霊の視える少女に打算込みで声を掛ける、ずっと前のこと。心から友人になれるかもしれないと思えた少女がいた。
堕魔死神高校に入学して、何をすれば良いのだろう、と疑問に思っていたのも数日の話。現世の高校に行って男子生徒の魂を集めるように指示が与えられるまで、そう長くはなかった。
命じられたのは、男子の魂を根こそぎ奪うだけの簡単な仕事。自分の顔が整っていることは紛うことなき事実であるし、それを利用するだけでタダで仕事がこなせて学習の機会も得られるのならば、それを断る理由なんてない。カンパニー本社に籠ってくだらない世間話に興じている同級生を横目に、単身現世に発った。
やり口がやり口であったので、当然女子には疎まれて、友人の一人もできやしなかったけれど、図書室も自習室も無料で好きなだけ使えるのだから、プラマイゼロどころか大幅にプラス寄りである。
その少女を認識したきっかけは、放課後に自習室の利用時間ギリギリまでいる一年生が、私以外にもいることに気がついたことだった。高校三年生でもなければ自習室にすら足を向けない人が多い中で、同学年の生徒がいる、というだけで、奇妙な結束感を抱いてすらいたけれど、今思うと中々に青い思想で苦笑が零れる。
梅雨の頃、傘を無くして困っていた彼女が不憫で、こっそり拝借していた傘を差しだすまでは、会話すらなかったけれど。
きっと、彼女も他の女子と同じで私を嫌っていて、突き返すのだろう、と薄々思いつつ差しだした傘を、他意のない笑みで受け取られたものだから、却って動揺した。男子に興味が無いのか何なのか、純粋無垢な目で「かわいくて努力家で、ずっとお話ししてみたいと思ってたの!」と私のことを褒めてきた彼女の声は、もう思い出せない。
明確に何かを言うでも無かったけれど、それ以降は体育のペアや座学のグループワークも自然と二人で組むようになって、これが友人と言う物なのか、と少し嬉しかったことを今でも覚えている。少女がクラスで浮いていることには気づいていたけれど、深入りする暇も興味も無かったから、そちらには何も関わらない、付かず離れずの距離感。
そんなある日、「良ければお家に来ない?」なんて誘われて、浮かれきった二つ返事で承諾した。小学校の頃から、一度も他人の家に遊びに行くという経験が無かったものだから、若干童心に返っていたのだろうか。
彼女の母はいい人で、困窮していない一般家庭というのはかくあるものなのだろうか、と少し眩しく感じた。
今になって思い返してみれば、あの時、「また明日」という何でも無い言葉に返答が無かった時点で、不信感を抱くべきだったのだ。或いはもっと前、彼女のクラスでの状況に気づいた時点で、何か、声を掛けてあげるべきだったのかもしれない。
その翌日、普段はSHRの10分前には来る彼女の姿がチャイムが鳴っても見えなくて、首を傾げていたら、急遽一限目が学年集会に変更となった。学年全員講堂に集められて、告げられたのは彼女の訃報。深夜に自宅で亡くなっていたらしい。明言はされなかったが、その後に原因だとか何だとかで喧しくなりそうだったので、十中八九自死だろう。これ以上聞いても何も意味は無いと判断したから、早々に髪飾りの花を散らしてその場を離脱し、空を駆ける。
もし、霊になって彷徨っているのなら、浄化してあげたかったのだ。
辿り着いた先、昨日も訪れた彼女の家の彼女の部屋で、彼女の霊は眠っていた。目覚めさせる勇気は無かったからそのまま浄化して、輪廻の輪に乗るところまで見届ける。自死は場合によっては地獄行きとされてしまうから、今回は、無事に輪廻の輪に乗れたようで、本当に良かった。
どうせ死ぬのなら、その前に自分に言って欲しかったと、そう思うのは、悪なのでしょうか。
一言でも、言ってくれたなら、貴女が笑っている時に魂を抜き取って、美しい形で輪廻の輪に乗せてあげたのに。無論不正である、不正であるが、非合法な会社に就職して、非合法な手段で現世の高校に籍を置いて、死ぬべきで無い男子生徒の魂を奪い続けている時点で、今更だろう。
どうであれ、無惨に縄から吊り下がった最期を迎えるより、ずっとずっと、良かったはずだ。きっと痛かったでしょう、きっと苦しかったのでしょう、私にはその苦しみも痛みも、分からないけれど。種族以前に、根本的な思考が異なっているがために。
堕魔死神としてトップを目指すのならば、そも、彼女と仲良くなれた時点で魂を頂くべきだったのかもしれない。元々言われていた男子生徒相手にしても、踏ん切りが付かなくて中途半端な状態でのうのうと過ごしていた自分とは、その日を境に縁を切った。
貴女を救わなかったことを後悔することは無いけれど、貴女を殺せなかったことだけは、心から悔やみ続けたい。
結局、あの頃に集めていた魂は全部返されてしまったし、悔恨の念も薄れて消えかけた今、忘れても良かったのに、こうして墓地に足を向けている辺り、現世に長くいすぎて人の価値観に流されているのかもしれない。
人が人を悼むことに理由は必要ないのでしょうけれど、人の魂を不正に回収することを生業としている自分がそれをしていると言うのは、傍目に見れば偽善でしかないのかしら。
暫く墓前で黙祷を捧げていると、人の気配を感じた。彼女によく似ている、或いは彼女がよく似ていた女性は、こちらのことを覚えていたらしい。
「れんげちゃん……?」
「あ……お久しぶりです」
相手に不審に思われる前に、にこりとお淑やかな優等生である四魔れんげの顔を作る。「あの子が遺したものがあるのだけれど、良ければそれを受け取って、ついでに会って行ってくれないかしら」という彼女に、そこにあの子はいませんよなんて言えるほど外道では無い。
辿り着いた一軒家は、薄ら香る線香の匂い以外、あの頃と何も変わっていなかった。どうしても、捨てられなくて、と悲しそうに微笑み彼女に、無言で眉を下げて笑みを返す。
「これ、貴女宛だったから開けてないままだけれど」と言って渡されたのは、四魔れんげ様へ、と書かれた封筒。断りを入れて、そのまま読ませてもらう。便箋2枚分の手紙は、謝罪と感謝と、激励で構成されていた。最後には、来世はれんげちゃんみたいに長い髪になってみたい!なんて無邪気に綴られていて、忘れていたはずの彼女の声が、鮮明に脳裏に蘇る。
遺書とは思えぬポジティブさに、国語のレポート作成の時に私の死生観が興味深いと聞き入っていた彼女の姿を思い出す。もし、私の発言が彼女を自死へと走らせるきっかけになっていたとしたら――否、今更考えたって詮無き事だ。事実、輪廻転生は存在するのだから、なんらおかしなことではない。ないはずなのだ。
まだ少し何か入っている気がして、中をあらためてみると、一筆箋が添えられた栞が出てきた。ステンドグラスのような装飾で蓮華が形取られたそれは、れんげちゃんのことを思い出したからつい買っちゃった、と書かれていて、暫し、何も言うことが出来なかった。
焼香をして、そっと遺影に微笑みかける。
祈る対象はここではなく、既に転生はなされているだろうが、けじめ、という奴だ。
きっと私は以降も続く長い生の中で彼女のことを忘れる日が来るだろうから、彼女と親しかった同級生の四魔れんげは、今日で最後にしようと思う。
どうか貴女に幸福が訪れんことを。