3.救けたものは頭の中の未来フィルム.3
昼時だった。それは人の波、渦、混乱。それらが肥大化し、雄英生達は我先にと外へ出ようとしていた。そのカットが終わり──次は帰り道──。
§ § §
目覚ましのアラームによって起こされる。いつものようにメモを頭に入れ、手帳の内容を頭に入れた。シャコシャコと歯を磨く。顔を洗うのも忘れずに。憂無は制服に着替えるとリビングへと向かった。
「おはよう、皆」
おはよう、と声が掛かる。憂無は目玉焼きをトーストに乗せるとマヨネーズを掛けた。特に理由は無い。そこにあったから掛けただけだ。朝食を食べ終わると天哉と共に登校する。家を出る時にはいってきます、と二人揃って言うのだ。憂無は言う。
「天哉、今日の昼は気を付けた方がいいかもしれないぞ」
「……昼? 何かあるのか?」
「いや……なんか……こう、人混みがブワーッてなるのが見えたっていうか……」
なるほど、と天哉は頷く。
「覚えておこう。そろそろ学校だな……今日こそ忘れ物はないかい」
「あーーー多分」
歯切れが悪そうに憂無が言った。飯田は眉を吊り上げ言う。
「多分とはなんだ、多分とは!!」
憂無は耳を両手で塞いで走る。
「学校まで来て天哉のお小言聞きたくないよー!!」
憂無は全速力で教室へと向かう。誰もいない教室で授業の用意をしていた。数分が経つとガヤガヤと聞こえ、登校してきているのがわかる。憂無は椅子にもたれ掛かって青革の手帳を読んでいた。授業のおさらいである。ぺらぺらと捲るとすんなりと頭に入っていく。まるで乾いたスポンジを水に沈めた時のようだ。憂無は一限の授業の用意をし、椅子に座り直す。そうして外の風景をちら、と見て赤革の手帳へと描いていく。見かけた鳥、空、人。カリカリと小さく音を立てそれらは紡がれていく。憂無は予鈴まで絵を描いていたが、描き終わり思う。
スケッチブック買った方がいいなあ。購買にあったっけ?
彼女はそう物思いに耽りつつ、授業を受ける。それから数時間が経ち、昼。憂無は思う。
天哉……忘れてないといいけど。
憂無はスケッチブックを買った後、警戒しつつも大食堂へ向かう。そろそろと歩いていると上鳴に声を掛けられた。
「お、前宮じゃん! お前も昼?」
「え、あぁ。うん、そうだよ」
憂無は答えた。他にも切島、瀬呂がいた。いつものメンバーと言った感じだろう。憂無はその三人の後ろを着いていった。そわそわとしつつ憂無はキョロキョロと周囲を見る。すると上鳴が問う。
「前宮さー……さっきから一体何してんの? 挙動不審だぜ?」
「えっ……その……えーと」
言い淀む。上鳴は尚も続ける。
「あ、そういやさー前宮て飯田とどんな関係なん?」
「兄妹……みたいな」
みたいな? と三人が口を揃える。
「実際、血が繋がってるワケじゃないんだよね〜」
瀬呂は上鳴を肘でつついた。ぼやっとしていた上鳴は我に返る。
「あっ……悪ぃ……デリカシー欠けてたわ……」
「別に良いけどね」
と憂無は肩を竦めた。それより、と憂無は言う。
「ご飯並ばないと……」
「おっ、そうだな!」
と切島。憂無はちょっぴりドキッとしながら三人と共に並ぶ。切島は肉が沢山入っている丼、瀬呂は体に良さそうな定食、上鳴は日替わり定食Aを頼んでいた。憂無は日替わり定食Cを頼んだ。テーブルに着き半ばまで食べ終わった時、警報が鳴った。憂無はそれを気にせず定食を食べている。
「おい! 前宮っ!」
「き、きき切島!? 何!?」
思わず吃ってしまった憂無は切島に掴まれた手を硬直させた。
「警報! 屋外に避難って言われてる!! 来い!」
「え、あ……」
憂無は切島に言われるがまま立ち上がる。わかっているのに、わかっているのに、この手を振り解けない。憂無は耳まで赤くして切島に握られた手を握り返した。廊下へ出ると、人混みだらけでパニックに陥っていた。
「いっ……」
背中に誰かの肘が当たる。そのせいで足元はつんのめり、転びそうになった。
「っ、大丈夫か?!」
がしり、抱き止められた。憂無は火が出そうな程顔が熱くなっているのがわかる。
「き、き、き切島! 私はもう大丈夫だからっ……!」
「お、おう、悪ィな!」
切島は憂無から手を離すと大声で叫ぶ。
「皆さんストップ!! ゆっくり!! ゆっくり!!」
一緒にいた上鳴は慌てているのか諦めているのかわからない表情で言う。
