Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    かがみのせなか

    @kagaminosenaka

    主に悪魔くん(平成・令和)の文と絵を作っています。作るのは右真吾さんばかりですが、どんなカプも大好きです。よろしくお願いします。

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 25

    かがみのせなか

    ☆quiet follow

    令和悪魔くん。3️⃣→🚥です。
    出会って間もない頃の一郎と三世。
    真吾さんが三世くんを夜の海に誘います。
    『祝福』と話が繋がってます。こっちが先です。でもそれぞれ完結しています。

    #令和悪魔くん

    沈む 一郎の詠唱を聞きながら、メフィスト三世は両の拳を強く握り締める。頭上に魔法陣を受けるとすぐ鳩尾の奥に熱を感じ、それが全身に爆発的に溢れた。
     三世はステッキを構えると、目の前にゆらりとして挑発する悪魔の前に躍り出る。
    「魔力、稲妻電撃!」
     狙い通り悪魔の体の真ん中に命中する。が、悪魔はその巨体を揺すり、ヒステリックな大声でキャーキャーと嗤った。
    「キカナイ!ゼンゼンキカナイ!ナニソレ、バカミタイ!」
     真っ黒でドロドロしたそれは、ムチの様な腕を全身から放って二人を攻撃する。三世は巧みに攻撃を躱しながら、待避している一郎の位置を確認すると、ステッキを大きく振り技を繰り出した。
    「魔力、絶対零度!」
     よし、と三世は頷く。やはりこれは効果があった。伸ばした腕と半身が凍り付き拘束される。が、まだ上半分は動ける。
    「ナマイキ!サイテー!ハンニンゲンノクセニ!」
     針金のように細く硬く形状を変えた無数の腕が、三世の退避範囲を埋めるように放たれた。咄嗟にマントで身を庇うが、防ぎきれなかった幾つかが皮膚を割いた。
    「キャハハハ!イイキミ!モットチヲナガセ!シネ!」
    「悪魔くん、大丈夫か⁉」
    「僕に構うな。」
     辛うじて詠唱が間に合ったのか、頰に傷を作りながらも防御魔法が発動している。
     三世は悪魔の死角に身を翻すと、すかさずもう一度絶対零度を放つ。だがその瞬間、悪魔を抑えていた氷の塊が崩れ、数メートルを一気にジャンプした。
    「嘘だろ、跳べんのかよ!」
     一郎の目の前に着地し、飲み込もうと大きく伸び上がる。三世の魔術は届いたが効果が薄い。止められない。
    「悪魔くん!」
    「ごめんね。介入するよ。」
     上空からの声にはっとする。悪魔の足許に巨大な魔法陣が輝いた。魔法陣から刺を持った蔓が花開くように伸びて、悪魔を包むように織られ重なっていく。その上に緑のマントが音もなく舞い降り、ひらりと飛び退いた。
    「魔力、絶対零度。」
     三世の目の前の黒い背中がステッキを突き出すと、魔力が触れた一点から凍結が瞬く間に悪魔の全身に広がり、蔓の隙間から逃れようと伸ばした腕も末端まで固めた。
     蔓は隙間なくドーム状に密集し圧縮を始め、そのまま悪魔を魔法陣へ押し込んでいく。抵抗する悪魔の体が猛烈な圧力に耐えかねて潰れ、飛び散る凍った体の欠片が気温に溶け蔦を伝い滴る。悪魔の絶叫が響く。脳髄を揺さぶる声に三世はギュッと目を瞑った。
    「オマエ、ユルサナイ!ワスレナイカラナ!ハンニンゲン!メフィスト!」
    「大丈夫か、三世。」
     父親に支えられて地上に降りると、三世はすかさず一郎を目で探した。地面に座り込んで頰の傷に触れる真吾に何か答えている姿を見付けると、ホッと息を吐いた。
     二人の元に駆け寄りながら振り返り、悪魔が魔法陣に完全に呑み込まれてしまうのを見届ける。
     真吾はメフィスト親子に笑い掛けると、一郎を促し立ち上がった。一郎ものっそりと立ち上がる。
     真吾は三世に近寄ると、あちこち傷を探して状態を確認し始めた。
    「傷は大丈夫かい?今回の悪魔は手強かったね。」
     どれも軽い傷だとわかると、よかったと表情を和らげる。
    「いやぁ間一髪だった。二人共よく頑張ったよ。組んで間もないのによく協力できている。」
     父親に褒められて三世は少し笑い、俯く。一郎は応えず、頰の傷から滲む血を指で拭うと、その手をズボンに擦り付けた。
    「お疲れ様。研究所に戻って手当てをしようか。」
     真吾は三世の背中にそっと手を添え、ポンポンと叩いた。

