白い部屋目覚めの時。
カインは布団の肌触りに、違和感を覚えていた。
何時とも違う滑らかさに、息を潜める。カインは自然な呼吸を意識しながら、指先でベットマットの弾力を確かめた。同じく高級である。それでもカインは警戒心を緩ませることなく、観察を続けた。
花の香り 秒針の音 底冷えするような寒さ
目を閉じたまま慎重に情報を集める。しかし、暗闇で感じた覚えある気配に、緊張の糸が緩んだ。
「オーエン」
因縁ある魔法使いの名前を呼ぶ。
「……寝たフリなんて嫌な奴」
呼ばれた魔法使い、オーエンはベットから離れた場所で鞄に腰掛けていた。組んだ脚の上で頬杖をつき、驚いた猫のような顔をする。だけどそれは一瞬のことで、直ぐに目を細めてしまった。
「悪かったよ。気づいたら知らない場所に居たから、警戒してしまってな」
カインはベットから起き上がると、周囲をグルリと見渡した。
その場所は10平方メートルほどの広さの白い部屋だった。中心にクイーンサイズのベットが置いてあり、その隣にサイドテーブルが付いている。家具はそれしか見当たらず、殺風景な部屋だった。
「見覚えがない部屋だな。ここは何処なんだ?」
カインはすっかり拍子抜けしていた。
体の異変も、嫌な気配も感じない。そして何より、北の魔法使いオーエンがいる。持ち前のポジティブさも相乗され、どんな状況であれ何とかなりそうな気がしていた。
「知らない」
しかし、その声色を聞いて、全身に緊張が走った。
カインにはオーエンが本当に困っているように聞こえたからだ。
「……アーサー様と賢者様は無事なのか?」
「僕が知るわけないだろ」
そう答えたオーエンの目玉がギョロリと印象的に動く。色違いの双眼は、不機嫌そうに何かをジッと睨みつけていた。
「そこに何かあるのか?」
カインはその動きが妙に気になって、視線を追いかけた。しかし、カインには何の変哲もない扉があることしか分からなかった。
「チッ……騎士様は此処で大人しくしてて」
オーエンは舌打ちをすると、立ち上がり、鞄を掴んだ。
「待て、何処に行くんだ?」
「どこだっていいだろ。いいから、騎士様は付いてこないで」
「断る。主君の無事も分からないのに、大人しくしていられるか」
「うるさい!どうせ探したって、お前のご主人様も他の魔法使いたちも見つからないよ!」
オーエンは吐き捨てるように答えた。その態度から、何かに苛立ち、焦っていることは明白だった。
「待ってくれ!見つからないって、どういうことだ?俺に出来ることがあれば、何でも言ってくれ。二人で協力すれば、どんな問題でも解決できるはずだ」
「は?馬鹿じゃないの!?」
オーエンは信じられない物を見るような目でカインを見た。
「ふざけないで!僕たちは閉じ込められたんだ!おまえだって、”アレ”を見れば……」
不意に不自然な間ができる。
「”アレ”って何のことだ?」
「……!」
オーエンは驚いた顔の後、塞ぎ込むように下を向いた。前髪と帽子の鍔がその表情を隠す。その姿は教室で注目を浴びる内向的な男児を想像させた。
「……チッ」
沈黙の後、オーエンの舌打ちが響く。
顔を上げたオーエンは、被害者的な目でカインを睨んでいた。
「扉に近づくな。近づいたら殺す」
オーエンはそれだけ言うと、背中を向け、引き止める隙もなく消えた。
「……イヤだ」
カインは消えた背中にそう答えた。当然だが、舌打ちすら返ってこない。
「はぁ……」
カインはオーエンを理解するには、まだまだ時間がかかりそうだと思った。
(オーエンは俺と協力する気は少しもないのだろうか。
そういえば何時もと怒り方と違った。怒鳴る前に、低い声で嫌味を言うような奴だ。恐らくオーエンも脱出方法が分からなくて、この状況に焦りを感じているんだろう。 だけど、アイツは何かを知っている様子だった。オーエンが言う”アレ”とは何だ?)
