今のところ無し バンカラ地方の中学校。開校から50年以上が経ち長年の雨水の汚れが黒く滴る白い校舎、歴代の生徒達によって使い古された机と椅子に、埃臭さを感じる教室。放課後の音楽室では、新品のエレキギターを弾く少年が居た。
群青色のゲソが印象的なイカの少年の名前は、イチヤ。中学2年になりヒト形態が安定した彼は、すぐさまナワバリバトルへと赴き、かき集めた金で念願のエレキギターを購入し、今に至る。最初は鳴らし方すら分からなかったが直ぐに感覚を掴むと、軽快な音を弾き出し、音楽を形成し始める。
「おっ、やってんな」
同級生のイカボーイ2人とアジがイチヤの様子を見に来た。
「新品のエレキギターはどうよ?」
「すげー楽しい!」
満面の笑みを浮かべるイチヤを見て、イカボーイ1人とアジは嬉しくなる。イチヤが雑貨店〈竜宮城〉で、エレキギターを眺めては値札を見て悶絶している姿を度々目撃し、影ながら応援していたからだ。
「やっぱアイドルの曲弾くの?」
「やりたくない」
「それじゃ、民謡?」
「やだ」
「練習に弾くのはありだと思うけど」
「あー……練習……」
端切れの悪いイチヤに、2人は不思議に思う。
イチヤは上手く説明できず、エレキギターを持ち直し、演奏を始める。
まだ考えたばかりで30秒にも満たない曲であるが、分かりやすくもアイドルや民謡とも違う、全ての色を塗り替えるように、爽快で大きな波を生む力を秘めている。
「すげー!」
「なに今の!」
「俺の考えた曲!」
心を掴まれ感動する2人に、イチヤは得意げに言った。
もっと聞きたいと言いかけた2人だったが、音楽室に取り付けられたスピーカーと外からチャイムの音が響いて来た。時計は5時を回り、下校時間を報せている。
「やべ。早く帰らないと、またオコゼ野郎に怒られるぞ」
「あいつ殴る勢いで怒鳴って来るから、ムカつくんだよな」
体育教師兼生徒指導員の姿を思い出し、大事なエレキギターを没収されかねないとイチヤも急いで片付けを始める。持ち込みには一定の緩さのある中学であるが、時間にはかなり厳しい。
「この後、イチヤはどうする?」
「散歩して帰る」
「危ない路地に行くなよ。大事なギター持ってるんだから」
「気を付けるに決まってるだろ」
2人は帰り、イチヤはエレキギターをケースの中へと仕舞った。
ギターケースを背負い、学生鞄を肩に掛け、いざ音楽室を出ようとした時だった。
「なぁ、さっきの」
「? なに?」
今まで無言だった小柄なイカボーイがイチヤに声を掛ける。
「短すぎて曲になってねーよ。音だってブレブレで、安定感ないし、陳腐だな」
「何だよ。はっきり言えよ」
曲としては未完であるのをイチヤ自身も理解している。第一に、今日初めてエレキギターを弾き始めた相手に対する発言としてどうなのか。初心者狩りにも似た指摘に、思わずイチヤはムッとなった。
「おまえ、音楽が何なのか分かってないだろ? だから教えてやろうと思って」
「口だけのやつがうるさいな」
「は? 俺はおまえよりも先にベース弾いてんだよ。おまえより先輩、わかってんの?」
「わからないね。否定しかしないやつの指図なんて、聞きたくない」
イチヤは出入り口を塞ぐそのイカボーイを押しのけ、音楽室を出て行く。
イカボーイは止めようと挑発的な言葉を並べるが、イチヤは振り返らず、足音を残さず、廊下を抜け、階段を降りて行った。
ただ1人残された彼は、静まり返る音楽室の中で舌打ちをした。