kai3years
DONE光のお隣さん/いい夫婦の日「いい夫婦の日ですね」
「そうだな」
「今日入籍するカップル、すごく多いらしいですよ」
「知ってる」
開店まであと三十分。カウンターの中に立ち、洗ったグラスを拭きながら、テーブル席で茶を飲んでいるリーンと、そんな会話を交わす。
最近の彼女は、学校帰りに花屋へ顔を出したあと、その隣にもこうやって立ち寄るようになっている。たいていは一人で、たまにはガイアと。サンクレッドは「開店準備の邪魔になるだろ」と渋っていたが、基本的にはテーブル席で会話に花を咲かすだけなので、邪魔になどなりようもない。むしろバタついているときには用意を手伝ってくれるので、助かるくらいのものだと話し、歓迎の意を伝えていた。
「……しないんですか?」
2741「そうだな」
「今日入籍するカップル、すごく多いらしいですよ」
「知ってる」
開店まであと三十分。カウンターの中に立ち、洗ったグラスを拭きながら、テーブル席で茶を飲んでいるリーンと、そんな会話を交わす。
最近の彼女は、学校帰りに花屋へ顔を出したあと、その隣にもこうやって立ち寄るようになっている。たいていは一人で、たまにはガイアと。サンクレッドは「開店準備の邪魔になるだろ」と渋っていたが、基本的にはテーブル席で会話に花を咲かすだけなので、邪魔になどなりようもない。むしろバタついているときには用意を手伝ってくれるので、助かるくらいのものだと話し、歓迎の意を伝えていた。
「……しないんですか?」
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DONE光のお隣さん/最終話「最近、リーンの外泊が多い」
「無断か?」
「いや」
「なら、いいじゃないか」
そう簡単に割り切れるような話ではないのだと、いつもより多めに七味を振っている手が訴えている。別にどれだけ薬味を盛ろうが客の自由ではあるのだが、どて煮は出している料理の中でも、濃い味付けをしてある方だ。赤黒い山を築かれてしまうと、若干の切なさを覚えなくもない。
平日の月曜である。この日ばかりは、どの季節であっても、客足は控えめになる。火・水を定休日としているため、店自体は開けているが、実のところ、調理・接客よりも、メールを確認している時間の方が長いこともあるくらいだ。ラハのシフトも、休日でない月曜日には、入っていない。
それを伝えてからというもの、サンクレッドが独りで来るのは、概ね、月曜の夜となった。時刻は零時の少し前。多くのサラリーマンたちは、明日に備えて帰宅している。客はサンクレッド一人しかおらず、こんな話もタメ口のまま堂々と交わせるという訳だ。
4638「無断か?」
「いや」
「なら、いいじゃないか」
そう簡単に割り切れるような話ではないのだと、いつもより多めに七味を振っている手が訴えている。別にどれだけ薬味を盛ろうが客の自由ではあるのだが、どて煮は出している料理の中でも、濃い味付けをしてある方だ。赤黒い山を築かれてしまうと、若干の切なさを覚えなくもない。
平日の月曜である。この日ばかりは、どの季節であっても、客足は控えめになる。火・水を定休日としているため、店自体は開けているが、実のところ、調理・接客よりも、メールを確認している時間の方が長いこともあるくらいだ。ラハのシフトも、休日でない月曜日には、入っていない。
それを伝えてからというもの、サンクレッドが独りで来るのは、概ね、月曜の夜となった。時刻は零時の少し前。多くのサラリーマンたちは、明日に備えて帰宅している。客はサンクレッド一人しかおらず、こんな話もタメ口のまま堂々と交わせるという訳だ。
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DONE光のお隣さん/第八話「ありがとうございました! お気を付けてー!」
見送りのために開けられた引き戸から冷気が吹き込んでくる。常に火のあるカウンター内でも、身震いするような寒さだった。出て行ったラハも普段より心なし時間を短めに、うーさぶさぶ、と呟きながら、小走りに駆け戻ってくる。
隙間のないよう引き戸を閉めて、テーブルの上を片付けると、四時間ぶりの無人、正確には、店員だけの時間となった。湯呑みに熱い茶を注ぎ、ラハと二人で、ふうふう啜る。
