「ひみつ」
「先ほどからスマホばかり気にして、どうしたんですか」
「えっ」
HiMERUに指摘され、燐音は無意識に触っていたスマートフォンを伏せた。何気ないふりをして「競馬見てた」というと、あからさまな視線を向けられて、ため息を一つ。燐音は内心、まずったなと後悔した。
事務所ビルの一室を借りて企画していたライブやコラボ仕事の事務作業中だった。ニキはバイト、こはくはダブルフェイスの仕事があるから、こういった事はHiMERUと二人きりになるのが常だった。燐音は改めて手元にあるライブハウスの資料を見た。初めて借りるライブハウスは、なかなか個性的なつくりをしていた。そのためにいつものように、がうまくいかず、年明けから企画が難航していたのだ。
「まぁ、仕事に影響がないようにお願いします。次のライブハウス、なかなか癖がありますので」
「分かってるって。……俺っちそんなにスマホ触ってた?」
「えぇ。HiMERUの話が耳に入らないくらいには」
「……マジで?」
「マジ、ですよ、あなたらしくない。どうしたんですか」
向かいに座っていたHiMERUが燐音の顔をのぞきこむ。その瞳には心配の色が浮かんでいて、それに答えるように燐音はわざとらしく肩を落としていった。
「最近負け続きでさァ、おれのギャンブル用通帳の残高がよォ……」
「違うでしょう」
強く言い放ったHiMERUの言葉に、燐音はわずかに目を見開いた。ビジネス以外は俺に関わらないほうが吉なんじゃないのか。言外に向けた視線はしかしつっぱねられて、さきほどの燐音のまねをするように大げさにためいきをついたHiMERUは話し出した。
「我々の、crazy:Bの企画が立ち上がって、話がきたのはちょうど去年の今頃、正確に言えば四月ごろでしたね。あなたには先に話が上がっていたのではないでしょうか。それから、まぁいろいろと、えぇいろいろとありましたが」
HiMERUは「いろいろ」のあたりでじろりと燐音をにらんだ。思い当たる節がある燐音は視線だけそっぽへ向けた。
「我々は、……、我々は「仲間」だと思っていますよ。少なくともあなた以外の三人は」
「まさか。俺っちだってお前らのこと、大切な仲間だと思ってる」
噛みつくように否定したが、HiMERUはすげなくきりすてた。
「半年ちょっとじゃ完全な信頼の回復は難しいのです」
「手厳しいな」
「桜河など、たまにあなたを見ていますよ」
「メルメルもだろ」
「おや、そこまで見てはいませんよ。それで、誰からの返信を待っているんですか」
「ひみつ」
「おや、HiMERUにそのワードを使いますか」
燐音はその返事に笑って返した。HiMERUは挑戦的な笑みを浮かべ、手に持っていた資料を置いて考え始めている。少し休憩だ、と燐音は伏せたスマートフォンを手に取って、HiMERUの前に掲げて見せた。
「あてたら、相談にのせてやるぜ」
「秘密を教えるから相談に乗ってください、でしょう。当てて見せます」
きらりと光るレモンの瞳に、燐音はとある人を思い浮かべた。思い出すのは先週の出来事。人気のない公園で、バレンタインにもらったマロングラッセのお礼に渡した金平糖。たっぷり入っていたからまだ食べきってはいないはずだが、あれはいつまで大切にするのだろうか。そう考えたところで、HiMERUが質問を投げかけた。
「返信を待っている」
「イエス」
「それはビジネスですか」
「ノー」
「それは一人からの返事である」
「イエス。……大ヒントだぜ」
「えぇ、ほとんど絞れましたよ。あとは内容です」
そういうとHiMERUは足を組みなおした。顎に手を当て、探偵らしく考えて見せる。アイドルらしい表情で悩む素振りをするが、その瞳は答えを知っているようだった。
「では最後にひとつ。その人との関係に悩んでいる」
「……」
「沈黙は肯定ですよ、あなたが知らないはずがない。ずばり、弟さんですね」
はっきりと言い切ったHiMERUに、燐音は表情を崩さずに尋ねた。
「燐音ちゃん、メルメルの質問が曖昧過ぎて答えらんなかっただけなんだけどなァ。確かに弟からの返信を待ってたけど、関係は兄弟しかないっしょ」
「いいえ、そんなことはありません」
HiMERUはテーブルに用意したクッキーの包装を破りながら、推理を披露し始めた。
「事の始まりは、一月です。弟さんと食事をしていたあなたが、私の電話に慌てて事務所に飛んできたとき。あの時はすみませんでした、HiMERUもまだ新しいスタッフに慣れていなくて。ひと段落したとき、弟さんへことわりのメールをする際にひどく困惑した表情を見せましたね」
そこまで言ってHiMERUはひとつ息をついた。
「確かに電話先で妙に言葉が切れた瞬間がありました。ここでまずひとつ、何かしら弟さんからのアクションがあったのでしょう」
場を沈黙が支配する。二人きりの狭い部屋で、HiMERUは言葉をつづけた。
「それから目に見えて弟さんからの『お誘い』が増えました。食事や、おでかけや…。レッスン前後によくあなたが話してましたので、それはみんなが知っています。そして二月。あなたは弟さんから呼び出しを貰った」
