I wish your happiness from my heart. 数日前、飛脚が文を持って長屋へ来た。その差出人は情人の福沢で、内容は『十二月二十五日に勝邸へ来てくれ』との事だった。
また後学の為と理由をつけて拝借を手伝わされるのだろうか、と想像しながら、積もる雪を踏みしめて指定された場所へ向かった。
「この有り様は一体……」
勝邸に着き、いつも彼の居る部屋の襖を開けると、そこは地図や巻物、書物にその他諸々が乱雑に散らかった光景が目に飛び込んできた。
あまりにもしっちゃかめっちゃかな様子に、挨拶もせずただ驚いて立ち尽くしていると、複数ある山積みの書物の後ろから隠し刀を呼びつけた張本人が顔を出した。
「も、もう来てしまいましたか」
ここに来いと文を送った人間が言うとは思えない発言に、困惑の色を隠せない。
「来てしまったが……出直すか?」
「いえ!すぐに見つけます」
――見つける。何かを探すのなら人数はいた方が良いだろうが、何を探しているのだろうか。
「……何か失くしたのか?」
そう訊くと、四つん這いで押し入れの中を漁っていた福沢の動きがぴたり、と止まった。
「………………はい…」
消え入りそうなか細い声で呟き、後退って出てくると、足が本の塔に当たって崩れた。それが隣の塔へ当たりまた崩れ、その隣の塔も…と将棋倒しのように次々に崩れていく。あまりに一直線に重なり倒れているところを見て、さながら本の川のようだと隠し刀は謎の感動を覚えた。
そんな隠し刀とは反対に福沢はその光景に心が折れたようで、その場にへたりこんでしまう。長い時間探していたのだろう、疲労の影が見える。
「……西洋の風習で、クリスマスというものがありまして…キリスト教の祭りなんですが、家族で集まり贈り物をし合う日なんです。……折角、想いが通じ合う関係になれたので…家族でなくても大切な人にはかわりないと思い、何か贈り物をしようと用意したのですが…」
「……それを紛失してしまった、と」
項垂れる福沢を見て隠し刀は、仕方ないな、と言わんばかりに埃を被った頭を優しく撫でるよう払った。
「手伝おう。二人の方が早く見つかるだろう」
そう言うと情人は顔を上げて、ありがとうございます、と少しの笑顔を浮かべた。
「先程から押し入れを探しているが、中にしまい込んだのか?」
「いえ、入れた記憶は無いのですが、十三日の大掃除の日に散らかっていた書物を取り敢えずしまい込んだので、その時に一緒にしてしまったかも、と…」
前から思ってはいたが、やはり整理整頓が苦手な性分らしい。福沢もいい大人であるし今まで何も言いはしなかったが、時たま足に引っ掛けて転びそうになっていた為、年末の大掃除でマシになってほしいと期待していたのだが…
「うーん…確かにお前は物が多い…気がする。私もいる事だし、この際、要るものと要らない物とを分けてしまおう。そうすれば気持ち良く新年を迎えられるだろう?」
返事を待っていると、少し苦い顔をしていた福沢だが最終的に首肯した。
要る要らないの判別は当たり前だが福沢にしか出来ない為、彼に任せ自分は贈り物を探す事になった。それはどうやら木の箱に入っているようで、それらしい物は無いか本を退けながら探す。暫くすると、それに該当するような箱が出てきた。
「…これは違うか?」
「どれ…あぁ、違いますね。その中身はあなたから頂いた煙草です」
「…そうか」
ふと、部屋全体を見回すと、きちんと並べられている本の中や、押入れの隅に、自分が福沢に贈った物が少なからずあった。それが部屋を狭くしている原因になっている事実に少し複雑な気分になったが、大切にとっておいてくれている事はとても嬉しく、顔が綻んだ。
思わず福沢の方を見ると、要るものを置く場所に崩れた書物をそのまま移動させただけなのでは、と疑う程の山が出来ていた。…今さっきの心温まる感動を返してほしい。
「………………諭吉」
はい?と返事をしてこちらへ振り向く。その目は一点の曇りもない。