書き入れどきである年末だが、だからといって、毎日がてんてこ舞いになる訳ではない。特に十二月は、忘年会にクリスマス、仕事納めに大晦日と、イベントをいくつも抱えるからこそ、その合間の客入りは、若干、控えめなものになる。皆、休息が必要なのだ。肝臓とか、財布とかに。もちろんそれは酒や食事を供する側にも言えることで、たまには通常営業の夜がなくては、倒れてしまう。
3190見送りのために開けられた引き戸から冷気が吹き込んでくる。常に火のあるカウンター内でも、身震いするような寒さだった。出て行ったラハも普段より心なし時間を短めに、うーさぶさぶ、と呟きながら、小走りに駆け戻ってくる。
隙間のないよう引き戸を閉めて、テーブルの上を片付けると、四時間ぶりの無人、正確には、店員だけの時間となった。湯呑みに熱い茶を注ぎ、ラハと二人で、ふうふう啜る。
書き入れどきである年末だが、だからといって、毎日がてんてこ舞いになる訳ではない。特に十二月は、忘年会にクリスマス、仕事納めに大晦日と、イベントをいくつも抱えるからこそ、その合間の客入りは、若干、控えめなものになる。皆、休息が必要なのだ。肝臓とか、財布とかに。もちろんそれは酒や食事を供する側にも言えることで、たまには通常営業の夜がなくては、倒れてしまう。
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DONE光のお隣さん/第七話 親子は、長い間、話をしていた。好きに寛いでいてくれと自由を許された彼らの家の、客間とキッチンを往復し、茶を飲み、コーヒーを飲み、冷蔵庫から取り出した缶ビールを開けても、まだ。廊下の奥にあるリーンの部屋からは、二人が交わす静かな会話と、時折、止められなかったのだろう、少女の啜り泣きが聞こえた。
客間のソファに身を沈め、バッテリーのずいぶん減ったスマホで、ラハへのLINEを打つ。彼には既に電話で一度、リーンの無事を報告し、友人たちに礼を言って解散してもらうよう伝えたが、今一つ状況を把握しきれていない様子だったので、改めて、補足を送っているのだ。とはいえ補足の内容も「占い師が教えてくれた個人運営の博物館に行ったら、リーンと魔女とその娘がいて、サンクレッドがボロクソ言われたあと、魔女の娘がリーンを連れて先に帰った」というものなので、余計に混乱させるのは、火を見るより明らかなのだが。まあ、そのあたりは、追々整理しながら顔を見て話すしかない。
5691客間のソファに身を沈め、バッテリーのずいぶん減ったスマホで、ラハへのLINEを打つ。彼には既に電話で一度、リーンの無事を報告し、友人たちに礼を言って解散してもらうよう伝えたが、今一つ状況を把握しきれていない様子だったので、改めて、補足を送っているのだ。とはいえ補足の内容も「占い師が教えてくれた個人運営の博物館に行ったら、リーンと魔女とその娘がいて、サンクレッドがボロクソ言われたあと、魔女の娘がリーンを連れて先に帰った」というものなので、余計に混乱させるのは、火を見るより明らかなのだが。まあ、そのあたりは、追々整理しながら顔を見て話すしかない。
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DONE光のお隣さん/第六話 自分の店の扉でこれをやられたらキレてしまうかもしれない。
そんなことを思いつつ、動力の来ていない自動ドアに、べたりと両掌を置く。横へとずらす力を込めると、音もなく、重いドアは動いた。暗闇の中、ぬるぬるとひらいていく入り口を、サンクレッドが訝しむ表情をして見つめている。
「鍵は……」
「かかってないようだ」
信じがたい話だが。
掌紋がべっとり付着したドアを、半分ほど開けてから、先んじて中に入り込み、サンクレッドを手招いた。戸惑いながらも続いた男が完全に入りきるのを見てから、再び、ドアに手を貼りつけて、今度は逆方向へと押す。外から気付かれるような異常は、なるべく少ない方がいい。
「あんたはやめとけ。俺がやる」
7188そんなことを思いつつ、動力の来ていない自動ドアに、べたりと両掌を置く。横へとずらす力を込めると、音もなく、重いドアは動いた。暗闇の中、ぬるぬるとひらいていく入り口を、サンクレッドが訝しむ表情をして見つめている。
「鍵は……」
「かかってないようだ」
信じがたい話だが。
