大穴ばかり外すギャンブラーに明日はない 今日は振り返るやろうか。慣れた帰り道を少し俯きながら歩く背中に変わったところはなさそうだ。ベッティングまでに残された時間はあと少し。何か見落としていることはないか。可能な限りの情報を集めるために、対象の観察をしばし続ける。
屋内での部活だからか、日に焼けていない頸がヘッドライトに照らされると幽霊みたいに白いこと。助手席で寝てしまってシートに押し付けられた後ろ髪が癖になってたまにはねていることも、後ろから見送るようになって初めて知った。
初めて送り届けた日。家を教えられないと健気にも突っぱねながらも可哀想に、車に乗っている時点で無理だと告げたあの日から始まったことだ。
家を知られたくないなんて面と向かって言った相手にすらも礼を尽くせるこの子の心根が、心配になるほど清らかで美しいのを目の当たりにして、そこにつけ込んだと言う自覚は正直、あった。着いたらラインして。心配やもん。そう言うとあの時の聡実くんはぎょっとした表情で目を丸くしてこちらを見ていた。あの顔を思い出すと今でも愉快な気持ちになれる。
ドアを閉めて家路を急ぐ聡実くんの背中を眺めていると、ふと面白いことを思いついた。このまま姿が見えなくなるだろうか、それとも振り返るだろうか。
当てたところで何かが変わるわけでも、賞品があるわけでもない。あくまでも彼を見送るまでのただの暇つぶし。
振り返らんかな、という期待と、振り返らんとそのまま行ってほしいという希望。どちらのことも望んでいてどちらも望んでいない。介入できない選択肢を突きつけられてどちらかが選ばれたとき、今度は自分の番だと選ぶのが恐ろしい。
「あ」
振り返ってもうたんやな、聡実くんは。
汚れひとつ着いていない、彼の眼鏡のレンズがきらりとライトを反射する。振り返った瞳は少し眩しそうに細められ、それでもその奥にいる影のようなこちらを見透かしているようだった。
見つかってしまった。これでよかったのか。考えがまとまらないまま、そのうち最後に奥底から湧き起こるどうしようもない喜びを表現するべく、顔の横でピースサインを二つ並べてみた。情けな。その日聡実くんは見てはいけないものを見てしまったかのように足早に去ってしまった。
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情けな。込み上げてくるため息を必死で噛み殺して、これ以上聡実くんの気持ちを逆撫でしないように努める。運転中でよかった。もし正面を向き合っていてこの沈黙の重さなら、どうしていいか分からなかったから。けれど運転していないほうが良かった。横並びで前方から目が離せない今、聡実くんがどんな顔をしているのか、よく分からないから。
気に留めるほどのことでもないのかもしれない。喧嘩と呼ぶほどのことでもないはず。きっと少し時間をおけば彼も自分も冷静になって、どうすべきか最適解を導き出せるようになる。多分。だとしても、今黙ったままでいるのは悪手ではないか。何か言葉をかけるべきではないのか。だとしても、この場で彼に言う一番正しい言葉は何か。言い聞かせるような思考がすでに事態を物語っている気がしなくもない。やばい青や。後ろから煽られる。
「ここでいいです」
「……うん」
ゆっくりとスピードを落とし、路肩に車を寄せる。結局この間何もすることができず、目的地まで辿り着いてしまった。スマートに謝意を伝えられるのは車を停めた瞬間しかない。
「さ」
「ありがとうございました」
想像以上だ。名前すら口にする隙も与えてくれないほどとは。正直思っていなかった。こちらと目も合わせようとせずに足早に、一秒だってここにいたくないとでも言うような性急さでシートベルトに手をかけて離れようとする。
こちらに口を挟ませないためかもしれないけれど、聡実くんはやっぱり昔と変わらず、どんな状況におかれていてもお礼が言える子だった。そのことが感慨深くもあり、また同時に彼の意地でもあるのかと思うと一層自分を情けなくさせた。
待って、と声をかける暇もなかった。そう思ってすぐに訂正する。本当は、もし掴んだ手を振り払われてしまったら。そう思うと少し怖くなった。
いつもよりも少しだけ遠慮なさげに乱暴な音を立てて、助手席の扉が閉められる。ひらりと身をかわしてすでにフロントガラスから見えるところにまで移動した聡実くんの背中を、ただ見ていることしかできなかった。ここからどう修復にまで持っていくか。何通りかのパターンを思い浮かべようとしても、小さくなって人混みの中をいく背中で頭がいっぱいになって、何も思い浮かばない。
焦燥感にじりじりと追い立てられど、動くに動き出せない。頭が真っ白になるのとはまた違う。むしろ聡実くんのことばかりが浮かんでは消えていき、溺れてしまいそうだった。
そうしてふと、昔見た時と変わらない、日に晒されることのない幽霊のように白い頸が、ぐるりと動いた。
嘘や。振り返った。
こちらをぎろりと睨めつける瞳を見た。ヘッドライトをつける時間でもないのに、聡実くんの瞳は煮詰めて焦がした鍋底の砂糖のように、ぎらぎらと照り輝いている。なぜもっと早く気がつかなかったのか。言い訳ばかりして聡実くんのことを見ていなかった数分前の自分を殺してやりたい。嘘。殺したら追いかけられへんからやっぱり生かしとく。感謝せえ。
ジャックポットを当てた時、こんな気分なのだろうか。雷に打たれたときもきっと、およそこんな風に反射で動いてしまうのだろうか。
「さ、とみくん! ごめん! 待って!」
最悪や。声裏返ってかっこつかへん。それでも足を止めてくれている聡実くんに追いつけるならば、手前で転んだって良いと思った。