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    tsuyuirium

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    tsuyuirium

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    10話後、愛について想いを巡らせる聡実くんのお話。
    映画の演出を踏まえた描写があります。

    愛言うんは与えるもんらしい 神の愛とは惜しみなく、与えられるものです。
     寝ていたわけではないが耳に入ることもなく、完全に意識の外にあった教授の声が、突如として頭に飛び込んできた。
     言葉として認識した途端ほとんど反射のように顔を上げてしまい、それはまるで何か思い当たることがある人のようなリアクションで、今度は顔に熱が集まっていくのが分かった。
     挙動不審な様子を気取られていないかと、恐る恐る隣に座る丸山を盗み見る。しかしそれは杞憂だったようで、相変わらずスマホの操作に勤しんでいるその姿にひとまず胸を撫で下ろした。
     昼食後の三限目というのはどうあっても集中力を欠いてしまう。加えて大教室で行われることもあってか周囲の気も漫ろで、居眠りや内職に勤しむ学生の姿も少なくはない。
     先輩から楽単だと教わったから、一緒に受けようと丸山に誘われるがまま、受講登録をした一般教養科目の講義。恐らく熱心な学生はほとんどおらず、教壇に立つ教授もきっとそのことは暗黙のうちに理解しているのだろう。
    「アガペー、聞いたことがある方も多いでしょうが、神様の愛であるこのアガペーは我々に無条件に与えてくださる愛ですね」
     受講生の様子を知ってか知らずか、教授は淡々と講義を続けていく。
     あんな話をしてしまったからだろうか。好きじゃん、普通に。臆面もなく言ってのけた友人の言葉を思い出し、耳聡く愛という単語を拾って反応してしまう己はなんと単純なのだろうとほとほと呆れる。
     呆れると同時に、言葉に紐付けられて引っ張り出されるようにして、奥底から記憶が甦ってきた。
     黴臭い遮光カーテンの内側、電気を消して固いソファに座り、上映中はスマホの操作を禁じられる中でスクリーンに映し出される白黒の映画。
     正確に言うと映画のストーリーはあまり覚えていない。思い出したのは、愛のシーンを観ていたその時に、隣にいた友人がぽつりと呟いた一言だった。
     愛言うんは、与えるもんらしいで。
     一番に出てきた言葉は、何を与えるん、という目的語を求める感想だった。何やろな、と二人して少し考えたが、答えは見つからなかった。
     君の瞳に乾杯。今となっては使い古されて誰も言わないようなセリフを覚えている。
     あいつも誰かの瞳に乾杯したのだろうか。男が女を見つめてそう呟けば、果たしてそれは愛になるのだろうか。少なくとも教授が語る愛とは毛色の違うもののように思えた。
     寂しかったのでしょうか。好きなのでしょうか。示されなかった答えについて、寝ても覚めても頭の片隅にこびりついたままだ。
     どちらにも傾ききらない天秤の上。答えはもしかするとどちらでもない、皿に並べていない外にこそある可能性に思い至る。
     愛とは。我ながら一段と飛躍したところを見出してしまったと思わないでもない。しかし愛というものにも種類があるのだと、講義を通して教授が語りかけてくるようだった。
     天啓のような教えは求めていない。今この状態から抜け出せる何か、きっかけだけでも掴めればいい。
     目下、自分を悩ませている相手への感情は名前が分からないまま、どれかが当てはまればいいと願いつつ手にとっては形が違う。パズルのピースのようなかたまりを弄んでは放り投げたくなる。その繰り返しにもいい加減飽きてきた。
    「時間ですね。今日はここまでで、感想提出してくださいねー」
     いつのまにかまた意識の外に追いやっていた教授の声に再び引き戻される。ざわざわと騒がしさを取り戻す周囲に、時間が経っていたことに気づかずに取り残されていた。遅れて聞こえてきたチャイムの音に、講義が終了したのだとようやく理解が追いつく。
     先ほどまで一心不乱にスマホしか見ていなかったはずの丸山が、さも真剣に話を聞いていましたと言わんばかりにペンを走らせている。この人のそういうところは、尊敬すべきではないのだろうが感心させられるところがあった。
    「書いた? 行こーぜ」
    「あ、うん。もうちょい」
     こういうものもさらっと書ける性分だったら楽なのだろうと思うけれどできないことは仕方ない。次も必修科目で丸山とは同じなので、当然のように自分のことを待っていた。
    「かかりそうなら俺ちょっとトイレ行ってくんね」
    「ああ、うん。なら出したら行っとくわ」
     丸山の背中を見送り、改めて机上の切り離された用紙に向き合う。
     刻一刻、なくなっていく移動時間に追われながらなんとか文字を紡いでいく。
     出欠代わりに書く講義の感想にしては、些か熱が入りすぎているような気もしなくはない。さっと読み返してそう思ったけれど、教室内にはもうまばらにしか人はおらず書き直すような猶予もあまり残されていなかった。
    「すみません、お願いします」
    「はい、ご苦労様です」
     事務的な言葉ではあるが、教授はこちらとしっかり目を合わせて差し出した用紙を受け取った。いずれ読まれること変わりはないが、ここで教授が目を通してしまわないうちにそそくさとその場を離れる。鞄を引っ掴んで、次の必修科目に遅れないように自然と小走りになった。