掌紋がべっとり付着したドアを、半分ほど開けてから、先んじて中に入り込み、サンクレッドを手招いた。戸惑いながらも続いた男が完全に入りきるのを見てから、再び、ドアに手を貼りつけて、今度は逆方向へと押す。外から気付かれるような異常は、なるべく少ない方がいい。
「あんたはやめとけ。俺がやる」
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DONE光のお隣さん/第五話 ロケットの打ち上げには途方もないエネルギーを要するが、成層圏外に出てしまえば、あとは慣性で進めるように。オープンから三ヶ月を過ぎると、店は、完全に安定した。書き入れどきとなる年末年始も充分な売り上げを確保でき、女性の常連客も定着。彼女らによる口コミで、ご新規さんもよく訪れた。
冬を過ぎればあとは次の冬まで生ビールの季節である。新入社員の歓迎会で大忙しの春を経て、取り敢えず生!が永遠に木霊する夏を捌き切り、そして、秋にひらいた店は、無事に、再びの秋を迎えた。赤字を出した月はなし。タチの悪い酔客による乱闘などを抑えるため、もしもしポリスメン?した回数もギリ一桁にとどまっている。当初の予想を遥かに超えた、順風満帆ぶりだった。
5360冬を過ぎればあとは次の冬まで生ビールの季節である。新入社員の歓迎会で大忙しの春を経て、取り敢えず生!が永遠に木霊する夏を捌き切り、そして、秋にひらいた店は、無事に、再びの秋を迎えた。赤字を出した月はなし。タチの悪い酔客による乱闘などを抑えるため、もしもしポリスメン?した回数もギリ一桁にとどまっている。当初の予想を遥かに超えた、順風満帆ぶりだった。
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DONE光のお隣さん/第四話「グ・ラハ・ティアさん、20歳」
土曜の正午、やや曇り。引き戸の外は休日の人出で賑わっており、静かな店内で交わす会話は、クラクション一つで掻き消される。そのせいで若干普段より大声になってしまっているが、目の前の青年に萎縮した様子は見られず、安堵した。ただでさえやくざな商売であるから、印象は好く保ちたい。
いつもは調え、磨くばかりで、就くことはないテーブル席には、先ほど淹れた二人分の茶が、仄白い湯気を立てている。当然、開店前である。シャッターも半分しか開けていない。
「はい。よろしくお願いします」
赤毛の頭を下げる彼は、アルバイトの面接に訪れてくれた、志願者だ。ここ最近の多忙に参り、倒れる前に駄目元でと店先に貼り紙をしたところ、即日で飛び込んできてくれたのだ。それも電話でなく口頭で。昨夜の営業中、当然ながら酔客で埋まる店に来て、表の貼り紙を拝見しました、面接の機会をいただけませんか、と自分に訴えかけた姿は、いっそ勇敢ですらあった。
4263土曜の正午、やや曇り。引き戸の外は休日の人出で賑わっており、静かな店内で交わす会話は、クラクション一つで掻き消される。そのせいで若干普段より大声になってしまっているが、目の前の青年に萎縮した様子は見られず、安堵した。ただでさえやくざな商売であるから、印象は好く保ちたい。
いつもは調え、磨くばかりで、就くことはないテーブル席には、先ほど淹れた二人分の茶が、仄白い湯気を立てている。当然、開店前である。シャッターも半分しか開けていない。
「はい。よろしくお願いします」
赤毛の頭を下げる彼は、アルバイトの面接に訪れてくれた、志願者だ。ここ最近の多忙に参り、倒れる前に駄目元でと店先に貼り紙をしたところ、即日で飛び込んできてくれたのだ。それも電話でなく口頭で。昨夜の営業中、当然ながら酔客で埋まる店に来て、表の貼り紙を拝見しました、面接の機会をいただけませんか、と自分に訴えかけた姿は、いっそ勇敢ですらあった。
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DONE光のお隣さん/第三話 雨は昼過ぎまでという天気予報はぴたりと当たり、店に到着する頃には、傘は要らなくなっていた。つまり通勤時間の終わりを計ったみたいに止まれた訳で、その点について若干もんにゃりするような気持ちもないではないが、雨が上がったこと自体は、素直にありがたいと思う。呑み屋というのは晴天か土砂降りの下でこそ儲かる。月並みな雨は客足を家へと急がせてしまうばかりだ。
