ゆえにあいゆえ 今日も気乗りしないインタビューの収録をどうにか乗りきって、やっとラボに帰ってくることができた。道中の記憶があまりないが、それはつまり何事もなかったということでもある。そういうことにして、フィガロは自分の研究室のドアを開けた。やっと気を緩めることができる。早く人間相手の笑顔の武装を解除して、甘やかされたい。そう思っていたのだが、目の前に広がった光景に息を詰まらせた。
室内の、主にデスク周りのスペースに自分の写真が貼られまくっているのだ。壁と機器の間に雑に留めたケーブルにもテープでぶら下げられていて、コマ送りのように並んでいる。古い映画にでも出てきそうな様子が逆に怖い。
「おかえりフィガロちゃん!」
「ちょっと、何やってるんですか!?」
そんな室内から場違いに明るく無邪気な声が聞こえてくるのもお約束的だが、それでもそう言わずにはいられない。
「すごいじゃろ? ぜーんぶ今日の放送のスクショ!」
フィガロが愛用している腰に負担のかからない高価な椅子の上に膝を立てて座っていたスノウが、両腕を広げて満面に笑みを湛えた。どうかしているとしか思えない現場だが、スノウにはまったく悪気はないし、動機を言語化するとしたらおそらく広義的には『愛』ゆえなのだろう。しかし、いくらカルディアシステムが搭載されているとはいえ、感情表現が妙な方向に走りすぎていやしないだろうか。自分のアシストロイドなのに手に余ることがしばしばあるが、今日はなかなか凄まじい。
「趣味悪っ。古典的なストーカー描写の再現ですか?」
「何てことを言うのじゃ! 動画の一時停止じゃ間に合わぬから静止画にしただけなのに」
「だからってここまでやります? 好きなの一枚だけでいいでしょう? というか何が間に合わないんですか? 俺のツッコミが間に合いませんけど?」
「ここまでという程の枚数でもあるまい。それに、一枚だけなんて決めらなかったんだもん!」
「これなら動画垂れ流される方がずっとましなんですけど」
写真には概ね自分しか写っていないが、写りこんでいる背景からして三週間ほど前に収録した番組の映像を保存して出力したものだろう。あまり自分が出ている番組に興味はないしチェックしたいとも思っていないが、記憶力はいいので確か今日放送される予定であったことを思い出すことができてしまうのだった。
しかし、責めるつもりはないフィガロは微苦笑で写真を吊るしているケーブルを取り外しにかかった。スノウが抗議の声をあげているが、流石にこんな状態の部屋で過ごすほどメンタルが強靭でもなければ、自分が大好きというわけでもない。そしてなにより邪魔だった。
「で、これどこで出してきたんです? ここプリンター置いてないのに」
「ファウストのところじゃ」
フィガロが外してきたケーブルから写真を傷つけないように取りながら、スノウは事も無げに答えた。フィガロはデータをすべてディスプレイ上で確認するが、ファウストは紙にアウトプットして確認するのが性に合っているそうで、無線でデータを受信できるプリンターを研究室に置いている。そのことを知っていたスノウは、事後承諾という形で使わせてもらったらしい。
「うわ……。すごく嫌な顔されたでしょ」
「趣味が微妙と言われたのう」
「微妙で済んだんだ……。ファウストは優しいな」
突然こんなデータが飛んできて出力を始めたのでは、ファウストはさぞ驚いたことだろう。後で何かよさそうなものでも持って彼のところに謝りにいかなければならないが、彼本人が研究室のドアを開けてくれるかは怪しい。彼のペットロイドを通して、或いは部下のレノックスが応対してくれたらいい方だろう。
「きっと我の気持ちを認めてくれたんじゃな。そなたはどうじゃ」
