こんな朝の続きかも 時刻は朝7時の少し前。SPKの始業時間の8時半までにはまだ間がある。
僕は若干の後ろめたさと緊張を感じながら、音を立てないようにそっとニアの寝室のドアを開けた。
ドアと対角線にある片隅に寄せてあるベッドの上で、ニアはまだ寝息を立てている。
ベッドの頭側にある閉ざされたモスグリーンのカーテンの隙間から、朝の陽光が、白い壁に覆われた薄暗い部屋の中に、微かに差し込んでいる。
今日こうすることは、昨晩から決めていた。
半年前に、照れ隠しなのかキザなのか分からない遠回しな告白を受けてから、経緯は省くが、ニアと僕は付き合うことになった。
そしてここ最近、ニアの寝顔を見たいとぼんやり考えていた。
半年前までは、理不尽なことも多々あれど、歳の離れた弟のようで、憎めない上司だと思っていたが、それ以上でも以下でもなかった。
だが、恋人となってしまえば、話は別だ。ニアの一挙手一投足が愛しく思えてきてしまう。寝顔もさぞかし可愛いだろうなんて妄想し始めてしまうのも、仕方ない。
ニアの朝の身支度を手伝うことは多々あるが、大抵起床したニアに呼び出されてから部屋に行くので、寝顔を見たことはない。
一緒に寝たことも、ない。
付き合って半年になるが、僕たちはキスしかしていない。残業で夜二人きりになった時など、キスをした後にそういう空気になりかけたことは何度かあったが、手は出さなかった。
ニアは18歳なので、そういう行為が法律的に認められていない訳ではないが、見た目が完全にジュニアハイスクールに通う少年のそれなので、欲望より後ろめたさが勝った。せめてニアの体が成人男性らしさを帯びるまでは……と思っている。(18歳の時点でこれなので、その希望が叶うかは定かではないが)
そしてニアの寝顔への欲求不満を募らせた結果、昨夜、ついに願望を実行に移すことにした。
夜はニアが寝室に入った後寝てるか起きてるか外からは判別できないが、朝起きる時間は、今まで内線で呼び出されてきた経験で、推測できる。ニアは平日は、7時45分に目を覚ますのだ。7時前に行けば、確実に寝ているはずだ、と踏んだ。
床に散乱している玩具に躓いて物音を立てないように、忍び足でベッドのところまでなんとか辿り着く。ベッドの横のスツールに腰掛け、仰向けで寝ているニアの顔を眺める。
「可愛い……」
思わず声が出てしまい、慌てて口を閉じる。
普段のニアの印象は、ギョロリと見開かれた大きな目に持っていかれる。膿紺の瞳をぐりぐりと動かす様は周囲に威圧感を与えるが、今はそれが閉じられているせいか、あどけなく柔らかな印象になっている。真っ白な肌に薄く染まった頬、緩くウェーブのかかったプラチナブロンドの髪なども相まって、天使のようだ。
寝顔を見る以外に目的はなかったが、寝苦しかったのか、普段よりボタンの空いたパジャマから白い胸が覗いてるのが見え、思わずドキッとする。よからぬ気を起こさないよう、そっとかけ毛布を引き上げ、その肌を隠す。
髪くらいなら触ってもいいだろうか……。手を伸ばしてニアの頭に手を置くと、ふわふわと触り心地が良い。くるんとなっている毛先を指先で弄ったりして、少し楽しむ。
と、その時、撫で付けた髪の毛がニアの目元にかかってしまい、ニアの瞼がギュッと閉じられた。まずい、と思い、慌てて手を引いたが、ニアはそれ以上動かない。だが、なんとなく違和感を感じ、ニアの呼吸に耳を澄ましてみる。やはり、寝息にしては浅く、不規則だ。
もしかして、ニアは寝たふりをしている?しかし、なんのために……。
いや、本当に寝たふりをしているなら、理由は分かりきっている。僕がニアにいたずらするのを待っているのだ……。
そう理解したら悶えてしまったが、ニアが起きていると分かってしまった以上、恥ずかしくて、何もできない。そもそも今日は寝顔を拝みに来ただけなので、心の準備もしていない。
僕は、寝ている振りに気付いたということがニアにバレないように、照れながらも、先程と同じようにニアの髪を触ったり弄ったりして数分時間を潰すと、そっと立ち上がり、また忍び足でドアに向かう……。と、背中に柔らかい何かが飛んできた。
床を見下ろすと、足元に枕が落ちている。更に振り返ると、ベッドの上で半身を起こしたニアが、恥のせいか、怒りのせいか、顔を赤くして、僕を睨んでいた。
「……おはようございます」
