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    kai3years

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    kai3years

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    #光のお隣さん

    光のお隣さん/第四話「グ・ラハ・ティアさん、20歳」

     土曜の正午、やや曇り。引き戸の外は休日の人出で賑わっており、静かな店内で交わす会話は、クラクション一つで掻き消される。そのせいで若干普段より大声になってしまっているが、目の前の青年に萎縮した様子は見られず、安堵した。ただでさえやくざな商売であるから、印象は好く保ちたい。
     いつもは調え、磨くばかりで、就くことはないテーブル席には、先ほど淹れた二人分の茶が、仄白い湯気を立てている。当然、開店前である。シャッターも半分しか開けていない。

    「はい。よろしくお願いします」

     赤毛の頭を下げる彼は、アルバイトの面接に訪れてくれた、志願者だ。ここ最近の多忙に参り、倒れる前に駄目元でと店先に貼り紙をしたところ、即日で飛び込んできてくれたのだ。それも電話でなく口頭で。昨夜の営業中、当然ながら酔客で埋まる店に来て、表の貼り紙を拝見しました、面接の機会をいただけませんか、と自分に訴えかけた姿は、いっそ勇敢ですらあった。

    「バルデシオン大学、文学部、史学科…… 超難関じゃないですか。すごいな」

     地頭のよさに努力を重ねて、さらに好運を得なければ突破できないとまで言われている、名門中の名門だ。確か、現在の内閣にも、何人か卒業生がいる。履歴書の左半分だけで、四方から引っ張り凧だろう。
     正直なところ、こんな呑み屋のアルバイトに応募してくるには、不釣り合いな経歴である。家庭教師か塾の講師をする方が、割はいいはずだ。実際、家庭教師をしていた経験が、補足に記されている。見れば見るほどここに来るのは不自然な履歴書だ。が、それ以上に。

    「……ありがとうございます」

     応える言葉も疎か気味に、じっとこちらの顔を見てくる視線の強さが、遥かに気になる。何か付いているだろうか。顔は洗ったが。朝に。

    「えっと、どうして、うちに?」
    「それは──」

     ありふれた問いだと思っていたが、意外にもラハは、言葉に詰まった。訊き方が抽象的すぎたかと、軽く詫びてから補足する。

    「すみません、志望動機とか、そんなたいそうな話じゃないんです。どこを気に入ってもらえたのかなって、興味本位みたいなもんで」
    「あのっ」

     やや俯いていた顔が、弾かれたように上げられる。先ほどまでよりさらに強烈な、真っ直ぐな視線を向けられて、思わず若干たじろいだ。まずいことでも言っただろうか。

    「この場で、こういうこと伺うのは、あまりよろしくないんでしょうが…… いえ! それ以前に! もしも人違いだったら、申し訳ないんですが!」
    「え、はい、どうぞ」

     なんだなんだ。

    「十年くらい前、バンドをやってらっしゃいませんでしたか! ヴォーカルで!」
    「………」

     なんのことだか、と誤魔化すのなら、このタイミングしかなかったが。

    「シャドウブリンガーっていう──」
    「あー! そこまでで! そこまででお願いします!」

     人生、そんな柔軟に対応できたら苦労しない。
     懐かしすぎる†名前†を聞かされ、思わず顔を覆って叫んだ。久々に聞いた。もう聞くことはないだろうと思っていた。やっていた。やってらっしゃいました。ヴォーカルを務めておりました。ええ。今の今まで、完全に、意識的に忘れていたが。

    「ご本人……ですよね……?」
    「ハイ、ソウデス……」

     なんてことだ。完全に葬った黒歴史だと思っていたのに。まさか今になってアルバイトの志願者に掘り返されるとは。

    「やっぱり。勘違いじゃ、なかった」

     泣き出しそうに綻ぶ笑顔が、指の隙間から突き刺さる。

    「オレ、いや、私、大ファンだったんです。まだ音楽の何もわかってないようなガキ、あ、子供でしたけど、全力で歌う貴方の姿が、痺れるくらいかっこよくって」

     あああああ。
     今にも口から出て行きそうな叫びを堪えて、顔に浮く汗を押さえつける。恥ずかしい。猛烈に恥ずかしい。ところどころ崩れる口調が、真実の愛を訴えてくる。本当にありがたいことだと思う。そろそろ勘弁してほしい。

    「塾の帰りに、駅前で、いつも聞かせてもらってました。子供は帰れって言われるのが怖くて、隠れて、こっそりでしたけど……」

     道理で覚えがない訳である。十年前、彼は、小学生だ。自分らの演奏は夜だった。いくらなんでもその歳のファンがいたなら憶えているし、彼の言うよう、帰していた。よもや視界の外にいたとは。

    「出されていたCDも、代理で、親に買ってもらいました。渡した小遣いを貯めて返されたもんだから、びっくりしてましたけど。あれが欲しいとかこれを買ってとか、あんまり言わない子供だったんで、そんなオレが欲しがるようなら、いいバンドなんだな、って。二枚」

     二枚も。

    「一枚は現役で聞いてますけど、もう一枚も保存してあります! オレの、一生の宝物です」

     ありがとう。まとめて燃やしてくれ。
     などと切り捨てられたなら、どんなに気が楽だろうか。しかし目の前の青年は、懐かしむよう、愛おしむよう、幸せでたまらないという顔をして、昔話を続けている。ここで「ありがとうございます。それでは面接の続きですが」と話の腰を叩き折れるほどタフな男であるならば、アルバイトなど募集しなかった。己の弱さが憎い。

