至高の楽園②二日目
昨夜と同じように別々でシャワーを浴び、服を着ないままベッドに入る。ポリネシアンセックスはその都度、行為がリセットされるというわけではなく前日の分を継続し、少しずつ積み重ねていくものだ。つまり、行為が進めば進むほど、それ以上は触れられないというもどかしさが増していく。けれど『今日はここまで』という線引きだけはきっちりとしなければならない。
「さてと、ジュン。今日も始めましょうか」
「ん。えぇっと、確か今日は……ちゅーまでならいいんでしたっけ」
「それも昨日同様、ちゃんと会話をしながらっていうのが前提ですけどね。あと、舌を入れるのはだめです。それは三日目以降らしいので」
茨がネットで調べた知識を基に改めてルールを確認し合う。触れ合っていると少しくらいそれを破ってもいいじゃないかという気持ちになるが、そこを我慢してこそのポリネシアンセックスだ。すべては最終日を万全な状態で迎えるための布石。それに、制限付きとはいえ、毎夜触れ合える多幸感は他の何にも代え難い。
もはや互いに裸を見せ合う羞恥はなく、ベッドに入るとどちらからともなく抱きしめあった。風呂上がりでさっぱりした後の肌を触れ合わせると、これがまた思った以上に気持ちいい。すべすべとした感触を楽しみながら、暫くはひたすら中身のない会話をした。
今はあくまで恋人としているから、仕事の話は一切しないようにする。この間食べに行ったスイーツが美味しかったとか、ESに所属するアイドルが出演する映画が面白そうだからぜひ劇場に観に行ってみたいだとか、お互いが所属するサークルの話だとか。互いの温もりを感じながら互いの話に耳を傾ける時間は、なんてことはないように思えて実はとても心地の良い時間なのだとわかった。それだけ二人きりの時間に飢えていたのだろうなと思いながら、ジュンは凪砂にどれだけ振り回されているかと力説する茨の声に頬を緩ませる。
「ジュン?ちょっとなに笑ってるんですか。自分はいたって真面目に話をしているというのに」
「いや、だってさ。結局、仕事の話になってんなぁと思って」
「ぐ……そ、れは……申し訳ないとは思いますが、仕方がないでしょう。自分は仕事もプライベートもほとんど同じようなものなんですよ」
「知ってますよぉ。そういう茨もオレは大好きですから」
ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めると、茨はむずがゆそうに一瞬だけ身を捩った。しかし離れることはなく、ジュンの言葉に応えるようにして背中に回された腕に力が籠る。ジュンは茨の顎先を片手で軽く持ち上げると、ちゅ、と触れるだけの口づけを施した。レンズを隔てた青い瞳が不思議そうにぱちぱちと瞬く。
「……どんなタイミング?」
「いや、したくなって……茨のことが好きだなぁって思ったら我慢ができなかったというか」
「相変わらずジュンは向こう見ずですね。そんなだから脳筋っていわれるんですよ」
「えっ、誰がそんなこと……!!」
「俺」
自分の悪評を無視できずに起き上がったジュンは、寝そべったままの茨の口角が意地悪く吊り上がったのを見逃さなかった。揶揄われていたのだと察し、それにまんまと引っかかってしまった自分を恥じて黙り込んでしまったジュンの手を、茨がそっと握りしめて視線で隣へ寝ころぶように促した。
ジュンが大人しく身を横たえると、今度は茨から近づいて優しく背を抱き寄せてくる。茨の方から距離を縮めてくるのが珍しかった。そんな些細な挙動すらもすべては五日目を向けるための布石なのだと思えば、ジュンの心臓は早鐘を打ち始める。
「……ジュン、大好きですよ」
「えっ、あ……オレも、すき、です」
「あはは。ロボットみたいになってますね」
