【飯P】澄んだ西日はとうに落ちて 冬が近付いて、神殿にもほんの少しだけ寒さが忍び寄ってくるようになった。
春にはハイスクールを卒業する悟飯は、ここ最近、どうにも態度がおかしい。
じっと見ているくせに、こちらが視線を投げると目を逸らす。妙に距離が近く、不意に手が触れると、引くどころか握ってきたりする。
それが何を意味するか……意味する"可能性"があるか、ピッコロとて分からないわけではなかった。けれど、向き合うのが怖くて、見て見ぬふりをしていた。
「ピッコロさん、ちょっといいですか」
晩秋の夕空は、夏の茜色とは違う澄きとおった金色に染まる。落陽の最後の一筋が目を射って、つい瞼を伏せたくなる。
鞄も上着も身につけた帰りしな、デンデたちに手を振った悟飯が石畳の上を歩み寄ってくる。
「試したいことがあって」
「試す?」
「はい。……"これ"を、どう感じるか」
曖昧な物言いで、悟飯が一歩踏み出す。ピッコロの返事も待たず、迷いも躊躇いも見せず……両腕で思いきり、抱きしめてきた。
跳ねっ返った黒髪が、驚きに硬直したピッコロの首を擽る。やわらかだったはずの少年の身体は、いつしか鍛え上げられ、大人のものに近付いていた。力強い抱擁だったが、戦いの緊張感はない。
「……どうですか?」
「どう、とは」
「どんな風に感じるかなって。嬉しいとか、落ち着くとか、もっとしてほしいとか」
声はあくまで穏やかで、優しく、けれど……ピッコロを見上げてくるまなざしの温度は、明らかにこれまでと違った。
じわじわと悟飯の体温が伝わり、接した胸から鼓動を感じた。後ろに回された手が、ゆっくりと背骨を辿って、腰まで下りてくる。腰に置かれた腕で捕えられ、引き寄せられ、身体の前面と前面が密着する。たったそれだけのことで、呼吸が乱れる。どうですか、と、悟飯が再び小声で問うてくる。
「……昔よく、こうしていたな……子供の頃……」
「懐かしいの? それとも、逃げてる?」
「こういう挨拶が……ハイスクールで、流行っているのか?」
喉が渇くような感覚に、ピッコロは冗談めかした口振りで誤魔化す。けれど、悟飯の返答は真っ直ぐだった。
「どっちも違います。分かってるくせに、意地悪ですね」
悟飯の腕の力が、わずかに強まった。辺りは薄ら寒いはずなのに、ピッコロの手のひらが汗ばむ。自分の中で何が揺れているのか、はっきりとは分からなかった。
「好きな人にしか、しないことですよ」
熱っぽい声に耳元で囁かれ、首筋に吐息がかかる。ピッコロは咄嗟に返事もできず、一度開きかけた唇を閉じた。なんと言うべきか、分からなかったのだ。けれど悟飯は、返事がないことを予想していたように、そっと腕を離し、身体を引く。
「びっくりした顔、見れたから、今日は終わりにしておきます」
笑顔で上着を整える様子は、もういつもの悟飯だ。
「でも、あんまり意地悪言うなら、もっともっと分かりやすい方法に変えますから……じゃあ、おやすみなさい」
言い置いて、礼儀正しく頭を下げて出ていく。ピッコロは動けず、その後ろ姿を見送る。
とうとう「仕掛けてきた」のだと思った。
無邪気を言い訳にできないほど、明確に、意思のある一手を。気のせいだとか、思い違いだとかで見て見ぬふりを、できないようなやり方で。
ただの抱擁ではなかった。少なくとも、子供のじゃれつきとは、明確に違った……。
ピッコロはため息をつき、ざわつく心をもて余したまま、悟飯の去っていった空を見つめる。明るく澄んだ西日はとうに落ちて、宵の口の甘やかな藍色が満ちていた。