春待ちにキス 寒さにぶるりと震えて、暖を求めてもぞもぞと毛布の中で寝返りを打つ。そうしていたら、赤司が黒子の腰にぎゅっと腕を回した。もこもこの靴下が半分脱げてしまっていて、中途半端に剥き出しになった足先に、赤司の素足が絡む。冷えた黒子の爪先とは違って、赤司の身体は暖かかった。
今は何時だろう。朝の部屋はまだ薄暗い。彼のパジャマの胸元に顔をうずめながら、冷たくなった鼻先を温めるように息を吐く。
「さむいです」
「今朝は冷えるね。暖房を上げようか」
枕元にあった空調のリモコンを取ろうと赤司は手を伸ばすけれど、その手を掴んで、毛布の中へと逆戻りさせた。隙間が出来ると寒い。ぴたりとくっついていたら、赤司は寝起きの掠れた声で笑って、もう一度黒子を優しく抱きしめた。
ようやく指先が温まってきた頃に、赤司もまた黒子の肩口にほんのり冷えた鼻先を寄せる。どうしたのかと思えば、そのすぐ後にピリッとした僅かな痛みが首筋に走った。
「んっ…」
「きれいに付いた」
「何がですか…」
「鏡見る?」
「いいです…」
触れた場所が、じんわりと熱をもつ。ほんの一瞬で油断も隙もない。お返しに、と黒子も赤司の鎖骨あたりに唇を寄せるけれど、ぶしゅ、と空気が抜ける不恰好な音がするだけだった。
「………」
「ふはっ…」
「笑わないでください」
「ごめん…大丈夫。ちゃんと出来てるよ」
「本当ですか」
「もう一回やる?いくらでも練習していいよ」
「うぐ…」
じゃあもう一回だけ、と同じ場所に唇をくっつけた。さっきよりはうまく吸えただろうか。くすぐったいのか、それとも別の意味もあるのか、赤司はなんとも色っぽいような、短い息を吐いた。
静かな朝の部屋に、じゅる、と生々しい音が鳴る。思ったより響いてしまったその音に、はっと我に返って、みるみるうちに顔が熱くなった。
「…朝から何やってるんでしょう…」
「黒子がくっついてくるのが悪い」
「寒かったので仕方ないです。そろそろ起きますか」
のそのそと身体を起こして部屋のカーテンを開ければ、いつもとは違う景色が広がっていた。
「赤司君、雪が積もってます」
「本当だ」
そういえば、昨日の天気予報で、今晩は東京でも雪が降るでしょうと伝えていた気がする。だからやたらに寒かったわけだ。試しに窓を開けてみたら、頬を刺すように風は冷たく、ベランダの桟に数センチほどの雪が積もっている。吐いた息がすぐに白くなって、朝空にふわりと溶けていった。よく晴れた空に、白い雪と息が淡くコントラストになっている。
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雪の影響で交通機関に遅れがあるといけないので早めに家を出たけれど、特に電車は遅れていないらしい。それならゆっくり行けば良いだろう、と赤司が言うから、足元に気を付けつつ、乗換駅で途中下車してのんびりと散歩がてら一駅分歩くことにした。太陽はだいぶてっぺんの方に上ってきて、日差しは暖かいけれど、風はやはりつんと冷たい。
「転ぶなよ」
「大丈夫です。子供じゃないんですから」
赤司はロングコートにマフラーを巻いて、こんな日でも颯爽と歩いていた。黒子もマフラーと手袋で完全防備して、コンクリートの凍っていない部分を選んでよちよち歩く。赤司の前でずっこけるなんて無様な真似は避けたい。
「あ、赤司君、見てください」
ふと植え込みの方を見れば、端っこの方にちょこんとちいさな雪だるまが乗っかっていた。小石で象られた目が日差しで赤色っぽく光って見える。まるで赤司みたい、といえばだいぶ彼が安っぽくなってしまうかもしれないけれど、でも何となくそう見えてしまったのだ。口には出さずに、思わず微笑む。
「一人じゃ寂しそうだから、お友だちを作ってあげましょうか」
「手がしもやけになるよ」
「手袋していれば大丈夫でしょう」
なんて言ってしゃがみ込んで、綺麗な雪をかき集める。すぐに出来ると思っていたけれど、雪だるま作りを舐めていた。東京の雪はただでさえ水っぽいのに、それは既に溶けかかっていて、布製の黒子の手袋はあっという間にびちゃびちゃになった。冷たい指先が、どんどん凍えて感覚を無くしてゆく。
「ほら、言っただろう」
「うぅ…でも作れました」
元々いた子の隣に並べた雪だるまは、不恰好にも程がある。それでも近くにあった小石と枝で顔を作れば、まあなんとなくそれっぽくはなった。
