堀川国広
ru_za18
DONE9/9の堀川国広の日うちの古参も古参、三振り目の彼へ
再掲で申し訳ない…
堀川国広+審神者
学ぶにあたって 私の本丸で、堀川国広は初期の初期からいた刀だった。顕現した順番としては三番目。そんなこともあり、苦労したときも、楽しかったときも、長くを共にした刀だ。
だからだろうか。彼は私の機微には聡かった。
「主さん。何かありましたか?」
「んー?……いや、最近物騒だからさぁ。せっかくここには戦の先生が多いんだし、刀とかの扱い方を習ってみるのも良いかなぁ……なんて思ったりしてた」
特に悩んでいる様子も見せなかったはず。よく聞く、『女性の一人歩きが……』だとか『不審者が……』だとか。それに加え、最近では『審神者を狙う輩が出た』という噂も飛び交っていた。
――物騒だなぁ……。自衛の為に何かした方が良いのかな?
そんな、軽い感覚で。それくらいの考え事だったのに、こうして気付いてくれるのは堀川だからだろう。
2065だからだろうか。彼は私の機微には聡かった。
「主さん。何かありましたか?」
「んー?……いや、最近物騒だからさぁ。せっかくここには戦の先生が多いんだし、刀とかの扱い方を習ってみるのも良いかなぁ……なんて思ったりしてた」
特に悩んでいる様子も見せなかったはず。よく聞く、『女性の一人歩きが……』だとか『不審者が……』だとか。それに加え、最近では『審神者を狙う輩が出た』という噂も飛び交っていた。
――物騒だなぁ……。自衛の為に何かした方が良いのかな?
そんな、軽い感覚で。それくらいの考え事だったのに、こうして気付いてくれるのは堀川だからだろう。
C7lE1o
SPUR ME・体の一部に花を宿して顕現する本丸・主は大きな木
・気に入ってる設定と話ではあるが放置期間がそろそろ6年になるので尻たたき
花宿り本丸最初にその目に飛び込んできたのは、顔の半分が美しい花で覆われた青年だった。
「やあ、ようこそ我が本丸へ」
主の元へ案内しよう。
そう言って連れて行かれたのは開けた春の庭の先。
「主、新しい刀剣が顕現したよ」
さあ、主に挨拶を。
背中を押され、一歩踏み出す。青年が主と呼びかけたのは、柔らかな陽光に照らされた大きな桜の木だった。
この本丸の刀剣男士は、その身に花を宿して顕現する。
時の政府はこの現象を「木が審神者を務める弊害」の「病」と位置づけているらしいが、詳しい事は何も分かっていないそうだ。
審神者である【木】も不思議なもので、どういった種類か、どんな花を咲かせるか、いつからそこにあるのかさえも誰にも分からないのだとか。
6203「やあ、ようこそ我が本丸へ」
主の元へ案内しよう。
そう言って連れて行かれたのは開けた春の庭の先。
「主、新しい刀剣が顕現したよ」
さあ、主に挨拶を。
背中を押され、一歩踏み出す。青年が主と呼びかけたのは、柔らかな陽光に照らされた大きな桜の木だった。
この本丸の刀剣男士は、その身に花を宿して顕現する。
時の政府はこの現象を「木が審神者を務める弊害」の「病」と位置づけているらしいが、詳しい事は何も分かっていないそうだ。
審神者である【木】も不思議なもので、どういった種類か、どんな花を咲かせるか、いつからそこにあるのかさえも誰にも分からないのだとか。
ordinary_123
MEMOうちの本丸の山姥切国広と堀川国広について、書ききれなかった設定とか蛇足とか本文:https://twitter.com/ordinary_123/status/1536109931220594688?t=ArxG31f34DlbNJdOq4mW6w&s=19
【おまけ】うちの山姥切国広と堀川国広の話山姥切国広は初期刀です。そして堀川国広も、うちの本丸ができた一日目から顕現していました。
はじめ、ふたりが同室になったのは、分かりやすく縁者っぽい刀だったからというだけの理由でした。
山姥切国広は、堀川国広をフルネームもしくは堀川と呼んでいました。堀川国広は山姥切さんと呼んでいました。
それは、堀川国広が顕現したときに、「あんたが堀川国広か」とフルネームで呼びかけてしまったからです。山姥切国広も、彼が兄弟にあたることは分かっていましたが、そう呼んでいいのか悩んでいるうちに、その躊躇いを察知した堀川国広が、「山姥切さん」と先に呼びかけました。それに引きずられるように山姥切国広も「堀川」と呼びました。それ以来その呼び方が定着しました。あとになって、あのフォローは失敗だったかなと、堀川国広は思ったりしています。
1491はじめ、ふたりが同室になったのは、分かりやすく縁者っぽい刀だったからというだけの理由でした。
山姥切国広は、堀川国広をフルネームもしくは堀川と呼んでいました。堀川国広は山姥切さんと呼んでいました。
それは、堀川国広が顕現したときに、「あんたが堀川国広か」とフルネームで呼びかけてしまったからです。山姥切国広も、彼が兄弟にあたることは分かっていましたが、そう呼んでいいのか悩んでいるうちに、その躊躇いを察知した堀川国広が、「山姥切さん」と先に呼びかけました。それに引きずられるように山姥切国広も「堀川」と呼びました。それ以来その呼び方が定着しました。あとになって、あのフォローは失敗だったかなと、堀川国広は思ったりしています。