Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    muhyumu3

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 7

    muhyumu3

    ☆quiet follow

    せるみぼ長編「幸せの泥濘」第四話です。

    「幸せの泥濘」第四話小間使いの女が出ていった。ただそれだけのこと、どうでもいいことなはずなのに。この焦燥感はなんだろう。セルは戸惑いながら、女がどこへ行ったか、なにかヒントがないか部屋中探し回った。しかし、置手紙の一つも見つからない。服や身の回りのもの、セルと暮らしてから新しく買ったほんの少しのものを除いて女の荷物は綺麗になくなっていた。セルは額を抑えながら玄関を出る。ちょうど、ファーミンがそこを通りがかった。セルはファーミン様、と呼び留める。
    「セルか、どうした」
    「ファーミン様、お引留めして申し訳ありません。あの……僕の小間使いを見かけなかったでしょうか」
    ファーミンは少し考えてから、「ああ、あの女」と首を傾げた。なにか知っているのか、セルは前のめりになる。
    「夕暮れ、大きな荷物を持って城の外にでていくのを見かけた」
    「そう、でしたか……。ありがとうございます」
    やっぱり、そうか。出て行ったんだ。セルは失礼しますと一礼して部屋に戻る。誰もいなくなったダイニング、椅子に座って、キッチンを見た。いつもいるはずの女はそこにいなくて。

    適当な缶詰で腹を満たしながら、セルは考える、自分の頭と心が戦っている。いずれ戻ってくる、戻ってこなくたって別にいいという強がりと。女のいない部屋はあまりにも静かで寂しくて、でもそれでいいじゃないか元通りだという気持ちと。今すぐ探しにいかないと取り返しのつかないことになるんじゃないか、でも僕が探しに行く義理なんてないというちんけなプライドと。せめぎあう感情で頭も胸もじんわりと嫌な痛みに支配されていた。セルは玄関とダイニングを行ったり来たりしていた。探しに行くべきか、行かないでこのまま終わらせるのか。それとも女は帰ってくるだろうか。そうだ、女には身を寄せる場所なんてないはずだ、いずれ帰ってくるに違いない。セルはそう無理やり楽観視して、ダイニングチェアにどっかりと腰かけた。静かになった部屋にかたかたと貧乏ゆすりの音と時計の針が進む音だけが響く。まだ5分しかたってない、まだ30分しかたってない。時計を見るたび進まない針に、聞こえない玄関を開ける音。帰ってきたら思いっきり怒ってやる、セルは自分のことは棚に上げてそんなことを思った。そうして、1時間、2時間がたった。胸騒ぎがする、暗い夜道で事故にでもあっていたら?事件にでも巻き込まれていたら?
    「クソっ……」
    セルは机に強く手を叩きつけて立ち上がると、勢いよく玄関を飛び出した。

    ―幸せの泥濘 第四話―

    宙に浮かんで、上空から街を見下ろす。ああ、なんで僕が、なんで僕があの女のためにこんなことしなくちゃいけないんだ。セルは腹立たしいやら焦る気持ちやら、ぐちゃぐちゃになりながら女を探した。家を失ってその日暮らしだった女がどこにどう住んでいたのかはわからないが、おそらく出会ったあの場所の付近で暮らしていたはずだ。セルは女と出会ったあの場所を思い出しながら、付近を捜索する。とある細い路地に人の気配を感じて、少し高度を落とした。物陰に隠れるようにして、様子をうかがう。暗くて良く見えない、見つからないぎりぎりまで近づくとかすかに声が聞こえた。
    「や、やめてください、困ります……」
    それはたしかに女の声だった。それとは別に男の声もする。
    「そういうなって、あんたちょっと前までこのあたりで身体売ってた女だろ?」
    そうだろうな、とセルはどこか納得した。日雇いの仕事を転々としていたと言っていたが、魔法もろくに使えない女ができる日雇いの仕事なんて身売り以外にあるまい。
    「優しくするからさぁ、オレ金払いも結構いいよ?」
    「あの……ええと……」
    こうやって生きていくのが女の幸せなんだろうか。僕と女は、二人一緒に居ないで、それぞれの道を歩いていくのが幸せなんだろうか。でも、そんなの、いやだ。セルはとんと地面に降り立つ。男はびっくりしたように目を見開き、それに気づいた女も振り返った。
    「セル様……?」
    「……僕の小間使いになにか用か?」
    セルは男を睨みつける。男の目にも、セルの頬にある二本線が見えたのだろう。男はひっと悲鳴を上げると一目散に逃げだしていった。

