ニアがジェバンニにチョコをあげる話 キラ事件終結を1月28日に迎え、SPKの主な仕事は残務処理のみとなった。
これらの業務を終えれば、SPKは解散となり、Lを正式に継ぐことになったニアを残して、我々は元の職場に復帰する手筈となっている。
ニアは最後までSPKに残った我々に仁義を通すため、それぞれの元の職場に掛け合い、かなりの昇進を堅いものとしてくれた。
今、僕は、SPKの日本捜査本部の捜査司令室に居残り、今日中に仕上げておきたい書類の打ち込みを、パソコンで行なっている。御上照と夜神月の当日の動向に関する聞き取り調査のため、日本警視庁から急な呼び出しがかかったので、就業時間内に終わらなかったのだ。
時刻は22時。ニア、レスター、リドナーの三人は、一時間前には僕を残して、別フロアの各々の寝室に戻った。
もう少しで終わりそうだと思い、椅子に座ったまま背伸びをすると、後ろから肩を叩かれ、ぎょっとしてそのまま後ろにひっくり返りそうになった。すんでのところで体制を整えて振り返ると、寝室に戻ったはずのニアが、手を後ろに回し、俯き加減で立っている。ニアは体重が軽いせいか足音も小さいので、気配を消した状態でいつの間にか背後にいることがある。
「ニ、ニア、どうしたんですか?」
跳ね上がった心臓の辺りを手で押さえて、尋ねる。
ニアは黙ったまま、後ろに回していた両手を僕の方に差し出す。手には、ピンクの包み紙とクリーム色のリボンでラッピングされた、両手に乗るくらいの大きさの箱が乗っていた。
プレゼント……だろうか?
僕はとりあえず、その箱を受け取る。
「チョコレートです」
「チョコレート……」
そういえば、今日はバレンタインデーだった。SPKに所属してからというもの、サンクスギビングデーもクリスマスも返上して仕事をしてきたので、年中行事にすっかり疎くなっていた。
しかし、なぜこんな夜中に?
感謝の気持ちを込めて同僚にチョコを送ることは珍しくはないが、今日一日を振り返っても、どこかでレスターとリドナーにチョコを渡している様子は見受けられなかった。僕が外出している内に渡したのだろうか。
「えっと、バレンタインですか?ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「どうぞ……」
ニアは照れ臭いのか、僕から目を逸らして、髪を弄んでいる。
僕はほのぼのした気持ちで、チョコレートの箱にしては大きいそれの、不器用な蝶々結びのリボンを解く。
一見して包装紙はぐちゃぐちゃで、箱の裏側で、何枚ものセロテープでぞんざいに止められている。目の前で破る訳にもいかないので、一枚一枚慎重に剥がし、なんとか包装紙を開ける。
出てきたクリーム色の小箱の蓋をワクワクしながら開けると、アルミホイルが敷かれた箱の中に直接溶かし入れられたチョコが、箱の線ギリギリまで張っていた。ダマになったものを固めたのか、全体的にぼそぼそとしている。そしてこれは何か分からないのだが、紫色の異物が点在している。
僕は思わず真剣な面持ちになり、ごくっと喉を鳴らす。
「わあ、美味しそうですね」
動揺がバレないように努めて明るい声で言う。
ニアはもう疲れたのか、僕の前で絨毯の上に膝を抱えて座り込み、髪を弄っている。
「リドナーが、手作りの方がいいと言うので。美味しくないかもしれませんが……」
リドナーに、どんなチョコを貰ったら嬉しいか聞いたのだろうか。
貰い手の気持ちまで考えるなんて。ニアなりに、僕たちに感謝の意を示しているのだろう。この冷酷無慈悲なボスしては珍しい健気さに、胸が熱くなる。ジャパニーズMOEのTSUNDEREのDEREとはこのことだろうか。
「チョコを一度溶かして固めるのが一番簡単だと教えてくれました。でも、なんでわざわざ固まってるチョコを溶かして、また固めるのでしょうか。理解に苦しみます」
本来は、ハート型をしたアルミカップに入れたり、トッピングでデコレーションしたりして、可愛く成形し直すために一度市販の板チョコを溶かすのだが、薄い板チョコをゴツい四角いチョコに成形し直すことに対して意味を見出せないなら、確かにその工程は必要ないだろう。
「……食べないんですか?」
ニアが僕を、漆黒の瞳でじーっと見上げている。
「あ、はい、頂きますよ」
箱の端からはみ出しているアルミホイルを引っ張ると、バレンタインチョコとは思えない体積のそれがゴソリと引き出された。
