仮夜 確かにその時の俺は総てが終わったはずだったんだ。
身体を、意識を引き裂く痛み。
保てない意識。
死ぬのだと、なにも成さぬまま死ぬにだと。
なんて滑稽な人生なのか。
薄れる意識俺は笑った。
しかし、やっとこの苦痛から逃れられる事にも俺は少し安堵していたのだ。
そう、俺は安堵していたのだ。
あと少しこの痛みさえ我慢すれば訪れるはずだった。
だって自分が幸せになるなんてありえない夢を見ているのだから。
そんなこととはありえないと自分が一番わかっていたのだから。
総てから解放され終わるはずだったんだ。
なのに、俺は今何故ここにいるのだ。
終わったはずなのに何故俺はこんな所にいるのだろうか。
再び繰り返される苦痛に俺は小さな呻き声を上げた。
「あっ・・・」
気付けば俺の身体には無数の蟲が群がっていて、そこは見慣れた蟲蔵の中だった。
「なっ・・・なんで・・・」
あれば夢だったのだろうか。
しかし、そんな考えも直ぐに霧散した。
身体を這いずりまわり、真面にものを考える事が出来なくなったからだ。
「ふぅっ・・・あ・・・ぐっ・・・」
蟲が容赦なく俺を責め立てる。
苦しい・・・。
だけど・・・。
苦しさの中に感じるのは。
嗚呼、なんて悍ましい。蟲も身体も全てが悍ましい。
何故生きている。
何故死んでいない。
何故。
なぜ。
・・・嗚呼・・・
これは悪夢なのか?
それともあれが悪夢だったか?
分からない。
わからないんだ。
ただ・・・一つ分かる事は・・・あれもこれも全てが酷い悪夢だという事だ・・・。
嗚呼、俺が一体何をしたと言うんだ。
ただ少し夢を見ただけじゃないか。
大切なあの人に好かれたい。
大切なあの人の大切な存在を守りたい。
ただそんな夢を見ただけだったはずだ。
ただの夢を。
ただ・・・それだけの夢を・・・。
もうよいと声が聞こえたと同時に今まで身体中をはいずり回っていた蟲が身体から離れた。
「う・・・んっ・・・」
身体の中まで入り込んでいた蟲が出て行く時、堪らず声が漏れた。
「なんじゃ、蟲漬けにされて感じておるのか。対した淫乱じゃの」
爺が笑う。
「何が淫乱だ。こんだけ弄られたら声ぐらい出るだろ」
淫乱と馬鹿にされたのが悔しく、思わず目の前に立つ爺・・・こと戸籍上の父親であり間桐家の創始者である間桐臓硯に悪態を吐けば爺が低く笑った。
「何じゃ、昨日は苦痛しか感じてなかったのに何があった」
爺の何かを探る視線が突き刺さる。
「・・・な・・・慣れた・・・」
「ふむ、慣れた・・・か。ほー、蟲に一日で慣れるか。一日で快楽を感じるか。やはりとんだ淫乱じゃなぁ」
爺は笑う。
笑うがその目の奥は笑っていない。
何かを探る目で俺を見ている。
死んだと思った。しかし、生きている。
しかもあの様子だと蟲倉に入って一日。
嗚呼、明らかに時が遡っている。
それが何故かは分からない。ただ、それはこの爺には隠した方が良いだろう。
「もう良いだろ!それに何度も言うが俺は淫乱じゃねぇ!」
態とらしく声を荒げ爺の側を通り抜ける。
「服がねー、爺服どこにやった!」
「何のことじゃ、服なぞ知らんぞ。そのまま行けば良いじゃろ。どうせ儂らしかおらぬわ」
爺は笑う。興味が失せたのか今度はその目は声と共に笑っていた。
「糞が」
その姿に今度は本気で爺に殺意を覚えた。
蟲倉を出て部屋に戻りながら今までの事を思い返した。
一人であの子を、桜を助けようと無謀な行動を起こした挙げ句に、助けるどころかあの子の母親を・・・葵さんの首に手をかけた。
そして自分自身は暴走したバーサーカーに魔力を吸い尽くされ死んだ。
そう、死んだ筈なのだ。
なのに何故生きている?
今までが夢だったのだろうか?
いや違う。
夢ではない。
何故なら・・・。
俺は自分の腹に手を添える。
嗚呼、嫌な感じだ。
本当に嫌な感じだ。肚が疼くなんて。
あの時、蟲倉に堕された時はこんなものは感じなかった。
身体が、否、魂に記憶されているのだろうか。
「・・・困った・・・」
「何が困ったんだ」
一人自嘲し呟いたつもりだったが、その呟きに声の反応があった。
その声の方向を見れば、男・・・この家の当主であり俺の実の兄でもある鶴夜が俺を見ていた。
「ああ、兄貴。どうしたんだ」
「どうしたんだはこっちの台詞だ。廊下で真っ裸で立ち尽くす弟が居たら逃げるか声掛けるかどちらかはするだろう」
言えば鶴夜は小馬鹿にしたように言う。
「俺なら逃げるけど声を掛けるというのが流石兄貴だな。まぁ、うーん・・・何か爺の嫌がらせか起こされたら服が無くてな。寒いのにこの姿で部屋に帰る羽目になっている。ついでに腹が冷えて痛い。」
少し明るく言ってやれば鶴夜は怪訝な顔をして俺を見る。
「兄貴、どうかしたか?」
「いや、何か・・・。あー・・・」
鶴夜が言葉を濁す。
その姿にどうかしたか?ととえば鶴夜は少し考えた様子を見せた後言った。
「お前は雁夜か」
「兄貴、ついにアルコールで幻覚でも見えはじめたのか?俺が雁夜で兄貴の可愛い弟でなかったら何なんだよ」
笑って言ってやれば鶴夜は黙った。黙って俺を見てそして溜息を吐いた。
「嗚呼、その馬鹿な様子だと俺の弟だ。本気で腹壊す前に部屋に戻って服を着ろ。」
そう言い鶴夜はその場を立ち去った。
その姿を俺はただ何も言わず見送った。