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    hasami_J

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    hasami_J

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    デッドラインヒーローズ事件モノ。長くなりましたがこれにて完結。前話はタグ参照。
    メインキャラは自PCのブギーマンとソーラー・プロミネンス。お知り合いさんのPCさんを勝手に拝借中。怒られたら消したり直したりします。全てがただの二次創作。

    #ブギーマンとプロミネンスが事件の調査をする話

    『ブギーマンとプロミネンスが事件の調査をする話④』 開会を数日後に控えた夜のスタジアムに、照明が灯る。
     展示品や出展ブースが並べられたグラウンドが、スポーツ中継の時は観客席として用いられる変形型座席エリアが、屋内に用意されたスタジオを俯瞰するVIPルームが、華々しい表舞台からは遠く離れたバックヤードが、そのスタジアムの中の照明という照明が光を放っていた。
     そこに演出意図はなかった。ただスタジアムに満ちていた闇を照らすことだけを目的とした光だった。かくして夜の己護路島内に、けばけばしいほどの光に包まれたオノゴロ・スタジアムが浮かび上がる。

     スタジアムの全ての照明が灯ったことを確認し、ラムダは制御システムをハッキングしていたラップトップから顔をあげた。アナウンスルームに立つ彼女からは、煌々と照らされたスタジアムの様子が一望できた。天井からは己護路エキスポの垂れ幕が悠然と踊り、超人種の祭典を言祝ぐバルーンが浮いている。
     その足元に、突然の照明に驚く人々の姿があった。それは己護路エキスポに参加している科学者やスタッフたちだった。さまざまなブースの寄せ集めで、専門もバラバラ。一見すれば何の共通点も無いように思われる。彼らの足元に、意識を失った警備員たちが倒れていなければ、彼らの手に警備員たちを仕留めたのだろうスタンガンが握られていなければ、彼らの手が各ブースの展示品に伸ばされていなければ、ラムダの眉間の皺はここまで深まりはしなかった。
    「……汚い手で私のEN:Λy(エンヴィー)に触ってないでしょうね?」
     ひとりがアナウンスルームを指さし、それと同時に放たれた火炎が、返事の代わりだった。ラムダはその場に身を伏せる。その頭上を通り過ぎた火炎がガラスを溶かし、鋼鉄の壁を穿った。次弾が来るまでの間隙を見計らい、ラムダは廊下へ躍り出る。その背後から、何かが焼け、崩れる音が響いた。
     装備を持たぬテクノマンサーの身体能力は旧世代と変わらない。襲撃者に捕まれば、今の彼女に成す術はない。だがエルピトスに殴り合いを期待していないように、ラムダにはラムダの戦場がある。そういう意味では、彼女の戦場はもう片が付いていると言っても良かった。
     本当は、彼らはソーラー・プロミネンスの襲撃をこそ目眩しにするつもりだったのだ。調査の為に動いている現役ヒーローを襲撃し、それに他の協力者が対応している間に、速やかに本命を片付ける。よくある手口だ。
     だがそれはもう成立しない。先んじて相手のやり口を理解したラムダによって、情報は意図的に伏せられ、ラムダの手による流れが作り出された。いま起きている情報の動きは彼らの意図とは真逆のものだ。プロミネンスの件は静かに伏せられ、スタジアムの件が公的機関の耳に届いた。
     ラムダの中で、優先順位はもうついている。暗闇に語った言葉の通りだ。最悪の場合、ラムダはプロミネンスを見殺しにする可能性も当然視野に入れていた。だが、それに甘んじる心算もなかった。
     総取りだ。
     それが出来なくて、どうしてヒーローなどという滑稽で大仰な名前を背負えよう。
     右へ左へと幾度も曲がり進みながら、バックヤードの廊下を駆け抜ける。ようやくスタジアムへ続く選手入場口へと辿り着いた頃には全身汗ずくで、すっかり息も上がっている。肉体のみでの全力疾走など果たしていつぶりだったか、久しく記憶にない。
     ラムダは天井を見上げた。普段はスポーツスタジアムとしても使われている己護路スタジアムの天井が動き、ゆっくりと開いていくところだった。天井付近に浮き上がっていたバルーンが空へと逃げていき、己護路エキスポの垂れ幕がゆらゆらと暴れる。
    (早く)
     すぐ脇を掠めたエネルギー弾が別ブースの展示品に命中する。慌てて身を低くし、瞬間の迷いの末に数多の展示ブースが並ぶスタジアムへと飛び込んだ。追撃が来るかと思われたが、背後で研究者同士の口論が起きているのを感じる。彼らの目的が技術の簒奪であったなら、無用な破壊を避けたいのは順当だろうか。あるいは彼ら自身にも、科学者としての譲れぬ何かがあるのだろうか。
    (早く来なさい)
     ラムダは展示品と展示品の間を走り回りながら、必死に空を見た。その先から来るだろう何かを待った。
     相手が狙って放ったエネルギー弾が彼女の足を掠める。鋭い痛みが走り、限界を迎えていた足はもつれ、ラムダはその場に倒れ込んだ。背後から人が迫る気配がある。倒れた彼女に手が伸ばされ、その長く美しい髪を掴んだ。ラムダは振り返らなかった。空に向かって叫んだだけだ。
    「これだけお膳立てしてやったのよ! さっさと来なさい、ノロマども!!」

