Birthday Boy放課後。
ギャタロウはボウを探していた。
なぜか気が合って一緒にいることが多く、セット扱いされがちな2人だが、実際は学年も違えば同じ部活動に所属しているわけでもない。何か約束でもしていなければ、接点は途端に小さくなってしまう。
ギャタロウはもう何度目かも分からなくなった、携帯端末のメッセージアプリの確認をした。既読は付かない。普段からあまりこの手の機械やそれから得られる情報に興味がなく、連絡が付きにくい男だが、今日はそれ以上に忙しくしているのだろう。
――約束、とりつけときゃよかったか?
そう思うが――そもそも、事前に何度もそれは頭を過ぎったのだが、今日というこの日に会う約束をするのは、まるで予約をとりつけるようで、どうしてもできなかったのだ。
西日が廊下を照らしていた。
もしかすると、もう帰ってしまったのかもしれない。
念の為に下駄箱を確認しようと、ギャタロウは近くの階段を降り始めた。
放課後の学校は賑やかだ。
まだ帰宅する気にならない生徒がいくらでもたむろしているし、外でも中でも、部活動に励む声や音が響いてくる。
そんな青春真っ只中といった賑やかさの中、らしくなくしんみりとした気持ちを抱えながら、一つ階を降りると、ひときわ明るく楽しそうな声が、ギャタロウの耳に届いた。
「ありがとマァ〜!」
――いた。
あの特徴的な喋り方と声を、聞き間違える訳がない。
ギャタロウが声のした方へ顔を向けると、向こうもちょうど気付いたのか、嬉しそうに破顔して駆け寄ってきた。
「ギャタ兄!」
「おう、ボウよ……えれぇ荷物だな?」
ボウは手に大きな紙袋を3つも持っている。
「今日みんな、いっぱい食べ物くれた!」
そう言って、それを嬉しそうに持ち上げてみせた。
ギャタロウにとっては予想通りのことだった。今日、皆が寄ってたかってボウに食べ物を与えようとすることは。
「そりゃあ良かったな」
「うん! オデ嬉しい! ギャタ兄に会えたのも!」
屈託なくボウがそう言って笑うので、ギャタロウの方が照れてしまう。
少し体温が上がるのを自覚しながら、ギャタロウは一番近い教室の扉を開けた。中には、誰もいない。
「……ボウ、まだ時間あるか?」
「? あるよぉ!」
ちょいちょい、と手でボウを招き寄せて教室に入る。夕暮れの教室は薄暗かったが、見えないほどではなかったので、電気は付けずにおいた。
「そういや、なんでこんなとこにいたんだぁ?」
「書道部! この前の大会のお手伝いのお礼。部室は狭いから、部長の教室! お菓子いっぱい貰った〜!」
「なるほどなぁ……どおりで見つかんねぇわけだ」
にこにこ笑うボウに、ギャタロウは数歩近付いた。
「誕生日。おめでとうさん、ボウ」
それを聞いたボウは。
目を真ん丸にして驚いたかと思うと、すぐに顔をくしゃくしゃにして、ぼろぼろと涙を流し始めた。
「あ!? おい、なんで泣くんだよボウ! オイラなんか悪ぃことしたか!?」
慌てるものの、どうしたらいいか分からずにいるギャタロウに、ボウはふるふると首を横に振る。
「ちがう、オデ、嬉しい」
「嬉しいって……おめでとうって言ったことがか? そんなの、今日一日、飽きるほど聞いたろ? 書道部だって、お礼に誕生日会も兼ねてたんじゃねぇのか?」
「ん……みんな、いっぱいおめでとしてくれた。でも、ギャタ兄が、一等、嬉しい」
――本当に、こいつは。
溢れる程の想いをずっと注ぎ続けて、
それへの返しを一切求めない。
それどころか、心底幸せそうなその笑顔――
ギャタロウは小さく息をついた。
「ボウ。でもオイラな、お祝い、なぁんも用意してねぇんだよ」
「ん。おめでと、貰った。オデ、それで充分」
まだ涙に濡れた瞳で、そう言って笑う。
本当に欲のない――でも、それも予想はしていた。
「いいや。それじゃオイラの気が済まねぇ。だから、なんでも1個、お願いきいてやらぁ。なんでもいいぞ。……なぁんでも」
「な、なんでも……?」
ギャタロウが耳元で囁いてやると、ボウは顔を真っ赤にしてギャタロウを見つめてきた。
可愛いなぁ、とギャタロウは思う。
ボウが自分のことを憎からず――というか、かなり強く想われているのはとっくに気が付いていた。
可愛がっている後輩に想われるのは悪い気がしなくて、ボウが何も行動してこないのをいいことに放置していたら、見事に絆されてしまった。
そうなってしまうと今度は一転、ボウの欲の無さに、逆にギャタロウの方が焦れてしまったのだった。
――ここまでお膳立てしてやりゃあ、さすがのボウもなんかあんだろ。
当のボウはしばらく俯いてもじもじと考えたかと思うと、持っていた紙袋を全部机の上に置いて、ようやく、意を決したように顔を上げた。
「オデ、ギャタ兄の手、触りたい……!」
「………………はぁ!? 手ぇ!?」
あまりに予想外のお願いに、つい大きな声が出る。
ボウは少し恥ずかしそうにしながら、にこにこと笑っていた。
「ギャタ兄の手、働き者の、かっこいい手、オデ、好き!」
「……まぁ、手くらい、好きなだけ触りゃぁいいけどよ」
ほら、と右手を差し出すと、ボウは両手でそれを優しく握った。
やはり、ボウにはギャタロウを振り回そうという意図は全くなさそうで、嬉しそうに、日に焼けて小さな傷も多い、全く手入れなんてしていない右手を大事そうに眺めている。
「…………あーもう負け! オイラの負けだこら!」
急に大声を上げたギャタロウに驚いて、ボウはきょとんとしている。
ギャタロウは自由な左手の人差し指をちょいちょいと曲げて、ボウに手招きした。
「ボウ、ちょいと屈め」
訳も分かっていないながらも、ボウは従順に頭を下げた。
やっと届く位置まで来たその口に、ギャタロウは自らの唇を合わせた。
「!?」
一瞬固まったボウに、わざとチュッと音を立てて唇を吸ってやると、ボウはガタガタと周りの机や椅子を揺らして飛びすさった。
「おめぇさんと違って、オイラは強欲なんでな」
ボウは混乱しきっていて、刺激が強すぎたかとギャタロウは思うが、それでも逃がすつもりはない。
「ボウの全部、オイラにくれや」
誕生日のやつから、逆に奪うのはどうかと思うが。
――でも代わりに、オイラの全部くれてやっからさ。
夕陽に染まった教室で、顔を夕陽みたいな色にしたバースデーボーイは、こくりと確かに頷いた。