マントの事情 軽く二回ノックして扉を開くと、伯父がソファの上で目を擦りながら上半身を起こすところだった。瞼を苦労して上げながら、甥の顔を見てぼんやり笑いかける。折角寝ていたところを起こしてしまったようで、メフィスト三世は慌てた。
「わぁ伯父さん、起こしてすみません。」
「いいや大丈夫だよ、実はちょっと前から目は覚めていたんだ。」
何か用事かい?と訊く真吾の視線が、手に持っている紙袋に移ったので近寄って渡す。寝起きの湿った額に、柔らかそうな栗色の前髪が数筋張り付いている。
「昨日出張で遠出したのでお土産です。」
「遊びに行ったわけじゃないのに。気を遣ってくれてありがとう。これは何だい?」
「栗饅頭です。」
「栗饅頭好きなんだ、ありがとう、久しぶりだなぁ。」
父親の作るお菓子は基本洋菓子なので、あえてベタな和菓子を選んだのだが、正解だったようだ。三世は心の中でにんまりした。
一緒に食べて行かないかい、とソファに座り直す真吾に、お茶菓子を淹れてきますねと三世はテーブルから離れた。
真吾は大きく伸びをして服を整えると、さっそく紙袋から箱を出し、包装を剥がし始めた。白い蓋を開けると、可愛い饅頭がお行儀よく並んでいる。それを見て、真吾はやっと自分が空腹であったことを思い出した。
香ばしい緑茶の香りがして、三世がトレイに湯呑みを二つ乗せて戻って来た。向かい合って座ると、三世は真吾の手元に湯呑みを置いた。
「伯父さん、寝るときくらいはマントを外したらいいのに。首が締まっちゃいますよ。」
湯呑みに息を吹きかける真吾は、誤魔化すようにははっと笑う。
「ついつい脱ぐの忘れちゃうんだよね。」
また気絶するみたいにソファに倒れ込んだのだろう、この人は。
「マント着けっぱなしって昔からですか?俺が小さい頃はちゃんと外してましたよね。」
うーんどうだったかな、と真吾は首をひねりながら栗饅頭を一つ取る。
「一郎が来てからかもしれないね、マントをあまり取らなくなったのは。」
「悪魔くん?」
「うん、一郎がまだここに来たばかりの頃だけどね、ストロファイアにはあった翼が僕にはないから、それを恋しがった時期があってね。ストロファイアは、一郎を翼で包んだり、遊ばせたりしてあやしていたんだろうね。」
三世も栗饅頭を一つ取ると、ビニールの包みを剥がす。
「一郎はね、マントを着けるといつも中に潜り込んで来たんだよ。包まれているのが安心したんだろうね。一旦入ったらずっと出てくれないから困ったよ。」
思い出の中の一郎が可愛くて仕方ないようだ。真吾は膝の上で肘を立て両頬を乗せた。顔がだらしなく緩んでいる。
「でも寝る時は外してたでしょう?」
「それがね…」
真吾はウフフと思い出し笑いをする。
「一郎とはいつも一緒に寝てたんだけど、夜中、体を離して寝ていると、僕とマットレスの間に体を捩じ込んできてね。挟まれていると安心したのかな。その為に何度も目を覚ましていたみたいで、可哀想だからどうしたものかと思って。」
真吾はマントをくるりと前に回してみせる。
「こうやってマントを前にして、一郎をくるんで寝るようにしたんだ。そしたら熟睡してくれるようになって。一人寝出来るようになるまでずっとそうしていたんだよ。僕の寝相が直ったのもその頃かなぁ。」
そう云えば、いつもソファから落ちることなく器用に丸まって寝ている。つまり全ては愛息子一郎の為であったと。
とっても淋しがり屋で可愛かったんだよと、デレデレして語る真吾に、へぇそうなんですかと三世はスンとしてお茶をすする。
急にムスっとなった甥の顔に、三世が赤ちゃんの時、真吾が抱っこしていた縫いぐるみに嫉妬し、蹴飛ばした事を思い出した。一郎相手でも焼き餅を焼くものなのかなと、真吾は胸の内で苦笑いする。
「三世くんもよく僕のマントの下に潜って遊んでいたよね?可愛かったね。」
「そうでしたっけ」
「うん、マントを着けて悪魔くんごっこしたりしたよねぇ、懐かしいなぁ。」
「そんなこともありましたっけ。」
すんとした顔のままで三世は饅頭の残りを口に放りこむ。
よく覚えてますとも。憧れのマントを着けて貰ったのが嬉しくて、その夜はベッドの中で、絶対大きくなったら伯父さんの使徒になると誓いましたとも。
三世のご機嫌が少し戻るのを察知した真吾は、そうだよと何度も頷いてにこにこする。
「三世くんとはよく遊んだよね。人懐っこくてぷくぷくで本当に可愛かったんだよ。三世くんは昔から素直ないい子だったね。」
「えへへ」
ご機嫌が完全に戻ったのを見て真吾はホッと胸を撫で下ろす。
一郎を迎えてから、三世に会えるのはメフィスト家に用事がある時ぐらいだったが、それでも成長をずっと見守ってきた三世は、一郎と違った可愛さがある。
にこにこしながらハイハイして、抱っこを狙い膝に小さなお手々を乗せる三世。
マントをつけて真剣な顔でエロイムエッサイムを唱え、はたきを振り回して父親と戦っていた三世。
本当に可愛かった。すっかり大きくなったね。
子供達が成長していく姿は嬉しかったが、手元から離れていってしまうようで淋しくもあった。
「いくつになっても本質は変わらないものだよ。一郎は今はああだけど本当はいい子なんだ。三世くん、一郎をよろしくね。」
「まぁ、もうだいぶ慣れてきましたけどね。」
すました顔の三世に真吾はふっと微笑む。そして何か思いついたようにぱっと顔を明るくする。
「そうだ、三世くんならまだマントの下に入れるんじゃないか?」
「えっ」
「入ってみる?」
真吾がにこやかにマントの前を両手でペロリとめくった。マントに引っ張られてTシャツの裾もめくれて白いお腹がチラっと見えた。
ヒュッと吸い込む三世。
突然書斎の扉がバンと勢いよく開いた。長身の影がユラリと近付いて来る。
「どういう事だメフィスト、説明しろ。」
全身ピンクの蛍光色になった三世が恐る恐る見上げると、殺気を宿した二つの大きな目が三世を見下ろしていた。
「おや一郎、珍しいね、何か用事かい?」
ひとり状況を読めてない真吾がお茶を手に取りながら呑気に話しかけた。
「メフィスト帰るぞ。」
あー声色ヤバい今足元から震え来たわ。
「え?どうしたんだい?今来たばかりじゃないか。」
「帰るぞ。」
どうやって逃げるかコレ。
またね伯父さんと力なく挨拶すると、三世は、さっさと先に出て行った一郎の後を追って部屋を出た。真吾はおやおやとその背中を見送る。
大人達が心配する程二人の仲は悪くなさそうだ。
一郎の用事は何だったのだろう、まあいいか、と真吾は栗饅頭を嬉しそうに頬張った。
二〇二四年五月一七日 かがみのせなか