一口大に割ったクッキーを取り出すと、HiMERUはクッキーについたチョコチップを燐音の方へかざして見せた。
「バレンタイン。想い人へ愛を伝える日です。マロングラッセ、もらったのでしょう?」
「…なんで知ってンの」
その言葉は、燐音が悩んでいる『関係』を答えたも同然だった。燐音は、弟から永遠の愛を誓うマロングラッセをもらったのだ。当時はその意味が分からなかったが。
HiMERUは燐音の行動を見透かすように笑った。
「ま、あなたは何も気にせずお返しをデパートで買ったようですが」
「げ、ばれてる」
「ばれてるも何も、仕事帰りに普段よらないところに寄ったことは知っていますから。あとはただの推理ですよ」
「そもそも、なんでマロングラッセって知ってンの」
「簡単です。椎名から『教えるついでにいっぱい作ったんすよぉ』と桜河とHiMERUとで『二人分』貰ったからです。誰に教えたとは言いませんでしたが、すごくおいしかったのです」
けろりと答えた言葉に、燐音は思わずため息をついた。
「そして、三月のはじめのことです。あなたは桜河にこそこそと和菓子のお店を聞いていましたね。3月にお菓子といえばホワイトデーです。『永遠の愛』を意味するマロングラッセを『誰か』から貰い、律儀なあなたはお菓子で返事を考えたのでしょう。他のお菓子なんて、イベント用にとってつけたようなものですがね」
「お菓子屋さんが頑張って考えたのに、言うねぇ」
「そんなことどうでもいいのです。和菓子で意味を持たせてもおかしくないもの。長期保存がきく砂糖の塊なんでどうでしょうか」
「答えを知ってるような物言いだな」
「えぇ。桜河から聞きましたから」
「もう推理じゃねぇじゃん」
「聞いたこと、も推理材料ですよ。ま、見栄えが良くて、若者向けと言ったら金平糖が無難でしょう。長期保存で『とわの愛』ですし」
さくり、とHiMERUがクッキーをほおばった。一通り咀嚼してから、「それで、」とくちをひらく。
「ま、逸話のない金平糖なら恋愛の意味を含まない『とわの愛』を誓うこともできますから、あなたはそれであいまいに返事をしたというわけです。あぁ、なんてひどい男」
HiMERUは嘆かわしい、と首を振ってみせた。燐音はHiMERUの推理に拍手を送ってひとつ尋ねた。
「メルメルは気づいてたわけ? …弟クンが俺っちにアタックしてたことに」
「年明けから妙に仲がいいなとは思っていましたが、そこまでとは思いませんでした。そうかもしれないと思ったのが桜河から金平糖のくだりを聞いてマロングラッセを思い出した時、確信したのは今です」
残りのクッキーをほおばるHiMERUに、燐音は両手を上げて降参の意を示した。
「だいせいか~い、メルメルってば天才。っつーことで、相談乗ってくれるよな」
「俺で良ければ」
「誰でもいいよ、いや、口が堅い人がいいからメルメルがいい」
「みんな口は堅いでしょう」
「そうだけどさ。んで、どうすればいいんだろうな」
「付き合うことになったんですか」
「んー、いや、あいまいな感じ。でもちゅーはされた」
「おや、結婚しなくてはなりませんね」
吹き出すように笑ったHiMERUに、燐音は足を蹴って反抗した。夏のイベントの時にキスも婚前交渉だからといった燐音の言葉を覚えていたのだ。一睨みしてからテーブルに残っていたクッキーに手を伸ばすと、燐音は乱雑に中身を取り出した。クッキーをかじりながら、HiMERUに問うた。
「なんで兄弟なのに恋愛感情なんだよ。ていうか、かわいい若者の未来は有意義にあるべきっしょ」
「…あなたは常々自身が年寄りのようにしゃべりますが、そんなことはないと思うのですよ」
HiMERUは慈しむように燐音の瞳を見た。それはまるで、年長者が若者に語り掛けるようだった。
「HiMERUは飛び級で大学に行きましたが、あなたより年上であなたより稚拙な、…言い方がまずかったです。飛び切り元気な人間を何人も見てきたのです。ですから、あなただって、まだまだ若者なのですよ」
燐音は自身の知らない世界を語るHiMERUの言葉を否定できなかった。
「恋愛は『とりあえず付き合ってから決める』なんて考えもあるくらいです。あなたも深く考えずに、一度『とりあえず』付き合ってみてもいいのではないですか。『兄弟』であることを忘れて弟と関われば、彼の知らない面を知ることもできるかもしれません。フるのはそれからでも遅くないはずです」
「そうかな」
「第一、兄弟であることを理由にフってない時点で脈があるようなものでしょう」
「……うっせェ」
耐え切れずにテーブルに突っ伏した燐音の言葉に、HiMERUは今度こそ声を上げた笑った。
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おまけ
「それで、何の返事を待っていたのですか」
「今度デートしたいから空いてる日を教えてくれって。俺っちが気づいてなかったから、正式にアタックするってさ」
「なるほど、好いた相手からのお誘いメールを待っていたわけですか」
「は!?違うっしょ、いつのオフが埋まるか気にしてただけ!」
「あぁそうですか。白々しい言い訳です。デート日の服装なら相談に乗りますよ」
「余計なお世話だ!」