恋をするのは楽しいな霊幻新隆は開き直った。土壇場で面倒くさくなるタイプだが、面倒くさくなったのではなく、受け入れる方向の覚悟を決めたということだ。
そう覚悟だった。
受け入れると決めたのは他でもない、弟子に対する諸々の感情についてだった。
11歳で霊幻の前に現れた男の子は、いまや16歳の少年になっていた。ランドセルと半ズボンからのぞくまあるい膝小僧が可愛かったのが、大きめで誂えた学ランがぴったりと袖も余らなくなって、気づけば優しい黒目はそのままに目つきも顔の輪郭もややシャープな男前になりつつあった。
素直で純で人を疑うことを知らない。心底救いようのない相手にも理解を示そうと努力する。自分の気持ちを伝えることを諦めない。そういう弟子だった。
初っ端はその柔らかくきれいな性質をいかにして自分の利益に役立てようかと思っていたはずが、霊幻はきれいなものを搾取しようとするほどには悪辣な性分を持たず、関係が続けば続くほどに、慈しむ方向へとその向き合い方は変わっていった。
茂夫が中学2年生のとき、幼馴染の女の子と仲良くなりたいと、筋トレをはじめた時も、マラソン大会で頑張って告白するのだと決意を固めた時も、霊幻はそれを微笑ましく思ったし、応援してやりたいと思った。大暴走の告白の果てに、盛大な玉砕をして大いに泣きに泣いた日も、肩を抱いて慰めてやった。隠したかった自分をさらけだしてでも向き合って、もう師弟でいられなかったとしても、心から茂夫のためにできることをしてやりたかった。
それがなーんでこんなことになったかなー。
いやいや覚悟を決めたと言ったばかりだった(誰に、自分に)、と堂々巡りに陥りそうな思考を止めて、目の前の仕事に戻る。夏という季節柄、心霊写真のお祓い依頼も多く、いい加減マウスだけでは効率が悪いかと思い始めていた。いやでも変にペンタブ買うより、タブレットにしちまった方がいいのか?
何はともあれ、できるところまでさっさと進めてしまいたい。なにしろ今日は。
控えめなノックと、応えの前に開くドアに、訪問者に合点がいった霊幻は、ぱっと顔を上げた。
「よお、モブ」
「こんにちは、師匠。お久しぶりです」
「おー、焼けたなーお前」
「そうですか?一応、走ってはいるんで」
「勉強の合間に大したもんだ」
「へへ」
私服のシャツから覗く腕や首元が日焼けした茂夫が見慣れたドア向こうから現れて、霊幻は隠すことなく喜色を顕にした。
高校に上がった茂夫は別のアルバイトを始め、相談所での立場は臨時の手伝いに落ち着いていた。とはいえ、今日のところは依頼での呼び出しではなく、純然に遊びに来ている体である。
高校生の夏休みは忙しい。
塩中の肉体改造部のような純粋にトレーニングを行う部活動というものはなかなかない。茂夫は同級生と同好会を立ち上げて活動しているらしい。ただそうなると、活動はやはり限られて、専ら個々にトレーニング室を使うか、走り込みに行くかとなってしまうらしい。そこでいっそのことと、学校の夏期講習(欠点補習ではない。進学補講だ)に通いながら、合間にトレーニングを入れることにしたと話していた。
こうと決めたときの思い切りの良さは実のところ、小さい頃から変わっていない部分だと霊幻は思う。
「選択肢を広げたいんです」
高校一年生の現在、明確に将来やりたいことは決まっていない。見つけたときに、それを実現できるカードは大いに越したことはない。
「師匠は器用だっていう以上に、努力もしてるでしょ。そういうのはやっぱり見習いたいなって」
師に倣って、と楽しそうに日々の努力の成果を報告する弟子には、面映ゆくも嬉しく。可愛いなあ、好きだなあなどと、いい心がけだと涼しい顔で頷いてやった心の中では大騒ぎなのであった。
そう好きだった。霊幻は弟子の茂夫に恋をしていた。
なぜこうなったのか。
影山茂夫を好きな理由をあげるなら十数個はあげられるが、恋愛における具体的な理由とは、その点が損なわれれば冷めるという、実にシビアなものである。声が好きだとか、優しくしてくれたとか、スポーツができるとか。ひとたび、その人が声変わりをしたり、冷たくなったり、運動音痴になったら雲散霧消する思いならば、その人物を好いているのではなく、その人を象る一点を好ましく、憧れているに過ぎない。
異論は認める。だが、霊幻新隆は恋について、そのように断じる。
だから、霊幻は好きな理由を挙げるのはナンセンスだと考えているし、実際のところ茂夫の好ましい部分が損なわれたとて、彼が彼であるならば好きなことに変わりがない自信があった。自分の中身には自信がなくとも、茂夫を好きな気持ちには絶対の自信があった。拗らせている。
【メモ】
恋をするのが楽しい師匠。
絶対に実らない実らせないと思って自制があるからこそ、なんでもないモブくんの向ける好意を喜んで楽しんでいる。
これまでと変わらないモブくんとの接点を恋を自覚して楽しむ。
あの店美味かった一緒に行きたいな。
今日はたこ焼き買ったからモブ喜ぶかな。
モブが好きなジュース(新作のレモネード)買ってきてくれた!
なんか、最近よく目を見てくれる。
ちょいちょい目を見るようになるモブ、なんか知らんが嬉しい師匠。
実はオーラ的な何かで全部感じ取られているやつ
意識して行っちゃうモブ。
たこ焼きとか牛乳とか、勉強教えたり、嬉しい楽しい。
嬉しいと黄色。
好きとか愛しいとピンク。
恥ずかしい、照れだと赤。
悲しい切ない青。
エクボやほかの人にはわからない。
水族館とか映画館でデート(師匠の中では)の機会が巡ってくる。
一緒に楽しむんだけど、モブくんの優しいとこに彼氏らしさを垣間見て、あ、これ、俺は貰っちゃいけないやつ…みたいに我に返る(モブくんはトメちゃんの手を引いてあげるくらいナチュラル紳士である)
え、これ触れちゃっていいのかな、もらっちゃっていいのかな。
すごくすごく嬉しいのに、手に入れたら後悔するような。
そう、歯止めが聞かなくなる。
もっと欲しくなる。
恋することが楽しいじゃおわらなくなる。切ないになる。
あれもこれも貰ったし、嬉しかったのに、なんでこれは自分のじゃないんだろう。
俺の気持ちはもらってもらえないんだろう。
もらわれてはいけないんだろう。
師匠が嬉しい色を浮かべるから、ついついそれに答えたくなるモブ。
答えたいってこと自体もう気になっているということ。