           ✡✡✡
     
    三世は、依頼人のサインが入った契約書、見積書、報告書、領収書等の書類をフォルダに綴ると、首をグルグル回した。
     確かに資金捻出の為に探偵業を始めようと提案したのは自分だが、全く手伝おうとしない一郎には驚いた。決して繁盛しているとは言えないので一人でも管理できるが、そういう問題ではない。
    (いっそ一人で仕事した方が、期待しないからよっぽど気が楽だけどなぁ。)
     自分の紅茶を淹れるために立ち上がった三世に、書斎机に胡座を書いて魔術書を読み比べている一郎が呼びかけた。
    「メフィスト、ココア。」
     苛つきを隠しもせず三世は振り返ると声を荒げた。
    「仕事もしねぇで何を偉そうに。お願いしますも言えねぇ奴なんか知るか。まず机の上から降りろ。あの伯父さんに育ててもらったくせにお前は何でそんなに態度が悪いんだよ。」
    「僕の仕事はしただろう。それにあいつは関係ない。」
    「伯父さんの事をアイツとか呼ぶな!」
     三世は薬缶に火を掛けると、紅茶を棚から出す。紅茶と並べて仕舞ってあるココアの缶を無視しようとして、ふと申し訳無さそうな真吾の顔が頭をよぎる。
    (伯父さんに頼まれてなかったら面倒なんて見てないんだからな!)
     ココアの缶を取ると、乱暴に調理スペースへ置いた。
     仕事だって一人で出来るものならやっている。
     三世は薬缶の下の方の表面が少しずつ白く曇っていくのを睨んだ。
     一人で戦うには三世の魔力は心許ない。ポテスターテ・ディアボリを受けていても先代の助けが要る。こんなことではきっと、素の魔力では下級悪魔にさえ対抗できないだろう。最悪でも悪魔くんだけは守りぬかないといけないから、楽観的になることはできない。
     そいつが半分人間の悪魔か。役に立つのか。魔力も半分なら使い道もないだろう。
     三世は、初めて顔を合わせたあの日に一郎から投げつけられた言葉を耳の奥に再現した。
     父親は、実践では魔力の大きさが全てではなく、使い方が肝要だと言っていた。相性、地の利、タイミング、魔力の相乗効果、それらを最大限に利用するのだと。即座に判断し動けるようになる為には、とにかく経験を積む事が必要。最大出力の絶対零度でも敵わなかった事が何度もあるし、角砂糖コロリンで勝ったこともあると父親は笑っていた。
     でも、きっとそれは前提が違う。ある一定の魔力を持った上での事だと、三世は知っている。
     角砂糖コロリンで歯痛菌を誘導できたのは、魔術を持続する力があったからだ。自分の魔力ではきっとすぐ枯渇して作戦にならない。使い方以前の問題なのだ。
     初めてポテスターテ・ディアボリを与えられた時の屈辱を今でも鮮明に思い出せる。
     戦闘中一郎に呼ばれて振り返ったら、突然魔術を掛けられた。驚く三世に涼しい顔で、三世の魔力では勝てない、足りないものは補えばいいと言い放った。三世は一郎がそんな魔術を用意をしていた事すら知らなかった。 
     半分は悪魔なのに、人間に魔力を補填された情けなさ。魔術を受けた途端に体内に漲った魔力。それによって敵を撃ち倒せた事実が更に三世を傷付けた。
    (何の相談もなかった。俺は、はなから当てにされていなかったんだ。)
     行き場のない苛立ちや自己嫌悪が腹の底に蓄積されていく。受け入れようとしても、前向きに考えようとしても、腹の泥が重くて足が止まってしまうのだ。
     三世を見て半人間と指を差し、上級悪魔のくせにこの程度かと嘲笑う悪魔達。ならば人間として生きようとしても、遺伝子に組み込まれる悪魔の本質がそれを許さない。メフィストとしての誇りが三世を蝕む。
     伯父は以前、三世を彼の希望だと言った事があった。千年王国の夢が実現可能だと勇気付けてくれると。伯父は安いご機嫌取りはしない。伯父の目には何か見えているのだろうか。
     シュンシュンと蒸気を吐く薬缶を見守りながら、仄暗い思考の深みに落ちていると、ふと背後に目線を感じて振り返った。
     いつの間にいたのか、一郎が三世の様子を黙って伺っていた。一瞬目が遭うと、顔が強張ったままの三世にバツが悪そうに下を向き、ボソボソと言う。
    「ココア、オ願イシマス…」
     子供か、と三世は呆れたが、わざわざやり直しをしに来ただけまだマシなのかもと思い直す。
    「分かったから、向こうで待ってろ。」

