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    00_harum

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    00_harum

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    原作をなぞって最終的にハッピーエンドになるタイプのさねぎゆ5、6話。これで終了です。
    いつものことだけど最後走りすぎてる感があるので本では加筆してるかもです。

    第五話


     あの報告書から数日後、甘露寺と時透の体調が回復したから、と臨時の柱合会議が開かれることとなった。顔を合わせるのはあの日以来だ。あの日も、その他の日だって、不死川が冨岡に触れる指先は、言の葉よりもずっとやさしい。初めから、偶然互いの昂りが抑えきれずに交わった夜からそうだった。一度だって不死川は朝日の先まで未練を残したことがない。日の光の中ではいつも、何事もなかったかのように立ち去る背中。最中に見せる、相対した時のあの鬼の嫌いな色の瞳の熱だけが、彼の己への執着だと思っていた。それが切れた瞬間に終わるのだ、とも。
     伊黒との共同任務に向かっていた彼は集合の時刻より少しだけ遅れて現れた。空いていた、冨岡の向かいの席にどかりと座る。一瞬、合ったはずの視線は瞬時に逸らされた。

     痣、という身体能力を鬼の領域まで上げるわざの話。その発動条件。聞き、用の無い話だと判断した。偽りの柱である己にはそも、関わりのない領域だ。
    「…これを簡単と言ってしまえる簡単な頭で羨ましい」
    吐いた台詞に紫紺の瞳が冨岡を睨む。こんな今にでも切り殺されそうなほどの殺意すら滲んだそれが嬉しいだなんて、誰も、そう冨岡以外誰も理解しないに違いない。
     一通り、流れる会話。退室されたあまね様。頃どきだろうと腰を上げた。
    「おい待てぇ」
    案の定、退席を咎めたのは隣のおとこだった。柱の稽古も、痣の出現も、己には関わりのないことだ。告げた言の葉を不死川が責める。
    「六人で話し合うといい。俺には関係ない」
    関係、ないのだ。柱どころか隊士の資格すら持ち得ていない冨岡には本来この場にいる資格もないのだから。これまでの討伐報告から薄々感じていた、竈門炭治郎への懸念も確証となってしまった今は、早急に新しい水柱を探さなければならないというのに。
     座れ、と悲鳴嶼に促され、仕方なしに座敷に戻った。柱稽古の提案には
    「…俺は参加しない」
    とだけ言った。
     悲鳴嶼が見えぬ目で、けれど見透かすように冨岡に顔を向ける。
    「……分かった。帰っていい」
    その一言で話は終わった。立ち去る背中に射るような不死川の視線がある。それを睨み返す権利だって、本来は持っていないのだと、襖を閉めた。

    *****

     柱稽古が始まって一月ほど経った。不気味と鬼たちは一匹も姿を表していない。冨岡が柱稽古に参加したいと告げてきたのは二週間ほど前だ。あの稀代の水柱様と手合わせを出来るのならば可及的速やかに申し込みたい気持ちはあったのだが、どうにも時期が悪かった。折悪く最初の隊士たちが不死川の元まで到達した日であったし、その二日後にはあの忌々しい平隊士までもが風屋敷に来てしまった。更には呼吸も使えない癖にどんなわざを使ったというのか、玄弥ですら来た、とあっては不死川以前の柱たちの選定眼すら訝しんでいた。と、いうよりも呼吸も満足に使えない者にすら劣る昨今の隊士の質の低下を嘆くべきなのかもしれない。
     そしてあの、乱闘騒ぎだ。不死川は己が間違っているなどとこれっぽっちも思ってはいなかった。一人では満足に鬼も斬れないのなら鬼殺隊など即刻辞めるべきだし、ましてや鬼喰いなどと。だが、竈門との接近禁止を申しつけに来た悲鳴嶼にそのことを問えば「知らなかったのか?」と逆に尋ねられてしまった。玄弥については胡蝶が診察をしているとは聞いたが、あの口振りでは胡蝶に尋ねに行けば逆に無駄に責められるに違いない。彼を鬼から遠ざける為に「弟ではない」と宣言した事が返って裏目に出ている。そう、悶々とした気持ちを燻らせている頃、冨岡から手合わせの返事が届いた。渡りに船だ。あれと、あの剣技と相見える事が出来る。不死川は今、冨岡の屋敷へと歩を進めていた。
     初めて、冨岡の呼吸を見た、あの時の光景が忘れられない。使い手としては最大数の水の呼吸の頂点。唯一無二の彼のみの型。飛び散った返り血が彼の白い頬を汚す、様すら息が止まるほど、うつくしかった。評するならば「教科書通り」というのが正しいのだろう。が、実戦に於いてその教科書と寸分違わず刀を振るう難しさはよく解っている。あの領域を真だとするならば己のそれはただのちゃんばらだ。
     あれは花、だ。鬼の屍の中に咲く。鬼を知らずに生きてきたら一生出会うことのなかった花だ。その美しい花を手折る機会を得れたのは偶然だ。手折って手に入れた、征服した気になっていたが、それすらまやかしだったとあの小憎らしい餓鬼に思い知らされた。玄弥すら、たった一度共に戦っただけであるくせに彼奴とは友人関係にあるようだった。
     首を振り、袋小路に陥りかけていた思考を取り払う。無駄だ。あの子供の戯言などに耳を傾けるべきではない。母は鬼になったのだから、死ななければならなかったのだ。そうでなくてはいけないのだから。
     竹林の向こう、ようやく幾度も通い慣れた屋敷が姿を見せた。