     轟音は銃声に似ていた。
     ラムダの髪を引っ張る力が消え、入れ替わりに彼女の頬に冷たいものが触れた。もがく体でそれを拭えば、それは透明な液体だった。転じて、背後から悲鳴があがる。ぎょっとして振り返れば、自分の髪を掴んでいた誰かの腕が、鋭い刃物で切り裂かれたような断面を晒して地面に落ちていた。持ち主と思しき男の悲痛な叫びが響く。
     何が起きた?
     切断された腕付近の地面は抉れ、そこに不自然な水溜りが出来ていた。その窪みは狙撃痕に似ていた。まるで水の弾丸が放たれ、地面にぶつかって形を失ったように。
     頭上から冷たいものが降ってきた。ぽたり、ぽたりと、雨垂れのようなそれがスタジアムの中で混乱する襲撃者の頭上へ垂れる。
     一人、また一人と空を見た。ラムダもまた空を見上げた。彼らはそこに悪魔を見た。
     空中に人の姿があるという、地球上の自然に依る法則では決して成し得ぬ事象がそこに在った。その人の背には蝙蝠の翼によく似た羽が生み出され、その人物が微動だにせぬままに羽ばたきを繰り返す。翼持つ超人種か、そう推測をした誰かが羽に向けて発砲した。だがそれは無意味であったとすぐに分かった。皮膜に空いた穴が、粘性を持つ金属同士が融合するように、なじみ、溶け合い、消えていく。
     ポタリと再び雫が落ちた。それは水だった。その人物で羽ばたきを繰り返すそれもまた水だった。青年の体を支える水は彼らの眼前であっさりと形を失い、形状保たぬ液体となって地面へとまっすぐに落ちていく。青年の体はそのまま無残に地面へと叩きつけられ──無残な姿を晒すことはなかった。彼の体もまた、同時に液体となって地面へと広がった。
     青年の体が地面へと叩きつけられて水へと転じる刹那、ラムダは落下中の青年の目を見た。敵対者の姿だけを見つめる青年の目には怒りが満ちていた。それが何に対する怒りであるのかは、ラムダには掴みきれなかった。少なくとも、婦女暴行の現場を目撃したからだとか、不穏な目的で夜間侵入を果たした襲撃者に対してであるとか、そういったまっとうな正義感によるものではなさそうだと察しただけだ。綺麗な正義感だけで片付けるには、青年の怒りはどす黒く、熾烈が過ぎた。
    「俺に」
     地面へと消えゆく刹那、青年がこぼした心底からの憎悪を帯びた呟きが、ラムダの耳に小さく残った。
    「あの男の真似をさせやがったな」



     なるほどそういうことか、という納得。
     自分で良かった、という安堵。

     襲撃者たちはずだ袋で顔を隠し、着衣によって身体的な特徴を隠していた。だがその身のこなしや言動から、超人種であることはすぐに分かった。玄関口で監視をしている、不自然な大股で動きにくそうにしている人物は股の間に尾を隠しているのだろう。遠方にある道具へ掌を向け、不自然な間の後に立ち上がった人物はサイキッカーなのだろう。一人二人の特徴が掴めれば、今回の事件の特性もあり、この集団の特徴を掴むのは難しいことではない。
     穢れた血。
     現場に残されたメッセージ。
     過激な超人種至上主義者か、あるいは矛盾した旧世代排斥主義者か。動機がそのいずれであるかは定かでは無かったが、彼らは獲物をよく選び、入念な準備の上で標的としていた。プロミネンスが夜は無力であることを知っていたのがその証拠だろう。あるいは身近な人物の中に賛同者がいたか──そういえばこれで、うちの大学から被害者が出るのは二人目になる。大学の学生たちや同僚である教員たちの顔を思い出し、嫌な気分になったので、それ以上思考を巡らせるのはやめた。
     今、考えるべきはそこではない。
    「おい、殺してないだろうな」
    「大丈夫だ。心音も脳波も確認出来る、まだ生きてるよ」
    「その状態で? もはや芸術だな」
    ──うるせー、誰が現代アートだ。好き勝手しやがって。
     脳裏に過ぎった反論は声にならなかった。喉を灼かれていた為だ。体内の耐火性を調べるためと、ガスバーナーを口に捩じ込まれたときはなかなかにキツかった。
     燃やされ、灼かれ、殴られ、意識を失えば再び起こされ同じことを繰り返された。折られた腕の感覚は勿論、全身の感覚がもうほとんどなかった。自分が脳だけの生き物になった気分だ。新しい暴虐が加えられるたびに、どこか遠くで鈍痛を感じ、それとは裏腹に肉体のどこかが反射のように跳ねていた。その反応も初期に比べれば随分と些細なものになっている。我ながらよく生きているものである。
     体内時計が狂って、今が何時なのかも分からない。せめて日差しの一筋でもあればと思えど、相手はこちらのことをよく知っている上に、これが初犯ではない。拷問に明け暮れ朝を迎えるような愚を犯すことはあるまい。
     背筋のあたりから首筋にかけてぞわぞわと湧き上がるものに困惑したが、それが久しく感じていなかった寒さであることに気付いた時は、流石に危機感を覚えた。
     ああ、死ぬのか。
     友人たちへ一抹の申し訳なさが湧く。だがこういう人生を歩いていればいずれは訪れ得た結末だ。誰とも知れぬ有象無象の悪意に晒されてというのはなかなかどうして悔しいものがあったが──そうなってしまったのなら、仕方ない。
     逃げることは難しそうだ。状況が改善する見込みもない。そうなれば、いま自分が考えるべきは、この場で得た情報をどうすれば後に繋げられるか。
     ──走馬灯が入る余地もない自分の思考の流れに、プロミネンスは場違いに笑いたくなった。困った、これでは本当にまともではない。困惑と冷笑の間で揺れる自我とは裏腹に、思考は巡る。自分の中にもう一人の自分がいるように。いつものように。
     声を上げるのは無駄だ。先の通り、灼かれた喉からは引き攣った音を漏らすだけで精一杯だし、そもそも声ならこれまで散々あげている。
     メッセージを残すのはどうか。だがもう手足はピクリとも動かなかったし、そもそも厳重に椅子に縛り付けられている。これがなかったとしても、これだけの人数の目を掻い潜って、明確な言葉を残せるとは考え難い。
     言葉でなくとも、何かヒントを残せはしないだろうか? 意図的に何かを壊す、意図的に何かの位置を変える、何かに血を付着させる。できるとしたらその程度だろうか。だがそれも難しかった。自分の家はもともと物が少ない方だし、それを使って何か有意義なメッセージが残せるかといえば……八方塞がりである。
     そもそも、それぐらいのことは、これまでの被害者たちだって考えたかもしれない。だが現場にそれを思わせる証拠は残っていなかった。出来なかったのか、死後に犯人たちが消し去ったのか。後者だったらお手上げだ。
     他の被害者たちと違い、唯一、自分にほんの僅かな可能性があるとすれば。
     彼らは自分を風呂場で焼き殺すつもりでいるらしく、その準備を着々と進めている。水は止められるだろうから消火の目処はないとしても、人ひとりを焼き殺せるような炎だ。彼らの中に火炎系超人種でもいない限り──この可能性はやや低いだろうとも思っていた。彼らはわざわざプロミネンスへの拷問にガスバーナーという器具を用いている為だ。それもやや、といった程度だったが──炎上中の現場に近づきはしないだろう。
     自分が炎の中に投げ込まれ、絶命するまでが唯一のチャンスだ。その間に、血でも、炭化した己の肉体でも、何でもいい。現場のどこかに、後に託せる何かを残す。
     幸いに、自分の拘束自体は、ロープやガムテープといった市販品でのみ構成されている。炎の中へ投げ込まれれば、拘束を脱する目はゼロではない。専門の拘束具でないのは、購入履歴から足がつかないようにする為だろう。裏を返せば、そういったもので拘束できるだろう相手だけを狙い、標的を見定めてきたのだ。
     条件に当てはまるものの中から、自分たちが殺せる範囲のものを、選んで殺す。
     賢いが、酷い話だ。
     今回が自分でよかった。