このまま噛む……しかないよな。僕は大きな口を開けて、かぶりつく。固くて、チョコではなく歯が砕けそうだ。諦めたくなったが、僕を見つめる瞳を前に、後にも引けない。必死に噛み締め、なんとか割れた一欠片が口に入った。舌触りや味は一般的な銘柄のチョコレートに一段劣るが、それでも普通にミルクチョコレートの味がしたので、一安心した。
「……どうですか?」
ニアが首を傾げて尋ねる。関係ないけど、さっきから上目遣いがお座りした猫みたいで、ちょっと可愛いな。
「か……甘くて美味しいですよ」
噛み切った時に思い切り舌を噛んでしまったが、涙目になりながらも、必死に笑顔を作り、親指を立ててグッドサインを作った。
「よかったです……。日本人は告白をする代わりにバレンタインにチョコをあげると、レスターが言っていました。ここは日本だし、せっかくなので採用してみました」
ニアは目線を下に向けたまま、資料を読み上げる時のように、淡々と述べた。
へえ。日本では告白する代わりにバレンタインにチョコを渡すのか。さすが日本通のレスター。そうか、日本人は告白する代わりにバレンタインにチョコをあげるとレスターが言っていたので、それを採用したのかーー。
僕はまだ口の中で大きな塊をゴロゴロと転がして溶かしながら、今耳に入ってきた言葉について高速で思考を巡らせ、それから高速で頭に疑問符を浮かべた。
「で、ドキドキしましたか?」
「え?」
「ドキドキしましたか、って聞いています」
「えっと……」
つまり、ニアは僕をドキドキさせたくて、チョコをくれたということだ。
さっきから色んな意味でどきっとさせられているが、果たして僕は恋愛的な意味でドキドキしているだろうか、と、妙に真剣に考えてみる……。
ーーうん、急速にドキドキしてきた。耳と頬が熱くなっていくのが分かる。目に見えて、赤く染まっているかもしれない。僕はそれを悟られたくなくて、急いでニアから顔を逸らし、口元を腕で隠した。ほとんど意味は成していないだろうが。
ニアは立ち上がると、僕の頬を両手で挟んで、自分の方に向かせる。
「バレンタインなので、私もチョコが欲しいです」
少し赤らんだ、それでいて真剣なニアの顔が近付いてきて、唇と唇が重なった。ニアの舌が、薄く開けられた僕の口の中に差し込まれ、探るようにそこかしこに動かされ、チョコの塊を見つけ出すと、舌で絡め取り、僕から奪い取った。そして、唇が離される。互いの唾液が混ざり合った糸が、二人の間に引かれた。
「……レスターに言って最高級の成菓用のチョコを取り寄せさせたのですが、あまり美味しくないですね」
ニアはチョコを口で転がすような仕草をした後、自分の唇をぺろっと舐めた。その男上司のたわいもない仕草が急に可愛く見えて、僕は既に座っているのに更に倒れそうな背中を背もたれに深く預けて、ヘナヘナと肘掛けに肘を付いた。
ニアは呆然と座っている僕の首にそっと腕を絡めると、トスッと、肩に頭をもたれかけさせてきた。
「ジェバンニ」
「……はい」
「ここにいてください」
表情は見えないし、声音はいたって平坦だが、今この時のためにものすごく準備をして、遠回りをして、ようやく放たれた言葉のように感じた。何故だか分からないけど、そう感じた。
ニアの柔らかい白髪が、ふわふわと僕の頬をくすぐる。
ニアはこの短期間で、大切なものを一度に失ったのだと思う。感情を表に出さないからこそ、僕たちはもどかしかった。たった18歳で世界を背負おうには壊れてしまいそうな程薄い背中に、僕も腕を伸ばし、ギュッと抱きしめる。
手を跳ね除けられさえしなければ、僕だって、他の二人だって、いつだってニアを助けたいと思っている。
「もちろん、喜んで」
ニアの強張った体が、安心したように僕の腕の中で緩むのを感じた。
「ところで、リドナーが教えてくれたって……」
ニアは顔を上げ、ああ、とこともな気に言う。
「あなたが鈍いので、二人とも協力してくれてたんですよ。随分前から。私に恥をかかせないでくださいね」
ニアはそう言うと、僕の膝に乗り上げ、甘えるように頭を擦り寄せてきた。
まだ何も答えていないのに、まるで恋人になったかのようだ。男の子なのにいい香りがするな、と気を逸らそうとしながらも、思った。
(夜中に書いたもので色々おかしかったので、修正しました)