カインは考えれば考えるほど、ドツボにハマるような気がしてきた。
「良しッ!」
カインはこのまま思考を停滞させても仕方がない、と目を閉じて、気持ちを切り替えた。大人しくオーエンの帰りを待つには、彼は勇敢すぎた。
脱出する方法を見つけなければ、主君の元へ帰ることも出来ない。カインは何よりもアーサーが心配だった。
先ず、カインはメッセージを残す方法を考えた。
騎士団時代の経験から、報告・連絡・相談の重要性を理解していたからだ。
何か書くものを呼び出せないか、試しに呪文を唱えてみる。
しかし、自室にあるペンを呼び出すことは出来なかった。外部とのやり取りは、カインの魔力では出来ないらしい。仕方がなく、ダメ元でサイドテーブルの引き出しを開ける。すると、丁度いいものが入っていた。
「ははっ、運がいいな」
カインは見つけたペンとメモ帳を手に取ると、早速、文字を描き始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――
オーエンへ
※読む前に燃やさないこと
少し辺りを探索してくる。
お前がこの部屋を出てから、1時間後には戻る予定だ。
俺は騎士としての役目を果たしたい。此処から脱出して、アーサーを守るのが俺の務めだ。
お前の調査が上手くいくことを願って!
カインより
――――――――――――――――――――――――――――――
「これで良しっと」
カインはメモを切り離すと、サイドテーブルの上に置いた。これで問題はないだろう、と満足気な笑みを浮かべる。もしこの場にオーエンが居たら「良いわけないだろ!?」と怒声が響いていたことだろう。
カインは覚悟を決めると、ドアノブに手を伸ばした。脳裏にオーエンの言葉が浮かぶ。
”扉に近づくな。近づいたら殺す”
それでもカインはこの先に進むことを決めた。
「え?」
しかし、カインの覚悟と裏腹に、ノブを掴む筈の手はすり抜けた。
「うわっ!」
そして、思考する隙も与えない強い力で、扉のその先へ引きずり込まれた。
―――――――――――――――――――――――
「ッ何だ!?」
カインは見事な受身を取ると素早く剣を構えた。
どうやら扉に吸い込まれ、何処かへ投げ出されたらしい。
カインは受身を取れたが、一般人なら怪我を負っていたかもしれない。それほどの強い力だった。
投げ出された空間は、先程の部屋と同じく白を基調とした部屋だった。しかし、この部屋にはベット等の家具は置いてあらず、変わりにあるモノが中心に描かれていた。
「これは……魔法陣」
赤黒い血のようなもので描かれた其れは、クイーンサイズのベットと同じくらいの大きさをしていた。
「”アレ”って、魔法陣のことだったのか」
カインは直感的にそう確信していた。
一重に魔法陣と言っても、その効果は様々だ。ここにある魔法陣は、何重もの円が描かれている。カインはその特徴から、効果は封印だと判断した。その答えはオーエンが閉じ込められた、と言ったことからも間違いないだろう。
そして、もう一つこの魔法陣には特徴があった。大きな円の中に二つの円が描かれている。このタイプの魔法陣は決められた条件を達成しない限り、効果が無効にならない。その肝心の条件を、カインは魔法陣から読み解くことが出来なかった。
しかし、情報はまだある。
サイドテーブルが置かれた位置に、媒介らしき物が転がっていた。魔法陣に用いる媒介は、術と深く密接している。カインは媒介から効果を無効にする条件を推理しようとした。
「……赤子の人形だよな」
カインは床に置かれた媒介らしき物を手に取ると、呆然と呟いた。というのも唯の人形にしか見えなかったからだ。媒介として使われる道具は、必ず何らかしらの魔力が込められている。魔法陣の近くに唯の人形が置いてあるのは、不自然だった。
「アンタはどうして此処にいるんだ?」
カインは困った顔で、赤子の目を見た。
その瞳は本物の目玉のようにツヤツヤと輝いており、黄色いガラスが使用されていた。その出来から、一流の職人が手がけたことは間違いだろう。カインは名のある職人なら、作品にサインを残してある筈だと思い、服を脱がし始めた。