    「準備が終わった」

     風呂場から声がかかり、ずだ袋たちが次の動きを始める。腕の血管を探られ、注射器で血を抜かれる。澱みない慣れた手つきに、医療関係者、という文言が脳裏を過ぎった。また一つ残せそうな情報が増えた。
     注射器に赤い血が溜まっていく。採血を終えた注射器は壁際の一人に手渡され、その一人は慣れた仕草で壁に血文字を刻んでいく──『穢れた血』。なるほど、そうやって残してきたわけだ。
     全ての工程が終わり、注射器が回収されていく。二人のずだ袋が左右に回り込み、椅子ごと自分の体を抱えあげる。その先で別の一人が風呂場のドアを開け、別の一人が中にガスバーナーで火を点けた。
     ガソリンと着火剤に燃え移り、炎は瞬く間に浴室を飲み込んでいく。自分の生活家屋として、炎熱に対する耐性は極めて高い作りだ、近隣に燃え広がることはあるまい。赤い光が煌々と暗い室内を照らし、その熱に向かって、一歩、一歩と距離が近づいていく。抵抗はしない。余計な体力を消耗する訳にはいかない。炎の中に落とされてからが正念場だ。
     そうして、それで、本当に終わり。

     ソーラー・プロミネンスは炎へ投げ込まれた。



     アマルガム・オナーは怒っていた。
     何もかも、全てに、ただ怒っていた。
     理不尽な凶行に走る犯人たちにも。教え子が殺されたというのにヘラヘラとしているプロミネンスにも。後手後手に回って無茶ばかり押し付けてくるくせにこちらの機嫌を伺うようなへりくだる態度のG6にも。分かりきったことを賢しらに告げ、一方的に消えていった暗闇男にも。ちらちらと向けられる物珍しげで不躾な眼差しにも。同じ超人種の集落でありながら国に保護され大切にされている己護路島にも。己の故郷を焼いたあの男にも。一連の事件のことを一向に報道しないでひた隠すこの国にも。そうした血生臭い背景があるにも関わらず、浮かれきった陽気で全てを覆っている己護路エキスポにも。
    『俺は邪魔か?』
     分かってくれないディスチャージにも。
     怒るばかりで、結局、何も出来ない自分にも。

     目の前には、武器を、力を構えたずだ袋たちがいる。敵だ。アマルガム・オナーの前に立ちはだかった、廃すべき障害であり、怒りの一端だ。無力化すべき存在だ。無力化しなければならない存在だ。
     怒りをぶつけてもいい存在だ。
     水はけの良い芝生の上を、意志を持つ液体が蠢く。それは瞬く間に襲撃者たちの足を取り、転ばせ、ウォーターカッターのように鋭く流動する水の棘によって肉体を抉られ倒れていく。彼らの体が零した血液をも液体と混ざりあい、殺意を形成する一助となっていく。悲鳴の中で指が、腕が、足が飛んだ。
     その場に居た一群はすぐにうめき声を上げるだけの物質になった。遅れてバックヤードから駆けつけた一群が、状況を察して別の手を取り始める。水だ、と叫んだ物質の声に応えるように、空を飛べる者は宙へと舞い上がり、そうでないものは散開していく。
     オノゴロ・スタジアムは広い。そして今、この場には障害物が山のようにある。その間を縫って一人一人仕留めていくのは、不可能ではないが、面倒だった。
     人の形へ戻ったアマルガムの眼に、展示品が、展示ブースが目に入る。未来へ、進化を、前向きな言葉ばかりが並ぶ綺麗事に満ちた空間に、また怒りが湧いた。
     こんなもの壊れてしまえばいい。
     こんなものがあったから、奴らは集まり、そして──。
    「それに手を出したら、私があんたを殺すから」
     背後から冷たい女の声がした。振り返らずとも、先に自分が助けたテクノマンサーだろうことは容易に察せられた。
     また一つ、怒りが湧く。
    「この期に及んでまだそんなことを?」
    「言うに決まってるじゃない、私たちのせいじゃないもの」
     返す言葉は鋭く、力があった。アマルガムは初めて振り返り、自分が助けた女を見下ろした。小柄な女だった。けれど眼差しには強い意志と、何より、激しい怒りが渦巻いていた。
     女は溜め込んだ怒りを吐き出すように叫んだ。
    「せっかく楽しかったのに、せっかく気分が良かったのに! 私だけじゃないわ。ここにはそう言う奴らが山ほどいた。ここはそういう奴らが集まって作ったのよ。組織の事情も、一方的で身勝手な配慮も、馬鹿みたいな嫉妬も知ったこっちゃない。私たちはただ楽しかった、ただ面白かった、ただ気持ちよかった! それを、あんなのと一緒にされて、同類だと思われたまま終わるなんて絶対に御免よ!」
     女は立ち上がり、アマルガムへと近寄った。その間も視線は外されず、吐き捨てられる言葉には怒りを通り越し、殺意すら宿っていた。アマルガムがこの場を破壊すれば、彼女は本気で自分を殺しにくるかもしれないと、そう思わせる目だった。女はアマルガムの胸に指を突きつけ、吐き捨てた。
    「どうして私たちがそんな目に遭わなきゃいけないの? 絶対に嫌!」
     アマルガムはその眼差しを知っている気がした。だから思わず、応じる義理もないはずの、その言葉に応じてしまったのだろう。
    「……なら、どうする。どうすればいい? 事件はもう起きた。あいつらを捕まえたところで、事は露見する。今更、無かったことになんて──」
    「あんたバカァ?」
     食い気味に放たれた女の言は気が強いを通り越して傲慢だった。あまりにもブレない上から目線の言葉を叩きつけられ、アマルガムは怒りを覚えるよりも先に、思わずきょとんと目を瞬かせてしまった。
    「これだから脳筋は。良い? ここからは全ッ部私の指示に従いなさい。アンタは私の掌の上で転がされてればいいの」
    「いや、だが、」
    「総取りさせてやろうって言ってんのよ、何の文句があるわけ?」
     語尾こそ疑問系ではあったが、有無を言わせぬ圧力があった。あまりにもストレートで当然のような傲慢さに、アマルガムは目を白黒させ、困惑し、事態を飲み込むのに時間がかかった。女はその待ち時間すらも苛立たしいとばかりに詰める。「返事は!」アマルガムは慌てて首を縦に振った。今は亡き故郷で、姉に叱られた時のことを思い出した。
     ヨシ、と頷き、女は手短に自分の作戦を伝える。それを聞き取り、咀嚼し、自分が取るべき行動を理解し──思わずぽつりと、独り言のように疑問をこぼした。
    「……アンタはまるで王様だな。不思議だ。物凄く上から物を言われているはずなのに、なんでか従ってもいいような気になる。言葉に筋が通っているからなのか?」
     意外にも、女は物凄く不味いものを食べたあとのような顔をした。
    「なんでどいつもこいつも、ヒトを王様扱いするわけ? 私がそんな器な訳ないでしょ」
     そうだろうか。
     アマルガムは首を傾げたが、尻を蹴飛ばされたのでそれ以上の追求はしなかった。

