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    2024-12-08

    英つむ 🌸 ぼさぼさに崩れ放題、はね放題の頭髪の人間がビルにふらふら入って来て、一瞬身構えた。彼の雰囲気に気圧されて周囲の社員たちもどうするべきか分かりかねるのか、距離を置いてその様子を静観している。崩れ放題、はね放題に加えて、伸び放題の頭髪は、ひとりしか思いつかない。周囲の目線はこの際気にしないことにして、入り口のそばへ小走りで近づいた。
    「ちょっと、つむぎ?」
    「あ、ああ〜……、英智くん……?」
    「なにこれ? 誰かにやられたの?」
     疲れきった声でつむぎが項垂れ、やや乱雑に髪をまとめていく。髪の隙間から見える瞳にも、やっぱりどこか疲れの色が窺えた。
     つむぎの雑な手つきがどうも気に入らなくて、反対側の髪をなるたけ丁寧に整えてやると、その絡まりは見た目よりもずっと簡単に解けた。何度か繰り返すうちに、手に髪ではない触感に当たり、再びぎょっとする。おそるおそる慎重に抜き取ると、それは桜の花だった。綺麗に花弁が五枚揃ったそれは、一見するとロマンチックだが、相手は男でましてやつむぎなので何も感じやしない。
     もはや白と言っても過言ではいくらいの淡い花弁が少しだけ萎びているが、十分気品のある佇まいだった。
    「いえ、春一番に巻き込まれちゃって……もう、砂が目に入ったり髪もぐちゃぐちゃにされたりで、散々ですよ〜!」
    「春一番ね……」
    「ラッキーアイテムが桜だっていうから、桜が咲いてる橋の方から来たんですけど、これって不幸じゃないですか?」
    「さあ……」
     手に取った桜は、床に捨てるには忍びなくて、なんとなく萼の部分を持ったままになってしまった。あっ、とつむぎは思い出したかのようにコートのポケットに手を突っ込んで、折りたたみのくしを取り出した。髪に通し、あだだ、とかなんとか言っている。
    「くし持ってるの忘れてました……。あっ、英智くん、ごめんなさいね。俺はもう大丈夫なので、これで」
    「ま、待って」
    「はい?」
    「これ、付いてたから」
     ちいさなそれを差し出してから、妙に気恥ずかしくなって、居心地が悪くなる。
     わざわざ差し出すに値するものだろうか、これは。つむぎに何も言わずに捨てていればそれで済んだのに。
    「あ! 桜!」
     つむぎの目が輝いて、僕の手から小さな花を優しく受け取り嬉しそうに微笑んだ。
    「……そんなにいいものだった?」
    「そうですよ! 今日のラッキーアイテムですから」
     つむぎがそう言うのを聞いて、さっきそんなこと言ってたな、とぼんやり思い出す。社員の一人が通りがかってビルの自動ドアが開き、春のさらさらした風が屋内に滑り込んでくる。
    「そういえば、高校生の時も似たようことがありましたね」
     懐かしそうに目を細めるつむぎに対して、僕はなんだか気まずくなって目線を下に落とした。よく磨かれた床はガラスを通った陽光を反射して、ぴかぴか光っている。
    「……そうだったかな」
    「あの時は……ええと、どうだったかな。……桜、だったと思うんですよね」
    「いいよ、無理に思い出さなくても」
     うーん、と唸って思い出そうとするつむぎを制止すると、つむぎは苦笑して、ですかね、と恥ずかしそうに右手の桜をくるくる回した。くるくるくる。右。左。
     高校生の頃、と言われて、僕は胃の奥の方が冷えるような気持ちになった。つむぎと親しかったのは二年生の始め辺りだったから、その時期にきっと、そんなことがあったのだろう。夢ノ咲学院の桜が咲いていたことは覚えているから、その『似たようなこと』を自分が忘れているのだ、と考えついて、苦いものを飲み込んだあとのような罪悪感に駆られた。
     きっとこんなことが、あといくつもあるのだろう。僕が覚えていないだけで。
    「いつか思い出したら、またお話してもいいですか?」
    「……僕は覚えていないかもしれないよ?」
     つむぎはきょとんとして僕を見た。まるでなんてことないように言う。
    「英智くんが覚えていて、俺が思い出せないことだって、たくさんあるじゃないですか?」
    「……」
    「えっ。そんなに変なこと言いましたか、俺」
    「……いや」
    「それに、英智くんが思い出せなくても、俺が覚えてるじゃないですか」
     得意げにはにかんだつむぎを、僕はどんな顔で見たのか分からない。でも、その後のつむぎの反応を見るに、結構酷い顔をしていたようだった。
     片方だけが覚えている思い出話に意味があるだろうか。記憶や気持ちを分かち合えないのは、辛くないだろうか。
     僕は――。
    「あ、あはは……そんな顔しないでください。案外、そんなことあったな〜って思い出すこともありますし……もし、思い出せなかったら、新しく作っちゃえばいいんですもん」
    「……新しく?」
    「思い出はいくつあっても嬉しいものじゃないですか? 似たような思い出も沢山作っちゃえば、たくさん思い出して、笑って、幸せになれるって思うんです」
    「君らしいね……」
     つむぎがちいさく笑う。
     くるくるくる。くるくる。桜がひらひら回った。
    「今日は英智くんが俺にラッキーアイテムの桜の花をくれた日です。俺は、今日のことを覚えてます」
    「……そうだね、今日は、つむぎが春一番に巻き込まれて普段以上にぼさぼさ頭で出勤した日だ」
     言い終えてから、さっさとエレベーターホールへ向かう。つむぎは酔狂な声を上げて僕に付いてきた。
    「えっ、桜は!?」
    「ついでだったでしょ、それは」
    「そんな〜……! ラッキーアイテムって方が覚えやすいでしょ? そうしませんか?」
    「やだ」
     ボタンを七階と二十階で押して、エレベーターが到着するまで僕とつむぎは数分程度談義し、結局エレベーター内(社員に気を遣われたのか、僕とつむぎ以外乗らなかった。)でも七階に着くまでつむぎは粘ったが、事務所に着くと同時に、
    「桜の花で!」
     と実に彼らしくない捨て台詞を吐き、仕事へ向かったのだった。
     エレベーターのガラス越しに、川沿いの桜の花が満遍なく咲いているのが見えた。
     これからきっと、桜の花を見る度に思い出すのだろうな、と思い、
    「参ったな」
     と思わず口から独り言が漏れ出たが、その声が存外柔らかいものだったので、僕はますます形容し難い感情に苛まれるはめになってしまった。
     桜の花、ね。
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