金色のブローチ※注意 原作より数十年先の話
※注意 オリジナル賢者(元中間管理職おじさん)視点です
それはちょうど自室へ帰ろうとした時
「賢者様〜!」
後方から、私を呼ぶ声が聞こえた。
「はい、どうかしましたか」
私は転ばないように、足元を確認しながら振り返った。
しかし、長い廊下の先には誰の姿も見えない。はたと首を傾げていると、突然、目の前の窓から腕が生える。そこからクロエさんがヌッと顔を出し、満面の笑みで私に手を振った。
「あぁ……こんにちは」
私は会釈で挨拶を返した。恐らくクロエさんは箒のブレーキが間に合わず、私を追い越し戻ってきたのだろう。
「良かった〜。俺、賢者様のこと探していたんだ。今までどこに居たの?もしかして、もう何処かに出かけちゃったりする?」
目を引くヴァイオレットの瞳が子供のように輝いている。
彼はどこからどう見ても好青年だが、実年齢は青年と言い難い。魔法使いは魔力が成熟すると肉体の成長も止まるらしい。私はその特性が少し羨ましかった。
(……肉体が若いから、活気も溢れてくるのだろう)
ふと浮かんだ考えに、私は項垂れるよう首を振った。
やめよう、やめよう。現に同じ野球部に所属していた半田は、私と同じように歳を重ねても気力に満ちていた。あれをしたい、これをしたい、こうすればもっと楽ができる。そうやって、何時も忙しなく動いている奴だった。
「いいえ、次の任務先である中央の村について、カインさんに尋ねていました。下調べも粗方終りましたし、ちょうど気分転換をしたいと思っていたところです」
「そうなんだ!俺もね、今から任務の準備をしようと思っていたんだ。衣装の材料を西の国の市場まで買いに行きたくて」
「そうでしたか。何時も素敵な衣装をありがとうございます」
「えへへ。こちらこそいつもありがとね、賢者様。それでね……もし、賢者様がよかったら、春風とバイオリンが奏でる、特別な衣装にピッタリな、治りかけの傷口みたいなやつを沢山食べる会に参加しない?これから西の国の市場に、ラスティカとオーエンと出かける予定なんだけど……」
クロエさんはそう言うと、期待が見えかくれする目で私を見た。
「ほぅ……春風とバイオリンが奏でる……特別な衣装にピッタリな……治りかけの傷口みたいなやつを沢山食べる会……ですか」
私は言葉を間違えないよう丁寧に復唱した。
なるほど。砕いて言うと「音楽と買い物と食べ歩きを楽しむ会」なのだ。冒頭はラスティカさん、中盤はクロエさん、末尾はオーエンさんが命名したのだろう。一体どのような経緯あり、この顔ぶれで出かけることになったのか、私には想像すらつかない。しかし、この三名が市場を闊歩する姿は……あぁ、どうも心が落ち着かない。私の手腕では力不足かもしれないが、やれるだけの事はしよう。そう思い、私はこう返事した。
「ええ、是非ご一緒させて下さい」
———♢———♢———♢———♢———♢———
西の国の市場は非常に賑わっていた。
食べ物やアクセサリー類がコチラにもアチラにも。四方八方から様々な楽器が鳴り響き、そこに気まぐれなラスティカさんの演奏が加わる。まるで、演劇の舞台上にでも放り込まれたような気分だ。
優雅な微笑を浮かべるラスティカさんの隣には、クロエさんが付いている。私はその姿を見て、ラスティカさんが突然の散歩に出かけても大丈夫だろうと思った。
そうなると、私はオーエンさんだ。
人の波を掻い潜りながら 彼を盗み見る。
オーエンさんは既に沢山の食べ物を手にし、忙しなくそれらを咀嚼していた。
『オーエンを大人しくさせたいなら、甘いもの途切れさせないことが重要だな。アイツ、口がいっぱいになると喋れないから』
私はカインさんの言葉を胸に留めていた。
オーエンさんとの接し方に悩んでいた時、彼はそうアドバイスをしてくれた。
オーエンさんとカインさんの関係は複雑だ。
初めて二人のやり取りを耳にした時、いいライバル関係なのだと思った。しかし、私は直ぐにその認識を考え直すことになった。
二人の目玉が互い違いな理由。
カインさんのお腹に残る大きな傷の原因。
そして、時折感じる。二人だけの独特な空気。
つまるところ、私は二人を説明するとき、複雑という曖昧な表現を使うことしか出来なかった。
「……食べますか?」
私はカインさんのアドバイスに従い、オーエンさんにキャンディアップルを差し出した。
「ひゃべる」
オーエンさんはそう言うと、ガブリ、と勢いよく林檎にかぶりついた。
「…………!」
噛み付かれた……!
私がギョッとしている間に、キャンディアップルは手元から消えていた。ガリガリグシャグシャといった少しグロテクスな音。オーエンさんはキャンディアップルを食べていた。
(カ、カインさん……!)
機嫌が良さそうなオーエンさんの顔に、私は内心ガッツポーズを取った。そして、心の中の彼に、最後までこの役割を全うすることを誓った。
こうして暫くの間、私とオーエンさんの甘味ルーティーンは問題なくなく機能していた。だが、どんな物事にもトラブルは付き物だ。それまで機嫌良さそうにしていたオーエンさんが、突然「いらない」とソッポを向きはじめる。
『いらない、とか言い出したら、自分が食べる振りをすればいい。負けず嫌いで食い意地が張ってるから、絶対に取り返してくる』
だが、それはカインさんの想定内の出来事だった。
私はまたもや彼のアドバイスに従い、一芝居打つことにした。
「……そうですか、残念です。では、私が頂きますね」
私は緊張した手つきで、差し出した甘味を食べる素振りをした。
「は?僕のものだけど?」
すると目にとまらぬ早さで、オーエンさんは私から甘味を奪いとった。
(カインさん……!!)
