【燃晩】忠犬、ことはじめ ――墨燃が住まうアパートの近辺には「玉衡長老」と地域住民に呼ばれている、有名な猫がいる。その猫は真っ白でしなやかな体躯に美しい琥珀色の瞳を持ち、綺麗な見目にそぐわない凶暴な性格をしているらしい。しかしながら、親猫とはぐれた子猫を見つけてきては保護猫団体の事務所前に届けたり、人間の依頼を聞いては迷い猫に帰宅を促したりと、性格に反してまるで「慈善活動家」のような猫であると評判だった。
忠犬、ことはじめ
六畳のワンルームに真っ白な同居人を迎えたのは、十日前のことだ。
「師尊! もう、ちゃんと薬は飲まないと……」
師尊と呼ばれた真っ白な猫は、ふん、と言うように窓際でそっぽを向いた。鼻先はツンと上を向き、真っ白ですらりと伸びた尻尾がぱたんと窓枠を叩く。蜂蜜を閉じ込めたビー玉のような瞳はくるりと回り、外の風景を映し出している。首元につけられた淡いピンク色のエリザベスカラーが邪魔なのか、些か機嫌が悪そうだ。
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