     オノゴロ・スタジアムの中から、戦闘音が聞こえてくる。
     その騒音を聞きつけて、近隣住民たちが不思議そうに、あるいは不安そうに顔を出した。その野次馬へ駆け寄り、それぞれに声をかけて回るのはディスチャージだ。
    「中でヴィランとヒーローが戦闘中でーす! 危ないから近寄らないでくださーい!」
     その言葉に、あるものは納得したような顔を浮かべ、あるものは恐怖や嫌悪の顔を浮かべ、またある者は好奇心が刺激されたような顔をする。一人一人がオノゴロ・スタジアムの中へ足を踏み入れないよう、駆け回るディスチャージには息を吐く暇もない。ただでさえ巨大なオノゴロ・スタジアムの出入り口全てを、彼一人がパトロールするのは無理がある。
     遠く、サイレンの音が聞こえる。G6からか、近隣住民からか、いずれかから通報を受けた警察が駆けつけたのだろう。ディスチャージは正直ホッとした。物理的な人手が増えることもそうだが、いかに今回の事件が訳ありとはいえ、この国の警察はそこまで腐っていないのだと実感出来たからだ。
     もう一踏ん張り。ディスチャージは未だ戦闘音が続くオノゴロ・スタジアムを振り返り、事情を説明する為に、赤いパトランプの光の元へと駆けていった。いま自分に出来ることは──それぐらいだ。でも、それをやる為に、自分がいる。

     ずだ袋の一人は困惑していた。おかしい、予定と違う。ヒーローの目はもう一人の被害者に向けられるはずでは無かったのか? 何故こんなにも早い段階であのG6ヒーローがここに来た? いいや、それ以上に、あのテクノマンサーは何故ここに?
     己護路エキスポで集まった技術を簒奪する流れになったのが何故だったか、明確な流れは思い出せなかった。確か、実行の為に集まった誰かの思いつきだ。次の標的を定め、その情報を集めている間に、誰かが言ったのだ。なあ、もっと面白いことをやってみないか?
     あれは誰だったのだろう。顔を思い出そうとするが、集まる時はネット上の専用チャットルームか、ずだ袋で顔を隠しながらだったはずだから、うまく思い出せない。
     そんなことして良いのかな、と少し迷った。だってそれは本来の目的からは逸れてしまうし、リスクがある。それにこれまでの意義のある行いと違って、自分が得をする為の行いのようにも思える。だが場には賛同の声が多かったし、これまでよりも少しレベルの高いことにチャレンジしてみたいという意欲があった。だから、結局、まあ良いかと流された。面白そうだと思った。
     それが悪かったのか? それとももっと前から?
     ずだ袋は逃げ出そうかと思った。今ならまだ顔は見られていない。このままこっそりとバックヤードに逃れて、裏口から逃げ出してしまうのだ。このずだ袋は家で燃やそう。パソコンや証拠品になりそうないくらかのものもだ。そうすれば、全部無かったことに出来るかもしれない。
     そんなはずがないと分かっていた。だからそれは現実から目を背ける為の思考でしかなかった。けれどそんな現実逃避は長続きしなかった。激しい流水音の中に、機械の駆動音が響いた。男は思わず音の源へ視線を向けた。星が輝く天を見た。その中で一等輝く零等星を見た。
     その輝きの前に立ちはだかる巨影がある。
     意志を持つ水流が、自然の法則に逆らって虚空へとひとりでに渦を巻く。渦潮と呼ぶべきか竜巻と呼ぶべきかも定かではないその現象は、展示ブースを器用に避けながら、スタジアムの中に水流を作り出す。その水流に一人、また一人と仲間たちが巻き取られていく。
     男のもとにも水がきた。展示ブースと展示ブースの間を、鉄砲水のように、液体で出来た触手のように、意志を持つ液体は男へと近づいてきた。男は悲鳴をあげ、武器を捨てて逃げ出そうとした。だがその身はどぼんと液体に飲み込まれ、もがく手足は水流に抑え込まれた。
     水で滲む視界の中、星の前に立ち上がった巨大な影が見えた。それは海竜のような形をしていた。涼しげな青白い光が影の中を走り、それは生物が環境や感情に合わせて色細胞を変化させるように、一瞬にして赤い輝きへと転じた。
     水で歪む視界の中で見る機械の海竜は、神話に語られる海の神を思い起こさせた。それは、そのパワードスーツが冠した名を思えば、ある意味では当たらずとも遠からずではあった。海竜型のパワードスーツを操る女の告げた声は、水に飲まれた男の耳に届きはしなかっただろうが。
    「EN:Λy(エンヴィー)、起動開始」
     意志持つ海流に沿って放たれた放電が、男の最後の意識を刈り取った。



