息をするように恋をした息をするように恋をした
一年生の昇級試験である収穫祭が終わった。今年の若王はほとんど獣を傷付けない異例の若王と呼ばれ、バラムの周りは一気に騒がしくなった。休み時間にはバラムを一目見たがる生徒が押し寄せ、昼休みや放課後はどこで何をしているのかと探される。
入学時から高ランクでありながらも、静かに目立たずに過ごしたいバラムにとっては煩わしい騒がしさだった。
授業を終えた放課後、バラムとカルエゴはわざと遠回りをして図書室へ向かっていた。生徒があまり通らない道には黄色や紅色の落ち葉が幾重にも積もっている。フワフワとした枯葉と時折踏みつぶす小枝の感触が足裏に心地好い。
「随分と取り巻きが増えたな」
「うーん。色々と声を掛けられるけどあんまり嬉しくない。早く音楽祭の練習でみんな忙しくなれば良いのに」
「音楽祭か。そろそろ出し物を決める頃だな」
足の長いカルエゴの歩調に合わせてバラムは少しだけ早足で歩く。カルエゴの中では音楽祭の出し物はもう決まっているのだろう。奏でる曲も、己が先頭に立って同級生たちを導き、優勝する方法も。それが厳粛でスパルタな方法であると想像が付く。
「カルエゴ君はどんな楽器でも弾けるから凄いよね」
「まぁな」
自分の実力を知っているから無暗に謙遜したりしない。堂々と風を切る肩越しに枯葉が舞う。見上げた横顔はいつもと変わらずに美しかった。
鼻梁は高く、長い前髪に隠れた睫毛の影が仄かに落ちる。固く結ばれた形の良い口唇は意外なほどに良く笑い良く叫ぶ。冷淡やクールなんて言葉が似合わないほどに表情豊かで、声は低過ぎずに甘い。大人になったらもっと低く艶のある声になるのだろう。
僕が大人になったとき、カルエゴ君の隣りにいられるのかな?
急に胸の奥が締め付けられるように痛くなって、バラムは制服をぎゅっと掴んだ。
「どうかしたのか?」
「どうもしないよ、カルエゴ君の横顔が綺麗だなって見てただけ」
「シチロウ、お前は自分が何を言っているのか分かっているのか?綺麗だなんて他の誰かに言ってみろ。口説き文句だと誤解されるぞ」
「カルエゴ君はそーゆー口説き文句言うんだ」
意地悪に返すと、あからさまに不満そうに眉が寄る。声が大きいとか足音が煩いとか女子からは怖がられているけれど、入試首席の美悪魔として人気があるのも確かだ。
「種を残すために誰かを口説くのは特別なことじゃないよ。どの生物だって行うことだもん。ただし、僕たち悪魔は本能である生殖と感情である恋愛を一つにして考えようとしているから難しんだと思う」
「シチロウらしい意見だな」
「そうかな?」
ああと、カルエゴ君が呟く。午後の陽射しを受けた髪は艶やかな紫黒で、小さな風に揺れる動きさえ目で追ってしまう。
カルエゴ君のこと好きだな。
好きと言う特別な感情が自分の中にあることへの驚きは一瞬だった。同時にカルエゴが特別であることがバラムの中で自然と府に落ちる。好きなのだから、特別であるのは当たり前だ。悪魔はこんなに自然に息をするように恋をするんだと、新しい発見にバラムは感動する。
「カルエゴ君……」
声にならない声で名前を呼ぶと心臓の鼓動が早くなった。ドキドキしながらちらりと隣を歩く横顔を盗み見る。
横顔は刹那さえ感じる美貌。
蕾だった花が咲くように幸福に包まれる。
好きな人の隣を歩いているのだと思うと急にバラムの胸が温かくなった。好きな人の傍に入れるだけで嬉しくて楽しい。並んで歩く距離が少し近付くだけで頬が紅くなって、数分前のように綺麗な横顔が真っ直ぐに見られない。
「音楽祭だが俺はオーケストラ悪魔組曲の一曲を提案するつもりだ」
「……どんな曲?ちょっと歌ってみてよ?」
一瞬だけ反応に遅れたバラムのリクエストに応えて、カルエゴは曲の冒頭を口ずさんだ。音感の乱れない美しい旋律と優しい声が響く。好きな人の声だと思うとカルエゴの声が今までよりもさらに綺麗に聞こえた。
カルエゴの横顔を見ながらバラムは静かに息を付く。
まだ自覚したばかりの恋だけれど、この気持ちはずっと秘めておかなければならないと知っている。
カルエゴ君が僕に向けている感情は恋じゃない。同じ感情が向かい合わないと悪魔同士の関係は上手く行かないのが常だ。僕がカルエゴ君に好きと伝えたら、カルエゴ君は 僕にどんな感情を向けるのだろうか?
嫌悪?拒絶?呆れ?それとも嘲笑?
それがどんな感情でも今までと同じような「一緒にいて心地良い関係」ではいられない。
僕はまだ、カルエゴ君と一緒にいる時間を失いたくない。だから、僕の恋はずっとずっと秘めたままでいよう。嫉妬や束縛なんて感情で君を振り回したくないから僕自身が忘れてしまうほど奥深くに仕舞い込む。
大好きな君の隣にいるために。
君の横顔に見惚れたあの日、息をするように恋をした。