           ✡✡✡

     メフィスト家のリビングのドアを開けようとし、風呂上りの三世と鉢合わせした。三世は力無く笑い、真吾にいらっしゃいと声を掛けると、そのまま横を抜け、階段を上っていった。その背中をしばし見送ると、真吾はリビングに入り妹夫婦に挨拶した。
    「やぁ、久しぶりだね。」
    「お兄ちゃん遅いわよー」
     真吾の到着を見ると、二世は椅子から立ち上がる。エツ子はもう既にだいぶ出来上がりつつあり、珍しく浮かない表情でグラスを傾けていた。
     真吾は手土産の焼売をキッチンの二世に渡すと、妹の向かいの席に座った。テーブルの上には小ビンが十数本並んでいる。どうやらクラフトビールの飲み比べをしていたようだ。随分たくさん集めたなと眺めながら、真吾は妹に話しかけた。
    「どうしたんだい?仕事大変なのか。」
    「私、仕事は家庭に持ち込まない主義。」
    「じゃあ他に何か落ち込むようなことがあったのかい?」
    「ちょっとねぇ…」
     二世がキッチンから真吾の分のノンアルコールビールとグラス、温め直した焼売を持って出て来た。エツ子は目の前に置かれた焼売の皿を見ると、さすがお兄ちゃん分かってる、とにんまりする。
    「私が悩む事と言ったら、美容と子育てよ。」
     さっそく焼売を一つ口に頬張ると、ビールを美味しそうにクピっと呑んだ。
    「三世君、元気無いようだね。」
    「そうなのよ。ここのところずっと?段々と?浮かない顔でぼんやりしてる感じ。気になるけど、本人が口にしない事を根掘り葉掘り訊くわけにもいかないじゃない。」
    「そうだねぇ…」
    「仕事を初めて色々経験して現実を知れば、悩みを持つようになるのもしょうがないんだけどね。真吾君も少し味見してみる?」
     二世はエツ子の隣に座ると真吾の手元にビンを寄せた。それぞれ趣向を凝らしたラベルが可愛い。
    「あの子素直ないい子じゃない?いつもなら遠慮なく愚痴言ってくれるのにさ。」
     左頰に手を当てて眉をハの字にする。
    「そしたらいきなり、結婚決めた時子供持つかどうか悩んだ?なんて訊くのよ。」
     真吾は口元に持っていったグラスを止める。
    「あの子、反抗期らしい反抗期もなかったから、尚更心配なのよね。」
    「そうか、三世君そんな事を。」
    「不安がなかったと言えば嘘になるけど、お兄ちゃんも居たし、たくさん助けてくれる人達が居たから悩まなかったって言ったら、フーンて。」
     フーンて何よ、と残りのビールを一気に飲み干し、そのままテーブルに突っ伏した。あーあと苦笑した二世は、エツ子の手からグラスを取り、離した所に置く。
    「愚痴呑み会になっちゃったね…。エッちゃんは三世の悩み方がいつもと違うからちょっと心配なんだ。親としては、見守るしか出来ないのはもどかしいけどね。でもさ、周りがいくら右往左往しても、結局三世自身で処理する方法を見付けなけりゃならないんだ。」
     黙ってグラスを傾ける真吾に、二世はふっと短く息を吐いた。
    「またそうやって。手当たり次第周りの悩みを背負おうとする。」
     えっと顔を上げる真吾に、二世はビールの缶を差し出す。真吾のビールを注ぎ足すと、自分の分を選び始めた。副原料が果物だったりスパイスだったりして面白い。
    「生まれながらのメシヤだね、真吾伯父さん。でもこれは三世に任せるべきだよ。そうやってみんな苦しみながら強くなっていくんだ。大丈夫、俺達が側でちゃんと見てるから。そのための親だからね。」
    「そうだね、三世君はきっと大丈夫だろう。」
     笑ってみせる真吾に、こりゃ分かって無いなと二世は苦笑した。先代悪魔くんはどんな大物の悪魔の前でも冷静でいられるのに、子供達の事となると滅法弱い。
     黙って見ていられない真吾は恐らく三世に何かお節介をするだろうが、まず悪い方に転じる事は無いだろうからあえて止めはしない。分かっているからエツ子も自分も小さな義兄に安心して相談するのだ。
    「これ香りが良くて美味しかったよ。」
     小さなグラスを持ってくると、柑橘類を副原料に使ったビールを一口分だけ注いだ。真吾は勧められるままに味をみると、驚いた顔をして、こんなに個性が出るものなんだねと感想を言い、頰の強張りを漸く解していく。二世はにっこりとして自分のグラスにも注いだ。
     心労の絶えない真吾を労おうと思って呼んだのに、逆に増やしてどうするのか。真吾が生来持つ不思議な抱擁力に、よくないと思いつつもつい甘えてしまうのだ。久し振りの呑みなのだから、今夜は心配事は忘れて楽しんで欲しい。
     二世はグラスを傾けながら真吾の横顔を眺めた。昔から、この人の屈託のない笑顔を見るのが好きなのだ。
     