     可哀想なやつだと思った。

     物心ついた時から母親はいなかった。父のことを思うに、私生児だったと考えるのは違和感があったので、出ていったか、自分を産んだことで死んだかのどちらかだったのだと思っている。
     父は厳しい人だった。そして口癖のように言っていた。お前は悪い子だ、悪い子だから、良い子にならなくちゃいけないんだ、と。
     他人とは違う顔を隠す為に、いつもずだ袋を被っていた。少しでも人に近い見目になるよう、ずだ袋に目の形に穴を開けた。他人を怖がらせないように、いつも家の中にいて、決して誰の目にも触れないようにし続けた。父の言葉に従い、良い子で在ろうと努め続けた。父に嫌われたくなかった。そうしていれば、いつか他の人たちと同じものになれると信じていた。
     それでも自分は悪い子だったので、父は度々自分を叱り、折檻を行った。痛みを伴うものも多かったが、彼が特に好んだのは、家の裏手にあった枯れ井戸の中に自分を放り込むことだった。十二分に反省するまで食事は与えられず、井戸蓋が開かれることはなかった。ひもじさに耐えながら過ごす、光の差し込まない枯れ井戸の中はいつだって恐ろしいものだった。暗闇が怖くて怖くて仕方がなかった。けれどそれは必要なものだったのだ、父がそれを必要としたのだから。
     あの日は、朝から体調が優れなかった。妙に意識がぼんやりとしていて、体はそわそわと落ち着かなかった。風邪をひいたのかもしれない。理由が分からず、父に訴えた。父はそれを怠け癖だと叱りつけ、頬を張り、井戸へと連れていった。
     いつもなら耐えられた。けれどその日は、何故だかどうしても耐えられなかった。体が弱っていて、精神も引きずられたのだろう。見慣れた井戸が怖くて怖くて仕方なくて、父へ必死に、何度も何度も謝った。けれど父は許してくれなかった。
     井戸で過ごした。いつもよりも、何倍も、何倍も恐ろしかった。暗闇からゴーストが現れるような気がした。見えない足元を悍ましい虫や蛇が蠢いているのではないかと思った。世界から自分以外の全てが消えてしまったような気がした。何度も父を呼び、許しを乞い続けた。返事はなかった。世界の認識が狂い、叫び、暴れていた。あのとき自分が何をしていたのかを明瞭に思い出すことは今でも難しい。
     その日の折檻はいつもよりも長かった。怖くて、ひもじくて、苦しくて、自分はついにやってはならないことをした。父の許しを得る前に耐えられなくなった。自分の足で井戸から出てしまった。井戸にかけられていた縄梯子は父が回収していたはずなので、自分がどうやって井戸の中から出たのかはよく覚えていない。今の力を使いこなせるようになったから、それを使って出られたのだろうと、収容所の研究員は推測していた。やはり自分は父の言いつけを破ってしまったのだ。
     どうすれば良いのか分からなくて、泣きながら家へと戻った。父に謝ろうと思った。許してもらいたかった。そうして家のドアを開いた先で、家は荒れ、父が死んでいた。
     自身の記憶として残っているのはここまでだ。
     あとは記録に残された情報からの推測でしかない。
     物盗りの犯行だった。父親は強盗犯と鉢合わせ、刺されて死んだ。自分は折檻のために井戸の中に居たから助かった。父が死に、強盗が去ったあと、井戸から出た自分が家に戻りそれを発見した。
     次に自分が意識を取り戻した時、国の管理する超人種用の収容施設の中にいた。研究者が代わる代わる自分の力を調べ、必要な処理を行った。落ち着いてから、父の墓にも行った。父とは結びつかない墓が、共同墓地の片隅にあった。実家にも帰りたかった。自分はやはり井戸の中で罰せられるべきだと思った。
     けれどそれはできなかった。自分の故郷はその日、地図の中から消えていた。
     あの日の自分が何をしたのか、記憶にない。
     自分は永遠に父からの許しを失った。
     施設で教育を受け、他者との交流を経た今となれば、父がまともな親ではなかったのだろうことはわかる。自分がいわゆる虐待を受けていたのだろうということもわかる。
     だがあの日以来、こんな力を持って生まれた自分が道を踏み外さずに生きてこれたのは、間違いなくあの恐怖のお陰なのだ。父が自分に刻みつけた躾という名の恐怖は、自分という人間を、紛れもない良い子へと仕上げてくれた。父を恨んではいない、今でも彼を愛している。
     施設での教育を受け、自分の力や、その危険性、扱い方を学んだ。ここでも父からの教育が役に立った。自分の持つ力を制御し、自分の意識下に置き続けることは、当たり前のことだ。それが出来ないのは悪い子だ。父は徹底的にそれを教えてくれた。だから自分にとって、誰にも迷惑をかけずに、自分一人で力を完璧に制御することは当然のことであり、当たり前の義務だった。
     それが出来ないあいつに会ったのは、軍に入ってからだった。
     軍に入ったのは、別に大した目標も、望みもなかったからだ。それを担当研究者へ告げたら、いつの間にかそういうことになっていた。自分で何も考えず、誰かの指示の中に身を置くことは楽だった。
     そんな中であいつと出会った。太陽光を源として、熱と光を操るサイオン。それでいながら自分一人ではその力を制御できず、誰かの力を借りて生きている男。能力の相性が良かったので、自分は度々、緊急時のストッパーとして奴に充てがわれた。
     最初は見下していた。当然の義務を果たせず、いつも誰かに迷惑をかけている奴の在り方は、自分にとって軽蔑に値するものだった。けれど幾度か接する内に、その認識を改めなければならなくなった。やらないのではなく、本当に出来ないのだと知った。奴は一生、誰かの介護を受けなければ生きていけなかった。
     さぞかし理不尽を恨んでいるのだろうと思えば、奴自身はそんな素振りをまるで見せなかった。よく笑い、よく泣き、よく怒るくせに、自分のこととなると諦めたような素振りをいつも見せていた。夜になると人前から姿を消し、日が昇ると何食わぬ顔をして戻ってくる。それが奴にとっての当たり前になっていた。
     可哀想なやつだと思った。
     だから部隊が解散して、その後の身の振り方を考えることになった時、奴がかねてからの夢だったという学者になると聞いた時は驚いたし、めでたいことだとも思った。報われればいい、それぐらいの望みを叶えたっていい、そう思った。
     あいつは誰かに迷惑をかけ続けるし、自分の力を自分だけで制御が出来ない、父の言葉に合わせれば悪い子だ。でも別に、可哀想なだけで、悪い奴じゃない。行き場所を見失って、生きる目的を見失って、逃げ続けた過去の罪だけが突きつけられて、自分を恐怖という概念に見立てなければ正気を保てなかった自分のような悪い子を、見捨てないでいてくれる。当たり前のように、そんな悪い子を友人だと呼ぶ。あいつは良い奴なんだ。