濡れてしまった手袋は外して、ハンカチで湿った手を拭う。一緒になってしゃがみ込んだ赤司が、すかさずカイロを渡してくれた。ありがとうございます、と言って受け取れば、カイロを握った黒子の手を、赤司の両手がぎゅっと包み込むように握り締める。
彼の手は、やっぱり暖かかった。すっぽりと覆われた手のひらは、赤司の熱を吸い取ってじんわりと温かくなってゆく。反対に、赤司の手はどんどん冷たくなっていっていた。
「赤司君の手が冷たくなっちゃいます」
「大丈夫」
道端でしゃがみ込み、手を取り合って握り合ってる男同士なんて、いくら人通りの少ない道でも見られたら変な風に思われるだろう。恥ずかしくなって、もう大丈夫です、と振り解こうとするのに、赤司はなかなか手を離してはくれない。
「赤司君?」
「これ」
「え?」
そう言って、赤司は左手でそっと黒子の左の首筋あたりを撫でた。巻いていたマフラーの中に手が入り込んで、首が晒されてひやっとする。つう、と指先でそこを撫でられると、冷たいのとくすぐったいのとでぞわぞわした。
「すぐ消えちゃうかな」
つるりと撫でられたそこに、何があるかはすぐにわかった。今朝のベッドの上での戯れを思い出して、恥ずかしくなってまた顔が熱くなる。赤司は笑っていたけれど、どこか寂しそうでもあった。
「消えたら、またつけてください。何回でも」
伝えた言葉が、白い息になって街に溶ける。恥ずかしさに湯気が出そうになっていたら、小さく笑った赤司が、そのまま黒子の頭の後ろに手を回してそっと引き寄せた。
ふちゅ、と唇が重なる。ほんの一瞬だけ触れ合った熱はすぐに離れて、それでも吐いた息が重なるくらい、二人の距離は近い。
「…外ですよ」
「誰も見てないよ」
「雪だるまくんたちが見てます」
「この子たちは言いふらさないから、大丈夫」
二つ並んだ雪だるまが、しげしげと二人の様子を興味深げに眺めていた。いたたまれない気持ちになって下を向いていたら、赤司に手を掴まれて、ぐっと立ち上がらせられる。
「まだ時間はあるけど、そろそろ行かないと」
「あ…そうですよね」
そうだ。赤司は今日の午後の新幹線で京都へ戻る。寂しくないといえば嘘になるけれど、また会えるから大丈夫だ。そう言い聞かせて、冷たくなってしまった彼の手を握る。
「次会える時は、きっとあったかくなってますね」
「そうだね。お花見でもしようか」
「良いですね」
歩き出そうとしたところで、ふと振り返る。日当たりが良いこの場所は、雪もきっとすぐに溶けるだろう。
「この子たち、写真撮っても良いですか」
「ああ、オレにも送って」
「はい」
並んだ雪だるまの写真を、スマートフォンの画像フォルダにおさめる。すぐに赤司に送れば、かわいいね、と言って赤司は笑った。
「これ、しばらく待ち受けにしておきます」
「良いね。オレもそうする」
「次会えたら…お花見の写真を撮って、それを待ち受けにしましょうか。そうしたら寂しくないですよ」
「それは良い案だけど、でも、会えないのはやっぱり寂しいよ」
「…」
本当に寂しそうな声で言うから、黒子の気持ちもぐらぐら揺らいだ。別れの時間は近付いている。マフラーに隠れている赤司の鎖骨のあたりを、黒子は服の上からそっと指でなぞった。さっき赤司がしたみたいに。
「雪だるまも、これ、も…いつか消えちゃいますけど、ボクたちは、消えないので」
「…うん。そうだね」
「お花見するのも、花火するのも、楽しみですよ」
「気が早いね。オレも楽しみ」
じゃあ、行こうか、と言った赤司が、繋いだ黒子の手ごとコートのポケットに入れた。
ポケットにはカイロが入っていて温かかった。むしろ暑いくらいだ。手のひらが、じっとりと汗ばむ。
「…これじゃあ、転んだら赤司君も道連れになりますよ」
「はは、それも良いね」
くすくすと笑う赤司のゆっくりとした歩幅に、黒子も合わせて歩く。次会う時は、どうだろう。この道に桜が咲いているかもしれないし、下手したら葉桜になっているかもしれない。けれど赤司はやたらとしょっちゅう東京に来るから、もしかしたらまだ寒さが抜けきらないうちにまた会えるかもしれない。どちらにせよ、その頃には雪だるまもキスマークももうないけれど、それで良いのだ。また新しく思い出は作れば良い。
「寒いけど、寒いのも悪くないですね」
「そうだね。風邪ひかないように」
「赤司君も」
あたたかい日差しと溶け出す雪が、二人の道筋を淡く照らす。春はもうすぐ、やってくる。