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    ラテ

    bach_otamama

    CAN’T MAKEシェンウーとヴリトラ。東方イベの2年くらい前の時間軸。
    生産ラインはチユヴリも好きです。
    シェンヴリ……の手前。軽い接触があります。
    なんかこう、お互いのことを良く知っていて隣にいるって関係が好きでして
    あと、毒姫概念のヴリトラめっちゃ刺さりました。
    タイトルはラテン語で「私が触れる」です。一人称単数なので、この一語でも確か「私が触れる」という意味になるはず……多分。
    tango 家臣が肖像画を差し出す。絵の中の娘は微笑み、ふくよかな体をゆったりとした服に包んでいる。
    「これは?」
    「ご紹介をいただきました。多くの子をなす家系の娘です」
    別の肖像画ではほっそりとたおやかな娘が艶やかに微笑んでいる。
    「この娘は、近隣でも美しいと評判だそうです」
    「シェンウー様、クルマ様はまだ幼いのです。もしまた流行り病が起きれば……」
    シェンウーの父はすでに亡く、先だっての流行り病で亡くなった後妻との間にもクルマしか子がいなかった。継母の葬儀を終えたばかりとはいえ早く妻を娶り、子をなしてほしいという家臣の気持ちはわかる。分家もあるとはいえ、直系の方がより継承の儀の成功率が高い。しかし、まだ亡きひとの面影がシェンウーの胸の奥には宿っている。
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    @t_utumiiiii

    DOODLE「純粋と神聖をもって生涯を貫き医術を行う。」(ヒポクラテスの誓い)/リディア・ジョーンズが「特別なサービス」を行うことなくリディア・ジョーンズ診療所を運営できたので指名手配されることもないし荘園にも来ない・リサを途中で投げ出して逃亡もしないifルートのリディアとリサ 若干恋愛をイメージした描写があります
    完治(医師遡及時空のリディアとリサ) 毎週水曜日の午前中、ジョーンズ医師はホワイトサンド・ストリート59号の精神病院にて診察を行う。それは彼女の中で、医療という能力を持つ機会を得た者が行うべき、当然の奉仕活動だった。
     彼女がボランティアでの診療を行うホワイトサンド精神病院は、元は孤児院から改築された児童精神病院を母体としていることもあってか、年端もいかない年齢の収容患者が少なくない。しかし、治療と言うよりは、時に懲罰的な趣さえある水浴や電気椅子といった、もっぱら「精神病に対する治療法」を行わなければ「手に負えない」ような症状を呈する子供というのは、その中でもほんの一握りに過ぎない、というのがリディアの考えだった。
     リディアの目から見れば、殆どの子供は、親という庇護を失い、幼いうちから厳しい現実と向き合う必要から、年頃にしては大人びが過ぎて、それが「過度に」反抗的な態度として現れていたり、それ以前にそもそも大人に対する信用の心というものを一切失っていたりといった、心理的な症状を示している程度にしか見えず、確かに「健康」な状態からは程遠いと言っても、その兆候から「これは精神病だ」と診断するのは、リディアに言わせてみれば短絡的が過ぎるというものだった。まして相手は子供で、まだ発達段階の過程にあるものだ。誰しもがこの手の気難しい時期をやり過ごして今に至る筈なのに、皆喉元を過ぎれば、その頃の気持ちの熱さというものを、すっかり忘れ去ってしまうらしい。
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