志篁の舌、気持ちいいなって思った。ん、って小さく呼びかけて、それに応えて少しだけ瞼を上げた志篁に、俺の真似してみてって目で合図して、自分の舌を絡めて誘導した。
今までだってこうやって色んなこと教えてあげたのに、未だになんだかぎこちないけど別に、いいや。俺、気持ちいいし。志篁は苦しくなってないかな、大丈夫そう。息継ぎだけは上手くなってるかも。
「ひお……ひゃ、……ん」
「……んー?」
言いたいことがあるんだったらキス、やめればいいのに、俺からやめないとずっと付き合ってくれる。やめ方がわかんないのかな、それともやめたら怒られるとか思ってるのかな。わからない。そういえばあんまりそういう話したこと無かったなあ。なんとなく聞けないでいたけど、これもまあいいや。俺はやじゃないし。
志篁の唇を軽く舐めて、それからわざとちゅって音を立てて離れた。まだちょっと名残惜しいけど、今聞かないといけないことのような気がしたから。
志篁が呼吸を整えてる。最後にはあ、って溜息みたいに吐き出して、俺をそっと見上げる。
タイミングを合わせるみたいに扇風機がカチッて鳴って風を送るのをやめた。ああタイマーで切れちゃったんだ、眠って一時間くらいで切れるようにセットしてたのにな。なんでまだ起きてるんだっけ。俺達と違ってあいつは規則正しく、決められたままに、そうやって夏だけ働いてあとは埃にまみれて次の夏まで大人しく寝てる。もしもこいつに自我があったなら、そんな人生をどう思うんだろう。幸せだって思うのかな。
紫音さん、と扇風機の人生について考える、暑さで頭どうにかなってる俺に志篁は言う。
「なあに」
「紫音さんは今、幸せだって思いますか」
タイムリー過ぎてちょっと笑っちゃったじゃん、幸せ、扇風機の。
笑った俺に志篁は慌てて、変なこと聞いてごめんなさいって謝った。勘違いさせちゃったみたいだ。ごめん。俺は扇風機のことで笑ったんだよ、なんてことは言えなくて、適当にごまかしたあとで、なんでそんなこと聞くの、って言った。志篁はちょっと困った顔をしながらちらっと時計に目をやって、もう寝ましょうか、って言う。また俺から逃げようとしてる。
「ねえ、志篁はしあわせ?」
「えっ……」
「俺に聞く前に、自分はどうなのか教えてくれても良くない?」
「それは……」
ベッドから腕を伸ばして強のボタンを押す。ちょっと前に俺がぶつかって倒して、その時に壊れて首振り機能が死んだ可哀想な扇風機。あの時はごめん、でも酔ってたから許して。
強風が俺達を直撃して、二人とも髪の毛がばさばさと派手に踊ってる。
「志篁、志篁。ね、聞きたいな。志篁?」
「僕は……、あの、紫音さん、きらいになったりしませんか」
「んー? どういうこと? 嫌われるような事言うつもりなの?」
「僕、重いかも、しれません、紫音さん、そう言うのきらいですよね?」
「えーどうだろ? どう思う?」
下を向いてシーツの皺をなぞるみたいに指を動かしながら、落ち着かない様子の志篁はえっと……でも……って独り言みたいに呟いてた。その指を掴んで俺の指を絡めて、安心してって言い聞かせるみたいにそっと握った。怖くないように。志篁が、俺が。
「僕は……多分、幸せなんだと思います。紫音さんと一緒にいるの、楽しくて、嬉しいです。でも、僕、幸せってどんなのかよくわからないし、それに、僕だけ幸せだったら、紫音さんは僕のこと嫌いになるでしょう? だから、幸せだって思っていいのかもわかりません……」
志篁がこんなに喋るの初めて聞いたかも、って、最初に思ったのがそれで、次に思ったのは扇風機の風が強すぎるってことで、あとは、そのあとは。
「俺も幸せってよくわかんない。でも志篁がそれを幸せだって思うなら、俺も幸せなんだと思うよ、多分」
「きらいになりませんか?」
「俺の方が嫌われるようなことばっかりしてるけど。俺のこと嫌い?」
「好きです……」
「告白されちゃった。嬉しいなあ。俺も好き」
好き。言ってから、ああそうなんだって気づいて、理解して、なんだそうだったんだって思った。言ったことなかったわけじゃないけど、いつも誤魔化すみたいに言ってた。何を誤魔化したかったのか、今、好きって言った瞬間に全部忘れちゃったけど。
「ねえ志篁、明日デートしよっか」
「デート? ですか?」
「恋人……みたいに、さ、手を繋いで、それで」
「それ、で……?」
「新しい扇風機買いに行かない?」
「行きたいです!」
まだ俺は怖くて、多分志篁も怖くて、予防線を張り合って、そうやって繋がってるんだと思うけど、今はまだ、それでいいと思っててもいいよね?
明日で人生の晴れ舞台を降りる予定の扇風機に俺は、永遠に返ってこない問いかけを投げた。