赤い糸を信じてた家の蔵の中にあった古い医学書の間から、ひらひらと落ちてきた手紙には。流れるような美しい文字で、まるで恋文のような内容が書かれていて。その宛名にソウゲンは驚き目を見開いた。同時に、今の自分が経験したことの無い、あるはずもない記憶が頭の中へ浮かんできて思わずその場へ崩れ落ちた。ドンと膝をつく。青痣が出来るかもしれないと、膝を撫でながら。流れ込んだ記憶に意識を戻し、なんだったんだと、手紙の文字へ指を這わす。宛名には自分の名前が書かれていた。
『もう、共に過ごす事は叶わないけど、いつでもあなたの事を思って祈るよ。いつかまたどこかで会えるように。』
その言葉に、あふれ出した記憶はより鮮明になる。ソウゲンという名から、山南敬助として生きるようになった日の事。そこで出会った最愛の人と自分の最後の事。そういえば、幼少の頃に祖父の葬式に来たお坊さんの袈裟を掴んで離さなかったと母に笑われたな、と。記憶の片隅で彼を思っていたからなんだろうと今なら理解できる。すべてが繋がり、非科学的な事が大嫌いなはずの自分が、江戸時代から生まれ変わった人間なのだと根拠もないのに、納得したのは高校に入る直前だった。
鈴蘭。草花になど興味は無かったのにその花の名前だけ愛おしく思っていたのは、それが前世の自分の好きな人の名前だったからだ。こうして自分が生まれ変わっているのだからきっと何処かに彼もいるのだろうと考えては居たが、闇雲に探そうなんて事は思わなかった、下手な期待を持ってガッカリするのは嫌だったのだ。けれど、寺や神社に行けばなんとなく周辺を見回してしまい、やはりその度に落胆し肩を落として帰るのだった。
高校に上がったばかりの年の瀬の頃。テレビにクリスマスのミサで歌を歌う小学生達がテレビに出ていた。その歌声は何となく、耳障りが良くて聞き入ってしまう。何処の学校だろうとふと画面に目を写したとき、ソウゲンは目を疑った。鮮やかな菖蒲のような紫の髪、同じ色の大きな瞳の、自分の最愛の人がそこに映っていたのだ。
「そっち、でしたか…」
ふと思い出す、彼の罪状。何処までも神様に愛されているのかもしれないと、考えてしまう。そのテレビはローカルのニュース番組で、近所の小学生だと言うことがすぐに分かった。流石に声をかけたりは出来ないけれど、姿を見るくらい。声を聞くくらい許されるだろうか。そう思ってずっと彼に分からないくらいの距離で見守って、たまにすれ違って声を聞く。それで幸せだった。幸せだと思おうとした。
触れられるほど近くに居るのに、声を掛けることは許されず。彼からも認知されて居なくて、まるで自分が存在していないような、そんな風。
けれど、彼が高校に上がって、すぐの頃だった。浮かない顔をする日が増えて、太陽に向かってキラキラ輝いていた顔は俯いて悲しそうにしている事が多くなった。声を掛けたかった、どうしたのか聞きたかった。それが叶わないのが酷く歯痒かった。
暫くして、図書館で過ごす日が増えていった。本を読むわけでもなく、医学書のあたりを歩く。もしかしたら、何か思い出したのかもしれない。
「そう思っても、傷付くのが怖くて話しかけられずに居たのです」
テーブルを見つめ淡々と話すソウゲンの表情は酷く切なそうで、瞳にはじわりと涙が浮かんでいるように見えた。視線が交わると、あまりに真剣な瞳が自分を捉えていてドキリと胸が跳ねた。
「最近、ずっと浮かない顔をしていたから心配していたのですよ」
あの頃より手のひらが大きく見えるのは、年の差のせいかもしれない。頭を撫で、頬を撫でて顎を掬う。しっかりとのぞき込んできたかと思えば、ふわりと破顔して。
「ずっと小生を探してくれていたのですね」
と至極嬉しそうに呟いた。
再会の日から、ゆっくりと会う時間が出来たのは1週間後だった。人の目につかない所の方が良いだろうと、誘われるがまま鈴蘭はソウゲンの家に向かった。本でいっぱいのワンルーム。本の種類は違うものの、過去に見た彼の部屋と重なって見えて懐かしい気持ちになる。その本棚に、1冊見覚えのある本を見つけた。先週図書館で気になった、あの本だった。
「これ…」
思わず手を伸ばす。今度はスムーズに本の間から抜け出て、パラリとそれを開くとソウゲンは驚いたと言わんばかりに目を見開いた。
「…覚えているのですか?」
「え?…いや、なんか…懐かしくて…」
昔の言葉で、書かれているからなんと書いてあるのかなんか分からなかった。けれどどうしてもそれを手に取りたくなったのだ。パラパラと捲る。するとそこに1枚の手紙が挟んであった。ソウゲンはそれを隠すように本を閉じて、大切そうに本棚に戻し、鈴蘭をソファに座らせて、そして懐かしそうに昔の話をしてくれたのだった。
「神様に愛されすぎて、引き離されなかったのが、幸いでしたね」
頬摺りをするように、すり寄って囁く。安堵したその低い声は鈴蘭の鼓膜を震わせて、どれだけ長い間想われていたのか実感する。
「愛されてたから、僕のお願い聞いてくれたんだよ」
そう思わざるを得ないくらい、偶然が重なったと思っていた。この一週間、早く会いたくてたまらなかった。もう、離れなくても良いんだと思うと幸せでたまらなかった。
「鈴蘭殿の、そういうところ嫌いじゃないのです」
ぎゅっと、抱きしめて頭の上でそう呟いたのが聞こえた。もうしばらくは、内緒の関係だけど、そんなのはきっと二人なら気にならない。そんな気がする。