刑期を終えたら何がしたいですか。いつだったかそんなことを聞いたことがあった。その時、どんな答えが返ってきていただろうか、そんなことを思い出していた。
気分じゃねえか、と土佐くんは問う。不安そうな顔だ。そんな事ないですよ、と私は返して、不安を和らげるつもりで彼の背中へと回していた腕にぎゅっと力を入れる。
これもまたいつのことだったか、甲斐田くんが私に言った。凌牙のこと、ちゃんと見てあげて、と。あれはどういう意味の言葉だったか。そんなことも思い出していた。
私の中のあたたかいかたまりが、静かに抜けていく。その事自体の音は、なにも聞こえなかった。ただ自分の落ち着かない呼吸音と、土佐くんのため息だけがクロスするように融けていく。何か言わなくては。きっと彼は怒っている。
「俺は、犬飼、お前の事が好きだ。だが」
上体を起こし、私の腕を払い、射るように私の目を見つめる土佐くんは、まるでなにかを牽制するかのような様子で、私に訴えかける。
「誰でもいい、なら…嫌だ」
大きな体に似合わないか細い声は、私の胸の奥の方にさくさくと刺さっていく。ああ、私はまた、彼を不安にさせてしまった。
誰かを愛することも、愛されることも、私にはとても難しいことだ。何故ならそれの本質を、私自身が理解出来ていないからである、他人事の様に解釈するとすればそうなる。
そして愛されることは、いつかそうではなくなる日が来る事も、同時に思わなければならないことだと私は思う。私が愛した相手にも、同じ思いをさせるのはいやだ。だから自分の気持ちとは別に、伝える言葉はせめて曖昧にしてしまいたいと思う。端的に言えばそう、愛とはとても恐ろしいものなのだ。
「誰でもいいなんてことはありません」
「…お前は、誰にでも、優しい」
まるで怯えた子犬のような、実際の質量とは比例しないちいさな土佐くんを、とても愛おしいと思った。例えば今、愛していると言葉にしてもきっと、今の彼には何も響かないし届いてはくれないだろう。
私は腹筋に力を入れてゆっくりと起き上がると膝立ちになって、高い位置にある彼の頭を抱く。心臓の鼓動は聞こえているだろうか。
「誰にでも、だなんてそんなに私は器用に見えていますか?」
腕の中の土佐くんはちいさく息を飲む。
「私、実はさっきね、レジで並んでたら割り込みされたんです。でもお先にどうぞって言えなかったので……優しくなんてないと思いますよ」
「文句、言わねえのは優しいだろ」
「余計な揉め事を避けたかっただけです。ただずるいんです、私」
土佐くんは小さく笑って、そうかよ、と言った。すっかり硬さをうしなったそれに優しく触れてから、続き、しませんか? とピアスを避けて少しだけ耳を噛んで、そうしてお願いしたら土佐くんは、何も言わずに私の背中に手を回してそっと、そーっとゆっくりとベッドに横たえて、柔らかく、嬉しそうに笑った。愛おしくて、胸が痛くて、失いたくないものがここにある。とてもこわい。だけど愛してくれてありがとう。いつまでなのかはわからないけど、今この瞬間だけでもありがとう。私も愛しているよ。
「刑期を終えたら、ねえ土佐くん、一緒に暮らしましょうか」
「……急になに、なにを……」
「さっき考えてたんです。未来の事を少しだけ、考えてみたくなって……なんて……もし、迷惑じゃなかったらですけど……」
「迷惑な、わけ……」
面白いくらいに動揺して目を丸くしている土佐くんに今ここで、愛していますと伝えることはまだむずかしいけれど、少しだけ、少しだけでも何か伝われば嬉しいなと、弱虫な自分の映る彼の瞳を見つめて、努めて柔らかく、愛してくれる彼の真似をするように笑った。