君じゃない「ハロウィンパーティに誘いたい人はいないの?」
何気なく聞かれたその質問。
口を開き掛けたあまねは、思わず言葉に詰まる。
きっと大きな意味はないその言葉に。
一瞬浮かんだ、寂し気な歪んだ笑顔。
自分に合う食べ物があまりなかった上に、
好き嫌いも激しいの。
その上極端な猫舌で、
みんなと一緒に食事をするのが
苦手だったみたい。
マリちゃんの言葉に、目を伏せる。
私は、彼が物を口に運ぶ姿を見た事がない。
珈琲を飲んだ。
そんな形跡だけなら、見た事もあった気がしたけれど。
コンコン、とノックをして様子を見るがやはり返事はない。
「ナルシストルー?」
静かで無機質な扉に声を掛けた。
しばらく姿を見掛けなくなったナルシストルーは、技術者として自室と言う名の研究室に籠り新たな戦力となる何かを開発している、と聞いている。
ーー正直、自分には関係のない事。
けれど、セクレトルーに言われて渋々その部屋を訪れた。彼女はナルシストルーの作る“新たな戦力”の進捗を尋ねたいらしい。
「……………」
やはり返事のない天岩戸のような硬い扉に、小さく溜息を吐いた。
誰が声を掛けても変わらないだろう彼の反応。
彼はたぶん、子どもが遊ぶように今自分がしたい事に熱中してそれを実行しているだけ。周囲はあまり関係がない。
ただ、技術者として実力が伴うから、ゴーダッツ様にも許されている…と、感じている。ゴーダッツ様が認めている以上、今の状況には誰も何も言わない。
「セクレトルーが、進捗を聞きたがっている。キリが着いたら少し顔を出してくれ」
言った所で何も変わらない、と胸の内で思いながら、ジェントルーはもう一度その扉に手を伸ばした。ノックをしようと扉に触れて、その手を止める。
「一応、伝えたから」
小さく呟いて目を伏せた。
「聞こえているんだろうか…?」
ーーナルシストルーの事は正直よくわからない。
ジェントルーに。
菓彩あまねに。
触れて。
でも、こちらが触れようとすれば、
すれ違うように離れて行く。
相手が嫌な思いをする言葉を簡単に告げて。
笑って。
こうやっていつも、
ひとりでいる。
ガチャ、と扉が開く音が聞こえた。
ジェントルーは思わず顔を上げ、赤い目を大きく見開く。
その胸が、どくんと鳴った。
「…聞こえてる」
低い声で静かに応える。
開いたスライドの扉からは、片手で額を抑えたナルシストルーが顔を出していた。部屋が暗いからか、以前見た時よりも幾分か顔色が悪く見える。
透き通るような白い肌。
仮面を取った吊り目がちな紫色の瞳。
私が此処に来て、初めて目にしたのはこの顔だった気がする。
ナルシストルーが端に寄り、ジェントルーを招き入れるように視線を送る。
「…………?」
開かないだろうと思っていたその扉。
でもそれは、意外にも簡単に開いてしまった。
その唐突さに動けないままのジェントルー。そんな彼女に、ナルシストルーは苛立った声を上げる。
「何?オレ様の進捗を見に来たんじゃないの?」
言われて目を瞬く。
「…え、ぁ、ああ」
そうだ。この人の作業状況を報告するのが此処に来た目的。
セクレトルーも自分も、籠りきり彼が扉を開く事は正直想定していなかった。
一応、声を掛けてみるよう伝えられただけであって。
まさか中にまで招かれるとは予想もしていなかった。
そんな目の前のナルシストルーに、つい反応に遅れてしまった。
ナルシストルーは目を細める。
「帰るの?」
ジェントルーはナルシストルーをちらりと見た。
いつもと変わらない口元を歪めた笑顔のナルシストルー。
ジェントルーはその扉を潜る。
明るい廊下とは打って変わって窓もなく、蛍光灯の頼りない明かりの付いた薄暗いその部屋。そこはやはり、自室と言うよりも研究室のような作りになっていた。
奥に休める場所があるように見えるが。
立ち止まるジェントルーの背後で、扉が閉まる音が聞こえた。それからコンピュータの音と同時に、カチャンと鍵が掛かる音。
