花見をするゾロユリ 頭上の空はこの時期にしては珍しくすっきりと青い。春の空といえばどこか霞がかった色をしている。今日の空にはその霞んだ感じがない。どこか夏の青空を連想させる濃さだ。
ふと街路樹を見ると葉の色も大分濃くなっている。アスファルトの裂け目から生える雑草にしても小さな花を咲かせていた。頬を撫でる温い空気も含めて春だと実感する。
ユーリは自宅マンション近くの公園を歩いていた。高層マンションが建ち並び、人が住みやすいようにと環境が整えられている区画だ。車の往来が激しい通りはここから少し離れている。ユーリの革靴が叩く歩道にしても段差ひとつない。この公園にしても意図的に緑が植えられているのだ。いくら大通りから離れ緑が多いとはいえ、深く息を吸い込んでも森の中にいるような濃い植物の息吹を味わえることはない。排気ガスの匂いや土埃がないことがせめてもの救いか。
葉を茂らせる木々の間を通り抜けた先にこの公園のメインストリートとも呼ぶべき遊歩道がある。それまでユーリが歩いてきたところとは違い、道幅も少し広めに取られている。遊歩道に植えられているのはそれまであった広葉樹とは別の樹だ。深緑の葉ではなく薄紅の花が枝を彩っている。桜だ。薄く小さな花弁がいくつも集まって一つの春の光景を作り出している。
ユーリは身につけていた腕時計で時間を確認した。彼がこの公園にやってきたのは散歩が目的なのではない。きちんと用事があってのことだ。相手が指定した時刻の五分前。このまま遊歩道を進み、待ち合わせ場所となっている五つ目のベンチに到着する頃にはちょうどいい時間になっているだろう。
等間隔で植えられた桜の木々を通り過ぎ、ユーリは目的の場所へと歩み進める。一つ目のベンチ、二つ目のベンチにも誰も座っていない。三つ目のベンチでは親子が楽しそうに笑い合っていた。四つ目のベンチも無人。五つ目のベンチには男が一人――ユーリと同じマンションに住んでいるにも関わらず、わざわざ待ち合わせ場所を外に指定した男だ。黒のスーツをラフに着こなし、手にした文庫本に視線を落としている。
「ゾロトフ」
目的の人物に声を掛ければ、男は本から顔を上げた。「ああ」とユーリの存在にようやく気付いたというように小さく呟く。
「遅かったな、アガニョーク」
「時間通りだ。時計を見てみろ」
ゾロトフはユーリの言葉を素直に聞かない。腕時計を一瞥もせず、視線は再び文庫本へと落ちていた。
呼び出しておいて用件も言わず、こちらを無視するかのようなゾロトフの態度にさすがのユーリも腹が立ってくる。
そもそも呼び出しの理由からして不鮮明なのだ。ゾロトフが昨夜ユーリに告げたのは「明日の14時に下の公園の五つ目のベンチで待っている」という一言のみ。なぜ待つのか、なぜ外で待ち合わせなのか、理由は一つも語られていない。もちろんユーリもゾロトフに訳を訊ねた。しかし彼はにやりと口元を歪めるばかりで、明確なものを何一つ明示しなかったのだ。
書き終わる気がしねえどっとはらい