    「あの、それで、……これ、伺ってもいい話なのか、わからないんですが……」
    「どうぞ……」

     既に最大の「伺ってもよくない話」が出てしまっている。これより先は、もう誤差だ。それに、ファンから今になって、あまつさえ気遣わしげに訊かれる話題ともなれば、だいたいの予想はつく。のろのろと顔から手を剥がし、せめてもの癒しにと、茶を啜った。

    「どうして、解散されたんですか……?」

     ですよね。そうなりますよね。

    「いや、よくある理由ですよ。音楽性の違いというか……」

     人間性の違いというか。
     そもそも、ヒュトロダエウスはともかく、ハーデスと一緒にやれていたのが、奇跡みたいなものなのだ。いや「ギターならいるよー」とキーボードのヒュトロダエウスに連れてこられた男が披露した演奏の腕前に惚れ込んで、土下座する勢いで口説き落としたのは、ほかならぬ自分なのだが。正確性を重視してきめ細やかな練習を重ねるタイプのハーデスを、その場の勢いで曲から何からすっかり変えるタイプの自分は、あまりにも振り回しすぎてしまった。やってられるか!とギターを頭に叩きつけられたときの傷は、今も髪の奥に残っている。死ぬほど笑っていたヒュトロダエウスの顔と声は、脳裏の方に。

    「だったら、トラブルとかじゃなく、メンバーの皆さん納得して、解散されたんですね……?」
    「ええ、まあ……」

     多分。うん。多分、そう。
     ヒュトロダエウスは「またやるなら呼んでね!」と風のように去って行ったし、況やハーデスは頭にギターをぶちかましてくれた当人である。そこからまだ一緒に続ける気だったとしたら、流石に引く。

    「そっか。安心しました。……なんか、胸のつかえが取れた気分です」

     寂しげに微笑む青年の姿に、こっちの胸がつかえてしまう。自分は前半の「トラブルとかじゃなく」を意図的に聞き流した。納得の上で解散はしたが、あれがトラブルでなかった訳がない。

    「解散記念ライヴとか、そういうのもなかったから。ずっと、今日こそいるかなって、いつもの場所に来てたんですけど。ある日、そこにいた人たちが、ここで演ってたバンド、解散したらしいよ、って話してるの、聞いてしまって。……本当に、ショックでした」
    「それは、なんというか……すみません」

     まさか自分の頭以外にも傷を負うことになる者がいるとは思わなかったのだ。別段メジャーデビューを目指してやっていたバンドではなかったし、CDを出したのだって、あくまで、道楽の範疇だった。ハーデスの代わりを探して再編しようという気も起こらなかったし、自分にとっては徹頭徹尾、若気の至りというやつの一片でしかなかったから。

    「いいんです。偶然だったとしても、こうして、またお目にかかれたんですから」

     あまりにも出来た青年である。本当にバンドをやっていた頃のちゃらんぽらんな自分や、キレて人の頭にギターを叩きつけるような男とも、然して変わらない歳なのだろうか。老成しすぎではないか。

    「大学生になって、実家を出て、このへんで独り暮らしを始めて。たまたま近くをぶらついてたら、お店に出入りする貴方を見かけて。まさか、そんな偶然ないって、何度も思ったんですけど、その矢先にアルバイト募集されてたから、もう、これは運命だ!って」

     青年よ。気付いてほしい。それもまた偶然であることを。偶然とは、二度、三度なら、割と重なるということを。

    「また歌ってほしいとか、そんな我が侭は言いません! ただ、もう一度、今度は近くで、貴方の姿を見させてほしいんです! 調理も接客も素人ですが、オレ、死ぬ気で覚えます! 必ずお役に立つ店員になってみせますから! どうか! よろしくお願いします!」

     眩しい。あまりにも熱意が眩しい。この青年に「不採用」との判断を下せる者がいるなら、その血は少なくとも赤ではない。そして、どうにもならないことに、自分の血は、赤かった。

    「じゃあ……都合のいい日から……」
    「明日からでも!」
    「それなら……まあ、明日から……お願いしようかな……」
    「はい!」

     太陽のような若者だ。しかも対自分専用の。あの日、シャドウブリンガーとバンドの名前を冠したときから、この太陽に灼かれるさだめは決まっていたのかもしれない。影とは常に光とともに齎されるものなのだから。しかし思えば案を出したのはハーデスだった。お前が灼かれろ。

    「これから、よろしくお願いします!」

     さっぱりとした様子のラハが、ようやく湯呑みに手を伸ばす。大人びた青年だとは思ったが、ぬるくなった茶を一気に飲み干す姿は、やはり、歳相応だ。お代わりを勧めると、気恥ずかしそうに、湯呑みを差し出してくる。

    「あ、そういえば、こちらのお店」
    「はい?」

     二杯目の茶を注ぎながら、質問の先を促した。明日から、もとい、今日からは、同僚となる青年だ。不明な点はいつでも何でも尋ねてもらいたいと思う。

    「営業中のBGMには何を」
    「無音! 無音です!」

     CDを持ち込まれる事態だけは、全力をもって回避した。
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