           ✡✡✡

     探していた本が見付かったと連絡をすると、一郎はすぐに見えない学校へ来た。普段全く連絡を取り合おうとしないくせに現金な子だ。自分の都合で一郎を呼びつける自分も同じか、と真吾は自嘲する。
     ソファにどっかり座る一郎に、真吾は用意していた魔術書を手渡す。片手で持つには重い本を膝の上に乗せると、一郎は早速パラパラとページを捲った。
    「その本は持って帰っていいよ。研究所でゆっくり読むといい。」
    「わかった。」
     答えると真吾の顔をじっと見る。ホットケーキが出てくるものと思っているのだ。真吾はちょっと待ってなさいと苦笑いした。
     ソファに深く座り足を乗せて、抱えた本を大人しく読んでいる息子の姿を見て、小さかった頃も同じ体勢で読んでいたなと懐かしくなる。さすがに今はもう飛び跳ねたりはしないが。
     三段のホットケーキとココアをテーブルに置くと、真吾はその向かいに座った。甘い匂いに呼ばれて本の世界から戻って来た目がテーブルを確認する。
     早速ナイフとフォークを取る一郎に真吾は目を細めた。何度言っても行儀は直らないが、大きな口で食べる姿は正直なところ可愛いと思っている。
     食べ終わるのを待って、真吾は今日息子を呼んだ本題を切り出した。
    「研究所の仕事には慣れてきたかい?三世君の様子はどうかな。仲良く出来ているかい?」
     一郎はムッとした顔をするとぶっきらぼうに答えた。
    「別に普通だ。メフィストはよく怒っている。」
    「三世君が怒る原因は一郎にあるんだろう、困らせてはダメだよ。失礼な事を言ったりしてないだろうね。」
    「僕は事実を言っているだけだ。」
     ふむ、と真吾は首を傾げた。どうにか関係を築こうとしてくれている三世が気の毒だ。人の心の機微に疎い一郎に分かってもらうにはどう教えたらいいだろう。
    「人と信頼関係を構築していくには、相手の気持ちを重んじる事が大切なんだよ。」
     聞いているのかいないのか、一郎は反応せずココアを飲む。
    「ねぇ一郎、事実は時に相手を深く傷付ける。もし、僕が出すホットケーキが、本当は冷凍を温めただけの物だと言ったらどうする?」
     一郎がビクッと震えて固まった。じっと真吾を見て、美味しく食べ終えた皿を見る。まさかこんなにホットケーキが効くとは思わなかった真吾は、おやっと驚く。
    「…最近の…冷凍食…品は…レベルが…」
     青くなって震える一郎に、あははと真吾は笑った。
    「大丈夫だよ、ちゃんと僕が一から作っているから。でもショックだったろう?知りたくなかったと思っただろう。僕だって一郎が傷付く事を思ったら、生涯の秘密にしただろうね。」
    「…だが事実に目を向けるのは間違いじゃない。それとも耳触りのいいように捻じ曲げろと言うのか。」
    「そうじゃないよ。じゃあ、その冷凍食品だったホットケーキ、実は僕が何種類も試して探してやっと見付けた物で、美味しく食べられるように温め方も研究していたとしたらどうだろう。受け止め方が変わるだろう?」
     長い前髪に隠れた大きな目がウロウロしている。考えているのだ。一郎なりに理解しようとしている様子に真吾は少しほっとした。態度に出ないだけで、本当は一郎もどうすればいいのか悩んでいるのかもしれない。
    「事実は切り取り方や見る方向によって様相が変わる。だから伝え方は大事なんだ。相手との関係性も状況も大きく変えてしまうことが出来る。言葉は僕にとって最大の武器だったよ。」
    「ソロモンの笛があったろう。」
    「笛は切り札さ。一郎、半分の魔力で使い物になるのか、ではなく、魔力を上手く使っていくには二人はどう協力していけばいいか、って訊くんだよ。」
     一郎は、またメフィストかと呟くと、不愉快そうに口を曲げた。
     同世代で自立している三世から影響を受けて変化が起るかと思っていたが、一郎は予想以上に頑なだった。
     千年王国、研究所、三世自身の事、そして一郎。三世に全て伸し掛かってしまっている。そして今の三世にはそれを昇華する場がない。苛立ちを表に出してくれるのがまだ救いだ。
    (僕の決断が三世君を追い詰めている…)
     真吾は少し頭を傾け、ココアを飲み干す一郎を見詰めた。