     これまでも何度か冨岡に手合わせを申し込んだことはあった。度に、「…稽古にならない」と断られていた。ようやくそれが叶うのだ。昂らないわけがない。互いに木刀を構える。構えの姿勢すら無駄ひとつない冨岡と、自己流の癖が抜けない己。こんなところでさえ何ひとつ合わない。
     壱の型、塵旋風・削ぎは刀身で去なされた。次いで、冨岡が肆の型、打ち潮で足を払う。優雅ではあるが悠長なそれを飛び越え振り返る。まま、空中から放った伍の型、木枯らし颪を、待ち構えていたとばかりに漆の型、雫波紋突きに真正面から返された。誘われていたのだ。あんな涼しい顔をして誘い込んでいたのか。不死川の反応速度すら冨岡の計算の内だ。だが木刀の耐久性までは計算外で、正面から柱の技を受けた刀身は互いに折れた。これが真剣であったならば。想像するだけで脳が痺れた。
    「じゃあ次は素手で殺し合うかぁ」
    拳を鳴らしたところで物陰から竈門が飛び出してきた。
    「待った待った待った‼︎ちょっと待ってくださいよ」
    冨岡よりも弱いくせに冨岡を庇うように立つ。ちっ、舌打ちが零れた。何度見ても腹立たしい餓鬼だ。
    「うるせぇんだよテメェはぁ。そもそも接触禁止だろうがぁ。さっきから盗み見しやがって」
    不死川が睨みつけても竦むどころか竈門は仲裁でもするかのように言葉を続ける。
    「おはぎの取り合いですか?もしそうなら俺が腹一杯になるまで作りますから…」
    ムカつく。ムカつく野郎だ。
     昔から甘味は好きだった。けれど家では満足に食えるものではなかったし、今、この容姿と柱という鬼殺隊最高幹部の地位で甘味ばかりを好んでいる姿はあまり人に見せられるものでもないだろう、と隠していた。柱の中でも教えているのは伊黒くらいだというのに。
    「不死川は…おはぎが好きなのか…」
    冨岡がいつになく澄んだ瞳で首を傾げる。空気に耐えかね、力任せに竈門を殴りつけた。顎を殴られ、二米ほど吹っ飛んだ竈門はそのまま意識を失ってしまったようだったが、あの頑丈さなら大したことはあるまい。
     竈門が居るとどうにも調子が狂う。きっと冨岡とは別の意味で合わない、のだろう。どちらにせよ手合わせを再開する気分にはなれそうもない。帰ろう。向けた背中に冨岡が声をかけた。
    「…帰るのか?」
    「……木刀も折れちまったしなぁ。なんか白けたわァ」
    「茶ぐらい飲んでいかないか?おはぎはないが、何か菓子があったと思う」
    冨岡の表情は常と変わらず凪いでいる。だが、こんな事を言うおとこだっただろうか。弟弟子が居るから、なのか。
    「分かってんだろ?俺はもう稽古以外でここに来る気はねぇ」
    そう、したのはお前だ。騙していたのは。
    「だが…」
    何かを言いかけた冨岡を遮り、口を開いた。
    「それに、おれはアイツもあの鬼の娘も、お前が腹を賭けたことも認めてねぇからな」
    青が、瞬く。
    「お前は間違えてない。けど、俺も間違ったとは思っていない」
    冨岡が真っ直ぐにこちらを見据えている。いつかの朝餉の時と同じ眼で。まだ、あの約束は違えてないと言うのか。その表情にも、言の葉にも応えるものなど不死川の中には何も浮かばなくて、つい、目を逸らした。「…帰る」告げた言葉に返事はなかった。
     日は、もう傾き始めている。それは鬼殺隊にとっても不死川と富岡にとっても、長く、昏い夜のはじまりだった。


