!」
自分を見下ろすアントニオの姿に、アンドルーは緊張した面持ちで拳を握り締める。するとジョーカーが「アントニオがお前に言いたい事があるんだとよ」と言ってくるりと背を向けた。
その姿を横目で見送りながら、アントニオはアンドルーに向かって一歩進み出る。
「な、なんだよ…」
戸惑ったようにこちらを見上げてくるアンドルーに、アントニオは「いや…」と短く返した。
"昨日はすまなかった"、"傷付けるつもりはなかった"──その二言を胸の中で反芻する。そして改めてアンドルーの真正面に立ち、息を吸って口を開いた。
「いい姿だなァ、ハツカネズミ君。我々に捕らえられて為す術なく終わりを待つしかない君のその様を見ていると、私も非常に気分が良い」
「なっ……!こ、この野郎!!」
ニィ、と笑みを深めてそう告げたアントニオに、アンドルーは拘束されたまま食ってかかる。
「本来なら私が君を追いかけたかったのだが、地 至極残念だ。だがまあ、ジョーカーがこうして君を捕らえたと教えてくれたのでね。昨晩君に突き飛ばされたお返しに、君はここで確実に脱落させるとしよう」
「そ、それは……」
昨晩、というワードが出た途端弱々しい声が返ってくる。どうやら件のいざこざに関して、アンドルーの方も引け目を感じているらしい。
先程とは打って変わって居心地悪そうに視線を落とすアンドルーに、アントニオはフ、と笑うと挑発するように大仰な動作でヴァイオリンを弾き始めた。
やがてもくもくと煙を上げたロケットチェアが回転し始め、空へと飛び上がる。
やがてアンドルーの脱落が通信機に表示され、それまで響いていたヴァイオリンの残響も消えた頃。
焦げ跡の付いた地面を暫し見つめていたアントニオは突然がっくりと膝をついた。
「何をしているのだ我は!!!」
「本当に何やってんだお前はァ!!!」
アントニオが絶叫すると同時に、物陰にいたジョーカーも青筋を立てながら叫んでいた。
「俺言ったよな!?余計な事言うなって!!というよりもうアレは単純に悪口だろうが!!謝りたいんじゃなかったのかよ!!」
「分かっている!しかしいつもの癖でつい口を突いて出てしまったのだ!」
頭を抱えて歯噛みしながらアントニオが言う。
心底後悔しているらしいその様子は本心からなのだろうが、普段から何か言えばそれに反発してくるアンドルーの相手をすることに慣れきってしまったアントニオだ、如何せんつい反射的にいつもの通りに振舞ってしまったらしい。
「どうすんだよ…。昨日のことについて謝る前に、今日のことについて謝らなきゃいけなくなっちまったんじゃないのか…」
「確かに…」
絶望的な声音でそう返すと同時に、通電完了のサイレンがけたたましく響き渡る。
膝をついたまま動けないアントニオと、その横に佇むジョーカー。
完全に興を削がれた2人を横目に開いていく両ゲート、追手が来ないことに不思議がりながらも逃げていくサバイバー達。
そうしてその日の協力狩りは、ハンターの敗北という結果で幕を閉じたのであった。