「…………っ?」
振り向くと、ナルシストルーは扉を背にこちらを見ていた。体制を整えて向き直るが、彼は両手を上げてひらひらと手を振る。
「何もしませんって」
歩き出し、追い抜き様にジェントルーの肩に手を置く。
「気が振れるから、完成まで人を招きたくはないんだ。オートロックにしてあるだけだよ」
言って追い越し、出しっ放しになったままのローラーの椅子に座った。
机には大きな画面。その隣には飲み掛けのカップに入ったブラックコーヒーと、ひと口サイズの小さなマカロン。ラッピングされたままのピンクと茶色の小さな菓子だった。
ーーおやつだろうか。
ほんの少し、意外な気がした。
そう言えば私は、彼が物を口に運ぶ姿を見た事がない。
ナルシストルーが椅子を引いて画面に触れ、キーボードを操作すると、見た事のない画像や難しそうな数式などが並ぶ画面へと切り替わった。
「レシピッピの捕獲箱を改良してみた」
机に肘を置き頬杖をつく。
仮面のないその瞳は画面の光を反射して輝いていた。白の肌はより一層青白く見えた気がする。
ナルシストルーは画面を見たまま続けた。
「今よりも、もっと強力なウバウゾーも出来ると思う。同時進行で、ゴーダッツ様に頼まれたデリシャストーンの解析も終わりそうだ。それから、…コレ」
言って手に取ったのは紫の石。綺麗なようでいて少し濁った印象を受ける。
ジェントルーを一瞥してからツンと突つけば、パリンと音を立てて崩れていった。
「コレはデリシャストーンのレプリカ。要は偽物。今はまだ完成度も低いから、一度使えばこんな風に衝撃で壊れてしまう。でも、ここから硬度を上げていければ…、かなりの戦力になるだろう」
崩れた石を机に置いた。
あちこちにいくつか粉が残っているのは試作の後だろうか。
ジェントルーは静かにその机を見ていた。
「まぁ。オレ様が作るんだから。絶対に上手く行くとは思うが」
自信に満ちたその顔で、口の端を持ち上げて笑う。
「セクレトルーには万事順調だと伝えてくれればいい」
ナルシストルーは息を吐いて画面に向き直る。
また少し、キーボードに触れた。カタカタと音が鳴り、それが止まると改良型の捕獲箱やデリシャストーンの解析資料の束を手渡される。
ジェントルーは難しい単語の並んだ資料を見た。
失敗は成功の元とは言った物。
本当に。性格はともかく、技術者としては抜きん出た才能を持っているのだろうと感嘆する。
「わかった。セクレトルーに伝えておく。これを渡せば良いんだな?」
「よろしく〜」
資料を手渡した彼は軽い声で返事をする。
「さて、と」
休憩、と呟いて、背筋を伸ばし、ナルシストルーは椅子の背もたれに身体を預けた。
ジェントルーはその横で手渡された資料をパラパラと捲って見る。数式は省いて理解できる単語を拾いながら確認してみた。捕獲箱のあちこちが改良されているのが一応に理解出来る。
ナルシストルーはそれを見ながらコーヒーの入ったカップを手にする。ミルクなどが入っていない、冷め切ったブラックのコーヒー。
取手に指を掛けるが、それを横目で見て手を離した。
カチャン、とカップがソーサーに当たる音が響く。
「コーヒーは苦手なんだ」
カップを見ながらナルシストルーが小さく呟いた。
「…………?」
ジェントルーはその言葉の意図が汲み取れず、顔を上げた。資料を捲る手を止める。
「じゃあ、別に無理に飲まなくても良いんじゃないか…?」
でも、手元には飲み掛けのコーヒーカップ。
首を傾げる。
「目が覚めるから、飲んでるだけだ。必要だから摂取する。……全部、それだけだ」
伏せた瞳からは表情が読み取れない。
コーヒーカップに触れたその手が、ラッピングされた隣のマカロンに触れた。
白の手袋のままそれを掴む。
「知ってる?甘い物は、疲れた脳に良いんだってさ」
ナルシストルーは手元を見た。
「……?聞いた事はあるが…?」
「不足したブドウ糖を補う為に身体が糖分を求めるんだ。摂取すれば、血糖値が一気に上がって一時的な満足感を得られる。…しかし、摂取しすぎれば逆に疲れてしまう事もある」