           ✡✡✡

     月の光が強過ぎて、カーテンをきっちり閉めていてもカーテンレールの隙間から入り込む光が部屋を明るく照らしている。こんな時はエアコンの音でさえ気になって煩わしい。三世は明日絶対アイマスクを買いに行こうと考えながら何度も寝返りをうち、漸く少し微睡んだ。
     何か夢を見たような見ていないような、名残を感じながら眠りの深淵から浮上して微かな意識が戻った時、ふと近くに気配を感じて薄っすら目を開いた。
     薄明るいその影を確かめると、影は静かに微笑んだ。
    「…伯父さん」
    「よく眠っているようだからまた今度にしようかと思ったけど、起きたね。」
     呟くような優しい声が暗闇に溶ける。
     ベッドに腰を掛けて三世を見下ろす真吾に、三世はまだ夢の続きを見ているようで、幻のような真吾をただ見上げて次の言葉を待った。
    「三世君、海に行かないかい?」

     状況を飲み込めないまま着替え、真吾に促されて外に出ると、家獣が玄関の前で待っていた。三世に久し振りに会えて思わずバウーと喜び、慌てた真吾にシーっとされる。家獣が両手で押さえた部分を見て、三世は、ああそこが口なんだ、とぼんやり思った。
     同僚をプライベートに巻き込むのは良くないよねと、本気なのか冗談なのか分からない事を言う真吾の後に付いて家獣に乗り込みながら、三世は首を傾げた。どう考えてもおかしい。
     三世が誘いに乗ったのが嬉しいのか、真吾はにこにことして夜のピクニックだねとか言う。明らかに様子がおかしい。
     三世は、音もなく高度を上げて飛ぶ家獣の窓から街の様子を眺めた。輝く無数の星に囲まれた十三夜月が、寝静まった地上を明るく照らしていた。こんな時間の街を見下ろしたことはなかったなと胸の内で呟いた。
     真吾を振り返ると、壁に寄り掛かって座り何事かを考えていた目を上げ、三世の視線と合わせて笑う。
    「どうしたんです急に、こんな夜中に海なんて。」
    「夜の海、見たこと無いだろう?」
     そう云うことではなく、と言い掛けるが、真吾が言葉を繋げる。
    「夜の海は昼間の印象と全く異なるから、なかなか面白いものだよ。」
    「いきなり思い付いたんですか?」
    「うん、今夜は月が明るいからね。」
     夜の海はとても暗いから、月の光が強い夜がいいんだと目を伏せる。こうやってはぐらかすのは真吾のいつものやり方だ。
     再び外を見ると、既に陸は遠く離れ、二人を乗せた家獣は海に出ていた。てっきり近くの海岸にでも行くのかと思っていた三世は、思わず真吾を振り返ると、いつの間にか隣に来て、同じ窓から外を見下ろしていた。
     光源のない海は真っ暗で、月明かりに煌めく飛沫を頼りに辛うじて波が見分けられる。静かな室内に波の音だけが満ちていた。
    「どこまで行くんですか?」
    「うん、僕のお気に入りの場所。︙外は何も見えなくて残念だね。」
     暫く熱心に海を見ていた真吾はそう言うと、フフッと笑った。空と海の境すら分からない景色に三世は心細くなって、少しだけ真吾の方へ身を寄せた。
    「パパ達に頼まれたんですか?」
     真吾は三世の問いに僅かに驚くと、目を伏せて首を横に振る。
    「頼まれたわけじゃないよ。」
     真吾は窓に映る自分の暗い目を見詰める。
    (僕はね、三世君を慰められるような、そんな立場にないんだよ。)
     妹から懐妊の報告を受けた時は本当に嬉しかった。大切な二人に可愛い家族が増える。甥が出来る。人間と悪魔を繋ぐ命が生まれる。
     二人が結婚を決めた時から、真吾はエツ子から何度も子供をどう育てていくか相談を受けていた。メフィスト二世ともよく話し合っていたようだった。何せ前例がないから、成長過程の先々まで考えておく必要があった。
     唯一真吾の事情を知る、埋れ木家のかかりつけ医にしていた町医者へ、拒絶される事を覚悟で相談に行った。白髪の医師は話を信じてくれ、引き受けてくれた。メフィスト家の医師へは二世が相談をして協力を得た。きっと想像しているよりもずっと大変な子育てになるよと諭しながらも、誰一人反対する者はいなかった。
