おやすみ、オーエン。いい夢を。真夜中にオーエンは飛び起きた。
額から汗が垂れる。
頭の中では鼓動が鳴り響き、その生を収束へ向かわせるかの如く、激しく、短く刻まれていた。オーエンは胸の中心あたりに大きく皺をつくると、腰を折り、布団へ顔を埋めた。体の震えと煩い心拍が、オーエンを追い詰める。彼の体には、心臓がないはずだった。しかし、どういう理屈なのか、隠してあるはずの心臓の音が頭の中で煩く響いていた。
「………く、ぅ」
オーエンは呻き出た声を無理矢理飲み込んだ。例え耳にする者がいなくとも、プライドが許さない。悪夢に悩まされる夜は何度も経験していた。只、冷や汗が止まらないほど悪質な夢路は、オーエンにとって久方ぶりだった。
オーエンは何時もの様に人間の恐怖や悪意へ思いを馳せようとした。純粋で真直ぐなそれらは、薄暗い安寧をもたらしてくれる。だが、今はその誘導に集中できずにいた。
目を閉じると、恐怖や悪意で歪んだ人間の顔ではなく、夢で見た赤髪の男が浮かびあがった。
赤髪の男が振り返るモーションが何度も何度も再生される。振り返った男の表情は分からず、浮いた前髪の隙間から覗く瞳だけが鮮明に色づいていた。本来なら、その瞳は鮮やかな赤色をしている筈だった。しかし、どういうことか、その瞳はオーエンの知らない色をしていた。赤髪の男はオーエンを見ると「やっと出ていったか」と唇を動かした。次の瞬間、赤い髪の男が背景と一体化する。そして目の前に、見慣れた石が転がり落ちた。
◆◆◆
バシンッと乾いた音が部屋に鳴り響く。
「……ッ! 」
カインはその衝撃に、文字通り叩き起された。頬がジンジンと痛む。その事から殴られたことを悟った。
「ッ……なんだ!? 」
カインはベットから身を起こそうとした。だが、立ち上がる前に、何者かによって前髪を掴まれた。
「オ、オーエン!? こんな真夜中にどうした!? 」
目の前には寝巻き姿のオーエンが立っていた。
「目を見せろ」
彼はカインの問いかけに答えず、そう一言命令した。
「は?え、目?」
「いいから見せろよ、殺されたいの?」
オーエンは有無を言わせない口調で迫った。そして、呪文を唱えると掌に光玉を生み出した。暗闇の中に、刺々しい光が突如現れる。その明暗差にカインは反射的に瞼をキツく閉じた。
「うわっ、眩しい! こんなんで目を開けられるか! 」
「何言ってるの? 早く目を開けろ」
「それはこっちのセリフだ! せめて輝度を落とせ! 」
「……もういい、僕がやる」
押し問答に苛立ったオーエンがカインの前髪を再び強く引く。そしてあろうことか、瞼の隙間に爪先を差し込んだ。
「っ…! 」
オーエンは上がった悲鳴に気にもとめず、小刻みに震える瞼を無理矢理持ち上げた。
「……僕の目だ」
オーエンは瞳の色を確認すると、手をあっさり離した。浮かんだ光は役目を終えたように消えていった。
「オーエン! 目玉が傷ついたらどうするんだ!? おまえの物だぞ!? 」
「……」
オーエンはカインの怒りに、何も答えなかった。只、奇妙な顔で空虚を見つめていた。
「おい、どうした?」
激しい明暗差により、カインの視界は白い点滅が邪魔をしていた。オーエンの異常に気づけないカインは、沈黙を不気味に感じた。
「ッ……なに、なんか言った? 」
その声に、オーエンが弾かれたように顔を上げる。カインの目が闇夜に慣れた頃には、何時もの不機嫌そうな顔に戻っていた。
「……いや、もういい」
カインは少し思案すると言葉を取り下げた。
出鼻をくじかれ、今さら新たな火種を撒く気になれなかった。 気持ちよく寝ていた所を叩き起されたせいで、寝不足な目がトロンと垂れる。こんな状況下にも関わらず、カインは欠伸を噛み締めた。
「……欠伸だなんて随分と余裕だね」
「ふわぁぁ、今何時だ?……3時!まだ、寝れるじゃないか」