    「……私、なにか忘れ物でもしていましたか?」
    女はほほ笑みながら尋ねる。セルはその余裕にかっとなってとっさに手を振り上げたが、寸でのところで止めて震える手を下ろす。
    「……家に帰るぞ、ジーン」
    セルがそう言うと、女ははっとしたように瞳を大きく開き、そして静かに瞼を伏せた。
    「セル様、私は……」
    今朝言いかけたことの続きだろうか。沈黙は長く続いたが、セルは大人しく女の言葉を待った。
    「私は……この手で夫を殺したんです……」
    夫がいた、と聞いたときと同じくらいか、それ以上に驚いた。こんな虫も殺しそうにない女が人殺しを?夫は病死したと聞いていたが、嘘だったのか。あの時感じた違和感が腑に落ちる。
    「……夫の看病はとても辛かったです。仕事をいくつも掛け持ちして治療費を稼ぎながら、家に帰ったら夫の世話をして……」
    それはそうだろうな、とセルは思う。口を出さずにいると、女は堰を切ったようにぽろぽろと自らの心情と罪を告白し始めた。
    「看病は辛かったけど、私は夫が自分のものになったようで嬉しかったんです。本当に、よくない感情だとはわかっているんですが。誰にでも優しくて人気者だった夫が、病気になって初めて私だけのものになったと感じられました。それがとても嬉しく思いました」
    醜い感情ですが、私は私なりに夫を愛していたんですよ、と女は顔を手で覆う。
    「その日は本当に疲れて、疲れて、疲れ切ってしまって。いつか病気が治れば、夫はまたみんなのものになってしまう、そんな日がくるのも辛くて。でもこのまま必死に看病を続けていくのもまたしんどくて」

    だから、と女は顔を上げると狂気じみた笑みを浮かべた。
    「殺してしまえば、もう看病もしなくていいし、夫は永遠に私のものだって」
    セルは唾液を飲み込む。ごく、と喉が動いた。なんて身勝手な理由だろうか。ご兄弟方も大概狂っているし、女とは比べ物にならないぐらい身勝手に人を殺しているが、この女の狂気はベクトルが違う。
    「包丁でなんども夫の胸を刺しました。生暖かい血と、肉に刃物が刺さる感触を今でも覚えています」
    女の笑顔はぎこちなく固まったままだった。
    「あの時は……それが最善の方法に思えたんです。でも今思えば……本当に愚かなことをしました。生き汚い私は夫のあとを追ってやることもできず、身体を売りながらのうのうと生きてきました」
    女は跪くと、神に祈りを捧ぐように両手を合わせた。
    「セル様との生活は本当に幸せでした。でもセル様に言われて思い出したんです、私に幸せになる資格はないって」
    あの時顔色が変わったのは、セルの無神経な一言に怒ったのではなく、自らの罪を思い出したからだったのだ。
    「このまま苦しんで生きるべきなんです」
    女は床に置いていた荷物を持ち上げる。
    「私は幸せになってはいけない」

    背を向け走りだそうとした女の手首を掴んで、ぐいと引き寄せる。女はバランスを崩して転んでしまった。尻もちをついた女が、ぺたんと座ったままセルを見上げる。
    「セル様……?」
    「……っ、僕には関係ない」
    小さな声だった、女には届かないくらいの。セルは一呼吸を置くと、もう一度大きな声で言った。
    「僕には関係がない。お前が人を殺してようと、これまでどう生きていたかだって、僕には関係ない」
    セルは早口でまくし立てながら、女から荷物を奪い、乱暴に立ち上がらせる。
    「お前が幸せになろうがなるまいがどうでもいい、どうでもいいけど。お前がいないと僕の生活が困るんだよ。だから」
    セルは女の手を掴んで宙に浮いた。
    「一緒に帰るぞ、ジーン」
    たとえお前のそれが偽りの名前でも、お前が身体を売っていたとしても、人を殺していたとしても。それでもいい。あー、もう、自分でも言っていることがめちゃくちゃだってわかっている。セルは女と暮らしたこの短い間にずいぶんと甘くなってしまった自分に嘲笑する。
    「セル様……」
    女に有無を言わせず、セルは空高く舞い上がる。女の手首を固く握りしめながら。
    「これ以上くだらないことを言ったら手を離すぞ」
    女をそう脅すと、セルはマゴル城の方へ向かって飛んだ。