     人間と悪魔の医師は綿密に連絡を取り合い、いくら研究しても論文に書けやしないと笑う医師と勉強して、すくすく育つ赤ちゃんに喜び合って、そして三世が生まれた。
     初めて三世を抱いた時の胸の震えを今でも鮮明に思い出せる。初めて無償の愛と云う物を知った。懸命に呼吸する小さな体に、何でも捧げようと誓った。
    (あの時はただただ三世君の幸せを願うばかりだったのに︙いや、本当にそれだけだったろうか。)
     手探りで三世を育てていく中、次第に悪魔くんとしての願いを重ねるようになっていった。三世一人の為に人間と悪魔が垣根を超えて協力し合っている事実に、千年王国の光を見てしまった。三世が特別な子に思えて仕方がなかった。
    (三世君が将来抱えることになる葛藤を僕は分かっていた筈だ。なのに僕は無責任に三世君の誕生を喜び、理想を押し付けた。一郎の言うように、僕は都合の良いことばかりに目を向けていたんじゃないのか。)
     三世が悪魔に浴びせられた暴言。心臓が凍る思いがした。これまで何度言われてきたのだろう。この先何度言われなければならないのだろう。使命など負わずにいれば、あの子はもっと穏やかに過ごせたのではないか。
    「三世君、千年王国実現の使命は…悪魔くんの使徒は辛いかい。」
    「いえ、悪魔くん使徒になるのは俺の夢だったし…と云うかホントは伯父さんの使徒になりたかったんだけど」
     三世が窓から離れて床に座ると、真吾もそれに倣う。冷たい床が太腿に気持ちいい。三世は両膝を掌でグイグイと伸ばした。
    「つい、もし俺がもう少し人間と悪魔のどちらかに性質が傾いていたらと考えちゃうんですよね。俺はどっちにもなりきれない。だから不安定と云うか…どう在るべきか分からないんです。」
     いつもは苛立ちながら考えている事なのに、今三世の気持ちは不思議と落ち着いていた。自分の中でひとつひとつ整理しながら、ゆっくり言葉にしていく。
    「せめて魔力が強ければ役に立てるから良かったんだけど、実際は悪魔くんに補填してもらわないと戦えない。でもメフィストの役割を捨てたくない。俺は中途半端なんですよね。半人間って言われるのは腹立つけど、でも事実なんです。半分ずつが俺なんだし、変えようもない。」
     膝を抱え、そこに頭を乗せてじっと三世の話に耳を傾ける真吾に目を合わせる。この人はただ黙って聞いてくれるんだなと、胸がじんわり温かくなり、腹の中の泥が溶けていく気がした。
    「変えようも無いことを責められるのは嫌だけど、でも俺を大切にしてくれたり、頼ったりしてくれる人達も確かにいて、だからそれだけじゃなくて…あ、そうか俺は、俺が半人間と侮辱される事で、俺を認めてくれる人達の気持ちを踏み躙られたみたいで悔しいんだ。」
     真吾の瞳からポロっと涙が落ちた。三世は慌てふためく。
    「おおお伯父さん⁉どうしたの⁉」
     真吾は自分の頰に触れると濡れた指に驚き、徐々に顔を曇らせ膝に伏せる。真吾の涙を勘違いした三世は必死に説明する。
    「伯父さん、俺は生まれが不幸とか、ハーフが嫌とか思ってるわけじゃないんだ。何も知らないくせに好き放題言う奴等に無力な自分がもどかしくて…ただそれだけなんですよ…」
     困った三世はおずおずと手を伸ばすと、真吾の背中をポンポンとぎこちなく叩いた。少しして真吾が頭を上げるともう涙はなく、恥ずかしそうに礼を言った。
    「ごめんね、驚いたよね、僕もびっくりした。いい歳してみっともないね。」
     無責任を謝罪するつもりで三世を誘ったのに、それももう出来なくなってしまった。甥が守りたいと言ってくれるものを、謝ることで否定する事になってしまう。
    (理不尽を、僕達大人を恨んでもいいのに、君はそうやって呑み込もうとする。君は他人の為に優しくて強い人になってしまう。)
     心配そうに真吾を伺い、背中に当てた手を離さない甥に、真吾は、何でもないんだよと微笑んだ。