    第六話


     最後に見たのは朝日だったはずだ。あの憎き鬼の親玉が塵と消えるのを見届けてそれから、どうしたのだったか。重い瞼を薄く開く。飛び込んできたのは電気のひかり。板張りの天井。「どこだ?ここは」言うはずだった言葉は引き攣れた喉から出る咳でかき消された。
    「不死川さん、意識戻りました!」
    誰かが叫んでいる。焦点の合いはじめた視界に映るのは蝶屋敷の娘たちと、白い服の、医者だろうか。見知らぬ男。それと、部屋の隅にいたのだろうおとこがもう一人。不死川の横たわる寝台に近づいてくる。長身、銀髪、派手な眼帯。ああ、宇髄か。思ったまま口にしていた。
    「…元気そうだな、風柱」
    宇髄の顔はみっともなく歪んで今にも泣き出しそうだった。そんなかお、もうひとり見た気がするなぁ。お前も、あいつも、そういう顔もするんだな。まま、再び意識は途絶えた。

     木製のドアの軋む音、「おはようございます」とかけられた声、そんな些細な物音で目が覚めた。声のした方に首を動かす。全身が鉛のように重かった。
    「よかった。不死川さんはもう大丈夫そうですね。まだ絶対安静ですけど」
    枕元に立ち、微笑む神崎の後ろ、もうひとつ寝台が見える。昨夜と同じ、医者の姿も。
    「……誰だ?」
    問いを正確に拾った神崎が「ああ」と身を逸らす。
    「冨岡さんです。まだ、意識は戻っていません」
    眠る横顔は青白く、生気が感じられない。
    「死ぬ……のか?」
    「死なせません。もう誰も」
    少女は強く言い放った。その顔色もひどく悪いこと、目の下が黒く淀んでいることに、ようやくその時気がついた。
    「ああ、不死川起きたの?」
    神崎とは反対の枕元、よく知った声がする。丸椅子に宇髄が座っていた。先程まで寝ていたらしく目元を擦っている。その気配にも気付かないほどだったのか、と自身に呆れた。
    「宇髄さんも、そろそろ一度帰られては?」
    「…うん、まぁ、もうすこし居させてよ」
    欠伸と軽い口調で笑うおとこもまた、ひどいツラだ。
    「何日経った?」
    不死川の問いに宇髄の残った手が三、と示す。
    「…生き残ったのは?」
    次の問いに即答はなく、ただ宇髄が目線を神崎に向けた。唇を引き結んだ神崎が小さく頷く。そうしてやっと、宇髄が口を開いた。
    「竈門たちはみんな生きてるよ。柱は……お前と冨岡だけだ」
    そうか、と力なく返す。なんとなく感じていた。きっともう他に誰もいないのだと。でなければ冨岡が、あの冨岡が己に縋るように泣いていた訳なんてありはしないのだから。
     夜半、隣の寝台の、周囲の騒がしさに覚醒する。少女たちや隠の走り回る気配。指示を出す医者の声。冨岡の側で石のように動かない宇髄。聞かずとも状況の把握は簡単だった。
    「……宇髄、」
    元同僚を呼ぶ。喧騒の中でも彼にはこの声が届いているはずだ。
    「連れてけ、俺を」
    たったの三日寝ていただけで、たかだか腹を切られただけで重くなった体を持ち上げる。片腕に体重を掛け、ほんの僅か起き上がるだけでも激痛が襲う。
     不死川の呼びかけを正しく拾った男が、肩を抱え起こす。導かれるまま、先程まで宇髄が座っていた椅子に腰を落とした。目の前には人形のようにうつくしくも青白い冨岡がいる。
    「てめぇ巫山戯んなよ‼︎鬼なんかに殺されんじゃねぇ。お前を殺すのは俺だって言っただろうが!」
    腹の底からがなる。が、縫って引き攣れた傷のせいでちっとも声は出ていない。と、冨岡の瞼がぴくりと動いた。血管が透けて見えるほど薄いまぶた。縁の睫毛が震えながら開く。
     あおが、あった。
    「……しな…がわ」
    冨岡の唇が動く度に喉からひゅーひゅーと音がした。彼の刀の色によく似た濃い青色の瞳にうすく膜が張っていく。
    「……よかった。いきてた」
    不死川よりよっぽど死にかけていたくせに、最後まで立っていたたった一人の柱のくせに、冨岡はそう言って泣いていた。不死川も熱くなった目頭を隠すように右手で自身の目を覆う。そうして、失くした二本の指に気付き、喪失の痛みに少しだけ涙した。