    部屋に戻ると、セルは寝室に女の荷物を投げ出す。
    「ちゃんとかたづけておけよ」
    「……はい」
    女は黙ったまま、服をクロゼットにしまっていた。本当に少ない荷物だ、不安になるくらいに。
    「……今度お前のものを買いに行こう」
    「……私のもの?」
    「服でも、コスメでも、アクセサリでも、ぬいぐるみでもなんでもいい」
    お前の荷物を増やして、少しでも出ていきづらくさせたい。お前のことをこの部屋に縛っておきたい。僕だって大概狂ってる、とセルは奇妙な気持ちになった。
    「ええ、そうですね。紫色の服を買いましょう、セル様と同じ色の服を」
    「……別に、何色でもいいだろ」
    セルはぶっきらぼうに答える。一通り片付けの済んだ女はセルの方へ近づいてきた。ベッドに腰かけるセルに、女は跪く。
    「セル様、私のこれからの人生はセル様のためにあります」
    女はセルの手をとって甲に口づけた。
    「どうか、おそばにおいてくださいませ」
    「……勝手にしろ」
    女に口づけされた手の甲が熱かった。

    数週間後、セルがたまたま早帰りできた日。約束通り女を連れて夕暮れ時のショッピングモールに行った。女は殺人で指名手配されている身だ、小さな個人店よりむしろ、こういう人が多いところのほうがいいだろうと思ってのことだった。二人は立ち並ぶ色々なお店で、服を物色した。
    「セル様、これなんて可愛くないですか?」
    と服を見せてくる女だが、ことごとく丈が短かったり胸元が開きすぎだったり、身体の線を強調しすぎだったり。身売りをしていたころの名残だろうか、それともシンプルに好みの問題なのだろうか、とセルは額を抑える。結局、女はラベンダー色のフレアワンピースを持って試着室へ消えていった。人懐こそうな女性店員が話しかけてくる。
    「彼女さん、お肌が白いからあのお色はよく似合うと思いますよ」
    「彼女ッ……」
    小間使いだと言うのも不自然かと思い、彼女だということを否定しなかった。しゃっと試着室のカーテンが開く。
    「どうですか?なんかいつもと違う雰囲気の服だからどきどきしますね!」
    「まあお客様、よくお似合いですよ」
    店員に目配せされる、僕も褒めろってか。普段のざっくり胸の開いたタイトワンピースもいいが、こんな清楚な雰囲気の服だって似合っている。でも素直になれないセルは、とても小さな声でいいんじゃないか、とだけ呟いた。
    「じゃあ、これにします」
    「はい、ありがとうございます」
    女が着替えている間に、セルは会計を済ます。女という生き物に服を買ってやるなんて初めての経験だった。いつだったか、デリザスタが「男が女に服贈るのなんて脱がせたいからに決まってんじゃんね?」と言っていたのをふと思い出して、頬が熱くなる。ごまかすように店員に適当に礼を言うと、着替えてでてきた女と店をでた。

    次に、セルと女はアクセサリショップを見に行った。女の目に、紫色の石のついたアクセサリが留まったようだった。
    「これ、綺麗ですね」
    「お前、アクセサリは持ってないのか」
    「家を出るときに全部置いてきてしまって……」
    セルは女の見ていたアクセサリを手に取って値札を確認する。大したことない額、安物のアクセサリだ。セルはそれを手に取ると、レジに持って行った。
    「あ、そんな、服も買ってもらったのに悪いです……」
    「別にいい、カジュアルに使えるものだろ。毎日つけておけ」
    あとでこっそり加護魔法をかけておこう、とセルは企む。それを見透かしたように、女は目を細めた。
    「ええ、毎日つけますね」

    それから、セルと女はいくつかコスメと、女の食器、ちょっと高級なお菓子とお茶を買って家路についた。
    「たくさん買い物しましたねぇ!」
    二人買い物袋をぶら下げて、道を歩く。何気ない日常、きっと世間はこれを幸せというのだろう。でも、セルは自分の生まれた意味を思い出す。自分の使命はお父様に尽くすこと。そしてお父様が望む世界は……。いつまでもこんな日常は続かないのだと知っている。その時が来たら。そう、お父様の計画は着々と進んでいる。そしてこれから、セルと女は激動の物語に足を踏み入れるのだった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works