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    tsuyuirium

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    tsuyuirium

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    週末のひとときの狂聡。
    モブ店員さんと聡実くんがおしゃべりしてます。

    そこはやっぱりウィークエンドシトロンで 明日のパン買わな。スーパーで買い出しをあらかた終えたところでふと思い出した。買い出しメモには書いていなかったが、冷蔵庫の中身を頭の中でひっくり返す連想ゲームで思いついた。
     このままスーパーで馴染みのある6枚切りをカゴに入れてしまうのもいいけれど、最近は近所のパン屋さんで買う少しの贅沢も気に入っていた。食べるもんは気つかえるなら、使たほうがええからね。無理のない範囲で。思い浮かべた幾分年上の人が言っていたことを思い出す。それは僕もそう思う。ということで、焼きたてのふかふかのパンを目指すべく、足早にセルフレジで会計を済ませた。
     スーパーからパン屋に向かうまで、少し慣れてきた寄り道すがら、ふわりと嗅覚が何かをとらえた。ほろ苦い中にあたたかみも感じるような大人の嗜好品、コーヒー豆を挽いたときの香りだ。
     足を止めたそこは、黒で統一されたシックな門構えの店先だった。壁面とドア前に黒板が置かれており、店名とコーヒーの種類、そしてケーキや焼き菓子の名前が細くスマートな文字で整然と並んでいた。知っている名前、知らない名前。そういえば喉も渇いたかもしれない。まじまじと黒板を眺めているうちに、扉の内側にいる店員さんらしき人と目が合い、微笑まれてしまった。最低限の挨拶でしかないがぺこりと頭を下げると、見られていた気恥ずかしさで顔がかっと熱くなる。このまま立ち去るかという選択肢が浮かんだが、店先でたむろしていた不審者で終われないと思い、意を決してドアノブに手をかける。
    「いらっしゃいませ」
     店内に入ると、外よりももっと濃いコーヒーの匂いに体が包まれる。店員さんが不審者にしか見えなかったであろう自分にも優しく声をかけてくれたことにひとまず安堵した。中はこじんまりとしているがよく見ると奥にはイートインスペースもあるようだった。ショーケースには黒板で名前だけ見ていたケーキやお菓子たちが実体をもってずらりと並んでいる。
    「そちらが当店一番のおすすめの、ウィークエンドシトロンです」
     しげしげとケースを眺める自分に声をかけてくれる。ウィークエンドシトロン、ついさきほど目で見た単語が今度は耳からも入ってきた。ひとつは店先の黒板に並ぶ商品として、もう一つは。
    「店とおんなじ名前なんですね」
    「そうなんです。というよりも逆にケーキから店の名前つけさせてもらってて」
     店先に掲げられていた看板にあったのも同じ名前だった。どこか詩的な響きもあるその名前は、元はケーキの名前らしい。
    「フランスで昔から好まれてる焼き菓子なんですけど、週末に大切な人と食べるケーキ、なんて言われてるんです」
     生地にレモンが練り込まれてて、甘酸っぱい風味が楽しめますよ。シトロンと名前にあるのはそういうことらしかった。
    「じゃあその、ウィークエンドシトロンと、あと、マドレーヌも。あとブランドのアイスコーヒーもテイクアウトでいただけますか」
    「ありがとうございます」
     せっかくならばとそのおすすめのケーキと、おまけで並んでいたマドレーヌも一緒に買ってしまった。そして当初惹かれていたコーヒーも、テイクアウトで注文する。たまにはええやろと、誰に言い訳するでもなく自分を納得させる。
    「またよろしくお願いします。もちろん、週末以外もやってるので」
     きっとこの店の決まり文句なのだろう。にっこりと笑顔を浮かべる店員さんに、再度ぺこりと頭を下げて店を後にする。紙袋からほのかに漂うバターの甘い匂いに心が踊らない人間がいるだろうか、いやいない。いつぞやに習った反語が浮かんだ脳内を振り払おうと、アイスコーヒーを一口含む。すっきりとした苦味が抜ける中、フルーツにも似た香りが運ばれてきて、美味しい。手に入れた焼き菓子とコーヒーにしっかりと夢中になってしまって、明日のパンをすっかり忘れていた。

    **

     カシャ。スマホに写るケーキはどう見ても、普段そういう撮影をしない人間が撮りましたと言わんばかりの味気ない姿をしていた。おいしそうに見えるかなこれ。何があかんのやろう。考えたところで原因など分かるはずもないので、まあええかとすぐに思い直してメッセージアプリを開き写真を送る。
     そんなわけがないと思いたいが、まるで待ち構えていたみたいに送った瞬間、すぐに既読の文字が現れる。うわ既読ついた、と思った次の瞬間には着信音が鳴る。忙しいな。
    「ケーキ買ったん? 珍しいね」
     通話ボタンを押した第一声、狂児は早速写真に言及してきた。いつもより少し低くてスローテンポな発声には疲れが垣間見える。僕の前ではあまりそういうところは見せないようにしているが、不思議と電話でも分かるものだった。けれど狂児は僕がそのことに触れると困ったような反応しか返さなくて、僕に何ができるわけでもないので、狂児が切り出した話を広げていく。
    「ケーキ屋さん? か、お菓子屋さん、近所に見つけてん」
    「ええなあ。美味しそうやん」
    「うん、美味しい」
    「食べてるの、何ケーキなんそれ」
    「ウィークエンドシトロン」
    「ウィークエンドシトロン! 洒落た名前してんなあ」
     未だによく分からない狂児のツボだが、ウィークエンドシトロンは意図せずそこにはまったらしく、一段と声が弾む。初見で自分も素敵な名前だとは思ったので、その気持ちも分からなくはなかったが。
    「中でも食べれる店やったから、今度行きましょ」
    「ええなあ。ケーキ食べたいわ」
     コーヒーも美味しかったから、きっと気に入ってくれるだろう。そう思うと少し誇らしいような、くすぐったい気持ちで頬が膨らんだ。ケーキを一口食べてみて、甘酸っぱいレモンとバターで満たされた口内も、今すぐ狂児に伝えられたらよかったけれど。
     次にあの店にお邪魔するときにその瞬間はとっておきたい。そこはやっぱりウィークエンドシトロンで、同じ気持ちを味わいたい。
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    tsuyuirium

    DONE大学三年生になって長期休みにまなちゃんと二人で京都旅行にきた聡実くんのお話です。
    まなちゃんのキャラクター造形を大幅に脚色しております(留学していた・そこで出会った彼女がいる)ので、抵抗がある方は閲覧をお控えください。
    狂児さんは名前だけしか出てきませんが、聡実くんとはご飯を食べるだけ以上の関係ではある設定です。
    とつくにの密話「おーかーぴ、こっちむーいて」
     歌うように弾む声で、呼ばれた自分の名前に顔を上げれば、スマホを構えたまなちゃんと画面越しに目が合う。撮るよー、という掛け声のもと、本日何枚目かのツーショット写真の撮影がはじまる。ぎこちなさが前面に押し出されている僕とは対照的に、綺麗な笑顔をした彼女の姿を切り取ることに成功したらしい。ツーショットに満足したまなちゃんは、今度は建物の外観をおさめようとカメラを構えていた。シャッターを切り続ける彼女の横で、せっかくならばと僕も彼女の真似をして二、三枚の写真を撮ってみた。
    「そんな待たなくて入れそうでよかった〜おやつどき外して正解だった」
    「ほんまやね。ここ人気なんやろ?」
    「週末だと予約したほうが無難ぽい。あとアフタヌーンティーするなら予約はマスト」
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