     家獣が降り立った半径十数メートル程の小さな島は、月明かりに白く浮かび上がっていた。草も木もない。平坦な浜と海があるだけだった。非現実的な光景に、三世はしばし言葉を失った。
     真吾が杖の先端に光を灯すと、家獣はバウーと言いながらがんばるポーズをして杖を受け取った。四方を海で囲まれたこの場所では命綱の光源だ。
     二人は素足で島に降りると、そのまま波打ち際に足を濡らしに行った。足の裏にゴツゴツと珊瑚の欠片が当たった。
     話しながら歩く伯父の背中を追う。マントを脱いだ伯父を見るのは本当に久し振りだ。
    「ここは珊瑚礁上に珊瑚礫が波に打ち上げられて堆積して出来ている島なんだ。台風や季節風で形を変える。今は暗くて見えないけど、この周囲は珊瑚礁が広がっているんだよ。」
    「珊瑚礁の島、確か西表島にもある…」
    「うん、バラス島は有名だね。この島はバラス島よりは小さいけど、潮が引けばそれなりの大きさだよ。」
     海水が温かい。浅い水面の下に珊瑚が密生している。波を遊びながら、二人は浅瀬を並んで歩いた。
     海に雲の影が映り、雲が切れている場所は海面が仄かに明るい。三世は空を見上げた。惜しいことに雲が多い。よく晴れていたらきっと星空が美しかっただろう。
    「明るい時間にも来てみたいな。」
     三世の何気ない言葉に、真吾はにっこりとして頷いた。でも来ようねとは言わない。
    (伯父さんは、お気に入りの場所だと言ってた。きっと秘密の場所なんだ。)
     うっかり口にした言葉に後悔し、その秘密の場所に特別に連れて来てもらえた事に胸がぎゅっとなる。
     杖の灯りが届く範囲の外はひたすら闇だ。真吾の灯した光で守られた小さな、小さな世界。一歩外に出れば自分と闇との境界すら曖昧になる。
    (悪魔くんってそう云うものなのかも。)
     できるだけ光を遠くまで届かせて、不安に居場所を、曖昧に輪郭を、迷う者に向かうべき場所を教える。
     あいつにそんな役が務まるのか、と考えていると、真吾が突然何も言わずTシャツを脱ぎ始めた。何事かと狼狽える三世を気にもせず、上半身だけ裸になると、海の中へ躊躇いもせずに入っていく。
    「伯父さん?危ないよ!」
     夜の海は方向感覚を失う。明かり無しで海へ潜るなんて危険過ぎる。
     慌てて三世も服を脱ぐと、急いで後を追いかけた。数メートル珊瑚の浅瀬を走ると唐突に水深が深くなり、三世はバランスを崩し珊瑚に足を取られ、海に落ちた。
     びっくりして必死に浮上し、呼吸を次ぐ。海面に顔を出し真吾を探すが見当たらない。とは言っても数メートル先は何も見えないのだが。
     三世は大きく息を吸い込むと海の中に戻る。頭上に弱い波紋が揺らめき静寂で満ちている。三世は急勾配の珊瑚礁の斜面を伝いながら、かろうじて月明かりを通す薄暗い海の中に目を凝らした。
     魚がいない。魚はおろか、生き物の気配がしない。
    (珊瑚が育つ豊かな海だぞ。夜行性の生き物だっているのに…貝も、甲殻類も、何もいないのはさすがに変だ。今だけなのか?こんなことってあるのか。)
     ここはどこなんだ、と三世は不安を思い出す。
     雲が切れた一瞬、揺らめく白い影が見えた。三世は珊瑚礁を離れると、見えた場所を目指して深く潜っていく。