カインは置時計を確認すると、改めてオーエンへ向き合った。
「というか、こんな真夜中にどうしたんだ。叩き起してまで、俺の目を確認したかったのか?」
「べつに」
「べつに、ってことはないだろ。話くらいは聞くぞ」
「騎士様に話すことなんてない」
オーエンはそう答えると、心を閉ざすように目を逸らした。
「……何か嫌なことでもあったのか?」
カインは努めて穏やかな声で問いかけた。
「そんなわけない」
オーエンはそれに対して、素気なく突っぱねた。
「……分かったよ。もう用がないなら”出ていってくれ”。俺は寝るよ」
「ッ嫌だ。”出ていく”もんか。邪魔してやる」
無いはずの心臓の脈拍が早くなる。
”出ていってくれ”
オーエンの夢と現実が部分的に重なる。オーエンは焦りを自覚していた。
「はぁ、勘弁してくれよ。朝から任務があるんだ」
「知らない。任務なんてどうでもいい」
「どうでもよくない。あ、そうだ!じゃあ、こうしよう━━」
カインが一度言葉を区切る。
「一緒に寝るか!」
「馬鹿なの!?」
その突拍子もない提案に、オーエンは思わず声をあげた。
「まぁ、待て。話を聞いてくれ。俺は寝たいし、お前は邪魔をしたい。この二つの意見を取り入れた結論だ」
「は?それでどうして、僕が騎士様と一緒に寝ることになるの?」
「じゃあ、聞くけど、オーエンは成人男性2人がシングルベッドで一緒に寝ると、どうなると思う?」
「……」
オーエンは成人男性2人が同じベットに入ることを想像した。しかし、そのような境遇に陥ったことがある筈も無く、口を不機嫌に曲げ、答えることしか出来なかった。
「あのな、物凄く邪魔だ」
「ねぇ、もしかして僕のこと馬鹿にしてる?」
「してない。考えてみろよ。常に相手の体の一部が触れ合っていて、満足に寝返りも打てない。最悪、イビキや寝相で何度も起こされるとくる。な、邪魔だろ?」
「たしかに……邪魔かも」
オーエンは、そんな状況最悪だ、とすら思った。成人男性2人がシングルベッドに寝ることは、オーエンの中で”嫌がらせ”として認定されようとしていた。
「な?おまえも納得したことだし、寝るか!」
カインは布団を捲り、成人男性を招き入れるため、体を横にズラした。
「俺は成る可く壁の方に詰めるから、オーエンは好きにベットを使ってくれ!」
「僕が好きなように邪魔するんだから指図しないで」
オーエンはそう言って同じベットに入ると、確かに狭いし寝にくそうだと思った。2人並んで寝転ぶと、カインの温度を間近に感じ、右半身に鳥肌が立った。これは嫌がらせ、と言い聞かせても治まりそうにない。オーエンは借りてきた猫のように体を縮こませた。
「おやすみ、オーエン」
そんなオーエンに気づくことなく、カインは眠る前の挨拶をした。
「いい夢を……」
カインは目を閉じた。そしてものの数十秒後に、静かに眠りに落ちた。
「……」
オーエンは寝息をたてるカインを目の向きだけで見た。距離のせいか、眠っているカインの方が”生きている”と感じた。
「ねぇ……」
オーエンがそう声をかけても返ってくることはなかった。安心すると同時に、心臓がフワッと浮くような心地になる。オーエンは本来の目的も忘れて、起こさないように、静かに寝返りを打った。
「……カイン」
カインの横顔を見る。
あどけない顔をしていた。
「……勝手に石になるなよ」
オーエンはそう声をかけながら、無意識に殴った方の頬に触れた。
その瞬間。
「……!!」
カインの腕がオーエンの顔に当たる。
カインは寝苦しそうに唸ると、寝返りを打った。
「ッ〜〜この……!」
オーエンは殴られたことに足が出そうになった。しかし、寝ながらもカインの自己防衛本能が働いたことに、少しだけ愉快な気持ちになっていた。
成人男性2人がシングルベッド寝る夜は始まったばかり。おやすみ。いい夢を。