さくらどきにあまいつき お花見しに行きましょう
そう言って目の前にいる彼はパッと今思いついたように言う。朝。トーストとサラダ、ベーコンにスクランブルエッグ。毎日ふたりでロードワークをした後に食べる朝食。現役を退いてもロードワークの習慣が抜けないのはもうこれが自分達の生活の一部となってしまっているからだ。
「お花見ってサンパウロで?」
「いや、桜ないでしょ。日本でですよ」
「めっちゃ唐突やな」
「時々無性に見たくなりませんか?」
それが今です、と遠い日本を懐かしむように目を細め笑う彼の目尻には薄らと皺が寄る。
侑が引退し、ブラジルに移り住みもう10年になる。元々日本人街で栄えたこの街には日本の文化が根強く残っているが、さすがに気候が違いすぎて桜は咲かない。時折日本に帰ることがあってもなかなか桜が咲く季節には出会えないでいた。近年の桜は開花時期の予想が難しくなっているともいうので、ピンポイントで帰るのはなかなか難しいんじゃないか。そう言うと、
「実は俺たちやってないことがありますよね」
「やってないこと?」
「ハネムーンですよ!」
「そういえばやってないな」
ブラジルに移り住んでからすぐ結婚式を挙げ、居を構え仕事も始めるとなかなかまとまった時間が取れなかった。そう、もう10年になる。
「ハネムーン休暇取りましょう!2ヶ月!日本で桜前線を追いかけましょう!それで色んな人と会いましょう!」
キラキラと太陽のように笑う彼は何歳になっても変わらない。やりたい事をやる、人との出会いを大切にする。それが糧になる。それに眩しさは感じない。もう日常になってしまった。
「最高やな」
その手を取るのも日常。甘い春の桜が待っている。