    (伯父さんはきっと何度もここへ来ているんだ。夜の海も躊躇わないくらい何度も。)
     何もない島にたったひとりで、何もない淋しい海に漂って、何を思っていたのだろう。
     白い影は三世に気付くと泳ぐのを止め、逃すまいと必死に伸ばす手に、白い手が応えた。
     その手に引っ張られて一気に浮上する。互いに支え合いながら海中から顔を出すと、あははと笑う真吾に三世は文句を言った。
    「海に入るなんて聞いてません!」
    「海に来たからには泳ぎたいからね。付いて来なくても大丈夫だったのに。」
    「放っておけませんよ!」
     三世が真吾の後ろにバウーの持つ灯火を確認するのを見て、この子は僕ですら守ろうとするのだなと、切なさで苦しくなった。
     真吾を抱えて怒る三世の頰を両手で包むと、真吾は温かいねぇと微笑んだ。放っておけないのはメフィストとしての性だけでは無いだろう。初めての暗い海は怖かっただろうに、それでも三世は懸命に手を伸ばしていた。
     三世は誰かの為になら恐れなど振り払える人なのだ。基本的に恐れるものなどないメフィスト二世とは異なる強さを持っている。
    (僕は薄情だから、やっぱり君は僕の希望で、それを辞めていいと言ってあげられない。何度やり直せたとしても、僕はきっと君と出会う選択を繰り返すよ。そしてその度に許しを期待してしまうんだろう。だからせめて、たとえひと時でも、傲慢に何もかも明らかにしてしまうものから匿ってくれる場所もあるんだと、誰の目も声も届かない所で少しくらい休んでもいいんだと、君に教えてあげたかった。強い君が悲しいなんて、僕は…) 
     三世の額に自分の額をコツンと当てると、真吾は目を閉じた。雲間から差し込んだ光が真吾の顔を照らす。
    「僕から家獣に頼んでおくから、またここに来たかったらいつでも来るといいよ。」
     動けなくなった三世の腕を擦り抜けて、真吾は深く息を吸い込むと、勢いを付けて海に潜る。背後に三世の気配を感じながらどんどん深くを目指す。水深が下がっていくにつれて冷たくなっていく海水に肌が震える。
    (どうして泣いているの伯父さん。教えてよ。)
     月の光で束の間露わになったその瞳が潤んでいるように見えた。
     漆黒の水の中は上も下もない。ただ幻のような小さな背中を見失わないように追うだけだ。
     日常の裂け目に落ちた不思議な海に今、二人ぼっちだ。誰もいない。両親も一郎も人間も悪魔も。何も聞こえない。期待も称賛も侮蔑も嫌悪も無関心も。ここにはただ在るだけの二人しかいない。
     心の奥底に隠す肥大した袋が破れて感情が溢れ出した。抑えきれない体が指の先まで痺れて震える。怖い。淋しい。悲しい。悲しいのにどうしてこんなにも嬉しいのだろう。
     振り返った真吾が三世を見上げる。怖くないよと導くように三世の両手を取る。
     沈んでいく。静寂で満ちた、光の外の世界に。 



                  二〇二四年六月一五日 かがみのせなか
     
     
    Tap to full screen .Repost is prohibited

    related works