そんなフィガロの思いを知ってか知らずか、スノウはフィガロが取り外してデスクに置いた写真をひとつひとつ大切そうにしながら回収している。恐ろしいまでに前向きな考え方を口にしながらフィガロを見上げる目には、悪気などもちろん見られず無邪気そのものだが、その感情は電子仕掛けによるものだ。元々フィガロが組んだプログラムに反することは決してなく、明るく、そしてフィガロに対して友好的である。
それが、カルディアシステムによって変化しつつある。以前はこんなことはしなかった、と振り返りながら目を伏せ、フィガロは思うまま口にする。
「認めはしますよ。でも、信じるのは怖いな」
「カルディアシステムの製作者本人からそう言われてしまっては、甲斐がないのう……。我かなしい」
「だって、信じて裏切られたらきついでしょう。誰でも」
「それを言われると我もきついのう。一瞬裏切ったばっかりじゃからな……当然か」
スノウが先日の一件のことを言っているのだということはすぐに分かったが、フィガロはあのときのことを一切気にしていなかった。スノウが一瞬寝返ったのはオーエンがホワイトのことを引き合いに出したからであるし、日頃スノウからせがまれてなお避け続けてきたのは自分なので、ああいった流れになっても何ら不思議ではなかったからである。
だから、当然と言われると「それは違う」と切り返したくなるところだったのだが、スノウはフィガロを牽制するように、たった今まで回収していた写真の束をデスクに置いた。
「それでも、我はそなただけのアシストロイドじゃ。そんなことも忘れるようなら……」
「なら……?」
「神経系を強制的に再起動させまーす」
何を言い出すかと思えば、普段とそう変わらないことだったのでフィガロは安堵のあまり笑い出した。神経系の再起動とは、つまり寝かせるということである。今の場合は強制的にと言っているので有無を言わさず力をもって寝かせるという意味ではあるのだが、もっと暴力的なことを提案してくるかもしれなかった場面でこれなら可愛いものだった。
「あはは。優しく寝かしつけてくださいね、気絶じゃなくて」
「そなたが眠りに落ちるまで一分一秒逃さず見ていてやろうな。そうして映像データに……」
「やめてくだしあ……あ、」
「噛むほど喋り疲れたんじゃな。お疲れさまじゃ」
タイプミスのように綺麗な噛み方をしたのをほんの少しからかうような口ぶりは、憎らしくも安心感を覚える。たとえスノウの言動がプログラムや学習から弾き出されたものであるとしても、人間と話すよりも余程自分らしくいられるし、自己を開示することへの抵抗はずっと少ないのだ。アシストロイドは理想の友人、理想の家族、理想の―。
「まずはハグで回復じゃ!」
椅子から降りたスノウが細い腕を回してほどよい力で抱き締めてくれるのを受けいれながら、フィガロはふと笑みをこぼす。ハグでストレスを解消だとか緩和だとか、そんな話が出たのは随分と昔だし、このごろの人間は自身の問題で人間と生身のコミュニケーションをとるのが困難になってきているので、この方法は難易度がやや上がっている……などという話は、いまはやめにした。
「その次は?」
「栄養補給かのう」
ストレス値を下げる定番の流れも、ひとりではなく誰かと一緒にこなせば効果は上がる。もちろん、その為にアシストロイドをもっているわけではないにしても、最早手放しがたい存在となっていることは間違いない。
友人、家族、パートナー、何にでもなれる自分だけのアシストロイドのなかに何が見えるかは明白だったが、まだ認めたくない。本当かどうか分からないし、自分が組んだプログラムで動くアシストロイドに見るそれは、虚像かもしれないから。
「魚食べたいな……」
「魚か~。外食でいい?」
「うん……」
「じゃあ、今日はもう退勤じゃな!」
アシストロイドにわざわざ『心』という不確定要素をもたせるようなことをした報いの向こうにあるのは果たして『愛』か。
フィガロは、スノウの背中にそっと手をやる。答え合わせができるほど強くはなくとも、いずれ向き合い証明したいという思いは、曖昧さを残しながらも確かだった。