「んだコレ」
混乱に巻き込まれた憂無に成す術は無い。とりあえず上鳴の袖を掴んではぐれないように人波に押し流されていた。……と、不意に大きな声が聞こえる。
「大丈ー夫!!」
侵入してきたのはただのマスコミだと言い、天哉は出口の上に捕まりまるで非常口のような体勢で叫んだ。そうすると混乱は収まり、やっと人雪崩れも止む。憂無はとりあえずホッとして上鳴の袖から手を離した。
「これ、外出た方がいいのかな」
「取り敢えず出た方がいんじゃね?」
「おう! 先生達も心配してるだろーしな!」
とりあえず生徒は一旦校庭に出、校長からの話を幾つかされて各々のクラスへと戻った。憂無はクラスへ戻ると担任から詳しい説明と、授業が続けられる。彼女はおろしたてのスケッチブックを捲り、彼の顔を思い出しながらこっそりと描いた。それを見ると今でもあのときめきが胸を打つ。憂無はスケッチブックを暫く眺め、それから机の収納スペースへとしまった。授業が無事終わり、憂無はA組へと向かう。
「天哉ー!」
「憂無!」
お互いに声を掛け合い、憂無は天哉、緑谷
お茶子で駅まで歩く。天哉は言う。
「……知っていても、対処するには中々難しいものだな……憂無はすごいな」
「え。いきなり、何」
めを丸くする憂無。天哉は続ける。
「憂無のように先を知っていても如何に対処するか……それが大切で難しい事だよ」
「あ、そっか。前宮ちゃんの『個性』、『予知夢』やもんね」
と麗日。緑谷はどこからかノートとペンを取り出しブツブツと呟きながらメモを取っていく。駅まで着くと、天哉は二人に別れを告げる。
「ではまた! 明日会おう!」
「うん! また明日〜! 前宮ちゃんも!」
「う、うん。また明日……!」
「うん、また明日」
そう言って改札を抜け、電車に乗る。憂無はぼうっと窓の外を見た。早く移動する電車の中では外の風景を捉えられない。憂無は目を閉じて電車に揺られていた。
§ § §
しとしと、降る雨。雄英校舎内の木に作られた巣から落ちた雛がピィピィと鳴いている。野良猫がじとりと狙っていた──。
§ § §
ザァザァと雨が降る。憂無は傘を差し、天哉と共に歩いた。憂無は雄英に着くと、走って森の方面へと向かう。
「憂無!?」
天哉の声も気にせず憂無は程なくして木の下の鳥の雛を見つける。ピィピィと小さな声で鳴くそれはとてもちまっこかった。憂無は上着を脱ぐと、雛に触らないようそれで包み傘を放り捨てた。片手で木によじ登る。憂無はやっとのことで巣を見つける──が、親鳥につつかれてしまう。カッカッ、と突くそれは擦り傷になった。
「いて、いてて!」
格闘しながらも憂無は雛を巣へと返せた。その後もつつかれつつ、木から降りる。制服はドロドロに汚れ、見ていられない姿だ。憂無は傘を拾うと、自クラスへと走って行った。
§ § §
切島が彼女を見かけたのは飯田が叫んでいたのを見たからだ。今日はつい早めに来てしまい、切島は憂無の跡を追った。憂無は小さな、それこそ見過ごされるであろう小さな生き物を自分の制服の上着に包んで尚且親鳥につつかれても気にする事なく巣に返してやった。それを見、切島の中に形容し難い感情が生まれる。感動、感激──そして彼女を助けてやりたい、という気持ち。しかし彼女は助けなど必要としていない。この気持ちは────なんだろうか? 切島は思い、立ち尽くす。憂無は自分のクラスへと戻っていったが、切島はまだその場に立ち竦んでいた。
§ § §
「…………どうしたんだよ、それ」
泥だらけ葉っぱだらけの姿を心操に見咎められる。憂無は恥ずかしげに頬を掻き、言う。
「……ちょっとね」
いや、と心操は食い下がる。
「ちょっとじゃないだろ。何があったんだよ」
憂無は溜息を吐くと言う。
「………………雛が落ちてた」
「鳥の?」
「うん」
憂無は頷いて続ける。
「雛が落ちてたから、巣に戻してた」
「………………」
心操はじと、と憂無を見る。
「な、何?」
居心地の悪さを感じた憂無は言った。
「…………鳥の雛が落ちてたのは、自然の摂理だろ。少なくとも俺は前宮がそこまでする理由、無いと思う」
「でもさ。見ちゃったからには放っとけないんだよ」
憂無はそう言って柔らかく笑った。心操は溜息を吐く。
「馬鹿かよ…………」