この状況をどう取り繕っていいか分からず、とりあえず朝の挨拶をしてしまう。
「ジェバンニ、今気付いていましたよね」
「え、何が……」
「私が寝ている振りしてるって」
「えっと……」
僕は視線を宙に泳がせる。まずい、否定すべきだった。が、後の祭りだ。
ニアはベッドの下に収納している玩具箱を半身だけ屈めて引きずり出すと、箱の中身を僕に向けてポイポイと投げつけてきた。プラレールの線路や電車の車両が、僕の体にぶつかる。
「痛い痛い、ニア」
腕でガードをするが、電車の次は、容赦なく固いロボットが飛んできた。僕は腕でガードしながらもニアの方に近寄り、次のおもちゃを取り出そうとするニアの半身を抱きかかえようとするが、ニアは咄嗟に半身を上げ、僕の体を必死に押しのける。
僕は僕を押し返す細い両手首を掴んで、ニアを壁に押し付けた。
ニアの攻撃がようやく止まり、静けさが訪れた。ホッと胸を撫で下ろしてニアの顔を見ると、ニアは頬をサッと赤く染め、顔を背けた。
「あ……」
この体勢はまずい。だが今この両手首を放したら、ニアはまたおもちゃを投げ出すだろう。どうしようか悩んでいると、ニアは怒ったような赤い顔を再びこちらに向け、そっと目を伏せた。
……キスを待っているみたいだ。この状況で無視する訳にもいかない。僕は非常に照れながらも、キスをした。ニアの唇の柔らかさに、胸が疼く。唇を離し、僕たちはうっとりしたように、視線を交わす。
「……襲いに来たんじゃないんですか?」
「いや、そんなつもりは……。ただ、寝顔が見たくて。勝手に入ってすみませんでした」
「そんなことを怒ってるんじゃありません。あなた、まだ一度も私に触ろうとしたことがないじゃありませんか。……私が男だから、気持ち悪いのですか?」
「そんな訳……」
急いで否定しようとしたが、そう聞くニアが答えを怖がるように目線を斜め下に落としたので、ちゃんと言葉を選んで説明しようと思った。
「ただ、大事にしたくて。今はその時じゃないと……」
「その時っていつですか?」
「ニアの体が大人になったら……」
ニアは頬を膨らませる。
「それは私を侮辱してるんですか?私がセックスにそぐわない子供体型だと?」
「そんなつもりは……」
「随分独りよがりですね。体が大人になるっていうのが何を指すかは不明ですが、仮に身長のことだとして、10cm伸ばすのにあと何年かかると思ってるんですか。その間に別れますよ」
「え、別れるの?」
「当然です。数年先も私があなたを好きだなんて、随分自信がおありのようで」
僕はちょっとショックを受ける。
「……あなたにとって、私は何年でも触るのを我慢できる程度の魅力しかないのですね。よく分かりました」
「ちょっと、勝手に納得しないでください。僕がどんなにあなたに触れたいか、あなたは知らないじゃないですか。仕事中だって構わず欲情してしまうからなるべく目に入れないようにしてるとか、寝る前に延々とあなたと行為に及ぶ妄想をしているとか……。ただ、傷つけたくなかっただけです」
ニアは目を丸くする。
僕は変な告白をしてしまい、恥ずかしくなった。ついでにこの体勢も恥ずかしくなった。
ニアの手首を放し、乱れたジャケットを整える。
「とりあえず今日は、ご無礼致しました。もうこのような真似はしませんので、お許しください」
僕は別れると言われたことで少し拗ねてしまったので、意地悪の意味も込めて、そう言った。
と、腕を引っ張られ、体勢を崩した。ニアの上に体重をかけて覆い被さりそうになったので、慌てて腕立て伏せのような格好でベッドに両手を付いた。
僕の両腕の間に、仰向けに寝転んだニアがいる。
「ごめんなさい、ジェバンニ。あなたがあまりに消極的なので、私も拗ねていたんです」
「い、いえ……」
ニアは手を伸ばし、熱くなった僕の耳たぶに触る。耳の中に指を侵入させ、動かしてくる。切ない刺激に、もどかしさが込み上げてくる。
「顔が真っ赤ですよ」
ニアは揶揄うようにそう微笑むと、僕の首に両腕を絡め、なんともエロティックな目つきで僕を眺めやると、「始業までまだ一時間半もありますよ」と、囁くように言った。
胸が高鳴り、体の芯が疼く。
ニアに首を引き寄せられるまま、僕たちは今度は深い口付けをした。
結果的に言うと最後まではできなかったが、その朝僕は始めてニアと肌を触れ合わせ、慈しむように愛した。