     こんな目に遭っていいやつじゃない。



     鈍い音がしていた。
     夢を見ているのか、違うのか、よく分からなかった。視界全体が赤色がかっている気がする。もしかしたら青かもしれない。めちゃくちゃな色彩と、水中にいるような揺らめく視界の中で、割れた窓が見えた。止まっていたはずの防火装置が起動しているらしく、部屋全体がびしゃびしゃに濡れている。壁は崩れ、床には亀裂が走り、天井の一部は崩落していた。
     鈍い音がしていた。
     割れた窓の外から、サイレンの音が遠く聞こえた。崩落した天井の先に見える薄暗い空に、朝焼けの兆しが見える。ああ、朝が来る。助かったのかと、ようやく意識が感情を認識しはじめた。
     鈍い音がしていた。
     濡れた部屋のなかに、幾人もの人間が倒れていた。皆、泣き叫んでいる。誰かに許しを乞うている。濁った目で壁を見つめている者もいれば、口の中いっぱいに自分の腕を詰め込もうとしている者もいる。力無く笑いながら失禁する者や、怒号のようなものを喚き散らしながら自分の目玉を抉り続ける者、幼子のように地べたに横たわって泣きじゃくる者。
     鈍い音がしていた。
     一人の男がいた。男は拳を固め、振り下ろした。鈍い音がした。拳を固め、振り下ろした。鈍い音がした。拳を固め、振り下ろした。鈍い音がした…。
     あいつが拳を使うなんて、珍しい。もっと便利で、もっと小回りが利いて、もっと破壊力があるものをいつでも使えるのだから、直接的な暴力に頼る必要がないのだ。殴られている男は何をしたのだろう? よほど気に食わないことを言ったのかもしれない。あいつのずだ袋が床に落ちてたから、引き剥がされたのかも。あいつは自分の顔が大嫌いだから、きっとそうなんだろう。
     鈍い音がしていた。
     殴られる男の方はもう、反応がない。時々筋肉の反射のように、その手足が跳ねるだけ。殴りつけるあいつの手も傷ついてる。普段やらないことをやっているせいだろう。
     声をかけようと思った。けれど喉の皮膚が張り付いてしまったように音が出ない。ヒューヒューといった呼吸音すらしなった。どうにも息苦しい。完全に癒着しているのかもしれない。手を伸ばそうと思った。思っただけで体は動かない。困ったな。何もできない。
     鈍い音がしていた。
     なあ、おい。その辺にしといてやれよ。そいつ死んじまうぞ。お前、殺しはやらないんだろ。人殺しは嫌いなんだろ。親父さん殺した奴と同じになりたくないんだろ。なあ、やめろって。俺ならほら、もう大丈夫だからさ。ちょっと日の光を浴びればもうへっちゃらだよ。なあ。なあって。
     嫌なことなんてしなくていい。
     頼むよ。
     そんなことするな。

     あいつが振り返った。
     目があった。

     鈍い音が止まった。



     ソーラー・プロミネンスは目を覚ました。
     見慣れぬ天井と、白く清潔なカーテンが目に入った。妙に息苦しいと思えば、呼吸補助器と点滴が自分の体にくっついていた。自分自身とそれらがつながるイメージがなかったので、咄嗟に未だ夢の中にいるのか、はたまた傍迷惑な魔術師によって精神交換でも引き起こされたのかと困惑した。身じろぎの直後に訪れた全身の鈍痛が、これが現実だと教えてくれた。
     あれ、何があったんだっけ。何やらかした? 誰か巻き込んでないよな? 痛みに呻きながら、徐々にクリアになっていく意識の中で、気絶する前のことを思い出そうとする。そうして全てを思い出し、感嘆のような声が漏れた。
     生き残ったらしい。まじか。あれでか。今回ばかりは結構本気で無理だと思った。
     安堵のような困惑のようなどちらともつかない気持ちで、現実を受け入れるのに手間取って呆然としていれば、数値の異常を察して看護師と医師が飛び込んできた。いくらかの検査の後、自分の今の状態と、あの後どうなったのかを教えてもらった。
     己護路エキスポは三日前に終わっていた。
     自分は一週間ほど意識不明の状態だったらしい。
     通報を受けた救急隊員が駆けつけた時、自分の自宅は半壊。自分は重度の全身火傷を負った状態で、いつ死んでもおかしくなかったそうだ。炎熱耐性を持つ超人種でなければ死んでいただろうと医師にも言われた。夜の姿でも完全に旧世代と同じというわけではなかったらしい。
     犯人たちは皆、現場に拘束された状態で倒れていたという。誰も彼も心身に強い損傷を受けており、今も満足な事情聴取は行えていないという。その分、オノゴロ・スタジアムを襲撃した(そんなことが起きていたらしい、初耳だ)別チームから聴取が進められているそうだ。犯人グループの中から死者は出ていない。
     オノゴロ・スタジアムの襲撃は、通報を受けたG6ヒーローと、現地に居合わせた零等星級超人種によって解決したという。プロミネンスの自宅で犯人たちを拘束した者が何者なのかは分かっていないとのことだったが、自分には分かっていたので、そこは曖昧な返事で誤魔化した。