私は心から彼に感謝申し上げた。
それからも、私たちは比較的平穏に市場を楽しんだ。
(オーエンさんが市場の店主に脅迫紛いな言葉を言ったり、ラスティカさんがステージ上で演奏したり、そこにクロエさんの手品のような手芸作りが開催されたり)
色々あったが、大きな問題は起きなかった。
市場の終わりが見えてきた頃、オーエンさんが突然フラリとある店へ立ち寄った。
私は慌ててあとを追いかけた。
その出店は周辺の店と比べ数倍大きく、かなり丈夫な作りをしていた。店を覆う屋根も、通路に飛び出しそうなくらい伸びていた。
店内には煌びやかなアクセサリー類が何点も並んでいた。
クロエさんが喜びそうなお店だ。
そう思っていたら、私たちの後ろを歩いていた彼も、この店が気になったようで、ラスティカさんと一緒に商品を見ていた。私はそれを確認してから、オーエンさんの隣へ向かった。
オーエンさんはある一点をジッと見ていた。どうやら、気になる商品を見つけたようだ。私も同じ場所へ目線を落とす。
そのとき私は、あっ、と思った。
黄色の宝石がはめられたブローチ
────カインさんだ。
私は彼の瞳にそれとなく雰囲気が似ていると思った。
チラリとオーエンさんを盗み見る。
彼は読み取れない表情で、ただブローチを見ていた。
オーエンさんも”同じこと”を考えているのだろうか……。
そう思うと、私は妙な緊張で体が固くなった。期待と恐怖が織り交ざった不可思議な感覚。私はコレに馴染みがある。それなのに、これが何なのか随分と昔に忘れてしまったようだった。
「なに?」
オーエンさんの鋭い瞳と目が合う。
どうやら私は無配慮に、オーエンさんのことを見すぎていたようだ。背筋に冷や汗が伝わるのが分かった。
「いえ、綺麗なブローチを見ていらっしゃると思いまして………。不思議ですね。大きな宝石が使われていますが、煌びやかさよりも、暖かさを感じます。見る人に寄り添うような。そんな……」
「賢者様はそう思うの?」
「……はい」
「フーン」
それは平坦な声だった。
否定とも肯定ともとれない返答に、不安を掻き立てられる。私は我慢ならず、つい顔を上げてしまった。
「ねぇ、賢者様」
引き上がった唇から楽しげな声が。
私の視界を制するのは、意地の悪い笑みを浮かべた魔法使いだった。
(あぁ、しまった)
そう思ったのも束の間。
「じゃあ、僕が全部台無しにしてあげる!」
オーエンさんはよく通る声でそう言うと、ショーの開演を知らせるかのように右手をあげた。
「あぁ……!」
間抜けな声が、私から出る。魔法の力で浮いたブローチは空に高く、高く飛んだ。私は重い足を慌てて動かし、後ろに後ろに下がった。空を見上げれば、眩しい太陽が視界を奪う。
「あぁ……あぁ……」
必死だった。光で見失ったブローチを探すため太陽から目を逸らす。私は頭上に両手で日陰を作り、もう一度空を見上げた。
その瞬間、脳裏に球児だった頃の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
『よく漫画にあるじゃろ。ホームラン飛ばしたら、校舎の時計に当たって壊れるやつ。あれやらんか?』
それを言い出したのは、あのお調子者の半田ではなく私だった。
《カチャ》
頭上でブローチをキャッチした感触。
「……あぁ」
心臓発作かと疑うくらい脈が大きく打った。
結局、私たちは校舎の時計を壊すことができなかった。それでも───
良かった。
取ることが出来た。
そう一息つく前に、
突然、歓声があがった。
「…………」
呆然とした。
私に送られているであろう。拍手と言葉と音楽。
小さな子供が手を叩いている。「ナイスキャッチ」と知らない人の声。そして祝福するようなバイオリンの音色。私はそんな数々の音の中から「アハハ」と子供みたいな笑い声が聞こえた気がした。
思わず、手の中のブローチをみる。
太陽に照らされたソレは、明明と輝いていた。
それは先程店内で見かけた印象と少し違うように思えた。
歓声もまばらになった頃、店主が私の方へ駆け寄って来た。話を聞くと、お礼にこのブローチを負けてくれるらしい。
私は正直困った。
今ここで、このブローチを手放すのは惜しいと思う。
だが、服装に無頓着な私が持っていても猫に小判だ。かといって、誰かにプレゼントするにしても値段が値段だ。その他の魔法使い20人にも、同じだけの物をプレゼントするお金は持っていなかった。
そう逡巡していると、後方から私を呼ぶ声が聞こえた。
「ねぇ、賢者様」
クロエさんだ。
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任務の日、私たちはクロエさんの衣装を身にまとい中央の村へ向かった。
あの後、優柔不断な私を見かねたクロエさんが、ブローチを買い取ってくれた。
作りたい衣装にピッタリだ、と喜んでいたが、気を使わせてしまったのだろう。彼は「賢者様にも何時でも貸せれるよ!」と言っていた。
クロエさんとは、それ以上あのブローチについて話していない。それでも彼はちゃんと見ていて、分かっていたのだろう。
カインさんの胸元には、あの金色のブローチが輝いていた。
よくお似合になっている。努力家でハンサムで存在感のある彼に、とてもよく似合っている。
私はこのブローチを見つけた”彼”にも見てほしかった。
何と言えば、彼を誘い出せるだろうかと思案する。
その時の私の顔は、きっと、少し意地悪な顔をしていただろう。