これまた珍しく茨から口火を切って想いを伝えられてしまえば、ジュンの心臓は壊れそうなほど大きく脈を打つ。愛の言葉を囁き合うのは初めてではないのに、どうしてと思っていると、茨の細長い指先がジュンの少し癖のある青髪へ通された。そのまま額へ茨の唇が触れる。驚く間もなく、頬や鼻先、顔じゅうのパーツへ次々と口づけられた。
「ジューン。もっと力抜いてください、リラックス」
「んなこと言われたって……うぅ、」
茨は努めてジュンの緊張を解そうとしてくれているようだが、逆効果だ。茨の唇が触れた箇所から順に熱が灯り、身体の内側を巡る血液が少しずつ沸騰していくのがわかる。肩や指先、ジュンの身体へ丁寧に唇を滑らせていく姿は献身的ではあるものの、いまのジュンにとってはお預けを食らっているだけの拷問状態にしかならなかった。けれどこんな機会は滅多にないこともまた事実だ。ジュンは目の前の景色と肌に触れる感覚に意識を向けすぎないようにしながら、茨によって全身くまなく降らされるキスの雨に身を委ねた。
「ふふ、かわいいですね、ジュン」
「う~……っあんた、わざとやってるでしょ」
茨のひとつひとつの言動に翻弄される悔しさを噛みしめていれば、頭上から楽し気な笑い声が返ってくる。こういうときの茨は殊更に意地が悪い。不満が残りながらも、あやすような手つきでされるがままに頭を撫でられながら、何となく茨の胸元へ頬をくっつけてみた。一瞬だけ、茨の身体が強張る。
「……あ、」
なんとなくくっつけた胸元、決して柔らかくはなくとも触り心地の良い肌の下から聞こえてくる、生命を維持するために懸命に脈打つ心臓の音。それがジュンと同じような速さをもってして聞こえてくることに気づいた。
「ジュン?……んっ、」
なんて愛おしい。気持ちが次から次へと溢れ出て、留まることを知らない泉のようだ。言葉じゃなくて、自分の全てで伝えられたらいいのに、と思いながらジュンは茨の頬へ片手を添えて唇を奪う。突然のことに驚いた茨は一瞬抵抗する素振りを見せたが、勢いとは裏腹に優しく交わされる口づけに安堵し、徐々に身体の力が抜けていくのを抱きしめる腕で感じ取った。ちゅ、ちゅ、とリップ音を立てながら唇を啄む。どちらからともなく唇を触れ合わせては、途中で息を吸う音さえも愛おしく、さらに心臓が早鐘を打った。
「茨、いばら、」
「ん、ぅ……じゅん、」
名前を呼ぶ。キスをする。見つめ合う。その繰り返しで、二人の身体はどんどん熱くなっていく。少し汗ばんだ肌がくっついて、胸が破れそうなくらい大きく高鳴る心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
口づけを交わすたび、茨の薄い瞼に乗る睫が健気に震える様を目の当たりにして、ジュンは悩まし気に眉を寄せた。薄い上唇に、かぷ、と軽く歯を立て、ちゅうっと軽く吸いついてから顔を離そうとすると、今度は茨からジュンの唇を覆うように口づけて、呼吸を奪う。独り善がりではないことが嬉しかった。
これ以上はとお互いに悟ったころ、ゆっくりと顔を離す。舌を入れ合うような深いキスをしたわけではないのに、お互い少し運動した後のように呼吸が浅くなっている。キスでこんなにどきどきするのも久しぶりだった。いつもはセックスをする流れで、お互い考える暇もなく交わすそれ。ゆったりと流れる時間に愛を乗せて交わす行為がただ気持ちよくて、自然と気分が高揚する。いまは、気分を盛り立てるための口づけではない、自分の想いを伝えるためのものだった。だからこそひどくこっ恥ずかしいし、それ以上にうれしい。
「ね、茨。……オレ、今までよりもっと、あんたとのキスが好きになりました」
茨の眼鏡を外してから、こつん、と額同士をくっつけて言う。これだけ素直な言葉を口にできるのも、今日だけなのだと思う。
「ふ……奇遇ですね、自分もです」
揺蕩う熱は波間を漂っているように心地良く、そのまま二人はおやすみ代わりのキスをもう一度交わして、深い眠りへと落ちるのだった。
三日目へ続く