僕らは天使の励まし方を知らない『愚者の言い分』
おお神よ、神様よ。世の中はなんと理不尽極まりないことか。腹を痛めて生んだ子を母親が殺し、家族のためにと働く父親が蔑ろにされ、平和を謳う者はその口で自らの敵の悪評を流すのだ。そして、生まれたままに真っ白なその心は悪意によって蝕まれていく。地球は青くて綺麗だって?ご冗談を!この世は騙し騙され嫉妬と欲望渦巻く人間様が支配する世界だぜ、それを綺麗なんて言う奴はよっぽどの嘘吐きかただの大馬鹿野郎だけだ。
だからこいつは馬鹿に、大馬鹿になったってのにそれでもあんたは許してくれないんだな。業ならもう背負っているだろう、道化を選んだばっかりにこいつは世間様から爪弾きにされた。それなのにこんな仕打ちはあんまりじゃないか?人生は困難の連続、どんな試練も乗り越えてみせよ?糞くらえだね、人生ラクして楽しく幸せにハッピーエンドを迎えるのがいいに決まってる。
けれどそれは叶わなかった。狂人だなんだという割に、こいつは、あの娘は、あまりにも優しくて純粋すぎた。馬鹿になりきれなかったあいつらへの罰なのか?それとも神様なりの優しさだって?天上人は随分ひねくれた考えをお持ちのようだ。まさか、俺にあんなヒントを与えたのは、俺がこいつらを救い出せると思ったから?飛んだ買い被りだね、俺はそこまで器用な人間じゃない。
ああ分かってる、こんなのただの八つ当たりだ。神様なんて信じちゃいないよ、どうしようもない苛立ちをぶつける都合の良い存在が欲しかったんだ。今回ほど『お兄ちゃん』をやめたいと思ったことはないよ。何を知ったところでなんにも出来ない、上手い言葉だって思い浮かばない。悲しみに打ちひしがれる愛しの弟に、何もしてやれないないのに兄だなんて笑わせる。称号ばかりが大きくて俺はなんてちっぽけなんだ。
でも、でもな、弟よ。それでも俺はお前の側にいてやることぐらいは出切るんだ。涙を流すお前の頭を撫でながら、よく頑張ったと言葉をかけてやることが出来るんだ。それを疎ましいと思うのなら構わない、俺がしたみたいに八つ当たりだってなんだって受け入れてやるよ。だって俺は神様じゃないけどお前のお兄ちゃんだから。
「十四松」
「……ん?何、おそ松兄さん」
無理して笑わなくていいんだよ。今は誰も見ていない、俺だって何も見ていないよ。だから今は大声で泣いていいんだ。悲しみを全て吐き出すように、周りの目なんて気にせずに。今この時だけは、世界の中心はお前なんだ。
なぁもしもいるなら神様とやら、願わくば馬鹿正直者にも救いの手を。
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『心は正直者なり』
「……ああカラ松、様子はどうだった?」
「心配ないさチョロ松、今頃は元気になっているはず」
「なんだよ、見に行ったんじゃないの?」
「いや、部屋までは入ってない。兄貴がいたから」
「おそ松兄さんが?」
「そう」
「それでなんで、お前は部屋に入らなかったの?」
「必要ないからな。あとは兄貴に任せればいい」
「なんだよそれ、おそ松兄さんに全部預けるってこと?」
「ああ、そうだ」
それは無責任すぎやしないか?
そうか?だって、兄貴は長男だろう?長男なら一番頼りになるんだから間違いないさ
そうかな。兄って所だけなら僕もお前も同じだろ
違うな。俺達には責任がない
責任?
誰かの面倒を見届ける義務や度量の話さ
義務って。そんな事務的な
長男なんだ、それぐらい兄貴だって理解してるんじゃないか。たまに酔いの席で逃げ出したいだなんて愚痴を零してるじゃないか。あれがいい例だ。兄貴自身が逃げられない責任を自覚してる
どうだか。昔から無責任の権化みたいな奴だし。じゃあ、今あいつの面倒を見てるのも義務感からだと?