     一週間、同じスケジュールの中で過ごしているせいかもしれないが時間は矢の如く経過する。再び大教室で、今日も講義の時間を迎えていた。
     開始を知らせるチャイムが鳴っても、教室内はまだ少し騒がしい。
    「では時間になりましたので始めますねー」
     教授の声がマイクにのって届く。ざわつきを気にしないとでも言うように、いつもと変わらず淡々と話を進める。
    「先週は代表的な愛についての話で終わってましたね。皆さん感想ありがとうございます。テーマがテーマだからか、普段の回よりも関心の高さが表れてましたね。では今日も質問から返していきます」
     関心が高い。その言葉にもろに思い当たる節があり、前回ほど大袈裟ではないにしろぎくりと肩が動く。今更ではあるが、寄せた質問に対して名前こそ伏せられるものの、受講生の前で発表される可能性を忘れていた。
    「……〝無条件に与えられる愛というものを考えた時に難しく思います。与えられる愛とは具体的にはどういうもののことを言うのでしょうか。自分たちが誰かに何かを、物質非物質を問わず与えることも愛に当てはまるのでしょうか〟」
     完全に覚えがある内容だ。まさに先週、自分が書き記したものが読み上げられる。悪いことをしているわけではないのに、この居心地の悪さをどうにかしてほしい。
    「神様と違って、人生を生きているからこそ抱く感想と質問で、非常に興味深かったです。ありがとうございます。前回あまり深掘りできなかったので、今日はこの質問への補足的な内容から始めますね」
     なぜか言われたお礼を頭が認識するまでに時間がかかった。内容の恥ずかしさはともあれ、興味を持ち向き合ってくれることは純粋に嬉しくもある。
    「聖書の中ではワインとパンがよく出てきます。これらはそれぞれキリストの血と肉として、いわば自身として与えられるものです。これも一つ、分かりやすいところでの与える愛でしょう。そして最たる例としては、私たちを救うために命をささげた。与えられるものの中でも最上位でしょう」
     いのち。発せられた重い意味の単語に考えが沈む。与える愛の正体は、自己犠牲からくるものだったのか。
    「さらに補足の補足、完全に余談ですが、与えられる愛に相対する思想として面白いことを考えた日本の小説家がいます。愛は与えるのではなく、奪うのだというものです」
     耳馴染みのない、それでいて不思議とすっと入ってくる言葉だった。今説明をしていたのとは真逆の言葉で、真新しいひっかかりに脳が反応する。
    「彼曰く、愛の本質は自己犠牲とは全くの真逆で自己中心的なものだそうです。愛とは外界を摂取して自己の所有とするところの奪う本能……愛は放出するのではなく、吸収する力。もう少し噛み砕くと、愛すれば愛するほど、対象と自己は同化していくと言うのです。好きな人が悲しければ自分も悲しい、嬉しければ自分も嬉しい、そんな感覚はみなさんにも分かるんじゃないでしょうか」



