キスより遠くて近い距離.
ぎし。ベッドが軋む音と揺れに、目を覚ます。先生が先に起きたらしい。
微睡みの中でしばらく唸って二度寝を決め込もうとしていると、聞き慣れた金属音に続いてオイルと煙の匂いが鼻を掠めた。枕に顔を埋めたまま視線を上へやる。
ふぅ、と煙を天井に逃がす時の唇も、伸ばした首元に浮き出る喉仏も、その周りに残るキスの痕も、おれの二度寝を妨げた。
「おや、起こしてしまったかね?」
おれの視線に気付いたのか、先生が振り返った。不純な胸の内を見透かすようなタイミングに、慌てて目を逸らす。
「いーや、べつに」
そうかね。言ってまた煙を吐く。漂う煙の向こうの先生の柔らかく細めた裸眼がまとう色香に、息を飲む。我ながら単純だ。
「君も吸うかい?」
先生の家に泊まった時に限り、おれも煙草を吸う事がある。その大半は今そうしているように、先生が吸うのに付き合う時だ。煙草の味や匂いが特別好きな訳では無いし、体に悪いとは聞くし、煙草を買う金があるならその日の昼飯を大盛りにする方が有益だとは思うが、先生からする煙と同じ匂いに包まれて時間を共有している感覚は結構好きだ。
「ん、じゃあ一本……」
受け取ろうと体勢を変え、手を出そうとするのと殆ど同時に、先生の冷たい指が唇に触れる。
「わざとやってんのか?」
押し込まれるままに煙草を咥え、ついでに先生を睨んだ。
「ふむ、なんのことかね?」
「……なんでも。火、くれよ」
うんと頷きライターを取るかと思えば、先生は髪を耳にかけ、おれに覆い被さった。再び、今度は頬のすぐ横に骨張った手が迫る。
「せんせ、なに」
ぎし。先生が体重をかけた事でまた、ベッドが軋む。昨晩を思い起こすには十分すぎる吐息の距離と共に煙草と煙草が、触れた。
先生がしようとているその何かを待つ間、伏せたまつ毛が長いなとか、寝癖のついた猫っ毛が柔らかそうだなとか、随分長い時間そうしている気になっているうちに、おれが咥えた煙草からも煙が広がり始めた。先生はと言うと、自分からしておいて随分と意外そうに訝しげに首を捻っている。
「ふむ。シガーキスと言うらしいのだけれど、意外と火は移らないものだねえ。ライターの方が早そうだ」
永遠のような数秒間に凝縮した押し潰すような誘惑への自覚は無しに、おれの感情の昂りにも目もくれずに、先生はあっさりと元の位置へ戻る。一人勝手に気勢を削がれたおれは煙の吐き出し方を間違え、不格好にも噎せた。
「けほっ」
「おや、大丈夫かね?やはり寝たままの体勢は良くないかな?」
無邪気さと魔性を同時に孕むその悪質さに、煙とともに大きく息を吐いた。煙草がなければベッドに引き倒ているところだ。まぁ、煙草がなければ煙のように瞬く間に身体中に広がるこの熱も無かった訳だが。
「けほ、……本当に無自覚なら結構タチ悪いぞ、あんた」
悪態をつきながらもまだ少し噎せるおれを見て、くゆる煙の向こうの先生は満足そうに笑っていた。
了