疎らに落ちる雫を避けて、軒下で傘を畳み終えると、ポケットから鍵を取り出し、がらがらとシャッターを上げていく。自分を含めた何者もいない、真っ暗でしんとした店内は、いつも一瞬、見たこともないような場所として、目に映る。灯りと賑わいの有無だけで、こうまでも変わるものなのかと。いわゆる接客業を選んだ自分は、たまに思うのだ。こうまでも変わるものだから、この職を選んだのだろうな、と。
3381疎らに落ちる雫を避けて、軒下で傘を畳み終えると、ポケットから鍵を取り出し、がらがらとシャッターを上げていく。自分を含めた何者もいない、真っ暗でしんとした店内は、いつも一瞬、見たこともないような場所として、目に映る。灯りと賑わいの有無だけで、こうまでも変わるものなのかと。いわゆる接客業を選んだ自分は、たまに思うのだ。こうまでも変わるものだから、この職を選んだのだろうな、と。
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DONE光のお隣さん/第二話「なんだ、繁盛してるじゃないか」
引き戸を開けられた瞬間に反射で飛び出す「いらっしゃいませ」を、すんでのところで飲み込んで、カウンターの内から睨んだ。安堵と失望を混ぜ合わせ、さらに無礼でコーティングした声。果たして店の入り口には、長い銀髪を一つに括った、見た目だけなら絶世の美男がすらりと立っている。名は、エスティニアン・ヴァーリノ。大学時代からの腐れ縁だ。一応スーツを着てはいるが、終業と同時にネクタイを抜かれた襟は寛げられて、またその姿が腹立たしいくらいにさまになっている。
「そりゃ、オープン直後だからな。最初は何もしなくたって、物珍しさで来てもらえるさ。腕が問われるのは、これからだ」
予約していたかのような足取りで入ってきた男が、カウンター席に就いたのを確かめてから、小声で返す。この野郎、引き戸が開けっ放しだ。自分の手で開けたくせに、自動で閉じるとでも思っているのか。
5089引き戸を開けられた瞬間に反射で飛び出す「いらっしゃいませ」を、すんでのところで飲み込んで、カウンターの内から睨んだ。安堵と失望を混ぜ合わせ、さらに無礼でコーティングした声。果たして店の入り口には、長い銀髪を一つに括った、見た目だけなら絶世の美男がすらりと立っている。名は、エスティニアン・ヴァーリノ。大学時代からの腐れ縁だ。一応スーツを着てはいるが、終業と同時にネクタイを抜かれた襟は寛げられて、またその姿が腹立たしいくらいにさまになっている。
「そりゃ、オープン直後だからな。最初は何もしなくたって、物珍しさで来てもらえるさ。腕が問われるのは、これからだ」
予約していたかのような足取りで入ってきた男が、カウンター席に就いたのを確かめてから、小声で返す。この野郎、引き戸が開けっ放しだ。自分の手で開けたくせに、自動で閉じるとでも思っているのか。
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DONE光のお隣さん/第一話 ぎりぎりまで悩んだが、やはり、提灯はなくして正解だった。すっきりとした軒下を、実に伸びやかな気持ちで見上げる。
秋の晴天、金曜日。夕方と呼ぶには少々早い、まだ陽の高い昼下がり。足場やら保護シートやらをようやく除けられた我が店は、小さいながらも一国一城と呼ぶに足る出来栄えだった。未だチョークを引かれていないメニューボードの暗緑が、白いばかりのコンクリートの足許を引き締めている。暖簾は深い小豆色。それ自体は珍しくもないので、染めにはこだわった。刻み込まれた店名は、安かろう悪かろうのプリントものとは、少なくとも自分の目に映る限りでは、一線を画している。これならインスタでよくない方向に論われることはあるまい。多分。最近は呑み屋の客ですらインスタをやっているから怖い。
2982秋の晴天、金曜日。夕方と呼ぶには少々早い、まだ陽の高い昼下がり。足場やら保護シートやらをようやく除けられた我が店は、小さいながらも一国一城と呼ぶに足る出来栄えだった。未だチョークを引かれていないメニューボードの暗緑が、白いばかりのコンクリートの足許を引き締めている。暖簾は深い小豆色。それ自体は珍しくもないので、染めにはこだわった。刻み込まれた店名は、安かろう悪かろうのプリントものとは、少なくとも自分の目に映る限りでは、一線を画している。これならインスタでよくない方向に論われることはあるまい。多分。最近は呑み屋の客ですらインスタをやっているから怖い。