     プロミネンスが目を覚ましたという連絡を受け、間を置かず幾人かの見舞客がきた。アマルガムとディスチャージは二人揃って病室を訪れ、犯人たちの背景や一連の事件のG6側の見解を述べた。自分が襲撃を受けたのは、島内でディスチャージとコミュニケーションを取っている様が度々目撃され、且つ彼らにとって勝機があると判断されたかららしい。不名誉というかなんというか。しかしそのことについてディスチャージがすっかり責任を感じて凹んでいたので、プロミネンスは自分が目を覚ますことが出来たことに心から感謝した。これで死んでたらディスチャージにとってはとばっちりもいいところだ。
     アマルガムは終始不機嫌だった。彼が不機嫌でない時はほとんどないので、いつも通りと言ってもよかったかもしれない。根気強く詳しい話を聞いてみれば、どうやら彼はプロミネンスの状況に自分達が気付けなかったことを悔やんでいるらしかった。オノゴロ・スタジアムの一件を解決したのは彼らなのだし、自分はこうしてピンピンしているのだから、気にする必要はないのになあと思った。とはいえそれを、親しい人を失った傷を持つ若者に納得させるのは酷な話だ。プロミネンスは話題を逸らす為、ディスチャージを襲った暗闇男が自分の依頼を受けた友人であることを彼らに明かした。アマルガムはどこに感情を向けて良いのか分からない顔をしていた。ディスチャージとは謝罪合戦になった。
     彼らが帰ってしばらくして、ラムダが訪れた。そのまま間髪入れずにプロミネンスは七発ほどぶん殴られた。パーではなくグーだった。四、五発で済まなかったのは誤算だった。重傷人だからその程度で勘弁してやると告げられ、残りの怒りは横でニコニコ見ていたエルピトスが代わりに受け止めることになった。全快したら自分もああなるのかと思うと、プロミネンスは病院のベッドから出たくなくなった。
     ラムダからは、彼女が調べた情報について話をされた。犯人たちはインターネットを介して知り合い、己護路エキスポにかこつけて日本へとやってきた超人種の一団だった。直接の面識はこれが初めてだったというから、感覚としては傍迷惑なオフ会のようなものだったのかもしれない。
     参加者の大半はさまざまな職種の民間人だったが、その中に一人、プロが居たことで事情が変わったという。裏で手を引く何者かが居た、というのが捜査機関の現在の見解であるらしかった。ゴッズ・4・ハイア、灰色の子供たち、はたまた別の組織か、それがどこであるのかは目下調査中とのことだった。アマルガムやディスチャージが何も言わなかったことを思うに、自分は関わらせてもらえなさそうだなと思ったので、彼女にも何も言わなかった。
     救急へ連絡していたのはラムダだったらしい。あいつじゃないのかよとプロミネンスは思わず心中でツッコんだ。じゃあなんだ、あいつは俺をほっぽって悪党をボコボコにするのに夢中だったのか、なんて野郎だ。とはいえあの状態のあいつに、公的機関に通報するなどという冷静な選択肢が取れたとも思えないので、とりあえず素直にラムダに感謝した。ラムダはまだ何か不満そうな顔をしていたが、それを飲み下し、ただ「早く元気になって殴らせなさい」と言っただけだった。今の自分の状態を見て、思うところがあったのだろう。テクノマンサーは理想が高くて大変そうだなと思った。

     あいつはなかなか姿を現さなかった。その間、プロミネンスはのんびりとした入院生活を満喫した。回復を促進するため、彼の入院部屋には、彼の持つ制御装置と同様の技術が用いられた陽光蓄光が配置され、プロミネンスは朝夜の区別なく適正量に管理された陽光に当たることができた。いっそ周囲に何もない場所で直射日光の下に放置してみたら一気に回復するのでは? と思って提案してみたが、何が起きるか分からないという理由で却下された。旧世代のような入院生活は新鮮で、本音を言えばちょっぴり面白かったが、二日もする頃には飽きてしまった。
     ブギーマンが姿を現したのは、目を覚ましてから三日目の夜だった。



     夜の入院患者棟は静かだ。対特殊超人種用エリアであれば尚更に。
     見回りを終えた夜勤の看護師が、非常灯に照らされてなお薄暗い廊下を足早に歩いていく。夜の病院というシチュエーションは、いかに院の設備が最新鋭であろうと、患者やスタッフが超人種であろうと、不気味なものは不気味である。
     看護師の足音が階段へと消えていく。
     再びの静寂に包まれた廊下、非常灯がふつんと消えた。
     ぶつん、ぶつんと、申し訳程度に照らされていた照明が、一つ、また一つと消えていく。光の消えた廊下はたちまち暗闇に包まれていく。その光景を見る者がいたならば、まるでどす黒い何かがその先からやってきて、夜の病院を飲み込んでいるようにも見えただろう。
     廊下の先、一際明るい部屋があった。
     暗闇はその部屋をも飲み込み、闇に覆い隠してしまった。

