何時でも、捨てられる筈だった※注意書き必読でお願いします
北の魔女は言う。
私たち北の魔法使いは強く、自由に、生きるためには、無くてはならないものを、持ってはいけない。
この世で最も孤独な魂。
それ故に、無敵なのだ。
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「誰だ」
真夜中に、カインは文字通り飛び起きた。
眠りの中で感じ取った悪意に引きずりだされ、掛け布団を盾の代わりに構える。寝台の上に小さくしゃがみ、右手には魔道具の剣を握っていた。
「って……オーエン。どうしたんだ、こんな夜中に?」
視界が暗順応しはじめると、そこにぼんやりとした白い影が浮かぶ。触れなくても姿が見えることから、それがオーエンだと、カインは直ぐに気づいた。
今宵の魔法舎は不気味なほど静かだった。
暑さを凌ぐため開けた窓から僅かに噴水の水音が聞こえる。カーテンは音もなく夜風に揺れていた。
「おまえを石にしにきた」
オーエンはどうでもいいように、サラリとそう言った。
白い軍帽に白いコート、それから白いスーツを身に付け、北の魔法使いオーエンを象徴する格好をして。
「は?」
そう発するか否、暗闇から白い腕が伸びる。それは迷いなくカインの首を掴んだ。息をする間もなく、成人男性1人分の体重がのしかかる。カインの身体は後ろに倒れ、ベットに沈んだ。
「ぁ……グッぅ……ッ!」
カインは抵抗しようと、上にのしかかるオーエンの顔を掌で押しのけた。だが、思いのほか、オーエンの力が強く、首を絞める力が緩まらない。痺れを切らしたカインは脚でオーエンの腹を蹴り飛ばし、その体を無理矢理引き剥がした。
「ゲホッ……ッやめろ!何を考えているんだ!?」
「ッ……うるさいな。言っただろ、おまえを石にするって。いいから、大人しく僕に殺されろ」
ベットから蹴飛ばされたオーエンは、ソファーのフレームを支えに立ち上がった。その目のつきは鋭く、獣のようにカインを睨みつけていた。
「お断りだ」
カインはオーエンの敵意を認めると、素早く背面から身体を取り押さえた。
「離せよ。死にたいの?」
「何があったかは知らないが、大人しく殺される気はない」
怒気が拘束を強める。
「イッ……!」
「知っているだろうけど、これでも元騎士団長なんだ。体術なら負けない」
そう言いながらも、カインは焦りを感じていた。体術なら負けないが、魔法ではまだ勝てない。オーエンにとってカインの拘束など、赤子が足に張り付いているようなものだった。
「……取り敢えず、話をしないか?」
カインはあっさりと拘束を解いた。武力や魔力で解決できる相手ではない。それ以外の方法で、突然の襲来を対応するしかなかった。
「話すことなんてない」
労わるように背中を撫でるカインの手を叩き落とす。その声色は冷たかった。
「そんなこと言うなよ。喉が焼けるくらい甘いホットミルクでも飲んで、お互い少し落ち着こうぜ。今のおまえ、ちょっと変だぞ」
「ははっ、僕が変?そんなの前からでしょ。騎士様を見つけてから……ずっと……」
カインは、まるで自分と出会ったから可笑しくなった、とでも言いたげな言葉に眉をひそめた。
(そんなこと言うけど、俺と出会う前のおまえだって、良い噂は聞かないぞ)
カインはそう言ってやりたかったが、話がややこしくなると思い、この場は飲んこんだ。
「……俺が言いたいのはそういう変じゃなくて。どうして初めから魔法を使わないんだ。アンタはレノックスでもないのに」
「は?僕じゃ、魔法を使わないと、おまえを殺せないって言いたいわけ?」
「いや、そうじゃなくて。本気で殺すつもりがないのに、どうして石にするなんて言うん……」
カインは最後まで言いきれなかった。
鋭い氷柱が顔面の横を通り抜ける。それらは酷い音を立て、壁に突き刺さった。
目の前には、憎悪が滲む目で睨む男がいた。魔法を放った指先から冷たい冷気が漂う。しかし、ほんの一瞬、瞳が揺れたか。だが、それは直ぐに鋭さを取り戻した。
「ッ……!」
カインは早急に箒で窓から外へ飛び出した。魔法舎の建物に被害が及ばないよう夜を高く高く飛ぶ。月明かりが眩しいと感じた矢先に「クアーレ・モリト」と後方からおぞましい低い声が聞こえた。
北の冬を思わせる激しい吹雪が吹き付ける。カインは咄嗟に防御魔法を展開したが、それはいとも簡単に破らた。瞬間、冷たさの先にある激しい痛みに襲われる。北の魔法使いの中でも、トップクラスの実力を、カインは身をもって知ることになった。
「あ……」
それは何処の声だったか。
吹雪でバランスを崩したカインの身体が傾く。
カインは箒から転落すると、自然の摂理に従い、真逆さまに落ちた。このまま地面に直撃すれば、魔法使いでも助からないと容易に判断できる高さだった。
転落の中、
カインはこれ迄ずっと、思っていたよりもずっと、オーエンに手加減されていたことに気づき、悔しくてたまらなかった。下腹部に力をグッとこめる。
「グラディアス・プロセーラ!!」
腹の底から声が出た。
瞬間、カインの心に答えるよう魔法が展開される。勢いよく上がった上昇気流は、落下をくい止め、カインの身体はバランスよく宙に浮いた。不思議な感覚だった。頭で描いていた通り、風が否、精霊が答えてくれる。カインは呆然としていた。だから、目の前の存在に直ぐさま気づくとが出来なかった。
目の前には、驚いた猫のような顔をしたオーエンが箒で浮かんでいた。落ちたカインを受け止めに来たことは明白だった。
カインは幅跳びをする時のように助走をつけると、勢いよくオーエンへ飛びついた。
「は!?」
成人男性1人分の重みで箒が激しく揺れる。
「ちょっ、重い!!」
オーエンがカインを落とさないよう、咄嗟に魔法でバランスをとる。そのかいあり、二人は落下を免れた。
「……すまなかった。本気じゃない、なんて言って。本気だから、あんな顔したんだよな」
カインの体は先程の吹雪で冷たくなっていた。オーエンはあんな顔がどの顔を指しているのか分からなかった。それよりも、腕の中の凍えるような冷たさが気になっていた。
「…………僕に殺される気になった?」
「それは無理だ。まだ石になりたくない。目玉も取り返せてないしな」
オーエンの問いかけに、カインはキッパリと否定した。
「だから、考えよう。どうしたら、おまえは俺を殺さないですむか。二人で駄目だったら、賢者様も呼ぼう。それでも駄目だったら、皆で考えよう。きっと、上手くいくさ」
カインはそう言うと、彼らしい顔で微笑んだ。
その若く健康的な首には、指の跡が少しも残っていなかった。
「……上手くいくわけないだろ」
オーエンはその姿に苛立ちと安堵感を覚えた。そんな自分がどうしようもなく嫌だった。今すぐ、突き飛ばして噴水の中にでも沈めてやろうかと考える。しかし、頭の片隅では沈めるのは浴槽の方だ、と言っている。
「どうして?」
「……」
オーエンはなんて答えればいいのか分からなかった。何をするにもカインの姿がチラつき、悪意が上手く取り込めない、と正直に言う気は無かった。
北の魔法使いは最も孤独でなくてはならない。
1000年以上、強さだけを求めてきた。
しかし、あの日、オーエンは出会ってしまった。カインを見つけてしまった。
何時でも、捨てられる筈だった。