偽物の芝生と壁紙の青空。一匹の男が鎖に繋がれている。
そこは、彼の為だけに作られたユートピアだった。
大きな体には窮屈そうな狭い小屋。その中に中途半端に下半身を潜らせて、男はぴいぴいと鼻を鳴らして眠っている。その姿は不幸そうにも幸福そうにも見えなかったが、本当の犬のようになり下がった様を見るたび、女は目を背けたいような、その実ずっと見つめていたような重たい気持ちになった。
だから出来ることならこの部屋には寄り付きたくないのだけれど、誰の思惑か、家の中を歩くだけですぐに入口の”舌”に捕まって、もう何度も足を踏み入れる羽目になっている。
雑に投げ入れられた体のほこりを払いながら立ち上がると、その音で目を覚ました男がバウと吠えて小屋から這い出て来た。そして一刻も早く女に近づこうと走り出すものだから、ピンと張った鎖に首輪が引っ張られて悲痛な鳴き声をあげてしまう。女が渋々といった様子で近寄ってやると、男は嬉しそうにその腕を舐めまわした。
すっかり犬になってしまった男―――ルーサーの頭を撫でているとき、女はこれまでよりずっと長い時間、彼のことを考えるようになっていた。
◆
「愛とは受け入れることだ」
「理解しなくていい」
「お前は受け入れなくてはならない」
この家に連れ去られて以来、女が逃げ出そうとするたび男はそう言って聞かせた。人外の形相で紡がれる脅迫めいたその言葉は、回数を重ねるにつれてもはや懇願とも聞こえる響きを孕むようになっていた。
男は不気味なほどの執着を見せる一方で、脱走を叱責する以外では全くと言っていいほど女に関わろうとしない。食事の席で、弟の遊び相手をしている側で、いつも少し離れた場所でただじっとこちらを見つめているだけだった。
◆
犬になったルーサーは、女の手のひらにグイグイと頭を押し付けて、もっと撫でろと体全部で要求する。その次に今度は腹を撫でろと言わんばかりに足元に転がってみせた。腹筋の辺りをくすぐりながら、女は独りごつる。
「あなた、わたしのことが好きなの?」
ルーサーは吠える。
「愛してほしいって思ってたの?」
ルーサーは吠える。
「ちゃんと言ってくれないとわからないよ」
ルーサーはクウンと悲しげに鳴く。
女は男の前で初めて声を出して笑った。
すっかり分かりやすい男になってしまったルーサーの頭を撫でて、人間に戻ったあとの彼のことも少し、好きになってあげられるかもしれないと思った。
元の姿に戻れたらわたしたち、ちゃんと話をしよう。身勝手で奥手で、あまり人間らしくないあなたに教えてあげたかった。
愛は理解から生まれてくるのだということを。