     最後の戦いを終え、ふたつき近く。数日前、ようやく敷地内を散歩する許可が降りた。まだ、風は冷たく、庭の木々も緑を取り戻してはいない。そんな殺風景で寒々しい庭内は大概人気がなく、不死川はここ数日というもの日中のほぼ全ての時間を屋敷の裏庭で過ごしていた。共は時折、気まぐれに話しかけに来る相方の鎹鴉と、僅かに蕾を育て始めた一本の桜の木だけだ。あれが咲く頃にはきっと、誰もがその花を愛でに来るのだろう。それまでにはさっさとここを出ていきたいものだ、と今日も、すっかり定位置となった木製の腰掛けに座す。
     独り、桜の老木を眺めていても思い出すのは同室の元同僚のこと。死にかけた、からなのか、背負うものが無くなった気楽さから、なのか、冨岡は随分と表情筋が仕事をするようになったし、案外社交的にもなった。言葉足らずは相変わらずだが、なんせあの綺麗な顔がちゃんと、それなりに、動いてみせるので、以前のような腹立たしさはない。利き腕を失くしたことと、元来であろう不器用さから、人の世話になっていることは多かったが、あの役者もかくやという面構えが「ありがとう」と微笑む様にはついつい誰もが手を差し伸べていた。
     おもしろくない。そうだ面白くないのだ。以前だって冨岡は決して笑わなかった訳ではない。腹を抱えて笑うような、そんな姿を見たことはなかったが、あの薄い唇が弧を描く程度の笑みならば何度だって見てきた。それを知っているのは己だけだと思っていた。そんな優越感を持っていたのだという事実。それが安売りされているような今現在。けれどもそれを手放したのもまた、自分自身だ。今も昔も、もうずっとあの青色に囚われている。
     ふ、と肩が重くなる。何者かがのし掛かっている。この隊関係者しかいない屋敷で、不死川にそんなことをしてくる人物など一人しかいない。不死川にこんな近くに来るまで気配を悟られない男も。
    「…宇髄、重ぇんだよ」
    「いやあ、なに黄昏れてんのかなぁ、と思ってね」
    背後の男は不死川の肩に乗せた腕にさらに体重をかけながら戯けて笑う。
    「さみぃだろ?中入ろうぜ?」
    言いながらも不死川の隣にどかりと腰を落とす。だから不死川も「別に」とだけ返してそっぽを向いた。
    「…そんなに嫌ならそろそろ部屋を分けれるって神崎が言ってたぞ」
    「嫌、…じゃねぇよ」
    部屋が足りず、同室にさせられていたとは知っている。それに余裕が出た、とはそれだけ皆回復してきてる、ということだろう。それは素直によかったと思えるが、不死川だって同室になった彼を以前のように嫌っている訳ではない。ただ、居心地が悪い。
    「まあお前が冨岡を本当に嫌ってるとは思ってないけどよ」
    「もう嫌う理由もねぇだろ。同じくらい、相手する理由もねぇってだけだ」
    はっ、と宇髄が鼻で笑う。