「それは……全部要る物なのか?」
「ええ。そうですが……何か…?」
「何か?ではない。これでは先程と全く変わらないじゃないか」
「そう言われましても…内容を全て覚えていられないので。調べる時に困るじゃないですか。あぁ…でも、あなたが覚えていてくれたら処分しても良いです」
「……無茶を言うな」
ここで、「わかった」と言えたならどれだけいいか。
記憶力の問題では無く、片割れとの事がある。刺し違えても私は彼を止めなければいけない。それなのに、そんな言い方をされたらこれ以上何も言えなくなる。
そんな隠し刀の気持ちも露知らず、福沢は冗談ですよ、と微笑みながらそう言った。
これからも共に居ると信じて疑わない情人が、堪らなく愛おしい。その反面、私が死んでしまったら福沢は悲しむだろう。大切な人にずっと笑顔でいてほしいと願うのは、自分が人に近付いている証拠なのだろうが、同時にこんな切ない思いをするのなら、人もどきになんてならなければ良かったとも思う。
波が浜辺に押し寄せてくるように、悲しみが胸に流れてくる感覚を覚えて、隠し刀は目を一度静かに瞑り、波にさらわれぬよう与えられた作業に没頭した。
数刻経って何とか分別し終えたが、結局あまり物は減らなかった。そのうえ、探し物も出て来ずじまいだった。
「手伝ってもらったのにすみません…」
「……諭吉」
落ち込む福沢に声をかけて、そっと抱き締める。
「どんな物だったか気にはなるが…お前が私を想って選んでくれた事が、とても嬉しい。だからいいんだ」
「……でも、いつもあなたに貰ってばかりで…たまには僕からも何か贈りたかったんです」
「うん。……気付いていないかもしれないが、私はいつもお前から貰っているよ。何も無かった刀の私に人の心をくれた。それって幸せな事だろう?」
「…………それが普通なんです。あなたの幸せの基準がおかしいだけです」
笑顔になってほしくて紡いだ本音だったが、何かに対して怒っているのか、少しむっとした声色で抱き締め返される。
「そうなのか?…でも、諭吉が言うのならそうなんだろうなぁ」
「…なら、もっと分かってもらう必要がありますね。覚悟していてください」
「はは、お手柔らかに頼む」
「お断りします。止めてくれと言われても止めませんから」
隠し刀の背に回された腕の力がさらに強くなった。
「おーい!」
庭から聞きなれた声が突然耳に入ってきた。
「縁側の下にこれが落ちちょったんやけんど、おまんのがかえ?」
障子戸を開けたその人は坂本龍馬だった。本人曰く、今の隠し刀の片割れらしい。誰にでも人懐っこい性格で、相手の懐に入るのがとてもうまい。勝の日ノ本の変え方に賛同して今は弟子として忙しくしている。
「……もしかして邪魔してしもうたか」
勝邸に出入りしているので自然と福沢とも顔見知りになり、二人が懇ろな関係だと知っている数少ない一人だ。なのでこの状況を見てもさほど驚きはしていないが、流石に空気を読んで居心地悪そうにしている。
「…わかっているじゃないか」
隠し刀が恨めしげに龍馬へ目線をやると、その手に握られた小さな木箱が目に入った。福沢もそれに気付いたらしく、抱き合っているのを見られ赤くなった顔もお構い無しに、隠し刀の腕から抜け出て龍馬へ近寄る。
「これです!贈り物!ああ…良かった。ありがとうございます、坂本さん」
「なにか分からんが…良かったねや」
箱を受け取り、さっそく隠し刀の目の前に差し出すと、
「ハッピーメリークリスマス!あなたに幸多からんことを」
そう言って、花が咲いたように笑った。
…やはり、十分すぎる幸せをもらっているのはこちらの方だ。
死ぬ時は死ぬ。心のどこかで生きる事に対してそう執着無く生きていたが、今は生きてこの人のところに戻ってきたい、幸せを手放したくない、と言ったら情人は何と言うだろうか。
欲張って良いんです、人なんですから。
そう言いながら穏やかに微笑むような気がする。
そんな姿を想像して、隠し刀の心は陽だまりに微睡む心地がした。