    「ありがとうございました」
     数えるほどしか客のいない夜勤にも慣れてくると、あくびを噛み殺すのにも苦労を覚えるようになった。果たしてそれは成長だろうか、退化だろうか。客がいないホールでは時間を潰すことがこの世の最大の関心事に思える。
     バイトを始めたばかりの頃であれば、ちょっとした事故で汚してしまった店内の絵のコーヒー染みをなんとか落とそうと試みていたこともあったけれど、今となってはその上にさらにどうしようもない事故が発生していて、もはや自分にはどうすることもできない。
     頬にキスをする天使の絵。可愛らしいという感想が相応しい絵だ。柔らかいタッチで描かれたそれも、また一つの愛の形だろうか。
     頬へのキス、後ろからのハグ。対象への感情の放出か、それとも同化しようとする吸収か。
     ハグをしてしまった事実。好きなのか、寂しかったのか、辿り着けない答え。与える愛に奪う愛。浮かんでは消えていく思考たちの上澄みが、徐々に煮詰まっていく。手持ち無沙汰の夜勤では、思考は冴え渡るばかりだった。
     そういえば、と、ふと実家の食卓の光景が思い出された。皿にあげられた鮭の皮を綺麗に取り去る母と、それを受け取る父の姿。なんでもない日常の光景が、あの日栗山と話をしてから見るのとでは全く違う、与える愛というものを本当に見た気がしてなんだか少し感動すらした。
     しかしよくよく考えてみれば、あれは母が食べないものを父は好んで食べていたので与えていたまでであって、何も自己犠牲とか高尚なことはなくきっとwin-winなだけの事象だ。
     己を犠牲にして狂児に与えたものなどあっただろうかと自問自答すると、思い当たることはあった。
     あの時死んだと思ったから歌った鎮魂歌。歌えと言われたから歌ったけれど、それでも合唱祭じゃなくあの場に行くことを選んだのも、差し出されたマイクを取ったのも、あの曲を選んだのも自分だ。
     まあ死んだなんて全部嘘で、純粋だった僕は大人たちに騙されていたわけやけど。
     今思い返しても新鮮にイライラする。あの短い期間に、どれだけ狂児の前で泣いたことか。
     僕が泣くと狂児はよく笑っていた。何がおかしかったのか未だによく分からないが、いつも笑っていた。一度泣きながらブチ切れたこともあったけれど、その時はさすがに呆然としていたような気がする。
     愛すれば愛するほど、相手を摂取して自己と同化していく。向こうが喜べばこちらも喜ぶし、悲しめばこちらも悲しくなる。
     僕が泣けばあいつは笑う。僕が笑えば、あいつは泣くやろうか、笑うやろうか。
     アホらしくなってきて考えるのをやめた。要するに僕はまだ、自分と同化してしまえるほど狂児のことを奪ってはいない。狂児が何を考えているのか、僕には分からないからだ。
     分かりたいと思っていることに、狂児についてばかり考えてしまうことに、いつからか苛立ちは覚えなくなった。
     愛言うんは与えるもんらしいで。思い出されるあの時の言葉に、一つ新しい答えを提示する。
     せやけど栗山、どうやら愛は、奪うもんでもあるらしい。そして何なら、僕にはそのほうが性に合っとるかもしれん。
     夜勤いうやつはほんまに、判断力が鈍ってかなわん。
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    Replies from the creator

    tsuyuirium

    PAST狂児さんの賭けとそんなことはつゆ知らずの聡実くん。
    映画の演出を踏まえた描写がございます。
    大穴ばかり外すギャンブラーに明日はない 今日は振り返るやろうか。慣れた帰り道を少し俯きながら歩く背中に変わったところはなさそうだ。ベッティングまでに残された時間はあと少し。何か見落としていることはないか。可能な限りの情報を集めるために、対象の観察をしばし続ける。
     屋内での部活だからか、日に焼けていない頸がヘッドライトに照らされると幽霊みたいに白いこと。助手席で寝てしまってシートに押し付けられた後ろ髪が癖になってたまにはねていることも、後ろから見送るようになって初めて知った。
     初めて送り届けた日。家を教えられないと健気にも突っぱねながらも可哀想に、車に乗っている時点で無理だと告げたあの日から始まったことだ。
     家を知られたくないなんて面と向かって言った相手にすらも礼を尽くせるこの子の心根が、心配になるほど清らかで美しいのを目の当たりにして、そこにつけ込んだと言う自覚は正直、あった。着いたらラインして。心配やもん。そう言うとあの時の聡実くんはぎょっとした表情で目を丸くしてこちらを見ていた。あの顔を思い出すと今でも愉快な気持ちになれる。
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    tsuyuirium

    PAST聡実くんお誕生日おめでとう🎂
    わぬ友情出演の狂聡です。わぬが普通にお隣に住んでてコミュニケーションをとってます。
    わたぬきの日隣に住むわぬから、衣替えの手伝いを頼まれた。桜ももうすっかり見頃になるくらい暖かく、天気がいい今日が頃合いのようだ。
     僕よりもおしゃれに気を遣っていて衣装待ちなわぬの冬服を、指示を受けながら衣装箪笥へと収納していく。
    「だいぶ片付いたで。僕より服持っとるな」
     ふかふかの胸板を少し大仰に逸らして、自慢げな素振りを見せてもちっとも威厳がない。ちぐはぐさがおかしくて、つい小さな笑いが溢れる。
     わぬは僕たちとは同じ言葉は喋らなかったが、不思議と言いたいことや意思が伝わってくるもので、コミュニケーションの上で困ることはない。今も喋らずとも、身振り手振りや豊かな表情で僕に指示を出してくれる。
     冬の間によく見かけていた、綿の入ったふかふかの半纏。一度このタイミングで虫干しをするそうで、半纏を受け取るとわぬはとてとてと日が差し込む窓辺へ駆け寄っていく。ベランダで風にあてたいのだろう。わぬはちらとこちらを見て、引き戸の前で立ち止まる。やっぱりそうだったことを確認して腰を上げる。
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