「……ん?」
それは三個目のボタンを外した時だった。
カインは不可思議な物を見つける。
赤子の腹に、細い紐が蝶々結びされていたのだ。
それもよく見ると、二つの輪っかの色が異なっている。その赤茶色と灰銀色は、見覚えある配色だった。
「ッ……!」
カインは背筋が震えるのを感じた。
二色の細い紐。
否、二本の髪の毛。
媒介に使われたのは、赤子の人形では無い。二人の魔法使いの髪の毛だ。
「そんなに死にたいの?」
カインが呆然としていると、突然、背後から聞き覚えがある声が聞こえた。
「オーエン!」
振り返ると、そこには恨みがましい顔をしたオーエンが立っていた。
「ッ馬鹿なの!?」
オーエンはカインの手元をみるなり、目を見開き、人形を叩き落した。
「ぁ…………」
人形は鈍い音を立てながら床に転がった。
カインはその光景に少なからずショックを受けていた。あの赤子が何を模したのか分からないほど、カインは鈍くなかった。
「媒介に使われた道具をホイホイ触るなんて、騎士様はよっぽど死にたいらしいね。もしかして、あのまま媒介に取り込まれて、ぐちゃぐちゃに可笑しくなるのがお望みだった?」
オーエンは厳しい言葉でカインの行動を非難した。若い魔法使いが媒介に触れると、取り込まれる可能性がある。そのことをカインが知らない筈がなかった。だからこそ、オーエンはタチが悪いと感じていた。
「……す、すまない」
カインは罰が悪そうに謝罪した。危険なことは、自分でも重々分かっていたからだ。
「なぁ……あの人形に結び付けられている髪の毛。あれって、俺とお前の髪だよな?」
それから歯切れが悪い声で、人形に結ばれた髪について尋ねた。
「チッ……ムカつく。僕の髪の毛を盗むなんて。泣いて、懇願したって、許してやるもんか」
オーエンはそう答えると、魔法陣の縁に置いてある呪石を蹴った。石は壁に当たると、派手な音を立て砕けた。でも、そんな事では魔法陣の効果が消えないことを二人とも分かっていた。
「魔法陣を無効にする条件を分かっているんだろ。教えてくれ。お願いだ」
カインは切実にそう願い出た。
今ならあの時どうしてオーエンが怒ったのか、想像出来る気がしていた。カインはもうあの時とは違う。何も知らない自分では無くなったのだ。
「嫌だよ。だいたい騎士様だって、”アレ”を見れば想像つくでしょ……だから、扉に近づくなって言ったのに」
「そう言われて、俺が大人しくお前の帰りを待つと思うか?」
「うるさい。僕より弱いんだから、言うこと聞けよ」
「お前がちゃんと俺に説明してくれたら、聞いていたかもな」
「なに?僕が悪いって言うの」
「違う。お互い様ってことさ」
オーエンの唸るような声に、カインは可笑しそうに答えた。今のやり取りが、普通の友人みたいだと少し思ったのだ。
「なぁ、オーエン。提案があるんだが、ここからはお互いに少し妥協しようじゃないか。お前だって、俺とこんな所に閉じ込められるのは御免だろ?少し状況をかえないか?」
カインは一か八かの掛けで、もう一度オーエンに協力を申し出た。
「…………」
オーエンはその提案を受け、ポカンとした顔でカインを見ていた。
オーエンが何も言わないから、カインも黙って見守った。二人の間に沈黙が生まれる。
「……で、なに?」
先に沈黙を破ったのはオーエンの方だった。腕を組み、訝しげな顔でカインを見る。まるで、早くしろ、とでもいうように。
「え?」
「妥協するんでしょ。騎士様が言ったんだろ」
カインはその言葉を聞いて初めて、上手くいったことを理解した。
「ああ、そうだな……!じゃあ、先ずは答え合わせをしてもいいか?」
カインの問いかけに、オーエンは「フン」と鼻だけ鳴らした。それから、ブスっとした顔でトランクを呼び出し、その上に脚を組んで腰掛けた。
「魔法陣を無効にする条件は”子供を授かる”または”性行為をする”こと。これであってるか?」
カインは都合よくウンと捉えることにし、緊張した面持ちで、答え合わせをした。