向日葵 向日葵。学名Helianthus annuus。キク科キク目ヒマワリ属。頭状花序で舌状花と管状花で構成され、種は螺旋状に並ぶ。原産地は北アメリカ大陸西部とされ、日本には一七世紀に伝来。鑑賞、種実の食用・油糧で広く栽培される。和名は成長期に花が太陽を追う性質から付けられ、日回り、日廻りと表記される事もある。別名日輪草、日車草等。最盛期は七月から九月。品種改良された物も含めその種類は多い。草丈三〇センチから三メートル、小輪・大輪、一重咲き・八重咲き、花の色は大別して黄・オレンジ・黒・褐色と多様だ。
僕がその花を初めて見たのは、写真だった。
見えない学校の書斎の、隙間なく本が収められた本棚の隅で、それは版型が他の本と異なり出っ張っていたので、前から気にはなっていた。
一抱えある大きなそれを興味本位で引き抜いてみると、表紙にクマの絵が大きく描かれ、開くと粘着性のある台紙とフィルムに、小さな紙片の書込みと共に写真がたくさん挟まれていた。
(クソ親父?)
どうやら、義父のアルバムのようだった。産まれたばかりの時の写真から始まり、ページを捲る毎に少しずつ写真の義父が成長していく。
胡座をかいてページを捲っていると、書庫から大量の本を抱えた義父が書斎に戻ってきた。僕の膝の上にあるアルバムを見ると慌てて寄って来て、ダメだよと言って取り返そうとする。それを腕で拒否すると、呆気なく諦めて、弁解するかのように言う。
「ここで暮らし始める時にエツ子に持たされたんだよ…こんなのよく見つけたね。」
あんなに目立つのに何を言っているのか意味がわからない。
義父はソワソワして落ち着かない。
「こんなの見ても詰まらないだろう?」
「いや大いに興味がある。特にこの…」
おねしょの記念写真がコレクションされたページを開いて見せる。義父はわぁわぁと慌てふためいて写真を隠そうとするが、手が小さくて隠しきれていない。
「これ、メフィスト二世と百目にも昔見られたんだよ…写真抜いておこうかなぁ」
「却下だ。」
「なんで一郎の許可がいるんだよ。」
心底困った顔をしているのでページを移動する。幼稚園、小学校と進み、アルバムが終わりに近くなると、写真にメフィスト二世と百目が登場するようになった。真吾の傍らに写るメフィスト二世はどれもラーメン丼を抱えていた。
一枚の写真に目が留まる。
「これは?」
「ああ、向日葵畑に遊びに行った時の写真だね。懐かしいな。」
「救世は。」
「厳しいね…」
義父の背丈の倍以上もある向日葵を背に、義父を二世と百目が挟み並んで立ち、楽しそう笑っている。
「幼い時の記憶だから多少誇張して記憶されているかもしれないけど、見渡す限り一面に向日葵が咲いていてとても綺麗だった。写真の通り、向日葵の背が高いから、はぐれてしまうと見つけるのが大変でね。怖くてずっと百目の手を握ってたよ。」
目を細める義父の表情を見ると、いい思い出のようだ。
体の年齢と実年齢が等しかった頃の埋れ木真吾は、健康的な頬の色で、子供らしく顔いっぱいで笑っていた。同じ姿だというのに今とは全く別人だ。
「向日葵が似合う。」
「え?」
「この頃の埋れ木真吾は向日葵が似合うな。」
義父は一瞬目を丸くすると写真に目を落とし、暫く黙った後自嘲的に微笑んで、小さくありがとうと呟いた。
実物を目にしたのはその翌年の夏だった。
研究所の依頼で小学校へ出向く機会があり、夏休みで子供達のいない校庭の端にそれは並んで立っていた。
教材として用意されているのだろう花壇の一角で、根元に各クラス番号の立て札が並べられ、晩夏でも衰えない陽射しを受け咲き誇っていた。