     扉が開く。鍵が開く音も、蝶番が軋む音も、ドアノブを回す音もしなかった。
     不自然なほど、煌々と光に照らされた部屋だった。窓の外には明らかに夜の景色が広がっていたのに、その部屋の中だけを見るならば、まるで昼時の公園にでもいるようだった。陽光に照らされて眠る男は、まるで日向ぼっこでもしてるかのようで、呑気な光景だった。
     ソーラー・プロミネンスに顔はない。厳密に言えば存在するらしいのだが、曖昧な光とエネルギーに包まれたそれを観測するのは本人にも困難だ。だからソーラー・プロミネンスが眠っているのか、起きているのかを、第三者が測るのは難しい。眠たげに漏れた不機嫌そうな呻きに、暗闇は思わず肩を跳ね上げ、距離をとった。
    「……来るならもっと早い時間に来い。くそ、もう少しで勝てそうだったのに……」
     つい今しがたまで見ていた夢の残滓を振り払いながらプロミネンスは顔を上げる。煌々と照らされた明るい病室の片隅に、不自然に暗い一角があった。場所が場所だけにまるで幽霊か何かにしか見えなかったが、相手の思想としてはあながち間違いではないのかもしれなかった。
     暗闇は声を出さない。口下手なのだ。だからプロミネンスから話題を振る。いつもの通りに。
    「終わったのか?」
    「…………終わった」
    「そうかい。どこで何してたんだよ」
    「……君には言えないこと」
     問いかけに答える陰鬱な声は、いつも通りに鬱々としている。それでも会話が成立し、自らこうして足を運べているのであれば、だいぶマシな方だ。
     さて、彼はこの一週間、どこで何をしていたのだろうかと、プロミネンスは想像を巡らせる。少なくとも家に引きこもって壁相手にお喋りをしていた訳ではないようだ。色々と聞きたいことはあったが、この返事からするに、相手が答える気はなさそうだった。
    「スゲー設備だろ、夜が来ないってのはいいね。お陰様で来週には退院だ」
    「…………」
     暗闇が晴れた。
     暗色のトレンチコートに、ずだ袋を被った男が、病室の片隅に立っている。そうして、プロミネンスをじっと見つめていた。頭に被ったずだ袋の、人の目があるあたりに開けられた穴がプロミネンスをじっと見つめていた。その穴の中には、暗闇よりもなお暗いものが渦巻いている。
     軽口への返事はない。言葉なき眼差しが、何を言わんとしているのか考える。ひとまず、不機嫌なのか、と察しをつけた。
    「……アー、文句があるなら聞くけど?」
     暗闇が舌打ちをした。お、当たり。プロミネンスはへらりと笑った。
    「……あんな雑魚に負けやがって。今まで何を学んでたんだ? 油断してるからそうなるんだよデブ。見た目だけぶくぶく肥え太りやがって。悪いと思うなら行動に移してみせろ。お前はお前が思ってるほど凄い奴じゃないんだよグズが」
    「はーいはい、ありがとさん。ったく少し安定したと思えばこれだ」
     さっきまでのだんまりは何だったのかと思えるような流暢な罵倒が飛んできて、プロミネンスは思わず声を上げて笑ってしまった。懐かしい時代を思い出すやりとりだ。
     そのプロミネンスの様子を、やはりブギーマンは、ずだ袋のマスクに作られた瞳の先からじっと見つめている。
     プロミネンスの笑いが収まるのを待って、先に口を開いたのはブギーマンだった。珍しいことだ。ここからが本題か、と察した。
    「……君さ」
    「なんだよ」
    「旧世代とつるむのやめなよ」
    「そんないきなりレイシストな」
    「別の生き物だ。何のために己護路島に住んでる」
    「ブギーマン」
     言い聞かせるように名を呼び、その先を遮る。
     彼が本気でそれを言いたいわけではないのだということは分かっていた。旧世代への線引きが強い男なのは確かだったが、それは彼が力を持つ故にだ。自分が強いから、弱い相手を傷付けたくないと遠ざけ、線を引き、背負おうとする。それを証明するようにヒーロー事務所『ノーライト』は自治区外にあるし、客を人種で選ばない。けれど当人の志に対し、絶望的に言葉が追いついていないから勘違いされる。本人もそれを良しとする。そうして孤立する。そういう奴だった。
     悪い奴ではないのだ。でなければいくら同郷といえども、友人付き合いが続いているものか。
     だから、今のこれは自分が言わせているも同然だ。プロミネンスは友人にそんな卑怯な真似はしたくなかった。
    「お前だってビッグベアのファンだろ」
    「……それとこれとは違う」
    「同じだよ。ダチぐらい自分で選ばせてくれ」
     ブギーマンは溜息と呻きの境目のような不思議な声を漏らした。プロミネンスはそれを聞いてもう一度笑った。馬鹿にされたと感じたのか、ブギーマンは今度こそはっきりと舌打ちをすると、懐から取り出した茶封筒とクリアファイルをプロミネンスの顔面に叩きつけた。
     ベッドの上に落ちたそれらが中身を中身をプロミネンスの腹の上にぶちまける。真っ先に散らばった複数枚の日本銀行券が目に入り、これには流石にプロミネンスもギョッとした。
    「僕は依頼を果たせなかった。これは返す」
    「事件は解決しただろうが」
    「君に間に合わなかった!」
    「じゃあ今の俺は幽霊か? お前のおかげだ、そうだろ? とっとけ」
    「お恵みは要らない」
    「正当な権利! 言っただろ、お前とはフェアでいたい」
    「僕だってお前とはフェアでいたい」
     平行線だった。睨み合いが続いたが、相手が意地でも引かなそうな気配を察し、今回折れたのはプロミネンスだった。ため息を漏らし、降参するように両手をひらひらと上げる。ブギーマンは鼻を鳴らした。
     退院してしばらくしたら、また様子を見に行くとしよう。その時にこの件はまた話題に挙げるとして……腹の中を隠すように、クリアファイルへ話題を逸らす。
    「こっちは?」
    「……知り合いの保険屋がお前にと。中身は自分で確認しろ」
    「は? 知り合い? お前に? 保険屋? ……うわっ、大手じゃん。え、何、どんなコネ? 恫喝してパクってきたんじゃねぇよな?」
    「僕のことをなんだと思ってるんだ」
     国内外を問わず名前を聞く大手保険会社の資料は、プロミネンスにとっては意外だった。どうやら自分が思っていたよりも、個人事業主らしいまともな人脈も持っているらしい。安心したような、淋しいような、微妙な気持ちになった。
     そんなプロミネンスの心中など知ったことではないのだろう。話は終わりだとでも言いたげに、ブギーマンが病室の扉に手をかける。今にも出て行こうとする彼に、視線を向けずに尋ねた。
    「また来るか?」
     別に、他意があった訳ではない。旧世代のような病院生活は馴染みがないぶん新鮮だったが、退屈なのだ。友人の訪は何度あっても嬉しい。それがちょっと心配になるような相手であれば尚更。
     無視されるだろうなと思った。あるいは舌打ちだけ返されるか。
    「君はどうなんだ」
     予想外だった。え、と顔を上げれば、振り返ったブギーマンは暗闇に半ばまで身を埋めながら、こちらを見ていた。微動だにしない眼差しがプロミネンスを捉え、曖昧で本質的な問いを投げかけられる。
    「ちゃんとそこにいるんだろうな」
     ブギーマンはどこまで気付いているのだろう、と思った。話したことはない。意図とは違うかもしれない、カマをかけられただけかも。ただ、付き合いの長い相手だから、全部バレていても不思議ではなかった。
     いっそ、全部打ち明けてみようか? 思っていたよりブギーマンは彼なりの生活と人縁を作れているようだったし、似たような境遇で長らくを過ごした彼であれば、意外なヒントをくれるかもしれない。プロミネンスは束の間迷った。そしてやっぱり、言わないことにした。憐れみや不安からではない。彼と自分は別の存在で、別のことを考え、別の人生を歩んでいる。それならそれでいいと思ったからだ。あるいはもっと単純に、友人にカッコつけていたかった。多分、それは向こうも。
     だからプロミネンスは結局、いつも通り陽気に見送ることにした。
    「お陰様で!」

    〈了〉


    【拝借】
    ディスチャージ/ブラッドさん
    アマルガム・オナー/かいなさん
    エルピトス/矢野さん
    ラムダ(EN:Λy/エンヴィー)/しょうたさん
    ビッグ・ベア(名前だけ)/まるさん
    知り合いの保険屋(カラコルム)/卯龍さん

    【出演】
    ブギーマン
    ソーラー・プロミネンス
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🌞🌌💴💴💴💴💴💴💴💴
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    DONEデッドラインヒーローズ事件モノ。続きます。全三話予定でしたが長引いたので全四話予定の第三話になりました。前話はタグ参照。
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    15418

    hasami_J

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     そこに演出意図はなかった。ただスタジアムに満ちていた闇を照らすことだけを目的とした光だった。かくして夜の己護路島内に、けばけばしいほどの光に包まれたオノゴロ・スタジアムが浮かび上がる。

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    20127

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    7364

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    10887