    「殺す約束してたんじゃねぇの?」
    「……死んだろ。あの高慢ちきな水柱様はよ」
     己の口下手を隠すことをやめた冨岡はもうたったの一言で不死川を煽ったりもしない。足らぬ言葉を補おうと努力をしていることくらい見てれば分かる。不死川だってもう、彼の一言に腹を立てるほどの何かを持ち合わせてない。あの、泥の中を延々ともがいていたような憤懣も鬱屈も鬼と共に消えたのだ。残ったのはただの、何も持たない、不死川実弥だけだった。苛烈な風柱もまた、死んだんだ。
     足を組み、肘突いた手に頭を乗せた宇髄は、妙に呆れた表情で不死川を眺めていた。
    「なぁ、お前ももう分かってんだろ?どうして冨岡があんなんだったか」
    無愛想で無口で非協力的で不躾な水柱。そう思っていたものが、ひとえに「俺は柱たり得る人間ではない」という妄信から来るものだったと知ったとき、それを本人の口から聞いたとき、宇髄と二人で脱力したものだ。あの時は久しぶりに「馬鹿じゃねーのか‼︎」と怒鳴りつけたりもした。けどそれっきりだ。
    「…それでも隊は解散だ。そうしたら付き合う理由もねぇだろ」
    「理由、理由ってさぁ……」
    宇髄はうんざりといった風にため息をついている。けれど俺たちには皆鬼を殺す理由があった。生きる理由が。その過程で生まれた燻りを解消し合っているだけの関係だったのだ。それならばもう、不死川には冨岡と向き合う理由は無くなってしまったのだ。
    「……お前は覚えてないかも知らないけどさ、」
     隣の大男が語り出す。あの最後の朝のことだと。
    ——無惨消滅の報に慌てて駆けつけた先で、隠や他の隊士の制止も聞かず歩き回る冨岡。彼が確認しているのが柱たちの安否だと気付き、ふらつく冨岡を背に抱え共に柱を探し回った事。悲鳴嶼、伊黒、甘露寺、そして最後に一番遠くで眠る不死川が居て、ようやく冨岡が動きを止めた事。不死川が生きてると聞き、啼泣していた事。まま、不死川の横で失神した事。
    「…知ってる。あいつが煩くて目ぇ覚めた」
     一瞬、ほんの少しではあったが、朝日を背に泣く青を覚えている。伸ばしかけた手は多分少しも持ち上がらずに地面に落ちたはずだ。あの時も、蝶屋敷で目覚めた時だって、冨岡が泣いていた理由なんて知らない。いつも、冨岡のことなんて何も知らなかったのだから。
    「冨岡はお前と話したいことがいっぱいあると思うけどねぇ」
    そう言って宇髄は立ち上がった。冨岡のところに行くのか、竈門のところにいくのか。どちらにせよ不死川との話は終わったのだろう。
    「もう少し向き合ってやれよ。たった二人なんだからよ」
    子供にするようにがしがしと頭を撫でてきた手を、叩いて追い払う。宇髄は少しだけ困ったように微笑んで、「またな」と去っていった。