いいや、そうは思わない。義務を押し付けてるのは俺達だから
は?僕達?
そうだ。お前だって本当は分かってるんだろう?困った時は兄貴に頼るのが一番だって。長男だからって
それは……
俺達がそうやって甘えるから兄貴は義務を果たすんだ。まぁ兄貴の中では義務なんて言葉じゃないだろうがな
……そうだな。確かに僕達はおそ松兄さんに甘えてる。今だって、兄さんならなんとかしてくれるだろうと思ってるよ
そうだろ?だからここは兄貴に任せるのがいいんだ
じゃあ、僕達に出来ることは?
何も無いな。俺達はあいつの兄貴だけど、一番近い兄でもましてや弟でもないし、全部を包み込める度量を持った長男でもない。義務を放棄した俺達は、同時に弟を救い出せる権利を手放したんだ
お前、時々手厳しいこと言うよね。まともと言うかなんというか。ずっとそうしてればいいのに
えっ…
あーあ、僕達ってなんにも出来ないんだなぁ
そうでもないさ。俺達は兄貴のサポートをしてやれる
…はは、なるほどね
「なぁカラ松、喉乾かないか?」
「……フッ、ちょうど今、乾いた身体が潤いを求めていたところだ」
「そういうのいいから。じゃあ温かいお茶でも用意しようか」
「ああ。湯呑みを用意しよう」
「「六人分、な」」
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『無い物ねだりの兄弟』
弟は思いました。ぼくが兄さんになれればと。そうすれば俯く頭を撫でながら、よく頑張ったねと大きな懐で包んであげられるのにと。しかしその願いは叶いません。何故なら弟は同じ歳であるにもかかわらず、生まれながらに弟なのです。頭を撫でられるのも大きな懐で包んでくれるのも、全ては彼から教わったことでした。ですが、弟はそれを彼に返すことは出来ないのです。弟は甘え方は知っているのに、甘やかす方法はちっとも知りませんでした。ただただ彼のために涙を流しました。弟である自分を悔みました。それでも彼を元気づけるために、弟は二つ上の兄の服の裾を握りながら歩きました。
兄は思いました。僕が弟だったら良かったのにと。そうすれば伏せてしまった顔を下から覗き、満面の笑顔でも向けながら元気を出してと声をかけることが出来るのにと。しかしその願いは叶いません。何故なら兄は同じ歳であるにもかかわらず、生まれながらに兄なのです。明るい笑顔の向け方も、落ち込む相手の励まし方も全ては彼から教わったことでした。ですが、兄はそれを彼に返すことは出来ないのです。兄は落ち込んだ時の対処方法は知っているのに、それを人に教える言葉を知りませんでした。ただただ彼のために心を痛めました。兄である自分を不甲斐なく思いました。それでも彼を元気づけるために、兄は二つ下の弟が引く服の裾の重みを感じながら歩きました。
弟は兄に訊ねます、「ぼくには何が出来るかな?」
兄は答えます、「知らないよ、俺だって思いつかないんだから」
二人は黙って歩きました。口には出さなくても目指す場所は分かっていました。ペタンペタンと、兄のサンダルが間抜けに鳴ります。ぐすんぐすんと、弟が鼻を啜りました。
その場所まで来ると全く同時に足が止まりました。甘い香りが鼻を擽り、二人の顔を上へと誘います。
兄は弟に尋ねます、「クリーム?餡子?」
弟は答えます、「一つだけクリーム」
ペタンペタン。ぐすんぐすっ。
家が近付くと弟は鼻を啜るのをやめました。いつものように口角を上げて、彼が可愛いと褒めてくれた笑顔を作ります。兄は普段の猫背を少しだけ伸ばしました。いつもよりも胸を張って、彼に兄さんと呼ばれても恥ずかしくないようにします。
目を合わせて、兄と弟は笑顔を向けました。彼を元気にするために、まずは二人で練習です。悪くないとお互い確認すると、玄関の引き戸へ手を伸ばしました。どうかこの甘味を彼が気に入ってくれますようにと願いを込めながら、二人はただいまと声を上げて扉を開けました。