急に立ち止まった僕を振り返るメフィスト三世に、ふとあの向日葵の写真を思い出す。
「どうした、悪魔くん。」
「向日葵。品種はロシア。」
「ああ、よく咲いてるよな。子供達がちゃんと世話してるんだろうな。夏はやっぱりこの花だよなぁ。」
そう言ってまた歩き出すメフィストの隣に、かつての義父の影が並ぶ。メフィストもこの花が似合うが、埋れ木真吾には及ばない。
依頼に終止符を打つために数日後再び小学校を訪れると、向日葵はいくつか枯れ始めていた。
花弁の色がくすみ、枯れ落ちてまだらになっている。種の重みで頭が垂れた向日葵に向かうと、見下ろされているような気持ちになる。
「ちょっと淋しいよな。夏も終わりかって感じ。種は炒ると美味いんだぜ。」
「向日葵は痩果だから、種の殻と思われている部分は正確には果皮だ。紀元前からアメリカ先住民の重要な食糧源だった。」
「先ず食ってみてから語れよ。」
たまに普通のスーパーでも置いてあるとこあるよな、とメフィストはステッキをクルクル回した。
ネットで向日葵畑の情報を検索した。すぐに、各地のイベントで向日葵畑が公開された画像や動画がヒットする。
広い大地に輝くの花の画像を流していくと、毛色の違う画像が見付かった。
盛りを終えた花畑の画像だった。
茶色く枯れた向日葵はそれでもまだ崩れず、どれも花弁の落ちた頭を垂れて立っている。
画像へのコメントは、怖い、不気味、悲惨、悲しい、熱にうなされた時に見る夢じゃん、という素直なものから、興奮する、寧ろこの方が惹かれる、美しいなどといったクセのあるものまで様々な投稿が並ぶ。兎に角、誰もがコメントせずにはいられない衝撃を受ける画像の様だった。
(あえて言うなら、沈黙、だな。)
花盛りの向日葵は賑やかだった。並ぶ三人と同様、親しい仲間たちと絶えず話をしているかの様に見えた。風の音も、鳥の囀りも聞こえる気がした。
枯れた向日葵はどれも無言だ。悲しみも恨みも何も無い。どの向日葵もただ沈黙して佇んでいる。沈黙して行く末を待っている。
小学校で向かい合ったあの向日葵もただ黙って僕を見下ろしていた。
「探し物はこれかなぁ?」
ストロファイアの巨大化した赤い手によって瓦礫の中から掴み出された義父の体は反応がない。
「伯父さん…!」
「ストロファイア、待て!」
「待てって、やだなあ、何もしないよ。−−−何もする必要がないよ。ゴミは、ポイ。」
ストロファイアに放り投げられ、義父の体が宙を舞った。受け止めることもできず、無抵抗の体は地面に叩きつけられ転がる。
唐草模様のマントに守られ横たわる義父に駆け寄る。
「真吾伯父さん!」
「おい、クソ親父。」
呼びかけても反応がない。動揺が隠せないメフィストがしっかりしてよと呼びかけながら、義父の肩を掴み、そっと顔をこちらに向けた。
メフィストが隣で悲鳴を上げる。息を呑む。
蒼白の顔、深く闇に侵された眼窩。
刹那、小学校で見た光景が脳裏に蘇る。
あの向日葵。
一面の色を失った花畑が目の前に広がる。無数に立ち並ぶ細長い影の中に紛れ佇む、小さな義父の影。ただ沈黙して暗い眼窩で行く末を待っている…
(いや違う。)
佇む義父に向かい耳を澄ませる。乾いた唇から僕の名が聞こえる。何度も。何度も。
(向日葵は沈黙してなどいなかった。)
どの花も誰かの名を呟いている。こちらへ来るなと言っている。
立ち上がり、両手を差し出し、印を組む。
埋れ木真吾は、僕を呼んでいる。
二〇二四年五月一八日 かがみのせなか