    *****

    「髪を切ってほしい」
     退院の前々日、そう言って、神崎に借りた鋏を同室のおとこに差し出した。目の前に鋏を掲げられた藤色の瞳は驚きに見開いていた。が、すぐにしかめ面で目を逸らされる。
    「やだね。なんでだよ」
    「明後日は最後の柱合会議だ。みっともない頭で行くわけにはいかないだろう?」
    「だからなんで俺なんだよ」
    文句を言う不死川の手に無理やり鋏を握らせた。
    「…お前が、いい」
    返ってきた返事は大きなため息。仕方ない、と頭を掻きながらも不死川が立ち上がる。
    「……どんなになっても文句言うなよぉ」
    「うん」
    笑い、窓際にあった丸椅子に座って不死川に背を向けた。
     春の柔らかな日差しの下、さく、さく、と鋏の音だけが室内にある。不死川は豪快で暴風のような剣技とは裏腹に、慎重な手つきで少量ずつ髪を切っていた。ざっくり切ってくれても構わないのだけれど、それよりこの時間が長くなることの方が嬉しい気がする。
     本当は、何度も、不死川と話がしたかった。けれども避けられていることくらいは何となく察しがついたから、半ば諦めていた。きっとまだ彼は冨岡を許していないのだ。
    「……髪、なんで伸ばしてたんだよ」
    不死川がぽつりと呟く。考えたこともなかった。子供の頃は姉さんの真似をしたかったからだったような気がするけれど、そのまま切るのも面倒くさくて放っておいてただけだったと思う。思ったまま口にしたら、不死川からは呆れたため息だけが返ってきた。ああ、でも確か、伸ばしていてよかったと思う出来事もあったのだ。
    「白の敷布に黒髪が広がるのはいい、と言っていなかったか?」
    ぐ、と息を詰めた不死川が咳き込んでいる。
    「な、おま、……情緒どうなってんだよぉ」
    あの頃は何か一つでも不死川が気に入ったところがあるのならそれでよかった。硬くて無骨な男の身体だ。いつか彼が飽きてしまったら、と思っていたのだ。
    「まぁお前に配慮とか求めるのが間違ってんだよなぁ…」
    苦々しくも、それでも矢張りあの頃より多弁に不死川がぼやいている。口ぶりだってひどく穏やかだ。もう、多分、俺では不死川の心を掻き乱すことは出来ないのだろう。
    「…ひとつだけ、不死川に謝りたいことがあるんだ」
    「……は?」
    「不死川はいつも真っ直ぐ目を見て怒るだろう?そうしてお前の頭が俺でいっぱいになるのが嬉しくて、いつも怒りそうな言葉を選んでいた…んだと思う」
    「……なんだよそれ」
    呆れている。いよいよ見捨てられるかもしれない。
    「手合わせの最中に炭治郎が乱入した時があったろう?あの後炭治郎と話をしたんだ。それで、分かった。……俺は、ずっと不死川と仲良くなりたかったんだな」
    自分ごとなのに人ごとみたいだ、と思ったらなんだか無性に可笑しくて笑みが溢れた。息をするだけで精一杯で、自身の気持ちにも全部蓋をして、そうして生きていた。いつも早く死にたかった。
    「…俺も、まぁ、悪かったよ。ろくに話も聞かねぇで怒鳴ってばっかりだったしなぁ」
    「不死川はいつも正しいよ。初めて会った時からずっと、正しい柱だった」
    鋏が止まる。不死川が空いた片手で顔を覆っている。少しは直せた気がしていたのに矢張り俺の口下手は直ってはいないらしい。また、怒らせてしまっただろうか。
    「……お前ほんと、なんなんだよ…」
    不死川の声は怒ってはいない。けれど顔は伏せたままだ。あの藤色の瞳が此方を見てくれていないのはやっぱりどうしても、少し寂しい。
    「…おはぎ。そうだ不死川、おはぎを食べに行こう。俺が買って行ってもいい。……それだけ約束してくれないか?」
    そうだ。明後日は退院だ。もう会う理由も無くなってしまうのだから、約束をしておかないといけない。口実を作らないと。それに好物を食べればきっと不死川だって笑ってくれるはずだ。
    突然、不死川が顔を上げる。何かを思い出した、そんな表情で。
    「なんでお前俺とおはぎ食いてぇの?」
    「……だめ、だろうか?」
    不死川と会う口実。話す口実があればなんでもいいのだけれども、それすら烏滸がましい願いだったのかも知れない。以前のような関係でなくてもいい、冨岡を見てくれなくてもいい、ただ、これっきりにしたくなかった。
    「……あん時、あの日だ。あの日なんでお前俺の前で泣いてたんだ?」
    不死川の言葉は謎かけみたいだ。けれども不死川の方がまるで難しい詰将棋を解いてでもいるかのように見える。だって俺の答えなんてすごく簡単だったから。
    「そんなの、不死川が生きてて嬉しい以外にあるのか?」
    当たり前だろう、と笑った。視界が暗くなる。これは不死川の腕の中だ。
     旋毛の上から不死川の「そんな簡単なことでいいのかよ」と笑う声がした。笑いながらぎゅうぎゅうと抱きしめられて少し苦しい。
    「お前だってよっぽど簡単な頭じゃねぇかよ」
    そう、言って、また笑って、けれど少しだけ泣き声のようにも聞こえたけれど、何分不死川が離してはくれなかったので、その顔を見ることは叶わなかった。
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