「………?」
ジェントルーはやはり首を傾げる。
ナルシストルーはラッピングされた小さなリボンを引っ張り袋を開けた。
「……要するに、いらないんだ。必要最低限の糖分さえ摂取出来れば、それでいい。満足感や幸福感だけの食事は、オレ様には必要ない」
袋からピンクの小さなマカロンを取り出して摘むように持ち上げる。
立ち上がったナルシストルーは、ゆっくりと片方の手をジェントルーに伸ばした。指先がそっと頬に触れる。ざらっとした布の感触に、布ごしに感じる温もり。
歪んだ笑顔でジェントルーを見る紫の瞳に。
身体が動かなくなる。
手にしていた分厚い資料が、音を立てて滑り落ちていった。
「女の子って、好きだよね。こう言う甘いもの」
固定するように触れた頬。
その親指の腹が、ゆっくりとジェントルーの唇を撫でていく。
至近距離から囁くように告げるナルシストルーは愉し気に笑っていた。
その吐息が、かかるくらいの近い距離。
「……っ、やめ、」
言い掛けた唇が、柔らかな彼の唇に塞がれる。
「………ん…」
ナルシストルーの肩に触れて、思い切り力を入れるが、腰に回された手に阻まれて引き寄せられた身体は動く事が出来ない。
それなりに力はあるつもりでいるが、男性の力には敵わない。
鍵のかかった扉は、決して外からは開かない。
身動きの取れないこの状況に、頭が真っ白になる。
けれど、触れただけの唇は簡単に離れて行った。
「………っ!…何す、」
ーーるんだ。
言い掛けて開いた口元に、硬い何かが触れた。
小さなそれを、無理矢理に口の中に入れる。
異物感はあまりなくて。
表面はやや硬いが、口の中に広がるのは甘いチョコレートと、苺の香。
「…………っ?」
手袋の人差し指が、ピンクのマカロンをゆっくりと口内に押し込んでいく。ジェントルーは抵抗する事も出来ず、その指先の甘い菓子をただ受け入れて飲み込んでいく。
「ほら。好きでしょ?こう言う甘いの」
目を細めて笑うその顔に、思わず頬が熱くなる。
「オレ様は、大嫌い」
静かに告げたその言葉に、一瞬彼の笑顔が消えた気がした。
「…………」
その手を振り払って。
文句の一つも言いたかったが。
笑顔のないその顔に、気も削がれてしまう。
何処か消え入りそうな、
少しだけ、寂しそうなーー。
ナルシストルーはジェントルーから離れ、膝を突き床に落ちた分厚い資料を拾う。
投げるように乱雑に、資料と袋に残った茶色のマカロンを手渡した。
ナルシストルーの事はやっぱりよくわからない。
こうやって他人の心に触れて。
でも、こちらが触れようとすれば、
すれ違うように離れて行く。
相手が嫌な思いをする言葉を簡単に告げて。
人を見下すような嘲り嗤ってみて。
こうやっていつも、
ひとりでいる。
「じゃ。オレ様は美味しい珈琲を淹れに行くから。好きなだけ見てって」
ナルシストルーはカップを手に取り、ジェントルーを追い越して行った。
「進捗?セクレトルーに適当に報告しといて」
ひらひらと手を振って、研究室のような自室の扉に手を掛ける。
「……っ?ま、待て……っ」
ジェントルーは手を伸ばすが。
ナルシストルーは簡単にそれを交わしていく。
彼が振り返る事ない。
もう一度ひらりと手を振って扉を開け、そのまま出て行ってしまった。
カチャンと、オートロックの扉が閉まる音が響く。
その扉を見て。
ジェントルーはもらったマカロンをぎゅっと握った。
ーー嫌いだ。
私は、この人が嫌い。
伸ばしたその手は、絶対に届かない。
自分は簡単に触れて来るくせに。
私は触れる事が出来ない。
だから、
そんな貴方が、嫌いなんだ。
「珈琲もお菓子も、嫌いって言っていた…」
「…ん?どうしたの?」
マリちゃんがあまねを見た。
はたと気付いて顔を上げ、首を横に振る。
「否。何でもない」
私がハロウィンパーティに誘いたいのは、
貴方じゃない。
End**