「まあ、少なくともああいうの見て放っとけるほど人間出来てはないから馬鹿かもね……」
憂無はそう言って遠くを見詰めるような表情をした。心操は無言で憂無をじっと見る、がすぐ視線を外した。憂無は憂無で席へと着く。他のクラスメイトにも制服の汚れを聞かれたが気にしないで、の一点張りだった。午前の授業が終わり、汚れた制服のまま昼食を摂りに大食堂まで歩くとあからさまに避けられた。汚れているので仕方ないな、と思いつつ憂無は日替わり定食Bを頼み一人で食べる。もぐもぐと口にしているとやはり、美味であった。憂無はそのままトレーを返却すると自クラスへと戻る前に切島の座る席を覗き──サラサラと横顔を描く。ほう、と溜息。最早恋に囚われているようだった。……やってる事はアウトの域だが。
§ § §
「…………なあ、瀬呂」
「あ? 何よ」
昼食を摂る上鳴と瀬呂の視線の先には切島がいた。彼はまだ頼んだ昼食を食べずに物思いに耽っている。
「なんか……切島、変じゃね?」
「まあ…………そうだけど。誰だって考え込む時くらいあんじゃねーの?」
「そりゃそうだけどよ…………」
瀬呂の言葉に納得しかける上鳴。いや! と上鳴は言う。
「あの熱血馬鹿な切島があんな静かなのおかしくね?! 今日ずっと変だったじゃん!」
「まあ……そっとしといてやろうぜ……」
と瀬呂。切島は未だぼうっとしている。
「切島ー。早くしねーと時間過ぎるぜー」
瀬呂が声を掛けた。切島はお、おう! と慌てて昼食をかっ食らう。上鳴はじい、と切島を見て思う。
やっぱ変だって…………。
§ § §
「天哉ー」
帰り、A組に天哉を迎えに行った憂無。その姿に天哉と麗日は驚く。
「!? どうしたんだその格好は!」
「どしたんそれ!?」
「どうもしないよ。早く帰ろー」
「どうしない訳ないだろう!!」
と天哉。憂無はまた始まった、と言わんばかりの表情でそっぽを向く。小言が始まろうとした瞬間──声がそれを遮った。
「前宮は雛鳥救けてたんだよな」
切島だった。憂無は驚愕の表情のまま彼を見る。
「雛鳥に自分のにおいが付かないように制服の上着で包んでんの、俺見たぜ」
憂無は下を向いて顔を真っ赤にした。切島は言う。
「だからあんまり責めるこたねーんじゃねえかな……な、飯田」
「ム…………」
と天哉は難しい顔をする。心なしか切島の憂無を見る表情は優しかった。憂無は声を絞り出して言う。
「い………………いつ、いつから、見てたの……!?」
切島は頭を掻きつつ言う。
「んー……。多分最初っからだぜ」
憂無は今度こそ顔を茹で蛸のようにまっかにした。
「前宮ちゃん顔真っ赤や!」
と麗日。憂無は慌てて言う。
「ぃやぁ!? 赤くないし!? 別に何も気にしてないよォ!?」
取り繕う筈がボロが出てしまっているのは憂無と切島、天哉以外は全員わかっていた事である。
「は、早よ出よ!! ホラ!!」
憂無は天哉の腕を掴むとさっさと昇降口に向かって行った。麗日と緑谷も慌ててそれを追う。憂無は下駄箱前に来ると店内の腕を離し、頭を抱えた。
「今度はどうした!?」
と心配する天哉の声。
「何でもない………………」
憂無は消え入る声で呟いた。天哉は食い下がる。
「何でもない事ないだろう! 頭痛でもするのか?!」
「いや、大丈夫! 大丈夫だから、もう」
そう言って憂無はすっくと立ち上がる。おーい、と言う麗日の声が聞こえた。緑谷もいる。
「待ってー!」
「麗日と緑谷」
「麗日くん、緑谷くん」
「急に出てくから吃驚した! まだ雨降っとるね〜」
へにゃりと麗日は笑って言った。憂無はその表情に少しホッコリと和む。こうしてまた、四人で駅まで帰る事となった。憂無は傘を差しているが、やはり靴は濡れてしまうなあ、と思い足をブラブラさせる。そうすると天哉から注意がしっかり飛んでくる。
「他の人に迷惑になるだろう! やめないか!」
「はぁい」
憂無は大して応えた様子もなくそれをすぐさまやめた。二人と別れ、家に戻ると天哉の母に大層驚かれる。
「あら! どうしたの、憂無。その格好!」
「ちょっと転んだ」
斜め右下を見つつ憂無は淀みなくそう言った。嘘である。
「とにかく、洗濯するから明日は新しいの着ていきなさいね」
「はい」
憂無は脱衣所で制服を脱ぎ切ると、自室で部屋着に着替えたのであった。